高月園子のレビュー一覧
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セラピストである著者が依頼者カップルによく言うという
「あなたたちの最初の結婚は終わりました。
さて、これから二度目の結婚生活をともに築きたいと思いますか?」
との言葉どおり、不倫が夫婦関係に及ぼす正負ふくめたさまざまな影響を示す内容。
夫婦(同性婚カップルも多数登場するが用語は慣用にてお許し下さい)のことだからその夫婦に任せればよいというにはあまりに当事者の苦しみは大きく、しかし原因は不倫をした当事者だけにあるのではない。
そこに善悪や責任といった安易な線引きをせず、豊富なカウンセリング経験から引き出したグローバルかつめちゃくちゃ豊富な実例から、不倫が夫婦にもたらす可能性(繰り返すが正負ふくめて)を描いている。
著者の関心はもともとセックスレスの解消にあり(有名なTED Talkもその話題)、不倫について語るときも、関係が冷ややかに死んでいる状態に比べれば、不倫はそれを揺り動かす可能性があるという観点に立っているように読める。ただし著者が言うように、
「不治の病になったことで人生がポジティブな方向へ一変するような経験をする人も多くいる。とはいえ私は癌になることを人に勧めないのと同じくらい、不倫することも勧めない」
わけだが。
かつてと異なり、現代の結婚は配偶者に「互いにとってのソウルメイトから恋人、教師、セラピストに至るすべて」になることを求めるようになった。そうできりゃいいですけど、難しいですよそれは。その難しさの発露の一つが不倫であって、不倫は現代の結婚に伴う約束というか契約に違反する行為というわけだ。
生育歴やバックグラウンドにしている文化によって、夫婦間に小手先の対処じゃどうにもならない齟齬が実は存在したことが、不倫によって明らかになる、そういう実例も出てくる。不倫は「悪しき不誠実な人間が一方的に犯す罪」とは違う何かだなという新たな認識を得た。
また、不倫が大ごとになるのは、自己の承認を配偶者にだけ求めているからだというのもなかなか耳の痛い話であった。 -
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災害時になぜかユートピア的な利他的なコミュニティがたちあがることについてのソルニットの本。
ソルニットは、社会変革のアクティヴィストだったり、フェミニズムの論者だったり、歴史社会文化に関する著作家であったり、さまざまな側面があって、それぞれに素敵な本を書いている。
そうしたソルニットの作品の一つで、以前から気にはなっていたが、なんとなく本の内容は想像できる感じがしたので、読むのを先送りにしていた。
2020年に定本という形で全訳版がでたのを発見して、遅ればせながら、読んでみた。
まずは、本が届いてその厚さに驚いた。注までいれると500ページを超える大著である。なんとなく、300ページくらいのエッセイ集のようなものを想像していたのだ。
で、読んでみると、これまた本格的な文献と可能な範囲でのインタビュー調査を踏まえた本格的な論考になっている。
話は20世紀初めのサンフランシスコ地震から始まる。地震とその結果生じた大火事の影響で避難民がでたのだが、かれらのなかで自発的な利他的なコミュニティが立ち上がっていく姿が感動的に描かれる。そして、このことによってその後の人生が変わった人たちの話が紹介される。一方、良いことだけではなく、大災害にともなってエゴとエゴとのぶつかりあい無法状態、財産の略奪をおそれた権力側が、軍隊や警察をつかって法と秩序をもたらそうとして、より被害を拡大していく、いわば災害を人災化していくプロセスも描かれている。
この話しを起点にハリファックスの大爆発、ロンドン大空襲、メキシコシティ大地震、911と議論は進み、最後はカトリーナによるニューオリンズの被害などで、同じようなことが生じていることを丁寧に紹介している。
アメリカの事例が中心であるが、まずは、ここまでしっかり調査してくれていることが素晴らしいと思った。
その上で、災害時などにおいて、
・厳しい状態のなかで人間は利他的な行動をとり、ユートピア的なコミュニティが生まれ出るということは、しばしば起きるということ
・一方で、権力者側では、秩序が崩壊すると、略奪行為、残虐行為など無法状態が生じるという固定観念が強く、実態を悪化させる傾向があること
・そして、災害がおさまると、また日常が戻ってきて、ユートピア的なコミュニティは消滅する傾向にある
ということが傾向としてあることを指摘している。
いわれてみれば、そうだろうなと思うのだけど、現代の社会の常識では、やはり災害時においてはエゴイスティックな無法状態になるのではないかという恐れが相当に強いことを再確認した。これは人間性に関する近代的な利己的な個人という仮定が自明のこととして埋め込まれている感じ。
この本で書かれていることは、わたしがここ数年ぼんやりと考えていた問題意識にとても近いことがわかった。
まずは、ハンナ・アーレントの議論で、市民参加の直接民主主義的な評議会が革命時などにおいてしばしば生じるというものがあるのだが、ここでソルニットのいう災害ユートピアはきわめて近いものがある。(パリ・コミューンについては、アーレントもソルニットも言及している)
アーレントは、その評議会は短時間しか生じないのだが、それを持続できる可能性はないかということを考えていて、そのあたりへの関心も共通するものだと思う。(ソルニットがアーレントに言及していないことが不思議だ。これだけたくさんの文献調査をやっているわけだから、読んでないわけでもないと思うのだが)
そして、もう一つの関心時は、組織開発などで、組織がカオスになるとそこから自己組織化であたらしい組織が生まれ出てくるという議論があって、そういうことがあることはそのとおりなのだが、そうした自己組織化のコミュニティの脆弱性やそれを抑圧・管理しようとしたりする権力の働きも自然な反応ででてくると思っていて、そのあたりがずっと気になっていた。
組織は、社会よりも規模は小さいので、そこはうまくマネジメントできるのかもしれないが(マネジメントというところで自己組織化ではないわけだが)、カオスが生み出すネガティブな側面についても意識する必要性、そして自発的な活動の持続性への意識をもつことの重要性を再確認した気がした。
もちろん、この本が、災害時、そして社会的な活動を行なっていく上で重要な視点を与えてくれることは間違いない。(個人的には、利他的な市民側コミュニティと利己主義にもとづき既存の権益をまもろうとする権力側という対立構造を強調しすぎるのはあまり良くないと思っているが。。。) -
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◯他の方の感想でも書かれているが、この本を読むと日本人は災害の時に暴動を起こさないということについて、民族とは関係がないのでは、と考えさせられる。
◯もしくはそれ自体を前提とした上で、暴動等の比率の小ささを言っているのだろうか。
◯少なくとも、地獄に仏、地獄に天国とは言い得て妙で、助け合う心が人にはあるんだと思えるだけでも救われる。
◯この本のもう一つのテーマとしては、行政のスタンスであると思う。実に悩ましい。本書で取り上げられているのはアメリカの事例である。銃社会であることから、秩序が失われたと想定される際の危険性の増加具合は日本の比ではない。この場合、州兵が派遣されるのも分からないではない。
◯日本ではエリートパニックがないとは言えないが、軍隊による治安出動がないだけ良い状況なのかもしれない。また、災害対応という点では地方自治体の頑張りもなかなかのものだと思う。
◯奇しくもコロナによって右往左往する政府を見ていると、どこに向いて政策を打ち出しているのかやや疑問である。コロナがなくなることは現実的ではないが、もう少し感染対策を打ち出してからの宣言解除でも良かったのではないか。 -
Posted by ブクログ
神戸地震の時、日本人は暴動も起こさず、礼儀正しく忍耐強いと世界で報道されていた。
それは、間違ってはいない。
しかし正しくは、大抵の人間は非常事態でも暴動も起こさず、礼儀正しく忍耐強いということ。
実際に起きた少数の犯罪行為と、事実と異なる偏見やイメージにより、アメリカでの災害では黒人が略奪行為を行うと思われている。
ハリケーンカトリーナの際に、その偏見のために黒人は被災者ではなく、暴動を起こす犯罪者として扱われ、避難と救助が遅れた。また、その偏見に囚われた白人が、自衛と称して黒人を銃で殺していた。
一方、災害時には日常生活が失われて、生き延びることが人間共通の目的となる。お互いの差が消えて、他者との一体感や利他的な気持ちが生まれる。それにより孤独が癒やされ、一種の幸福感すら生む。
個人個人の悩みが各人の固有のものとして扱われて、他者と隔絶してしまう日常生活は一種の災害とも言える。他者との壁が、取り払われる災害時は。一種のユートピア状態が生じる。
いざという時に何が起きるのか理解しておき、起こしてはいけないことが起きないように、知識をつけておきたい。 -
Posted by ブクログ
日本で草食系男子などと言われて久しいが、実は世界的な潮流であると知って驚いた。正確に言えば、ネットインフラが充足している先進国共通の課題ということであろうか。同様に、引きこもりも日本だけの問題ではない。
原因は、テクノロジーが進化することによって、脳がテクノロジーに適応しすぎてしまい、現実とのギャップを埋めきれず、人とのコミュニケーション能力が低下していることにあるということだ。今後、人工知能がさらに我々の活動に入り込んで、日常生活が便利になっていく一方で、失われていくものもあることもあることに気づき、その対策を立てることが、テクノロジー社会を構築していく我々の責務であると言える。
「テクノロジーの魔法と興奮依存症」の章には、以下の記述がある。
”多くの情報が即座に注意を向けさせようとする資格的刺激の強い環境にのめりこんでいる時には、その認知的負荷が私たちのワーキングメモリには大きすぎて、すべてが長期記憶には移行しなくなる。また、認知的負荷が大きくなると注意力は散漫になり、頭は適切なデータとそうでないデータを選り分けるのが困難になる。”
つまり、刺激が強いパソコン画面にばかり向き合っていると、脊髄反射的に反応をしてしまい、深く考え判断しなくなってしまうということだ。この一例として、オンラインポルノの弊害を本書では指摘している。
オンライポルノを提供する側は、より多くの収入を得るために、どんどん過激な内容になっていく。若くしてオンラインポルノに触れると非現実な過激表現を現実と混同してしまうことになる。実際には巧妙に編集されているにもかかわらず、AV男優の身体的特徴と信じられない持続力を見て、若者は自信を喪失しセックスに踏み出せなくなるらしい。さらには、AV女優が演じる女性像と現実の女性との区別がつかなくなり、女性の方が男性よりもセックスが好きであると勘違いし、そしてAVの中でのプレイを当然のことの様に要求する様になる。女性を人間としてではなく、モノとして見てしまい、生身の女性との良好な関係を築くことができなくなる。
本書で最も印象的だったのが、現在のデジタルワールドとマズローの「欲求五段階説」を対比して論じているところだ。五段階の内ボトムに位置する”生理的欲求”と”安全欲求”は、現代でも物理的な現実の世界で満たされなくてはならない。しかし、その上に位置する”社会的欲求”、”尊厳欲求”、”自己実現欲求”については、デジタルワールドでは、段階を踏むことなく満たすことが可能であるかもしれないと説いている。
しかも、デジタルワールドでは、結果に対するリクスを追うことなく、それらの欲求が満たされる場合があるため、現実世界との折り合いの付け方を間違える可能性がある。実際に、オンラインゲーマーがデジタルワールドと現実世界との区別がつかなくなり犯罪への発展した例は枚挙に遑がない。
では、どうすべきか。これについては終章で提言にとどめているが、一言で言ってしまえば、小さなことからコツコツと行い、コミュニケーションを大切にしていくに尽きると提案している。しかし、今はそのコミュニケーションがLINEなどのSNSが主となってしまい、課題解決の困難さのスパイラルに容易に陥ってしまう。
本書はキャッチーな題名で面白いことに着目させてくれたので、どうあるべきかの提案も引き続き上梓されることを期待したい。 -
Posted by ブクログ
地震、洪水、大火災、そして9.11のようなテロリズムなどの暴力に出会ったときに、市井の人々が利他的に相互を助け合いユートピアともいえるコミュニティをどのように構築するかを描いた論考。本書の意義とは、災害によって極めて民主主義的とも言えるユートピアが立ち上がる可能性があるという点から、災害のもたらす影響をポジティブに解釈しなおそうとする点にある。
もちろん、全ての災害でこのようなコミュニティが発生するわけではなく、災害の規模が圧倒的すぎれば、そのようなコミュニティが発生する余力すら失われるのが実態ではある。とはいえ、被害がそこまでではない場合には、様々な災害後の様子を丹念に辿ることで、そうしたコミュニティが自然発生している点が浮かび上がってくる。
また、そうした相互扶助的なコミュニティと対局にあるのは、政治・官僚エリート層が市井の人々は災害においてパニックになるに違いないという妄信から、市民同士の救助活動を禁止したり、ひどい場合にはニューオリンズを襲ったハリケーンのカトリーナの場合にように水害から逃れようとする黒人の住民を”治安を乱す”として軍・兵士らが銃殺する二次災害を巻き起こすことである。
全ての災害を本書が示すようにポジティブに解釈することは正直難しいとは思うものの、災害時のような緊急事態においてはトップダウン型の官僚組織よりも、市井の人々によるボトムアップ的な相互扶助の力を活用した方が結果としてうまくいく、というのはおそらく一つの真実であり、災害時の市民活動のあり方を考える際に、非常に参考になる書籍であると感じた。