20名の女性哲学者を紹介した本書は、まずこうして出版できたことに大きな価値があると思います。
なぜなら、そうすることで、ここに書かれているような、男性しか哲学者がいなかったかのような思い込みを無くし、たとえ少数派の中であっても、栄誉ある社会貢献をされた女性哲学者たちがいたことを、知ることができたか
...続きを読むらです。
イギリスで大学教育が女性に許可されるようになったのは、19世紀もだいぶ遅くなってからのことで、要するに、どれだけ才能や知性があろうとも、大学で学ぶことを許されなかったということです。
その影響もあり、もし女性が書いたと知られたら、哲学的小説とは認めてもらえまいと思った、「ジョージ・エリオット(メアリー・アン・エヴァンズ)」は、1850年代に男性名のペンネームを使ったそうです。
他にも、初めて男性優位の学問の領域に堂々と踏み込んで、悲劇的な結末を遂げた「ヒュパティア」や、フッサールとハイデッガーが功績を認めようとさえしなかった「エーディト・シュタイン」等、悲しい歴史もあるが、「シモーヌ・ド・ボーヴォワール」の、『女性の状況を改善するには、男も女も共犯関係にあることを自覚し、変わらなければならず、女性を客体としてではなく主体として見ることを、どちらも学ばなければならない』という言葉に肯けるものも感じられました。
また、女性が置かれた状況以外については、「ハンナ・アーレント」の『内側からの支配』も興味深く、その内容は『全体主義があらわれるのは、人々が互いに接触を断たれたときであり、そこへ政治のムーブメントが起こり、なぜ国民は不幸なのかという物語を差しだしてみせる。やがてこれが大きな力を持ちはじめ、人を圧倒する語り口に誰も反対できなくなっていく』で、なぜ政治に無関心な人々が多いのかを考えるヒントにもなりそうです。
また、国籍のない状態が長く続いたアーレントは、「難民危機」についても考察しており、『前代未聞なのは、故郷を失ったことではなく、新たな故郷を見つけられないこと』や、『敵の手で強制収容所に入れられ、味方の手で難民収容所に入れられた人たち』の言葉には、今現在でも通用するように思われました。
更に、「エリザベス・アンスコム」が、広島と長崎に原爆を投下する決断を下した、当時のアメリカ大統領「ハリー・トルーマン」を支持する人たちに当惑したのがきっかけで書いた、著作『インテンション』は、日本人としても心に響くものを感じ、女性は支配される人生を送らざるをえないという問題に目を向けた「メアリ・ウルストンクラフト」の次女、「メアリー」が書いた小説が、『フランケンシュタイン』だというのも、何か宿命めいたものを感じさせられました。