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哲学者のウィトゲンシュタインは「すべての哲学は『言語批判』である」 と語った。本書では、日常で使われる言葉の面白さそして危うさを、多様な観点から辿っていく。サントリー学芸賞受賞の気鋭の哲学者が説く、言葉を誠実につむぐことの意味とは。
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Posted by ブクログ
言葉への重み。最近言語化することに対しての本がたくさんある。言葉がいかに大事にされているか深くのしかかる。日本語を大切に、責任を持って使っていきたい。エモいやメロいは使いたくない。 ・おしり一丁! ・子どもたちは自分たちで「生んでくれ」と頼んだわけではない。勝手に投げ込まれた各々の場所で必死に生...続きを読むきる彼らのために、少しでもこの世界をましなものにする責任が私たち大人にはある。 ・しあわせの意味の変遷。でもその変わる前と先には連関する何かがある。 ・「社会に出る」とは。社会人がそんなに偉いのか、多様な面に触れていかなくては社会人にはなれないのか。 ・子供にとって世界は〈はじめて〉ばかりの、あまりに不確かなもの。それに適応しようと日々気張っている娘からすればきちんと同じことが繰り返されることは束の間の安全地帯なのだろう。それでも子どもは、自分がよく見知ったその安定した場所から進んではみ出し、危険を冒そうともする。子のそういう姿を見ながら、親は何ができるんだろう、何をすべきなんだろう、でもそんな悩みは親の自惚れに過ぎないのかもしれない。 ・豆腐ほどのものを自分はこれから先、生み出せることができるのか。 ・論文だとしても個人的な経験から照らし合わせて社会的な議題や、一般的な結論へと向かっていくことは別に不適切ではない。 ・自分たちだけの業界用語を無駄にこねくってかっこつけて話すのはどうなのか。自分とは異なる背景を有する相手の立場に立ち、物事を分かりやすく表現して伝えようとすることは、多くの場面で多角的な理解を促進してくれる。 ・ニュースピークの例は熟考への力を弱める、人々を管理しやすくするための言葉の悪い運用方法。 ・やさしい日本語も、精密コードとしての日本語も、両方必要。 ・ステレオタイプで何かを論議するというのはなぜこんなに楽しいのか。 ・遠慮や知ったかぶりしなくてよいこと。素朴なことも否定されるおそれをもたずに、自分の経験に即して自由に語れること。こっちが言葉に詰まっても相手が待ってくれること。この対話の実践は色んな場所で行われてよいはず。 ・批判は相手を言い負かす攻撃ではない。相手とともに問題を整理し、吟味し、理解を深め合う。お互いに少し斜め上を向き、同じものを見つめながら語り合うイメージ。 ・為政者に「なぜ?」と直接問うて、理由の説明が返ってこないなら批判しなくては。はぐらかされたら執拗に理由を求めるために聞き返す人たちを支えなくては。 ・新しいものをつくることだけが発明ではない。元々あったものを新しい見方や注意の向け方で新しく捉えるだけでも重要な発明である。 ・ある個別の言葉に対して、ある人々の間に違和感が生まれてきたときに、自分もその言葉に対してあらためて注意を向けて見直す。そしてその言葉に関する現実をさまざまな角度から見直す。自分が見逃してきたものを見ようとすること。 ・新しい生活様式を呈示したとき、今まで古い生活様式でずっと大切にされてきた生活の人たちの顔は浮かばなかったのか。父権主義的な言葉の強い力に立ち向かわなくてはならない。全体主義に刃向かえ。 ・ステイホームは帰るべき家がない、虐待を受けている人たちに向けても発信したといえるのか。物事の一面を強力に照らし出し、人々の見方をそこに向ける言葉は、スローガンとして効力をもちうるが、代わりに見えなくなるもの、自ずと抑えつけてしまうものも、不可避的に生じてくる。 ・コロナに対する専門家から発せられた言葉は大きな影響を伴って、従いたくても従えない複雑な事情を持った人たちに対して、自粛警察にとっての錦の御旗となり私的制裁を助長させてしまうのではないか。 ・不法な報酬を受け取っても後で返せば収賄にならない、物を盗んでも後で返せば窃盗にならない、言葉を発しても後で撤回すれば言ったことにはならない!言葉にも暴力と同じ一過性があるはず、取り返しはつかないはずなのに。「いまの殴打を撤回します」 ・しっくりこない、どうも違う、といった迷いは類似した言葉の間でしか生まれない。迷い、ためらうことを可能にする言語を贈られている。
とても面白かったです。子どもは特に親、先生の言葉が権威を持つようになると思います。実際私もそうでした。しかし、自己が形成されるにあたり言葉を扱うことの重要性が見えてきて、彼らの使う言葉が本当に正しいのか悩んできました。本書は、そんな私の心の中を解いてくれるような本になりました。ありがとうございます。
言葉は生活であり、社会であり、そして政治だ。言葉が劣化すれば政治も劣化する。がんばれジャーナリスト。
言葉にして伝えるって難しい。何気なく使っている言葉の定義や語源を十分に理解することなく、気づけば軽い気持ちでコミュニケーションをとっている自分がいる。人と会話する機会が増え、コミュニケーションがフラットになりつつある今だからこそ咀嚼するように読み直したい新書。ウィトゲンシュタインの「言語批判」をベー...続きを読むスに、日常的に使用される言葉の側面について深く考察がなされている。 p125 ステレオタイプで話すというのは、何でこんなに楽しいんだろう。 この一文は全体を通して最も印象的だった。言われてみれば、日常生活においてカテコライズを通して物事を単純化したり、あるいは相手に伝わりやすいように比喩を用いたりする。この行為自体が絶対的に悪というわけではないが、このような"わかりやすさ"にはミスリーディングな理解・伝達を誘発したり、最悪の場合、差別・排斥といった形で人を傷つけてしまうことすらある。 p281 私たちの生活は言葉とともにあり、そのつど表現と対話の場としてある。言葉を雑に扱わず、自分の言葉に責任をもつこと。言葉の使用を規格化やお約束、常套句などに完全に委ねてはならないこと。これらのことが重要なのは、言葉が平板化し、表現と対話の場が形骸化し、私たちの生活が空虚なものになることーひいては、私たちが自分自身を見失うことーを防ぐためだ。 単に語彙力や読解力を高めれば良いという話ではなく、多様な言葉のもつ多様な側面を見渡し、他者との対話を重ねていく中で「言葉を哲学する」こと。批判的な精神をもって探究を続け、言葉に対して責任を負える人でありたい。
言葉について考えることは、それが息づく生活について考えること p.37 「お父さん」や「お母さん」等々も、そして「先生」も、子どもから見た自分の立場にはほかならない。それを一人称として用いることによって、いまの自分が、子どもを保奏し、ときに教え諭す役割を担う者であることを、自ずと示しているのである...続きを読む。p.64 依存先が限られてしまっている」ということこそ、障害の本質にほかならない。逆に言うなら、「実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、自立。といわれる状態」だということである。p.69 ※しっくりくる言葉を吟味するということ 学部生の書く哲学・倫理学の論文は、まず何らかの問いを立て、それに対する答え(および、その答えの根拠)を探究する、という手順を踏むのが一般的だ。このとき、読む側からすると、なぜそれを問うのかという大本のポイントが掴めない場合がある。その問いに客観的な重要性があるかどうかが明確でなかったり、逆に、あまりにメジャーな問いであるがゆえに、それをなぜ今こうしたかたちで問うのかが分からない、といった具合だ。そうした場合、論文指導の最初にまずこの点を学生に尋ねると、学生本人のこれまでの経験が問いの基層にあるケースが多い。たとえば、高校時代にかくかくのことに悩んだとか、アルバイト中にしかじかの場面に遭遇したといった経験だ。それを聞いて腑に落ち、論述の内容に入り込めるようになったとき、私は学生に対して、論文の冒頭において当該の経験に―書ける範囲で、あるいは、より一般化したかたちで触れつつ、問いを自然に導くかたちにしてはどうか、と提案することもある。さらに、そこからその問いの客観的な重要性を示す論述が必要な場合もあれば、問いが明確に示されれば、それだけで十分に重要性が分かる場合もある。よく勉強している学生はど、そういうことを書いていいんですか、と驚く。p.86 十拍一絡げにする言葉の危うさ p.123 重要なのは林の表現を尊重するということだ。具体的には、相手の言葉を十分なかたちで描い上げ、それがどのような脈絡の下で発せられたのかをきちんと踏まえたうえで応答するということが必要だろう。批判を受ける側も、自分の言わんとすることをちゃんと聞いてもらい、それをよく理解してもらったうえで、納得できる問題点を指摘されるのであれば、苦い思いをしたり、多少傷つく部分はあるとしても、感謝する部分の方がきいだろう。p.138 「自粛を解禁」という誤用が意味すること p.240 「発言を撤回すること」はできるか p.250 ※つまり、しっくりくる言葉の候補は、自分がこれまでの生活のなかで出会い、馴染み、使用してきたものたちなのである。それゆえ、そうした言葉の探索は自ずと、これまでの自分自身の来歴と、自分が営んできた生活のかたちを、部分的にでも振り返る実践を含んでいる。よく、「自分の言葉で話しなさい」ということが言われ、創意のある言葉やユニークな言葉を繰り出すことが無闇に推奨されることもあるが、「自分の言葉で話す」というのは必ずしもそういうことではない。むしろ、ありがちな言葉であっても、数ある馴染みの言葉の中から自分がそれをしっくりくる言葉〉として選び出すのであれば、そのことのうちに、これまでの来歴に基づく自分自身の固有なありようや、自分独自の思考というものが映し出される。逆に、「お約束」に満ちた流暢な話しぶりや滑らかな会話は、こういう場合は人はこう言うものだ)、こう言うのが世間では正解だ〉という暗黙の基準にしばしば支配されている。それが常に悪いわけではないが、しかしそのときには、言葉に責任をもつべき自分がそこに存在しないことも確かなのである。P.280
最初は本当に素朴な日常のちょっとした言葉や、子どものちょっとおかしな言葉からなぜそう言うのか?を考えていくところが入りやすくそこから段々と正しい言葉を使うことの有用性を明らかにして行く感じだった。 確かにと思ったのは子どもに対して自分のことをお父さん、お母さん、もしくは先生と呼ぶのはなぜか。それは自...続きを読む分が子どもに対して教え導く存在だと思っていてその地位を明示している、と言ったような内容があった。
素朴な視点で言語を考える。 なぜ「三角い」や「緑い」と言ってはいけないのか。自然発生したものなら、どんな言語にも、必ずしも規則的ではない慣習的な言葉がある。また、文化由来の「高飛車」なんていう言葉もある。オノマトペを多用する文化としない文化の違いとは。言葉は、自然的な事実、歴史、音韻やリズムなど、...続きを読む実に複雑な要素の賜物。そうした面白さを伝えてくれる本だ。 哲学者のウィトゲンシュタインが援用されるが、何より本書の白眉であり、著者のズルい所は、この「素朴な視点」の保有者として、幼い娘の発言を引用してくる点にある。そして、著者同様、私にとっても、その娘の言葉が最も考えさせられるテーマとなる。 ー いま、六歳になろうとしている娘は、先日、歯磨きしている私に近寄るなり、「なんで、頭のなかで「こう言おう」と思わなくても人はしゃべれるの?」と質問してきた。「好きな食べ物は?と聞かれたら、「唐揚げです」と思わなくても「唐揚げです」と言えるのはなんで?」いやそれは実に、自分がずっと不思議に思っていることだよ。本や論文のなかで何遍もそのことについて書いたんだ。しばし呆気にとられ、どうしてこんな問いがこの小さな体のなかから生まれてくるのかと不思議でならなかった。 何気ないやり取りだが、実にずっと不思議に思っていること、その通りなのである。果たして本当にその事に気づいたのか、寓意を含んだありがちな嘘松なのか。どちらでも良いくらい、言語的思考の本質を射抜く問いである。 結局、「三角い」の違和感もそうだが、いちいち母語の文法を考えずに話す訳ではなく、また同様に文法の多少の誤りも無視して理解が可能なように、言語は私たちに身体化されたものだという事の証左だろう。身体化されているので、普段考えずにやり過ごしがちなもの。しかし、よくよく考えると面白いという視点に出会える本だった。
とっても面白かった!割と言葉に対して敏感な方だが、そうかこういう点もあるのかとたくさんの発見があった。 角度が異なるけれど、本当に難しくて苦しくてわからない!と英語学習の悩みの中にいる私にとって、一つ悩みを減らしてくれるものだった。生活に根ざしており感覚的に使っているため、母国語でないと難しいのは当...続きを読む然という点と、語彙が減ることで言語が痩せていくという点。言語学習の解決にはならないけれど、あぁこれは豊かさの表れなんだなと思うことでハードルが下がった。すべて理解するのは無理なのだ。
とても面白かった。 哲学的な本だと難しいかと思ったが、日常にある様々な言葉を題材にして、正しい言葉を使うことや文章を書くことの大切さがわかる。 英語や流行り言葉が多様化しているが、歴史の中で作られてきた日本語や漢字のニュアンスなど、他に置き換えることができない表現の違いなどが書かれているのがおもしろ...続きを読むかった。 例えば、走ると駆けるを同一言葉にできないのか、、など、一見同じように見えるが、それぞれの持つ意味を掘り下げていくと別の意味合いを持っている事実なども、普段は気づかず使ってきたので、なるほど、と思った。
歯切れのよいコラムでは時勢についても触れられ、そこから深掘りした提言や教育論についても。 再読。
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