向井和美のレビュー一覧
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コロナ禍の中で友人とzoomで一つの本を一緒に読む、という体験から読書会に興味を持ち、晶文社「読書会の教室」を読んで、ますます、もっとやってみたいモードが高まっているタイミングでの岩波新書。題名も「読書会の幸福」ってホンワカムード。でも中身は超ハード。のっけから子供時代が両親の不仲で地獄だった話。文体も柔らかくて、しかも読書会の体験記や読書会の運営のノウハウや、読む前にこちらが期待していた構成もちゃんと盛り込まれているのですが、そういう気軽さを覆いつくす、本と人生の熱い物語。著者の人生。なにせ「もしかしたら、わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったからだと言ってよいかもしれない」ですから。読書会の数少ない男性メンバーのTさんのエピソードは、まるで短編小説のようだし、現在のパートナーとの関係もそこまで書く?ということをスルッと紛れ込ませてくるし…恩師や父親の最期の話もグッときます。まさに生きることは文学を読むこと、読んだ文学について人と語らうことは生き延びること、という文学の力を感じました。まさに章のタイトルになっている「文学に生かされて」の迫力。著者にとっての「読書会の幸福」は「読書会に生かされて」という意味なのだと合点しました。この著者、やさしい文体でも結構、凶暴です。カズオ・イシグロ「日の名残り」で丸谷才一の誤読にも噛みついているし…それにしても巻末についている1987年からの読書リストの豊饒さよ。文中に出てくる「ぼくはこのほとんどを読まずに死ぬのか…」このつぶやきは自分のつぶやきでもあります。
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友人にきっと気にいると思うと勧められて手に取った1冊。普段なら可愛らしい雰囲気の装丁の本は捻くれ者の私には合わないかもと気遅れして手が伸びないので、勧めてもらって良かった。殺人を犯し終身刑の受刑者である大矢章市さんと翻訳家の著者との間の読書と本をめぐる往復書簡だった。
読んでいて、数年前のある出来事を思い出した。
暮れも押し迫った12月のある日、駅で数人の友人と待ち合わせをしていた時のこと。指名手配犯の顔写真が何枚も載ったポスターが貼ってあり、そのうちの1人がある有名歌手に似ていると少し笑いながら見ていた。軽口が終わって、一瞬の間があき、全員がそのポスターを見ていると、友人の1人が「行こ!感染るわ。」と言ったのだった。
それを聞いた私は憤りと驚きを感じた。もちろん被害者の立場にたてば、そして犯罪者の話の場合、大抵私たちは被害者目線で話すことが多いのだけど、犯罪者を憎む気持ちはある。自分が被害者なら多分許すこともできず、憎しみや怒りに狂うだろう。ただ、私は犯罪に走る人たちと私の違いは運だけなのではないかとも感じてしまう。それなりの経済的余裕があり、問題があったとしても常識的な子育てをしてもらい、教育をうけ、時に良い教師や友人との出会いに恵まれた自分が、もし、劣悪な環境で育っていたら私も犯罪に走ってしまったのではないか、そんなふうに自分に対する信用が低い。
この本を読んで、やはり犯罪者の中には本当に境遇に恵まれない人もいるのだなと改めて思った。大矢さんの少年時代の凄惨さは気の毒というような言葉では表せない酷いもので、犯罪被害者を減らすためにも、親に対する教育や児童福祉、虐待への介入の充実が必要だと思った。
今回刑務所の中の様子も初めて見聞きする内容が多く、日本の刑務所と海外の刑務所の在り方の違いもわかりとても勉強になった。
受刑者や被害者を何か特別な存在として隔離して考えないようにするのではなく、犯罪も被害者の痛みも、犯罪を犯す環境も全て私たちが暮らす社会の一部だと認識して良くしていく必要があるなと思う。 -
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作家の向井和美さんと、懲役中の50代男性の大矢章一さん(仮名)の手紙のやりとり。
設定が目新しく面白そうだなと思い読みました。
率直に思ったことは三つあります。
刑務所での生活がどのような感じなのかがわかって勉強になったということ。
無期懲役の大矢さんの文章が、非常に巧みで感心したこと。
たくさんの本のことが引用されており、読みたい作品が新たにみつかって嬉しかったこと。
大矢さんご自身、本を読んでいるおかげで、償いについて考え、自分を省みる機会を存分に得ている。
「もっと本を読んでおけば、殺人なんてしなかったのかも」と述懐しているほど。
読書が持つ素晴らしさ、偉大さを感じさせる作品でした!
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キオ・スターク氏は、イェール大学卒、ニューヨーク大学大学院修士課程修了、ニューヨークを拠点に活動する作家・研究者。世界中の、科学、教育、ビジネス、芸術、人権、心理学など幅広い分野の専門家等が、自分のアイデアや経験を短時間で共有するプレゼンテーション形式の講演である「TED講演」等を通じて、見知らぬ人との交流がもたらす心理的・社会的な影響について発信している。
本書は、TED講演のスピーカー等が、自らの講演内容を更に深掘りし、かつ、20,000語程度(1~2時間で読める分量)にまとめた「TEDブックス」のひとつ。
私は還暦を超えた会社員だが、いつ頃からか、自分の周りには、家族や友人や会社の同僚のような所謂「知っている人」のほかに、「知らない人」が大勢いること(というか、知っている人は、世界・社会の極々わずかでしかないこと)、更には、(知っている人を含めて)自分以外の人が、それぞれ、世界を(大なり小なり)異なる見方で認識していることを、漠然と不思議に思うと同時に意識するようになった。そして、電車に乗っているときには、たまたま自分の前に座っている人が、また、道を歩いているときには、たまたますれ違った人が、今この瞬間に何を考えているのだろう、などと思うようになった。
私が本書を手に取ったのは、たまたま新古書店で目にし、そうした自分の潜在意識にミートしたからである。
本書の主旨は、極めて明快かつシンプルである。それは、社会には知らない人と話すべきではないという暗黙のルールがあって、それは、安全のために有効ともいえるが、社会的な距離や偏見を強める側面も持ち、見知らぬ人との交流は、そうした距離や偏見を乗り越える行為であり、特に、人種、階級、性別などの壁を超えて話すことは、小さな社会的変革につながるというもので、見知らぬ人と話す実践的な方法の紹介もしている。
私はまた、上述のような意識に加えて、近年世界中に広がる不寛容・分断に対して強い問題意識を持っているのだが、そういう観点から再認識したのは、本書にある、古代ギリシャに端を発する「コスモポリタニズム」という概念の大切さである。「人は国民国家の一員というよりむしろ世界の一員である。まずは人間なのであって、国家や国民や人種や民族や親族(あるいは同時にそのいくつか)という括りは二次的なものでしかない。これはある種の道徳的基盤だ。わたしたちがコスモポリタンであり、人間であるということは、他の属性と人類共通の人間性とが対立した場合、後者が勝つことを意味する。」 これに基づくなら、米国をはじめとする世界各国の右傾化も、ロシアのウクライナ侵攻も、イスラエルのガザ侵攻も、起こるはずがなかったことだ。
「目に入るものが何であれ、それがどこから来たものであれ、ひとつ確かなことがある。周囲にいる人たちはみな一人ひとりの人間であって、分類項目の集合ではないということだ。」
世界は巨大な、かつ様々な力関係で動いている。しかし、その力は人間が生み出しているものだ(自然の驚異を除けば)。一人ひとりの人間が、身近なところから意識・行動を変えてみるという意味で、面白い一冊ではないだろうか。
(2025年5月了) -
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帯にある通り『多様な』フェミニズムの在り方。対立や矛盾をそのまま理解する入門書。
論点を7つに分けて話が進む。
支配・権利・仕事・女らしさ・セックス・文化。そして最終章の断層線と未来。
「一冊の中によくこれだけ押し込んだなぁ」と感心する程に真っ向から対立する意見が当たり前のように書いてある。引用も多過ぎるほどに多い。
今のフェミニズムを理解するのは本当に難しい。この一冊を読み終えてもどれだけ中身が分かったか。理解出来ぬまま読み飛ばした箇所もかなりある。
しかし全てを理解することは出来なくとも興味がある論点は幾つか見出せた。
今回は「権利」「女らしさ」の多くの部分と「文化」に関する部分。
焦点の定まらないフェミニズムに見えるが、著者の書く、この本の締めくくりの言葉『それでも、「女性は人であるという根源的な考え方」が消え去ることはないのです。』に結局は行き着くのだろう。 -
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ネタバレ【知らない人との貴重なつながり】
見知らぬ人と話すことの可能性について、話されています。
見知らぬ人との会話、都会に生きているときに私たちが他者と一定の距離を保っていることを、「儀礼的無関心」と呼んだりするらしい。
この社会的距離は、公共の場や街中での快適さを保つためという目的がある。
一方で著者は、この無関心をときに破ってみることを勧めていました。
なぜなら、ずっと無関心を貫いていたら、人と経験を共有する機会を失ってしまうから。
・生の経験の意義。
著者は、他者と意識を通わす経験には、目には見えない心の作用があり、意義があると強調します。
注意深く、普段の無関心の儀礼に風穴を開けることで、今ここでのつながりを生で感じ、 意識が覚醒する、とのこと。
現在進行形で思いもよらない人間同士が交わり合い、影響し合うひと時を通して、私たちは今存在していることを感じる、これはまさに生きることであり、人生に欠かせないことであると述べられています。
この本はコロナ以前のものですが、オンラインでの情報交換手段が普通となり、
直接対面で人と関わらずに多くのコミュニケーションがなされる今日。
偶然性の中にある、生の体験の意義をあらためて考える方も多いのではと思います。
・コスモポリタニズムの実験
知らない人同士が、見な世界市民のように、言葉を交わし、心を通わすことは可能なのか。
結論、ポジティブにもネガティブにも働くという実験結果が出ている。
ひとつに、
知らない人同士が言葉を交わせばそこに関係が生じ、寛容の精神や互いへの敬意と理解が生まれること。そして、背景となる状況が重要な役割を果たすことを強調しています。
__コスモポリタンであるためにはー寛容でオープンで好奇心旺盛で、みんなを仲間だと信じるためにはー共感が必要になる。他者の視点から世界を見て、感じているところを想像できなければならないのだ。そこには、自分自身の意思決定のプロセスも含まれる。
ある神経学の研究によると、感情のひとつである共感は、身体的な経験の影響を受ける。人間であれネズミであれ、他者に共感する能力は生理的なストレスの大きさに左右され、ストレスが小さいと共感する力は増えるという。たとえつかの間であれ、誰かとつながっているという感覚が持てると、相手の感情や体の状態をわがことのように捉えて共感しやすくなる。(本文より)
接触仮説では、共感を生む機会が生まれることで、見知らぬ人に対する偏見を減らす効果がある、という。
一方で、カート・イブソンなどは、寛容になることの限界も示している。
状況によっては、他者への偏見や不快感を高めること。
信頼できる環境か、警戒しないといけない環境か、立場か、
読者の間でも、自信の経験から分かる部分が多いと思いました。
いくつかの実験結果が紹介されていますが、
著者は、現実はより複雑な条件下にあるとも述べています。
だからこそ、ひとは意図的に無関心でいる。
それでも、この生きる術として発展した無関心をあえて破ることは必要なのか。可能なのか。
・やり取りのメカニズム
暗黙の了解は、そのルールが破られたときに見えてくる、といいます。
なので、可能な状況下で、好ましいやり方でルールを破る時に重要なことについても書かれていました。
お互いの寛容性を生むには、まず、相手への関心、敬意、礼儀を忘れないこと。
視線から試してみることや、誰かとすれ違うときに微笑みかけてみれば、ちよっとした一体感は味わえる、とも言います。
いつもどこでも話しかけるのは違うと思うし、
自然さがいるとも思いました。
いくつか紹介されていましたが、このような環境づくり、場所づくりをしているサービスもどんどん出てきているように思い、たしかにニーズがあるなーと。
また、そのニーズは、人に依るのかとも。
世界の知らない人とのつながりをつくることが好きな人、そうでない人もいる、
著者は圧倒的に、知らない人との間で生のつながりを感じるライブ感にワクワクを感じる方で、 私も読んでいて自らの経験を振り返り、
似ているところがあるなーと感じました。
旅行もそんな体験を少し楽しみにしてひとり旅に出てみたり。
たまたま隣に座った方と少し会話をした経験、
旅先でその場限りの知り合いになった経験、
単調な日常の中にそんなランダム性をとりいれることで、
今、ここに生きていることを感じてより生き生きと生きられるのではとあらためて思いました。
___わたしの場合、見ず知らずの人の心の内を理解できたとき、何よりも深いつながりを感じる。もし街角であなたと出会って話を始めたとすると、それはただ時間潰しにちよっとしたつながりを持つためではない。わたしは何かを、たとえばはんの小さなひび割れを探し出し、そこを開いていって、あなたの中にある真実を見たいのだ。あなたのきらめきや輝き、そして裂け目からわずかにのぞく不完全さを。(本文より)
完全なコスモポリタンは中な難しい現実ですが、
だからと言って人とつながる機会を締め出さない、
少しでも他者への共感を高め合える、ポジティブな経験が増える環境を作って行きたいと思いました。
なにかできないかな。 -
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『読書会』
気になってはいるのだが、元来臆病な人間で人前で話したりも苦手だし、自分に合いそうな読書会コミュニティを見つけられないということもあって敬遠してきた。
だが読書会に関する本は好きで、いくつか読んでいる。
本書はその読書会のなかでも刑務所内の読書会を描いた傑作ノンフィクション『プリズン・ブッククラブ』を翻訳した向井和美さんの本ということで手に取った。
これは素晴らしかった。
本への愛も素晴らしいが、読んでいるだけで読書会に行きたくなるようなワクワクに満ちていた。
難しい本に挑戦するのにも一人だと挫折することもあるが、読書会で話すという課題があると頑張って読もうと思えるという部分。
そんなもんかな? なんて思っていたが、巻末の読書会で課題になって読破した図書リストを見ると自分も挫折したような本がズラズラと並んでいた。『失われた時を求めて』『戦争と平和』『チボー家の人々』などの大作も人と一緒なら挑戦しようって思うかもしれない。
そして一人でも面白いのだが、他者がいると視点が広がる面白さもある。自分が木にしなかった部分を、他人はとても気にしていたり、自分には答えが出せなかったものが、他人には見えていたり、と。
そういう視点の広がりという面白さもあるよなって思った。
著者が自慢する巻末のリストも素晴らしい。 -
Posted by ブクログ
新聞の書評を読んで興味がわき手に取った新書です。
冒頭、「わたしの両親は、けんかばかりしている夫婦だった…..」から始まり「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは…..」という文章を読んで、この本はどんな展開になるのだろうと少し心配になってしまいました。
でも、読み進めると好感を持てるようになりました。著者の30年に及ぶ読書会での活動や、本をとおして人とつながる熱い想いが、丁寧に語られています。また、翻訳家である著者が翻訳家視点での読書を語る部分は、今まで気づかなかったことを教えもらい、新鮮な気持ちで読みました。
本書は古典文学を中心に、200冊近くの本を取り上げています。読んだことがない作品が大半です。全部読みたくなりますが、無理かな?