三宅香帆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
非常に面白かった。
考察系動画を時々見る自分の内面を言語化されたような気分。答えが知りたい、報われ感が欲しい、というのは確かにその通りなのかもしれない。
確かに、結末は読者の解釈に委ねます!系のコンテンツはあまり好きではないかもしれない。
曖昧なことを曖昧なままで留めおく、ネガティヴ・ケイパビリティのなさが故か…
批評と考察の違い、なるほど。
AI時代になって答えがすぐに得られる環境が強化されたことによる思考形態の変化、レコメンドシステムの常態化など、その他もろもろあろうが、自分の考えを、たとえそれが正解でなかろうが表現する。そうした意識を持つ必要性を強く感じた。 -
Posted by ブクログ
大好きな三宅さんの本。やっぱりはずれナシ!
本書もとても面白くてフセン貼りまくりでした(笑)
まず、考察文化が若者に受け入れられる理由を、社会の変化と結びつけながら説明してくれました。
将来が見通しにくく、努力が必ずしも報われるとは限らない時代において、若者たちは「損したくない」「報われたい」という気持ちを強く抱くようになっているといいます。考察という行為は、物語の著者が考える「正解」を考えることで報われた、と安心感を得る場として機能しているのだそう。
さらに、考察文化が作品そのものの作り方にも影響を与えていることを指摘していました。伏線を多く張り巡らせ、最後に大どんでん返しを用意するタイプの作品が注目されやすく、SNSで話題になりやすい構造が求められるようになっているという分析が印象的でした。
作者側も「考察されること」を前提に物語を設計するケースが増えていると述べられ、作品と読者の関係性が変化していることがわかります。
「考察流行りに乗ったミステリ」や「伏線回収がみごとな作品」が賞賛される傾向については、私自身も以前から気づいていました。
大どんでん返しや巧妙な構成が話題になる作品は確かに多く、実際感心することもあるのですが、私はそのような「考察されることを前提にした物語」をあまり面白いとは思えませんでした。
本書を読んで、その理由が少しわかった気がします。
私は物語の仕掛けよりも、登場人物の感情の揺れや関係性の変化に魅力を感じるタイプで、考察のための構造よりも心の動きに寄り添う作品のほうが好みなのだと気づかされました。
私の好みはさておき、流行の背景にある若者の心理や社会の空気を丁寧に教えてくれる三宅さん、やっぱりいいなあ。勉強になる♪ -
Posted by ブクログ
推しについて語りたい!という人はさながら、文章を書きたいと思っている全ての人に読んでほしい。
具体的なノウハウとプロの文章による実践例付きでとても分かりやすかった。
さらに、実践しようとしても上手くいかない人の気持ちに寄り添い、SNS時代における、言葉に影響を受けやすい人の多さに危機感を抱き、筆をあげる三宅さんの思いにとても共感と感動を抱いた。
特に好きなところは
①「模倣することで自分の個性が見えてくる」
②「好きに理由はない。本当にそうなのか?」
この2つについて書かれたものだ。
仕事でも人付き合いでもこの2つはとても共感できる部分だったし、これからも大切にしていこうと思った。
自身のオタクライフと社会人生活の経験を踏まえてもとても共感と学びのある著書だった。
また読み返したい。
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Posted by ブクログ
ここ最近読んだ本の中で一番面白かった。
日本における読書文化と労働の結びつきを、明治時代初期まで遡って現代に至るまでを見ていくのは興味深く、とても面白かった。
本書の中で度々引用される『花束みたいな恋をした』や『推し、燃ゆ』なども既に履修済だったのでより作者の伝えたい内容がクリアに頭に入ってきて良かった。
※本書を読む前に『花束みたいな恋をした』を視聴することをオススメします。
着地点も良く、作者の伝えたいことにも納得、共感できる。
私は仕事を辞めてから本書を読みましたが、可能であれば毎日仕事に追われている人にこそ、休日に一息ついて読んでほしい一冊だった。
~これからネタバレ~
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の本書としてのアンサー↓
(私的要約)
これまでは教養、つまり”生きる姿勢”を学ぶために組織の中で働く人々は本を手に取っていたが、時代の変遷により教養よりも実践的な”行動”が重視されるようになってきた。ここから文芸書や人文書よりも、実践的な行動へ導く自己啓発的な書物が売れるようになってきた。そして、IT革命以降は書物から知識を得るよりも、インターネットから情報を得る方が効率的であり、人々はそちらに移行するようになってきた。なぜ効率的なのか。それは本が”ノイズ”を含むからである。ノイズというのは自分には必要のない知識。仕事で疲弊している頭にそれ以上の知識を入れたくないのだ。情報はノイズを含まない。必要な情報を必要な分だけ提供してくれるから脳に無駄な負荷がかからない。これが自己啓発本も同じであるため、本全体の売り上げが落ちても自己啓発本の売り上げは落ちない。現代人は今生きているこの社会を自分の力で変えようとはしない。社会とは、世界とは”こういうもの”として捉えており、コントロールは出来るものではない。ならばコントロール可能な己に矢印を向け、己を知り、行動に移し、自分の生きる世界を変えていく。新自由主義のこの世の中が、人々にそうさせているのだ。
(本書の中で痺れた文章抜粋)
本の中には、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。
知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。
だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。
自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。
そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ、自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係のあるものばかり求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。
仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。
(最後にちょこっと感想)
なぜ現代人はここまで頑張ってしまうのか、の答えとして作者は「現代社会が全身全霊で仕事へ取り組む人材を求めているし、実際に仕事に全力投球で自己実現をしている人はキラキラと輝いてみえる。そして何事にも全身で取り組むことは”楽”なのである。何も考えずに力を注ぎこめるし、「頑張った」という疲労感すら気持ちよさがあるし、「頑張りすぎ」は少しカッコ良さすらある」と述べている。だたその後に「楽だが、その後に待っているのは鬱病だ。全身のコミットメントは、現代においては、他者によるケアを必要としたり、社会全体で見ると不利益になることが多いのだ」とある。
私自身も仕事は全力で行うものであると疑わず、夜遅くまで仕事をしている自分を少し誇らしく思っていた節もある。ただ、無茶な働きはそう長くは続かない。私は幸いなことに(?)逃げ癖があるので、体や心に支障を来す前に仕事を辞めたが、そのまま自分を壊していく人も多くいる。考えてみれば、日本は海外の人から見れば「働きすぎ」と思われているらしいが、こういった社会全体の風潮が背景にあったのだと分かった。海外の多くは作者のいう”半身”での生活が元から根付いているのだろう。私も仕事とプライベートのバランスをとった、毎日充実した生活を送れるように精進していきたいと思う。 -
Posted by ブクログ
面白かった。
タイトルから想像していた内容とは違い、途中「あれ? 今、何の話をしているんだっけ?」となるところもあったが、最後は一気読み。
村上春樹の作品はこれまでたくさん読んできたけれど、
「村上作品は、自らが父になるかどうかという問いを、『夫婦のコミュニケーション』という主題で解決しようとする」
「縦関係ばかりを重視してきた結果が、村上作品に登場し続ける、つい黙ってしまう男性主人公なのではないか」
「妻が自分と異なる他者であることに気づくというより、妻が自分と異なる他者であることを受け入れられない自分に気づく」
といった視点は、考えたこともなかった。そして、納得。
村上作品は女性蔑視だと言われるけれど、私はそうだとは思っていなかった。ただ、なぜそう思うのか、自分でもうまく言語化できずにいた。
それが、登場人物たちがミソジニーに浸かっているだけでなく、そこに違和感を覚えたり、うまくいかなかったりする姿が描かれているからなのだと、ストンと腑に落ちた。直前に上野千鶴子の『女ぎらい』を読んでいたこともあり、一層理解が深まった。
肝心の夫婦関係についての提起は、とにかく時間をかけること。
互いに傷つけ合うことなく関係性を維持しようとする「公」の関係に比べて、「私」の関係では、相手を傷つけてでも自分を理解してほしいと望む。「私」の関係で深い関係を築くには、傷つけ合い、修復し合うプロレスが必要。だから、時間がかかる。
なんだか、とても染みた。