古田徹也のレビュー一覧
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言葉への重み。最近言語化することに対しての本がたくさんある。言葉がいかに大事にされているか深くのしかかる。日本語を大切に、責任を持って使っていきたい。エモいやメロいは使いたくない。
・おしり一丁!
・子どもたちは自分たちで「生んでくれ」と頼んだわけではない。勝手に投げ込まれた各々の場所で必死に生きる彼らのために、少しでもこの世界をましなものにする責任が私たち大人にはある。
・しあわせの意味の変遷。でもその変わる前と先には連関する何かがある。
・「社会に出る」とは。社会人がそんなに偉いのか、多様な面に触れていかなくては社会人にはなれないのか。
・子供にとって世界は〈はじめて〉ばかりの、 -
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かなり面白い本!!
紀元前のプラトンの著作には今に至る問題がすでに述べられている。
p39
「彼は、その著作のひとつ『パイドロス』の終盤に、次のような神話を書き記している。
エジプトの古い神々のひとりであり「技術の主」であるテウトは、数学や天文学、将棋や双六など、さまざまなものを発明して人間に与えたが、なかでも注目すべき発明は文字である。テウトは神々の王タムスに対して、文字を覚えることによって人間の記憶力と知識(知恵)は高まるのだと誇る。
しかし、タムスはこれに納得しない。(略)
人は文字を覚えると、書かれたものに頼るようになる、と。つまり、情報を自分の頭のなかに記憶する代わりに文書や書物に -
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すっごい面白かった
一人の人間が二回も世界に衝撃を与えることなんて彼以降無いだろう
前期の超然とした思考、そして歳を経て誕生した後期の地上的な思考の対比と変遷が綺麗にまとめられており読みやすかった
個人的には後期の方が、ボクの考えとも近く親しみやすいと思った
前期は前期で言語的な側面から哲学的常識を崩していくところに若さと情熱を感じてワクワクしながら読めた
後期の「像」や「アスペクト」、「形態学」といった見方の一つは先入観を打破するのに協力な道具だと思った
ウィトゲンシュタインの主要概念として挙げられる「言語ゲーム」やその他の概念が彼にとっては精神的痙攣を治療する「像」の一つであったという -
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『言葉なんていらない?』
中高生向けシリーズの本書はイラストと適宜の「まとめ」を添え深遠なテーマを分かりやすく説いている。「やばい」「えぐい」が生む過度の同調、生成AIの便利さに隠れる危うさ、SNSのフィルター、様々な場面で浮き彫りになる言葉の役割をバランスよく捉えた良書だ。
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このシリーズ、どの本も面白いのですが本書は特に良かったです。言語の本質、コミュニケーションのあり方、SNSとの付き合い方、本に触れる事などのテーマに関心がある方は特に楽しめるでしょう。今年読んだ「言葉・コミュニケーション」のジャンルでは本書が私の中でベストです。 -
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言葉にして伝えるって難しい。何気なく使っている言葉の定義や語源を十分に理解することなく、気づけば軽い気持ちでコミュニケーションをとっている自分がいる。人と会話する機会が増え、コミュニケーションがフラットになりつつある今だからこそ咀嚼するように読み直したい新書。ウィトゲンシュタインの「言語批判」をベースに、日常的に使用される言葉の側面について深く考察がなされている。
p125
ステレオタイプで話すというのは、何でこんなに楽しいんだろう。
この一文は全体を通して最も印象的だった。言われてみれば、日常生活においてカテコライズを通して物事を単純化したり、あるいは相手に伝わりやすいように比喩を用いた -
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言葉について考えることは、それが息づく生活について考えること p.37
「お父さん」や「お母さん」等々も、そして「先生」も、子どもから見た自分の立場にはほかならない。それを一人称として用いることによって、いまの自分が、子どもを保奏し、ときに教え諭す役割を担う者であることを、自ずと示しているのである。p.64
依存先が限られてしまっている」ということこそ、障害の本質にほかならない。逆に言うなら、「実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、自立。といわれる状態」だということである。p.69
※しっくりくる言葉を吟味するということ
学部生の書く哲学・倫 -
Posted by ブクログ
この本を通して得られるのは、まずウィトゲンシュタインという人物の人となりである。提唱者がどんな人間だったのか、を知ることは哲学に必要なのか?と思う人もいるかもしれないが、少なくとも私はこの本を通してウィトゲンシュタインという人がどんな人間なのかを知れたことで一層、ウィトゲンシュタインの哲学の深みが増したように感じた。浮世離れした天才ではなく、孤独で、悩む人。様々な行動も含めて俯瞰したことで、それらを経て発せられた言葉をどんなトーンで受け取ったらいいのかが少しわかった気がした。
次に得られるのがウィトゲンシュタインの哲学の骨の理解である。一つひとつの書を深く理解するための梯子になるような骨の理解 -
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哲学の書ということである程度身構えて読み始めたのだが、最も驚かされたのはそのなめらかな読み心地であった。まさに「なめらか」という言葉がぴったりくると自身で思うほどに、伝えたいことがしっかりと抑揚に乗って伝わりつつ、それでもどこか控えめで、落ち着いた論調で議論が展開されていく。加えて、小手先の言葉で惑わされたり、騙されたり、議論を飛躍させられたりするような感覚がない。非常に真摯に、眼を見つめられながら話されるように、内容が進んでいくのである。ここに著者の誠実さや真剣さを私は感じ、それ故余計にこの書の論に惹き込まれた部分があることは否定できない。あまり類を見ないような、素晴らしい読書体験であった。
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これまで読んだウィトゲンシュタインの概説書のなかでは、一番、わかりやすく、一番、面白かったかな?
といっても、いろいろ読んだ後でのことなので、本当に一番わかりやすいかどうかは、保証できないけど。。。
哲学者の本と人生を切り離して、テキスト解釈するのが主流になっている気がするけど、これはしっかりと人生とリンクした解説になっている。
ウィトゲンシュタインは、「人生とは?」みたいな問いは、「語ることはできない」というだろうけど、でも、かれの斬り付けられた表現を解読していくためには、やっぱ、その人生とか、発言とか、を突き合わせてやっと見えてくる感じだな。
この本は、「論理哲学論考」と「哲学探求 -
Posted by ブクログ
私が大学生の頃、先輩方の印象深かった警句の一つに「違和感を大事にしろ」というのがある。本書で言うところの「しっくりこない」からはじめろ、それを手放すな、ということだろう。
常套句に身を委ねてしまったとき、戦争に代表される社会の破滅がやってくる。リアルな話で、歴史の教訓だ。国家だけでない。企業も組織も、あらゆる人間の集まりがそうだろう。
堕落や破滅は言葉への敏感さを失ったところにある。常に創造せよ、というわけではなく、常套句にも魂を立ち上がらせよ、と本書は言う。
哲学が衒学ではなく、言葉に溺れず、傲らず、しかし、言葉を大切に選ぶこと、待つこと。それが哲学だと。クラウスとウィトゲンシュタイン