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Posted by ブクログ
仕事柄、英語をそのままカタカナ表記する場面によく出会うが、それは私の生活には溶け込んでいた。
しかし、業界から一歩出れば通じないことや、日本語がそのような表現を受け入れやすいことは全くもって意識できなかった。
〇〇感という言葉がビジネスシーンで氾濫するのも、責任の所在を常に曖昧化していたい日本企業にとって、相性が良いのも納得した。
また、私自身「嫁」という言葉に違和感を感じている。どこか古臭い感じがあり、彼女→嫁の表現変化はどこか大きな認識差を感じる。
言葉尻を捉えるのではなく、より適切で洗練された言葉や会話を行うため、日々考えて行きたい。
発言を撤回する、ことなどできない。まさに、吐いた唾は飲めないことを肝に銘じていこう。
Posted by ブクログ
新書と呼ばれるものを初めて読んだけど、
これはきっと読みやすい分類だろうなと思いましたし、エッセイのような本だなと思いました。
ここ2年の私の目標は、「自分の言葉で話せる人になる」です。
この本はそんな目標を達成するためのヒントをくれる本でした。
そもそも「自分の言葉でないものの反対とは?」と思った時に、ありきたりな言葉=常套句があると思います。じゃあなぜ自分は常套句に惹かれないのかと思った時、その答えを持っていませんでした。
しかし、この本にはその答えでもある
常套句は自分で責任を持っていない言葉だ、と記されていました。
私は自分の言葉で楽しみたい・笑いたい・対話したいと思っています。だからこそそれを達成するには自分で自分の言葉に責任を持つ必要があります。
今、なりたい自分になるために本当に必要な本だったと思います。
時たま難しく思うことがあり、文字を目で追っているだけのこともありましたが、何度も読み返して忘れないようにしたいと思います。
Posted by ブクログ
・「最近の若者は...」みたいな十把一絡げに扱う言葉には危うさがある
・メディアやSNSなどの議論で、当意即妙の切り返しが賞賛され肝心の議論の内容が置き去りにされている。
・民主主義社会で為政者は行動に対して説明責任を持たないといけない。市民は専制政治を望まないのであれば説明の義務を果たすように求めないといけない。
・謝罪とは申し訳ないと思うことではなく、当該の出来事に対する自分の認識及びこれから何をするのかを表明すること。
・性差別的な言葉を一律に置き換えることは困難なので、価値観の変化に応じて1つ1つ見直していくしかない。
・公共の場でも言葉の誤用が常態化しているが、我々は言葉を雑に扱わずその意味に気を配り自分の言葉に責任を持とうとするべき。
Posted by ブクログ
言葉への重み。最近言語化することに対しての本がたくさんある。言葉がいかに大事にされているか深くのしかかる。日本語を大切に、責任を持って使っていきたい。エモいやメロいは使いたくない。
・おしり一丁!
・子どもたちは自分たちで「生んでくれ」と頼んだわけではない。勝手に投げ込まれた各々の場所で必死に生きる彼らのために、少しでもこの世界をましなものにする責任が私たち大人にはある。
・しあわせの意味の変遷。でもその変わる前と先には連関する何かがある。
・「社会に出る」とは。社会人がそんなに偉いのか、多様な面に触れていかなくては社会人にはなれないのか。
・子供にとって世界は〈はじめて〉ばかりの、あまりに不確かなもの。それに適応しようと日々気張っている娘からすればきちんと同じことが繰り返されることは束の間の安全地帯なのだろう。それでも子どもは、自分がよく見知ったその安定した場所から進んではみ出し、危険を冒そうともする。子のそういう姿を見ながら、親は何ができるんだろう、何をすべきなんだろう、でもそんな悩みは親の自惚れに過ぎないのかもしれない。
・豆腐ほどのものを自分はこれから先、生み出せることができるのか。
・論文だとしても個人的な経験から照らし合わせて社会的な議題や、一般的な結論へと向かっていくことは別に不適切ではない。
・自分たちだけの業界用語を無駄にこねくってかっこつけて話すのはどうなのか。自分とは異なる背景を有する相手の立場に立ち、物事を分かりやすく表現して伝えようとすることは、多くの場面で多角的な理解を促進してくれる。
・ニュースピークの例は熟考への力を弱める、人々を管理しやすくするための言葉の悪い運用方法。
・やさしい日本語も、精密コードとしての日本語も、両方必要。
・ステレオタイプで何かを論議するというのはなぜこんなに楽しいのか。
・遠慮や知ったかぶりしなくてよいこと。素朴なことも否定されるおそれをもたずに、自分の経験に即して自由に語れること。こっちが言葉に詰まっても相手が待ってくれること。この対話の実践は色んな場所で行われてよいはず。
・批判は相手を言い負かす攻撃ではない。相手とともに問題を整理し、吟味し、理解を深め合う。お互いに少し斜め上を向き、同じものを見つめながら語り合うイメージ。
・為政者に「なぜ?」と直接問うて、理由の説明が返ってこないなら批判しなくては。はぐらかされたら執拗に理由を求めるために聞き返す人たちを支えなくては。
・新しいものをつくることだけが発明ではない。元々あったものを新しい見方や注意の向け方で新しく捉えるだけでも重要な発明である。
・ある個別の言葉に対して、ある人々の間に違和感が生まれてきたときに、自分もその言葉に対してあらためて注意を向けて見直す。そしてその言葉に関する現実をさまざまな角度から見直す。自分が見逃してきたものを見ようとすること。
・新しい生活様式を呈示したとき、今まで古い生活様式でずっと大切にされてきた生活の人たちの顔は浮かばなかったのか。父権主義的な言葉の強い力に立ち向かわなくてはならない。全体主義に刃向かえ。
・ステイホームは帰るべき家がない、虐待を受けている人たちに向けても発信したといえるのか。物事の一面を強力に照らし出し、人々の見方をそこに向ける言葉は、スローガンとして効力をもちうるが、代わりに見えなくなるもの、自ずと抑えつけてしまうものも、不可避的に生じてくる。
・コロナに対する専門家から発せられた言葉は大きな影響を伴って、従いたくても従えない複雑な事情を持った人たちに対して、自粛警察にとっての錦の御旗となり私的制裁を助長させてしまうのではないか。
・不法な報酬を受け取っても後で返せば収賄にならない、物を盗んでも後で返せば窃盗にならない、言葉を発しても後で撤回すれば言ったことにはならない!言葉にも暴力と同じ一過性があるはず、取り返しはつかないはずなのに。「いまの殴打を撤回します」
・しっくりこない、どうも違う、といった迷いは類似した言葉の間でしか生まれない。迷い、ためらうことを可能にする言語を贈られている。
Posted by ブクログ
一冊まるまる、面白かった。
中でも、娘さんの奇妙な言葉遣いから、どうしてそのような言い方になるのか、大人はそうは言わないのかを、愛おしみながら探る話が幾つかあって、とても良かった。
コロナ禍における、イメージのしにくいカタカナ語の氾濫。けれど、単純に日本語に置き換えれば良いわけでもない、難しさ。
「自粛解除」のように、言葉の意味を考えるとおかしいことが、メディアを通してまかり通っていく。
言葉は思考の枠組みを決めている。
「発言を撤回する」ことが根付く社会では、コミュニケーションの在り方もまた、変化するだろう。
「言葉を哲学する」意味の、面白さと不安が両方書かれていた。
Posted by ブクログ
言葉にして伝えるって難しい。何気なく使っている言葉の定義や語源を十分に理解することなく、気づけば軽い気持ちでコミュニケーションをとっている自分がいる。人と会話する機会が増え、コミュニケーションがフラットになりつつある今だからこそ咀嚼するように読み直したい新書。ウィトゲンシュタインの「言語批判」をベースに、日常的に使用される言葉の側面について深く考察がなされている。
p125
ステレオタイプで話すというのは、何でこんなに楽しいんだろう。
この一文は全体を通して最も印象的だった。言われてみれば、日常生活においてカテコライズを通して物事を単純化したり、あるいは相手に伝わりやすいように比喩を用いたりする。この行為自体が絶対的に悪というわけではないが、このような"わかりやすさ"にはミスリーディングな理解・伝達を誘発したり、最悪の場合、差別・排斥といった形で人を傷つけてしまうことすらある。
p281
私たちの生活は言葉とともにあり、そのつど表現と対話の場としてある。言葉を雑に扱わず、自分の言葉に責任をもつこと。言葉の使用を規格化やお約束、常套句などに完全に委ねてはならないこと。これらのことが重要なのは、言葉が平板化し、表現と対話の場が形骸化し、私たちの生活が空虚なものになることーひいては、私たちが自分自身を見失うことーを防ぐためだ。
単に語彙力や読解力を高めれば良いという話ではなく、多様な言葉のもつ多様な側面を見渡し、他者との対話を重ねていく中で「言葉を哲学する」こと。批判的な精神をもって探究を続け、言葉に対して責任を負える人でありたい。
Posted by ブクログ
言葉について考えることは、それが息づく生活について考えること p.37
「お父さん」や「お母さん」等々も、そして「先生」も、子どもから見た自分の立場にはほかならない。それを一人称として用いることによって、いまの自分が、子どもを保奏し、ときに教え諭す役割を担う者であることを、自ずと示しているのである。p.64
依存先が限られてしまっている」ということこそ、障害の本質にほかならない。逆に言うなら、「実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、自立。といわれる状態」だということである。p.69
※しっくりくる言葉を吟味するということ
学部生の書く哲学・倫理学の論文は、まず何らかの問いを立て、それに対する答え(および、その答えの根拠)を探究する、という手順を踏むのが一般的だ。このとき、読む側からすると、なぜそれを問うのかという大本のポイントが掴めない場合がある。その問いに客観的な重要性があるかどうかが明確でなかったり、逆に、あまりにメジャーな問いであるがゆえに、それをなぜ今こうしたかたちで問うのかが分からない、といった具合だ。そうした場合、論文指導の最初にまずこの点を学生に尋ねると、学生本人のこれまでの経験が問いの基層にあるケースが多い。たとえば、高校時代にかくかくのことに悩んだとか、アルバイト中にしかじかの場面に遭遇したといった経験だ。それを聞いて腑に落ち、論述の内容に入り込めるようになったとき、私は学生に対して、論文の冒頭において当該の経験に―書ける範囲で、あるいは、より一般化したかたちで触れつつ、問いを自然に導くかたちにしてはどうか、と提案することもある。さらに、そこからその問いの客観的な重要性を示す論述が必要な場合もあれば、問いが明確に示されれば、それだけで十分に重要性が分かる場合もある。よく勉強している学生はど、そういうことを書いていいんですか、と驚く。p.86
十拍一絡げにする言葉の危うさ p.123
重要なのは林の表現を尊重するということだ。具体的には、相手の言葉を十分なかたちで描い上げ、それがどのような脈絡の下で発せられたのかをきちんと踏まえたうえで応答するということが必要だろう。批判を受ける側も、自分の言わんとすることをちゃんと聞いてもらい、それをよく理解してもらったうえで、納得できる問題点を指摘されるのであれば、苦い思いをしたり、多少傷つく部分はあるとしても、感謝する部分の方がきいだろう。p.138
「自粛を解禁」という誤用が意味すること p.240
「発言を撤回すること」はできるか p.250
※つまり、しっくりくる言葉の候補は、自分がこれまでの生活のなかで出会い、馴染み、使用してきたものたちなのである。それゆえ、そうした言葉の探索は自ずと、これまでの自分自身の来歴と、自分が営んできた生活のかたちを、部分的にでも振り返る実践を含んでいる。よく、「自分の言葉で話しなさい」ということが言われ、創意のある言葉やユニークな言葉を繰り出すことが無闇に推奨されることもあるが、「自分の言葉で話す」というのは必ずしもそういうことではない。むしろ、ありがちな言葉であっても、数ある馴染みの言葉の中から自分がそれをしっくりくる言葉〉として選び出すのであれば、そのことのうちに、これまでの来歴に基づく自分自身の固有なありようや、自分独自の思考というものが映し出される。逆に、「お約束」に満ちた流暢な話しぶりや滑らかな会話は、こういう場合は人はこう言うものだ)、こう言うのが世間では正解だ〉という暗黙の基準にしばしば支配されている。それが常に悪いわけではないが、しかしそのときには、言葉に責任をもつべき自分がそこに存在しないことも確かなのである。P.280
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ビジネス・実用
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