片山亜紀のレビュー一覧
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1. 『ダロウェイ夫人』との幸福なシンクロニシティ
先に読んだ『ダロウェイ夫人』の、あの意識の流れを用いた斬新な作風(挑戦)が、本書で語られるような「女性と文学の歴史」に対する深い洞察や敬意、そしてウルフ自身の「執筆への凄まじい覚悟(心意気)」の上に結実したものであると深く得心がいった。2冊を同時期に読めたことで、ウルフの挑戦の重みがより立体的に理解できた。
2. 「シェイクスピアの妹」の仮定に込められた魂
途中と最後の締めくくりに登場する「もしシェイクスピアに才能ある妹(ジュディス)がいたら」という仮定とウルフの主張に、魂が込められていて激しく心を揺さぶられた。
本来、創造的なものを生み出したいという欲求、頭の中のイメージを形にしたいという「意欲や欲求」は、男性も女性も等しく備わっているもの。
にもかかわらず、男性がそれを自由に表現し生きがいにできる一方で、当時の女性の前に立ち塞がる壁は絶望的なまでに高かった。社会からも取り合ってもらえず、誰にも理解されない苦しみを、一人胸の内で握り潰すか、あるいはその葛藤に苦しめられて命を絶ってしまう構造があった事実に胸が締め付けられる。
3. ウルフの「厳しい優しさ」:慰めではなく自立の鼓舞へ
凄惨な現実に対して、ウルフは単なる「共感・慰め・配慮」といった、甘い歩み寄りの態度を取らない。
むしろ、そうした過酷な現実があるからこそ、「女性は年500ポンド(お金)と、鍵のかかる自分ひとりの部屋を持つべく努力しなさい。それがあなたの自由と幸せになるから」という、強固で厳しい主張を突きつけている。
この「厳しさ」こそが、ウルフの真の優しさ。ウルフ自身がその孤独な闘いの最前線に立ち、努力し続けていたからこそ、「お互いに慰め合っているだけでは、この冷酷な現実には立ち向かえない」という本質を知っていたのだと強く感じた。 -
Posted by ブクログ
ヴァージニア・ウルフは、わたしの母校で英文科を選択すると、避けて通れない。彼女のエッセンスは、すべての学びのベースになる。
文学とフェミニズムの変わり目に位置し、当時の試みや思想の体現者ではないかと。
フェミニズムの台頭と言っても 決して 男女同権のために男性を叩いたということではなく どうやって社会に向き合って自分がどの位置にいるのか 自分は何なのか、どのように生きていくのかということを常に考えて動いて発信した人そのものだと思います
文学表現においては非常に感覚的で センシティブで難しくてよく分からない部分もありますが このエッセイに関しては非常に冷静でシンプルに書かれていてとても表現が分かりやすいというのが 逆に驚き
ウルフの文学はわけわからんと思う人でも これは読んでみて欲しい
そして フェミニズムをなんだかコワイと思っちゃう方には、こっちが本当だよ というのを知ってほしい
それにしても、この本は日本での出版物にバージョンがいくつもあり、なんなら邦題も色々バリエーションがあるので、情報が分散してしまいますね。人気作だからのこその悩ましいところでしょうか。 -
Posted by ブクログ
この内容がほぼ100年前に書かれていた事に驚いていると、ヴァージニアウルフの語る主人公が自室に入る前に立ち止まり、100年後の世界を想像する場面が出てきて、こちらを覗く著者を想像する事ができた。
また、女性の作家が作品を書く上で、差別に対する怒りを表現する事を、作品を捻じ曲げてしまうとして良しとしない内容の記載については、最近の映画や小説において社会問題を扱うものが多くあるが、それらの表現は捻じ曲げられてしまっているのだろうか?一概にそうは思えないが、今後は作品の内容や表現と根差している問題意識のバランスのようなものを考えながら読んでみたいと思った。 -
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名著であり、100年前に書かれた驚き。あげられた理想は現代でも同じく課題になっているため、今読むにじゅうぶん値する。
「自分の人生を生きよう」とウルフは女性に呼びかけ、あらゆることに阻まれることなく自由な経験を女性たちができるようになれば、世の中にどれだけ素晴らしい小説が女性の手によって生み出されるだろうか、と述べている。
そのために必要なのはお金(ある種の余裕)と、1人になれる自分の部屋を持つこと。
小説家を目指さなくても、そんな、女性が真に自由に生きられる世の中が来れば、社会も変わっていくだろうという、未来への期待が込められた批評。メアリー・ビートンという架空の人物に語らせた、物語風なのが面白い。 -
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さすがの名著。女性と文学の歴史を主軸に、女性が教育や社会経験、そして経済的独立から遠ざけられてきたことが何を意味するのか。そして世に多くの書物はあれおよそ男性の目を通した「女性」しかほとんど描かれないことがどんなに歪んでいるか…などなど、フェミニズムについて明快に語っている。すごいと思うのは、その的確な着眼点と分析もさることながら、そうした諸問題への怒りや恨みを諌め、皮肉まじりだろうが同時代の男性識者の女性蔑視発言まで貴重なご意見として朗々と紹介するその余裕とちゃめっ気だ。まあ、言い換えれば、そのような「中立さ」を示しておかないと男性社会に受け入れられるのも難しかったのだろう。
読んでいて思ったのは、作中でも紫式部だけ軽く紹介されているが、平安女流文学について。彼女たちが同時代のヨーロッパとは異なり(ギリシャローマにまで遡れば女性詩人はいたが)、女性でありながら優れた文学作品を世に送り出せたのは何故だったのだろう?作者が女性作家が活躍するに必要なものとしてあげる二つの要素、安定した収入と「自分だけの部屋」、前者はあっただろうがそれ自体はヨーロッパでも女官はいたはずだ。後者…もしかすると、平安時代の通い婚システムが貢献したのだろうか。多くの女性は、婚家ではなく実家で暮らせたはずで、それがより時代の下ったゴリゴリの家父長制下よりは自由が多い、執筆環境を生み出せる「自分だけの部屋」に繋がったのだろうか…?などと考えながら読んだ。紫式部や清少納言の実際の暮らしについてはよく知らないので、合っているかはわからない。
本作から約100年。ウルフが現代を見たら何を思うだろうか。文壇での女性の活躍については、なかなか満足いただけるのでは。一方で、他の職業、たとえば棋士だったり、クラシック音楽だったりの世界では、私自身の寡聞の問題もあるがまだその限りではない気がする。他にも、彼女の語った社会的歪みで、まだまだ「あるある」として頷きながら読んだものは多い。それでも着実に、年500ポンド(概念)と「自分だけの部屋」を持っている女性は増えているし、私自身もそうだ。私自身が何かを生み出せているわけではないが、バトンを繋いでいくことで、「シェイクスピアの妹」を殺さない社会を作っていくからね、そうやって先人たちに手を振りたい気持ちだ。 -
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女性が小説を書くためには、「年収500ポンドと自分ひとりの部屋」を持たねばならない、という主張をどう受け止めたらよいか、終始迷いながら読み終えました。
訳者の解説によれば、年収500ポンドはおよそ年収500万円と読みかえて差し支えないらしい。
年収500万円相当の労働とは、どんな仕事であれかなりの時間を必要とするだろうし、時間を必要としないなら、何かしらの運の良さか才能に恵まれていなくてはならないのでは、と2023年の日本にいる私は、1929年のイギリスにいるウルフに言いたくなってしまう。(ちなみに、この作品の架空の語り手であるメアリーは、年収500ポンドを親戚の遺産から得ている設定になっている。)
が、頭のどこかで、ウルフは1つのわかりやすい提案として、これらの条件を挙げたのではないかな、とも思う。
それは、ウルフは何度も本書の中で
作品はそれのみで、孤独のなかで誕生するわけではなく、年月をかけて人々が一体となって考えた結果として登場する、とも述べているから。
そしてウルフは、様々な制約のなかで自由に生きられない女性たちが、不幸な境遇や怒りにとらわれず、精神を白熱させることを重視し、たとえ1つの時代の1人の作家がそれを完璧に成し遂げられなかったとしても、詩人の魂は不滅で、一人ひとりの女性のなかで蘇るときを待っているのだ、とも、繰り返し述べています。
つまり、これらの条件がそろわなければ女性は小説を書けない、ということではなく、社会の様々な制約を炙り出しながら、いかに作品のために精神を白熱させられるか、過去から渡されてきたバトンを受け取り未来へたくしていくかが大切なのである、というメッセージなのではないかな。
そして、広い意味では、小説の書き手だけではなく、一人ひとりの女性がそのバトンの受け手となるのだと思います。
古典を読んでいるとき、だいたいは望遠鏡を一生懸命のぞいて遠くのほうで燃えさかる星を美しいなあ、と眺めているような気分なのですが、本書はその惑星からヒュッとバトンを渡されたような衝撃を受けた一冊でした。 -
Posted by ブクログ
女性であることの意味、男性と女性が同じフィールドで戦っているという意識はいらないのではないか。
セクハラなどと短くして軽く扱うな。
余裕があれば女性は上手く生きていけるのか、それとも最低限の余裕にプラスする必要があるのではないか。
性別よりもその人が何をでき、何を乗り越えてきたのか。能力主義からの脱却に最後は陥ってしまう?
アナザードリンクはやはり、女性からのあらゆる押さえつけを受ける男性性の優勢感の爆発だったのではないか。
女性の劣等性ではなく、男性の優勢性の維持が原因。
美味しく食べていなければ、うまく考えることも、上手く愛することも、うまく眠ることもできない。
ある人になりきった視点はおもしよかった。 -
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面白かった。
過去の女性たちがいかに創作の世界から、貧困と社会の圧を理由に排除されてきたかのかの話。
自分ひとりで金を稼げないと家からは抜け出せないし、そうしないと自分の執筆や思索に集中するための邪魔されない部屋も持てないから、お金は大事なのだろう。
成功している男性作家が基本裕福で学びに触れる機会がある。でもその一部の人しか創作の機会にありつけないのは、国や世界にとって大きな損失だ。という主張だった。
この本を読んで、J・K・ローリングが生活保護を受けてそのお金で生活しながら物語を執筆していたという話を思い出した。それを許す環境があったからこそハリポタが生まれたのであって、だから、福祉というのは長期的には投資なのだなと思ったし、それが出来るのが豊かさだと感じた。 -
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「女性が小説を書くだって」
「ナンセンス、書けるわけがない」
という会話が普通だった時代がある。そんな時代の中でも先人を切る方々がいたおかげで、徐々に女性が創作活動にも携われることが可能になってきた。
本書が出版されたのが1929年、著者であるヴァージニア・ウルフさんがケンブリッジ大学で行った2回の講演をもとにした作品。当時、男女平等の参政権が認められて、しばらくたったころ。現代社会から見つめると、男女の収入格差が明確にあり、社会的地位も男女で差がある時代といえる。
女性が小説や詩を書くことが、まだ常識とは言えない時代に創作された古典的作品があるということを認識できたこと。そして、それらの作品を読むときには、その時代背景も考察することも大事なことだと感じた。
本書は、ユニークな語りで、子育てや家事で時間をとられ、もちろん個室があるわけでもなく、経済的な自由もない時代に、書物を創作してきた女性たちの心境を浮き彫りにしていく。脈々とつないできたバトンを聴衆である女学生たちに託すかのごとく、先人たちの力を引き継ぐことが可能であり、未来は開けていくという願いもあったのでしょう。
読んでよかった一冊。 -
Posted by ブクログ
諸外国語のことは知りませんが、日本語で文章を書く場合、「です・ます調」で書く場合と「である調」と書く場合とでは印象がずいぶん異なります。
さらにいわゆる「女性ことば」(「〇〇ですの」「〇〇ですわ」「〇〇かしら」など)を文末に用いると、筆者の人物像の印象はまた異なってくることでしょう。
本書の翻訳では、「である調」で訳されているエッセイと、「です・ます調」で訳されているエッセイがありました。
訳し方の違いは何から生じているのかしらん? と思ったしだいです。
日本語で書かれたエッセイなら、その筆致から筆者の人となりをまだ想像しやすい(ような気がする)のですが、翻訳の場合はなかなか難しいのかな、と思いました。
もちろん、筆者の物事に対しての目のつけどころや意見・行動から、人物像や考え方の変化は見えてくるのですが、言葉遣いが与える印象というのは、それなりに根深いと思いますので。
「それなら、原文で読めば?」って言われちゃうと、それはそれでまた困っちゃうんですけどね。。。
ヴァージニア・ウルフがお好きなかた、関心があるかたはどうぞ♡
〔作品紹介・あらすじ〕
「文学はだれの私有地でもありません。文学は共有地です。切り刻まれて国家に分割されていませんし、戦争はありません。自由に恐れずに侵入して、自分で自分なりの道を見つけましょう」
文学や社会におけるジェンダー、階層を超えた女性の連帯、空襲下で綴られた平和論……。
「ベネット氏とブラウン夫人」「病気になるということ」「ロンドン上空を飛ぶ」「女性にとっての職業」「傾いた塔」ほか、初訳を多数含む25篇のエッセイを収録。初期から晩年までウルフの思想をたどる、オリジナル・アンソロジー。
【目次】
1 初期のエッセイ(一九〇五〜二〇年)
路上の音楽(ストリート・ミュージック)
アンダルシアの旅館
夜に歩く
『リジストラータ(女の平和)』
丘(ダウンズ)で聞こえた──神話の起源
ケンブリッジの救急看護師(VAD)
サスーン氏の詩
村の中の戦争
路上から見た戦争
羽毛法案
2 中期のエッセイ(一九二四〜三一年)
ベネット氏とブラウン夫人
ウェンブリーの雷
病気になるということ
映画
ロンドン散策──ある冒険
太陽と魚たち
ロンドン上空を飛ぶ
『ヴァネッサ・ベルの新作』のまえがき
女性にとっての職業
序文に代えて──マーガレット・ルウェリン・デイヴィスへの手紙
3 後期のエッセイ(一九三四〜四〇年)
どうして?
今日(こんにち)の芸術はどうして政治に注目するのか
職人の技術(クラフツマンシップ)
傾いた塔
空襲下で平和について考える
訳注
出典一覧
訳者解説 -
Posted by ブクログ
『自分だけの部屋』『自分ひとりの部屋』といくつか翻訳版が分かれているようですが、自分は『私だけの部屋』西川正身訳を。翻訳者ごとに表現がどう異なるのか気になるところ。
エッセイ風のフィクションで、自身の見解や論旨を繰り出しながら当時のイギリス女性作家達が辿った道を垣間見ることができる。
女性の劣等性を力説してきた男性たちは実像よりも二倍に大きく見せている小さな自分の姿を直視したくない、自分を優位に置きたいが余りに、物書きの女性たちは歴史の陰に追いやられ虚構の存在となっていた。
物を書くための静かな一人部屋はしばらく与えられてこなかったという現実。
「シェイクスピアの妹」もきっと物書きを志したら悲惨な運命をたどることになっただろうという想像。
現実世界の私たちが生きて書くことを続ければ、存在として彼女は生き続けるであろうという希望。
時に皮肉を織り交ぜながら(時に差別も。時代を考えたら仕方がないけど)
締めで鼓舞する彼女は、当時の女性たちに計り知れない影響を与えたことは想像に難くないです。
彼女が今の社会を見たらどう思うかしら?