石川明人のレビュー一覧

  • キリスト教と日本人 ──宣教史から信仰の本質を問う

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    おもしろかった!!!!
    特に最終章にある、「信仰とは?」「宗教とは?」ついて丁寧に順を追って考えていく部分がとても興味深い。

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    2025年12月20日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    仏教やイスラム教のことではなく、キリスト教を詳細にその歴史や新約、旧約についての説明、戦争と宗教についてわかりやすく書かれたものである。ラフカディオ・ハーンの「お大」についての要約はわかりやすかった。これからドラマでハーンを取り上げているが、「お大」をとりあげるかどうかは不明である。

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    2025年09月20日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    他の人の書評ではなかなか厳しい評価がされているところもあるが、幼い頃からキリスト教徒として育てられたまさに私のような者には目から鱗の内容である。
    入門者向けの宗教に関する日本語文献は、多くが非キリスト教徒、特に仏教徒向けの内容でありキリスト教徒にとってはなかなかとっつきづらかった。そうでなくともキリスト教徒向けにキリスト教系の出版社が出している書籍はあったが、どちらかというと信徒として信仰していくことを前提においてキリスト教の優位性を説くような内容になりがちであった。
    この本はどちらにも当てはまらない。キリスト教徒が書いたキリスト教視点での本ではあるが、その内容は教会で説かれているような教えとはまるで別物である(私が福音派出身で現在カトリックなので余計そう感じるのかもしれない)。
    聖書は偽りなき神の御言葉です、神は全知全能のお方です、などなど教会で説かれている数々の教えについて、数々の信仰者が「実は全然そんなことない」という結論を出しているのだ。
    このことは教会では教わらないからこそ、すべての日本のキリスト教徒にこの本を読んでほしい。教会の教えを疑うことは不信仰でもなんでもないことが、この本を読めばよくわかると思う。

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    2025年05月07日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    こりゃ,深いわ。
    「信じる」という言葉の意味をとことん追求していくことで,分かっていたつもりでしかなかったと著者に思い知らされた。

    そもそも「信じる」という言葉は,どういうことに対して使うのか,使えるのか。

    「わたしはあなたを信じています」
    「これは間違っていないと信じる」
    これは使えそう。

    でも,
    「三角形の内角の和は180度だと信じる」
    「地球は球体だと信じる」
    という文は,現代においては変な文章だということは分かるだろう。

    つまり何かを「信じる」ための前提には「本当かどうか疑っている」ということがあるのではないかというのでだ。
    だから「わたしは神様を信じています」といった途端に,その言葉を発した人の心の中では「神様がいないかもしれない」と思っているということも含まれているのではないか。

    本当に神様がいるのなら,「信じる」とは言わなくていいからだ。

    著者はこんな風に論を進めて,わたしたちが「宗教を信じる」「宗教なんて信じていない」いう両極端に見える主張が,案外そうでもないのではないかというのだ。
    さらに,宗教を信じている人も無神論者の人も,人間であることから逃れられない。だから,それだけで人格者かどうかなんて全く決められないともいう。そりゃそうだ。

    まだまだまとまった感想文を書けないので,再読することになる本だわ。

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    2024年10月29日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    ネタバレ

    科学を世界の証拠とする社会に産まれた者として、信者の内面には何か、非科学を説明する理論を持っているのではと考え、キリスト教と戦争という一見矛盾を孕むタイトルからその理論への糸口を見つけたように感じた。
    結果として、やはりキリスト教の中にはそのようなものは無かった(良し悪しは置いといて)。
    共感より納得を好む性格上、不思議に思えていたのだが、現代社会を俯瞰で見ると少し分かる気がする。

    科学の言うことは絶対とし、学校の先生や研究者の言うことを疑いなく信じる科学社会と、識字率が低く聖書が読めない為、聖職者の言うことが絶対だと信じていたキリスト教社会。テクノロジーの差はあれど本質的には何か変わっているのだろうか。
    科学は絶対と教育され生きてきたが、果たして我々はその科学を説明できるのであろうか。

    AIなどによりクリエイティブの敷居が低くなっており、仕事が奪われるやら実写か生成画像なのかで盛り上がっているが、信仰の対象もこの様なノリで生成される恐れもあるのではないかと考えてしまう。

    それが良いことなのか悪いことなのかは、ちょっとよくわかんねぇや。


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    2023年07月18日
  • 私たち、戦争人間について 愛と平和主義の限界に関する考察

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    ウクライナとロシアの戦争が始まってから、戦争のことを考えることが多くなった。
    戦争は悪い。戦争は人を不幸にする。それを皆わかっている。学校でも加害についてはともかく原爆や空襲などの被害については教えられてきた。戦争は良くないという本(それこそ絵本も含め)、映像などはたくさんある。
    しかし、結局それでは戦争を止めるには足りないのではないかという思いが消えなくなってきた。
    それでこの本を読んでみた。
    書かれていることは何もかもなるほど、と思うことばかりだった。
    「多くの人にとっては「平和」とは、ただ単純に自分にとって都合の良い状況のことにほかならないのではないだろうか。」「平和を望む気持ちと、戦いを決断する気持ちは、実は大差ない。戦争とは、当事者の主観としては、軍事をもってする秩序化の試みであり、武器をもってする平和構築の試みに他ならない。」(p30)
    私たちは「実は口先ほどには愛と平和なんて求めていない」(p33)
    「ふだん私たちは何らかの出来事の「原因」を考えるとき、だいたい何となく納得できる気分になったところで探求や思考を切り上げているに過ぎない。」(p51)
    そもそも何をもって戦争というのか。どこからが戦争か。戦争と科学の関係など、どれも胸に刺さった。
    学校の平和教育は「学問」ではない、なぜなら「すでに決まっている線に沿った「心がまえ」を抱かせることが目的になっている」から。「「学習」や「研究」というよりは「精神的感化」に近い」(p267)
    「事実や論理を詰めることよりも、「感動」することを求め、それで満足してしまうという点で、戦中も戦後も結局のところ基本姿勢は変わっていない」(p268)
    書き出したらきりがないのだが、自分のなまぬるい「平和」希求にズタズタとメスを入れられる感じがした。
    じゃあ、どうしたらいいのか。
    それはやっぱりそれぞれ考えるしかない。しかしここまで「戦争」とはどういうことかを提示してくれてありがたく思う。巻末にある参考文献を読みつくすことは私には不可能で、折に触れこの本を読み返して自分なりにどう行動できるかを考えたい。

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    2023年01月07日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    「正しい人はいない。一人もいない。」(ローマ信徒への手紙3:10)
    ◆
    「キリスト教こそ、戦争や異端審問や植民地支配で人を史上最も多く殺した最大のカルトである」
    「イエスの教えとキリスト教は無関係」
    「ザビエルは、先祖は地獄に落ちるのだったらなぜ、そんな有難い神様がもっと早く来なかったのか、との日本人の質問に答えられなかったではないか」
    「宣教師とキリシタンたちは、日本の神社仏閣を焼き払い日本人を奴隷として売り払ったではないか」
    キリスト教が批判される際に、必ずと言っていいほど言われるフレーズである。
    さらに、
    「宗教があるから戦争が起こるのだ。
    宗教というものがなくなれば戦争もなくなるはず。」
    「一神教は排他的で、多神教は寛容」
    という恐ろしいほどに単純な二元論が断罪の言葉として使われる。
    まあ、確かにそうかもしれないが、ちょっと無邪気に白黒つけるのは待ってほしいと言いたい。
    かなりナンセンスな決めつけである。
    事態は単に宗教のみでなく、さまざまな伝統や思想や情緒、利害がもっともっと複雑に絡み合っているのである。
    実際に同じ組織一つとってしても決して一枚岩ではなく、かなりの幅がある。

    ◆

    例えば戦争ひとつとっても、
    「侵略」側が目的とするのは、相手の領土や物品の略奪であり、闘争そのものではない。
    戦わずにそれらを獲得できるならそれに越したことはない。
    したがって、「侵略者は常に平和を愛好する」。
    防御側の目的は、純粋に相手を撃退すること、つまり闘争に他ならないので、戦争概念は防御と共に発生する。
    ◆
    フスも、ルターも、ラインホルトニーバーも、戦争を拒否しなかったし、
    ボンヘッファーはヒトラー暗殺に関わり死刑になっている。
    ◆
    聖書に「殺すなかれ」がある割に、聖書の中ではやたらと異民族を虐殺する描写が多い。
    もちろん、平和の道を示している箇所もあるが、
    解釈者によって都合よく取られてしまう。
    ◆
    創初期のキリスト教徒たちに中にも軍人がいたが、
    どちらかというと戦争の拒否よりもローマの偶像崇拝の拒否による殉教が多かった。
    ◆
    ローマ・カトリックは、「正当防衛は重大な義務である」と、
    トマス・アクィナス以来の伝統に基づきカテキズムにも記しているが、日本のカトリック教会はそこには触れない。
    ◆
    宗教の違いが争いを生むわけではない。
    むしろほとんどの場合はは平和の期間の方が長い。
    なんらかの具体的な状況が複雑に絡み合って人々に武力行使を強いる。
    宗教もまた戦争の道具となりうる。
    宗教自体が暴力の「原因」にはなり得ない。
    ◆
    総じて人は「悪」を意識している時よりも「善」を意識している時の方が凶暴になり他者を傷つけることを躊躇わないものである。
    問題は愛の欠如ではなく、誰かを愛しているからこそその人にために誰かを押し退け蔑ろにしてしまう。

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    2022年11月02日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    キリスト教なんて平和言いながら戦争しまっくてるやろ!と思っていたところに見かけたので買ってみた本。実際、キリスト教が戦争を肯定しているように読める部分もあれば、やむなく戦争した後にどう精神ケアをするのかに着目した教えもある。しかし最後まで読めば、キリスト教がどうこうなのではなく、この世を生きる人間には生きていくために拠り所が必要だということがわかる。生きる過程では他人との衝突は避けられない。そのときにどうするか、その後にどうするか。本来はただそれだけだったのだと、考えさせられた一冊でした。

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    2021年12月26日
  • キリスト教と日本人 ──宣教史から信仰の本質を問う

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    ネタバレ

    プロテスタント系クリスチャンです。
    とても良かった。こういう本が読みたかった。

    母方がクリスチャンで父方は一般的な日本人家庭、キリスト教と一般的な日本の文化のミックスの中で育ってきた。キリスト教は宗教ではあるが、私の中では宗教というより文化。自分はキリスト教と日本文化のハーフだという感覚だ。世間で考えられているキリスト教のイメージで見られるのはすごく抵抗がある。
    一般的イメージのクリスチャンと実際のクリスチャンとの間には多少なりともギャップがあり、そのギャップにモヤモヤしてきたし、苦しんだりもした。そのギャップがなぜ起こるのかの考察を日本のキリスト教史を通して丁寧に解説された本だ。
    しばしばクリスチャンに「敬虔な」という枕詞が使われるが、もちろんクリスチャンは全員敬虔ではない。キリスト教圏の国の人が皆敬虔であるはずがない。そういうことを、宗教について深く考えたことがない人は気づかないのかなあと思う。
    「信じる」ことだけが宗教なのか。「キリスト教」ではなく「キリスト道」だったら日本でもキリスト教はもっと受け入れられていたのか。マザーテレサのいう「神の不在」は、深い。

    私個人的にはモヤモヤがスッキリして腑に落ちた本。しかし宗教という言葉が持つ胡散臭さは、その言葉が別の言葉に変わらない限りは変えられないのだろうか。

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    2021年01月24日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    平和を訴えながらも、なぜ、戦争という究極の暴力をするのか?
    キリスト教の理念と現実の「矛盾」。信仰と軍事の親和性についての指摘を多くの事例、参考文献から解説する。

    時代、状況、地域、立場によって解釈も違い、「自分こそが正しい」と思って行動する、つまり「信仰」よりも「人間の本性」に行き着いてしまうのか。

    「宗教」と一括りにできる話題ではなく、善意が暴力を正当化してしまう現代の問題にも通じる。

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    2020年05月08日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    アーミッシュの元は再洗礼派
    原爆を投下する部隊に対して祈った従軍チャプレンもいた。
    カトリック教会は、建前としては、良心的兵役拒否は代替奉仕がある場合のみ可能という立場。
    システィナ礼拝堂にミケランジェロに絵を描かせたユリウス2世は、自ら剣を帯びて戦地へ向かう「軍人教皇」だった。
    プロテスタントも、ツィングリは自ら剣をとって戦い、チューリッヒの教会にある彼の銅像は、聖書と剣を手に持っている。
    アメリカでは「兵士のための聖書」なるものまで販売されている。
    初期キリスト教徒が軍に入らなかったのは、人殺しを避けるというより、軍隊内の偶像崇拝に関わるのを避けるためだった。
    ブッシュ大統領は一番好きな政治家はだれかと聞かれ「イエス」と答えた。
    空母の航空機格納庫で戦闘機を背景に、精密誘導爆弾を保管する箱に水を入れて洗礼を施す写真がアップされている。

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    2016年03月03日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    ネタバレ

    人間が矛盾した存在なのだから宗教も当然矛盾している部分はある。愛と平和を唱えながら戦争を起こしたり、異教徒と言うだけで殺したり。キリスト教に限らない現実。難しい問題だと思うな。戦わなければ生き残れないのも事実なんだろうし。色々考えさせられるな~。ちょいちょい気になる部分はあったけど、良い読書。

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    2026年01月25日
  • 戦争宗教学序説 信仰と平和のジレンマ

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    軍事と宗教を扱った本で、一章で軍事の中にある宗教的な物、二章で軍で活躍する宗教家などの人、三章で軍で求められる精神や士気、四章で昭和日本軍の精神主義的傾向、五章で宗教の軍事的側面について、豊富なエピソードをもとに述べている。
    洋の東西を問わず宗教的なモチーフが武器にあしらわれ、現代の自衛隊においても艦内神社がありお祓いがされる。弾除けの聖書については聖職者からの批判もあった。
    米軍のチャプレン科、語り継がれる4人のチャプレン、原爆とチャプレン。日本の陣僧。
    機関銃を即座に採用しなかった軍人たち。重装歩兵として従軍していたソクラテス、プラトンのラケスで示された勇気が何であるか実はわかっていない。
    大正の反軍的な世相のもとにあった軍の満州事変で社会的地位が変化する。ただ、大正次代に軍人が抱いたルサンチマンや予算が如何ともならない中で精神主義に傾いた。イーハトーブと満洲国は日蓮に源流を発する同じ思想の別の表れとする宮下隆二の指摘。

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    2025年02月24日
  • キリスト教と日本人 ──宣教史から信仰の本質を問う

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    めちゃくちゃためになった 何がって言うと、日本キリスト教史が分かりやすく説明されてるのはもちろん、当時活躍した宣教師だったり、信仰とはなにか?宗教とはなにか?っていうのを莫大な先行研究から考察してること

    キリスト教とはなにかとか日本人とどういう風に関わってきたのかを知りたいなら最高の1冊だと思う

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    2025年01月03日
  • 戦争宗教学序説 信仰と平和のジレンマ

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    戦争と宗教の結びつき、十字軍が思いつくが、第二次世界大戦などの米国を中心とした従軍チャプレン(様々な宗教の観点からじゅぐうんし基本丸腰で軍人のメンタルをサポートする)の話と日本軍の精神論が主な話。
    チャプレンは、いろんな人がいるが軍の士気を高めることにつながっている。当然ジレンマはあるだろうが、おおむね協力的に働いてきた。
    日本軍が精神論に傾いたのは主に弱い設備国力の裏返しでそれしか頼るところがなかった。

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    2024年12月21日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    そもそも「信じる」とはどういう行為なのかという第一章の議論や、古代ギリシアから始まり様々な哲学者・神学者や現代の作家が「神」をどう捉えて受け容れてきたかをつまみ食いする本としては非常に面白かったです。


    以下では個人的に読んでいてすっきりしなかった部分について述べます。
    まず、前書きに「宗教という文化を理解してすっきりするのが目的ではなくて、宗教という営みの『わからなさ』『捉えがたさ』に改めて気付いてもらうことを目指している」と書かれていて、前者を期待して読み始めた私には正直あてが外れたところがあります。

    その上で、著者の疑問の持ち方、「信じる」ということに対する考え方が合わないと感じることも度々ありました。
    「ほとんどのキリスト教徒は非暴力の教えについて『知っている』けれども、『信じてはいない』ということに他ならないように見える」に対して「実践するということを何か甘く見ていないか、それが簡単には叶わない現実があるからこそそれが正しいと『信じる』ことに意味があるのでは?」と思ったり、
    同じ宗教を信じていても結局人は争うし信じたから善良になれるわけではないといった話に対して、「社会が複数の人間によって営まれている以上当然のことだろう、信じるだけで完璧な存在になれるのだとしたらそれは人間を買いかぶりすぎだ」と思うといった具合です。

    文中で何度も繰り返される疑問がそもそも疑問に思われないのは、読んでいて随分もどかしかったです。最後の数ページになってようやく「そうであろうとすること」の重要性や人間の限界や不完全さに触れられて、あー、ですよねー、になるという。論の構成が合わなかったというか。

    後書きで著者が書いているように、自分の宗教や人間に対する考えを確認するきっかけとしては良かったといえるかもしれません。

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    2024年10月26日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    自分に対して優しくしてくれる人や、利益をもたらしてくれる人のことは「好き」なので、てっきり「愛」というものを知っていると思い込んでいます。自分と自分の好きな人だけは守りたいから、「正義」というものを知っていると思い込んでいます。でも実は、私たちは誰もがけっこう自分勝手で、見栄っ張りで、独善的です。自分の善と他人の悪は巨大に見えて、自分の悪と他人の善は微小に見えてしまうのが人間です

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    2024年10月18日
  • キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理

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    キリスト教と聞くと「隣人を愛せよ」「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言った言葉、「赦し」などを思い浮かべ、絶対平和主義的な考え方の上に成り立っている様に思える。旧約聖書にも十戒には「殺してはならない」とある。だが実際のキリスト教とは戦争も行うし、旧約聖書の中では殺戮するシーンも多く登場する。日本は太平洋戦争で国民の多くがキリスト教徒であるアメリカと戦火を交え、互いに殺し合った過去もある。一見すると矛盾している様にも思えるが、実際のところ、キリスト教の教義の中では、敵対する他者を殲滅する行為は許されている。キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説であるカテキズムにおいても、はっきり明確に、向かってくる敵を殺害する事は構わないとされている。確かに歴史を振り返れば残虐性が際立った十字軍などは分かり易い例だろう。
    キリスト教の教典は「旧約聖書」と「新約聖書」からなるが、その中でもはっきり矛盾する様な記述もある様だが、キリスト教徒の筆者曰く、何かを宗教的に説明する際には、部分的に2つの聖書から都合の良い記述を引用するのは、ごく普通の事の様だ。
    本書はそうしたキリスト教と戦争の関わり合いを、過去の成り立ちや歴史上の重要なキリスト教の人物を挙げて分かり易く解説している。
    戦争映画にもしばしば登場する従軍神父の話や、著名な指揮官が聖書から引いた言葉で軍の指揮を上げたような逸話、キリスト教徒の中でも宗派の違いによる考え方など実にわかり易く記載されている。私などは単純に平和を愛すると言いながら戦争ばかりしているアメリカを思い浮かべて、短絡的に矛盾してるとしか考えていなかったが、本書を読むことがで、そうした戦場に赴く人々の事を理解できる気がする。
    タイトルからして興味をそそるものだが、内容は実に多岐に渡りキリスト教の知識を入れることができ、期待通りの面白さであった。

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    2023年12月30日
  • 宗教を「信じる」とはどういうことか

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    典型的な日本人である私は神社にも行くし、寺にも行く。だがそれは儀礼的なものだ。私にとって神は存在しても、していなくともどちらでも良い。信仰心の厚い人との会話の中で違和感を感じる事は、この世の全てを『神の采配』『神の思し召し』『神が与えた試練』といった具合に現状の起源を神に収束させる発言である。これと「偶然とは無知の告白である」とは何が違うのか?物事には必ず因果律がある。私達に与えられた知性は因果を辿るだけの能力がある筈なのだか、あらゆる結果を神だとか偶然だとかに収束させて、そこで思考停止する、その姿勢こそ神が最も望まないものではないのかといつも考え込んでしまう。

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    2023年06月27日
  • キリスト教と日本人 ──宣教史から信仰の本質を問う

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    膨大な資料をベースにキリスト教を核に宗教、信仰などについて、日本での成り立ちや現状の把握等、一見取りつきにくい問題を、ある程度明快に解き明かした好著だ.ザビエル、トーレス、カブラル、ヴァリニャーノと続く宣教師の行動を克明に辿っているのがよい.キリスト教弾圧の時代でも貿易に活路を見出す大名たちがいたことを記している.1873年に禁教高札撤去があったが、直ぐにキリスト教が広まったのではない理由も詳しく考察している.マザーテレサの葛藤が、信仰という把握が難しい問題の回答になる素晴らしい事例だと感じた.

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    2020年01月30日