向井和美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
著者の訳書である『プリズン・ブッククラブ』を読んだ受刑者からの手紙をきっかけとして、2人の手紙を通した読書会が行われるようになっていく。
お互いの手紙のやり取りがとても真摯なもので、読んでいて、自然といろいろと考えさせられる。
罪と罰、償いについて。何をどうすることが償いなのか? ただ、刑に服していれば償いなのか?
いわゆる毒親と言えるような親との関係。
読書、本との出会いについて。
この本出会っていなければ、あるいは、もっと早くこの本に出会っていれば人生が変わったかもしれないというような本との出会い。
読書会、誰かと本を読み、感想を語り合える幸せ。自分自身、読書会を続けてきて、自分一人ではできない本の読み方ができてきたと思う。
宗教、人生とどう向き合うかについて。赦し。神、絶対者。
様々な本の紹介として読みこともできる。
複数の側面から読むことができる良書だと思う。 -
Posted by ブクログ
数年前に『プリズン・ブック・クラブ―コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』を読んだ。カナダの刑務所で受刑者たちが行っている読書会の様子を記した本で、その取り組みがとても素晴らしかった。ただ、日本ではこうしたことは難しいだろうなと思っていた。その本の訳者に、過去に殺人を犯し服役中の受刑者から一通の手紙が届く。そこから、二人の間で始まった往復書簡による読書会を記したのがこの本だ。
本をめぐる二人の心温まるやり取りの中で、読書という行為が人に何をもたらすのか、罪を償うとはどういうことなのか。そして、日本の刑務所のあり方や制度の後進性についても考えさせられた。 -
Posted by ブクログ
「二人の読書会」を読んで向井さんの優しい文章が好きになってしまった。最近、読書会に興味があることもあって、本書は良いことづくしの大好物だった。
本書は読書会のノウハウが実例と共に示されている。明日から読書会を主宰しようと思ったらこれを真似たらいい。ただ、単に実用的なだけではない。各事例で取り上げた本の書評、読書会で出た意見、メンバーでの感想のやりとりなどが盛り込まれていて、積読が止まらなくなる。
古典は普遍的な人生のテーマが凝縮していて歳を重ねるごとに面白みが増していくのかもしれない。そして、それはひとりで読むより仲間と時間と感想を共有して読むことでより貴重な体験になる。
まずは仲間を見つけなくては。 -
Posted by ブクログ
無期受刑者と著者の、往復書簡を通じた魂の交流に心揺さぶられました。そして、その交流は「本の力」で深まり、さらに広がって様々なつながりをもたらします。本好きにはとても響きました。また素晴らしい一冊との出合いに感謝したいです。
向井さんのもとに編集者経由で届いた手紙。差出人は刑務所で服役中の受刑者・大矢(仮名)さん。服役して20年間犯した罪と向き合い、苦悩しつつ本を読むようになり向井さんの著作と出合います。便箋7枚には、「読書会を経験してみたい」という切実な想いがぎっしりと綴られているのでした。
向井さんの心を震わせ呆然とさせた、この第1便だけでも万人が読むに値する衝撃的な素晴らしさでした。ここから往復書簡が始まります。本を介して互いに少しずつ自分自身を開示し、罪や罰、償うとは、人権、差別、信仰、生き方、生と死、親と子等の人間関係など、多岐にわたる話題を主従のない対等な関係で進む対話の過程は感動的です。
本を読む楽しさ、誰かと感想を共有する喜びが大矢さんの思慮深い文章からあふれ、それに必死にまた真摯に応える向井さんとの往復書簡。その濃密で感情を揺さぶるやりとりは、(失礼ながら)創作?と邪推してしまうほど。そこに記された魂の交流は、紛れもない「ふたりの読書会」なのでした。
「ふたりの読書会」(往復書簡)は現在も続き、向井さんの読書会では共通の課題本についての大矢さんの感想が紹介され、高く評価されているそう。さらに、向井さんや関係者の努力によって、大矢さんが服役する刑務所内での読書会が実現!
課題はまだまだあっても、「ふたりの読書会」が様々な方面で好影響をもたらす大きなうねりへとつながっている…この事実をたまらなくうれしく感じました。線路は続くよどこまでも…皆さん、読むべし! -
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今年読んだ本の中で今のところベストな1冊だ。
向井さんの本を読んだ無期受刑者からの手紙がきっかけで手紙のやりとりを通じたふたりだけの読書会が始まる。この本はその往復書簡だ。
もっとはやくに本に出会っていれば人を殺さずにすんだのか?そんな衝撃的なやりとりがある。確かに2人とも家族環境が似ていて幼いころから本に逃げ道を作っていた向井さんとそうでない大矢さんを対比すればその問いの答えは是だろう。ただその時のタイミングや心持ちで必ずしも本の大切さに気づけるとは限らない。本に救われるかどうかは運に近いかもしれない。
一方で本は自分を省みるきっかけとなり内面的な成長を促すことは間違いない。それは大矢さんの手紙や感想文から明らかだ。大矢さんはとんでもなく文章がうまい。人に読ませる文を書く。文面から伝わってくる彼の人柄は罪を犯すとは到底思えないほど謙虚で穏やかだ。きっと罪と向き合いながら本を読んできた結果なのだろう。
最近、家庭や会社に加えて第3の場としての共同体の必要さをひしひしと感じる。もちろん家族や同僚も大切な仲間なのだけど、そこに持ち込めない些細な悩みや葛藤、怒りを吐き出せる場が必要だと思うし、いつでも助け合える緩やかな紐帯が生活を豊かにすると思う。そのひとつは間違いなく読書会だろう。価値観を共有できて対話ができる機会や場の素晴らしさを本書を読んで実感した。 -
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読めて良かった本。
『プリズン・ブック・クラブ』というカナダの刑務所で行われる読書会の本を読んだ、大矢さんという受刑者が、訳者である向井さんに手紙を送るところから、このやり取りは始まる。
大矢さんのいる刑務所で読書会を開くことは(その時は)前例がなく、向井さんは、自身が主催している読書会の課題本や、自身が選んだ本を、大矢さんに送るようになる。
そうして、大矢さんからは感想を書いたノートや、自身と向き合う内容が書かれた手紙が送られ、二人の交流が深まっていく様子が描かれている。
私にとっても、二人が会話している本の幾つもが、既読したもので嬉しかった。
そうした本のチョイスに、読書そのものを愛する気持ちや、ストーリーからエンターテイメント的な楽しさよりも、何か哲学的な悦びを感じる二人なんだなぁということが、ひしひし伝わってくる。
大矢さんの初めての手紙は、それが、デジタル化されたものにも関わらず、どこか急いているように読めた。
なんとなく文と文の間に空白がなく、そうして硬い。
自分の気持ちを伝えることに必死というような。
多弁の裏に朴訥さが感じられるものだった。
本の終わり、アルジャーノンを読み終えた三月のページを開いたとき。
冬を越えたからなのか、大矢さんの文章が柔らかくなったように感じた。
きっと、それまでにも変化があったのだろうが、私が気付いたのが、三月の章だった。
私にも、一年ほどノートの交換を続けている人がいる。
その人の最初の語りは、余白がなく、筆圧も強く、揺るぎなさと切迫感が感じられるものだった。
一年後、久々にそのノートが私に回ってきたとき、字が伸び伸びとし、余白が生まれていることに、感動を覚えたのだった。
だから、本を選ぶ側の向井さんにも、きっと変化があったことだろうと思う。
それは、受刑者への関心や眼差しだけではないはずだと思う。
一人の人と関わることは、とても大変なことだけど、何かがもたらされるかもしれないという、見えない希望を二人は持っている。
そのことを中立する本という存在(もしくは、本を書いた人でもあるし、本そのものの世界とも言える)を何と例えたら良いだろう。
きっと、この本は誰かの、何かの、キッカケになり得るものだと思う。 -
Posted by ブクログ
ある日、翻訳家の元に届いた手紙には桜の印が捺されていた。
生まれついての悪人はいない。人が罪を犯すのは、そうならざるを得ない環境下にいたからに過ぎないのだということ言葉を思い起こした。
刑務所内で読んだ「読書会という幸福」に感銘を受けた受刑者、大矢さんの手紙を著書である翻訳家が受け取ったことから物語は始まる。
刑務所の塀の中で20年の月日を過ごすうちに読書の喜びに出会い、自身の犯した取り返しのつかない過ちに深く向き合うようになったのだという大矢さんの文章にとにかく心を奪われる。
どうしてこんなにも思慮深く聡明な人が人を殺めてしまったのだろう? この人はこれまでにどんな人生を歩んできたのだろう?
真摯な言葉に胸を打たれた筆者は大矢さんに「読んで欲しい本」を送り、大矢さんはノートや手紙に読書を通して感じた思いを綴る。
塀の中と外、隔たれた世界でそれぞれに「本」を魂の拠り所に生きてたふたりは文学の世界を通し、魂の震えるような対話を重ねていく。
人が罪を犯すとは、人を裁くとは、罪に向き合うとは、そして何より、「言葉」の世界を知ることがどれだけ心を豊かにするのかということに驚かされる。
次第に明かされていく情報の中、大矢さんは苛烈な家庭環境の中で親からの愛情を受けられなかったのだということが明かされていく。
「守ってくれる相手/安全な場所」がなかった。自身の罪を償うためにと塀の中で暮らすようになってからも、自身に向き合うための「対話」の機会を得られなかったのだということ。そんな中でも「師」となり、導いてくれる相手に出会えたのだということ。
20年の時間を生きた「いま」の大矢さんだからこそこれだけの豊かな言葉を持っていて、それがここまで向井さんの心を動かしたのだろうということは読み進めるほどにひしひしと伝わる。
「罪を犯した人」もまた我らと同じ人間であり、自身に向き合い続けることで変わることはできるのだ。
それでも、彼が行ったことは決して許されることではない。
人を「罰する」とは一体どうすることが正しいのか、人間らしい生活とはなんなのだろうか。規則だらけで心身に傷を負わせる環境に閉じ込めておくことは罪を償わせるためには「仕方ない」ことなのだろうか?
様々な思いが、読んでいる間にもぐるぐると胸の中を渦巻く。
言葉を重ねるほどにお互いに深い絆が生まれ、書くこと/伝えることが救いになっていく様、それでも、犯した罪の重さがふたりの対面の機会を簡単には実現させてくれないことなどに胸が苦しくなる。
書面で読書会に参加し、のちに報告を聞くという間接的な手段でありながらも、本を通して「外」と繋がりを持たせてくれた向井さんの思いやりが温かい。
紹介される本の多岐にわたるラインナップや、囚人たちの更生プログラムとして「読書会」が実際に行われていることなど、興味深い話題も非常に多かった。紹介されている本も読んでみたいものばかりで、我らにとってのこの本との出会いは、塀の中にいる大矢さんと同じく「自分を導いてくれる広い世界」への招待に思えた。 -
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受刑者との文通を通した読書会。
本を送って感想を書き合ったりして、筆者との交流が続いていく。
本書の中で言及される本の多くが既読だった。『アウシュヴィッツの歯科医』の翻訳を筆者は担当してたんだなあ。
私のライフワークとまではいかないが、司法と犯罪、宗教や償い、人の育ちや在り方について、それらの関係性をたぶん一般的な人よりはかなり興味を深く持っている私にとって、殊更に意義深い読書だった気がする。
その人の生育歴が人格形成に及ぼす影響、それによって変わりうる人生、人とのつながり、得られる経験や知識の違いなど、様々な要素が本書の中に取り込まれていた。たぶん私が今、就いている仕事もそうだし、そもそもこういう資格を取りたいと思ったこともそうだし、10代の頃からどうしてか自分の中にあった「その人の責に問えないことが、ひとりその人に背負わされて苦しんでいることの理不尽に納得がいがず、彼らをそこから解き放つために何かしたい」という思いを、やっぱり自分はそこに行き着くんだなと、本書を読んで再確認した。
本を読むことは、自分じゃない他者の視点を獲得すること。だからこそ、本を読むことで自分自身を俯瞰し、他者の思いを知り、世界を客観的に見つめることができ、それを言葉にする力を得られる。
実はそういそういう一連の思考が、人の心が癒される治療的な体験になる。
最近は、これまでの懲役刑や禁固刑を、拘禁刑と名前を変え、罰を与えることではなく更生のための服役という考え方で、受刑者を処遇していこうという流れがある。本書の中で、刑務所での更生に読書会が良いのではと言っている箇所があるが、本当にそうかもしれない。プログラム云々を作り運営するのはなかなか準備が大変だが、読書会ならもっと簡単に始められそうだ。
こういう本を読むにつけ、司法的な場面で、当事者たちに関わりたい思いが私にはやっぱりあるんだなあといつも気付かされる。
まあ、だからこそこういう本を手にしてしまうのだろうけれど。
受刑者と筆者の読書会は現在も進行中というのがとても良い。
巻末の、筆者が受刑者に送った本のリストが私と趣味が合いすぎて笑える。未読の本もたくさんあるので、少しずつ読んでいけたらいいな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ2人の表現力、言語化力に飲まれてしまう。そして読書会がしたくなる。そんな本だった。
今もふたりの読書会は続いているとのことで、それはなんだかうれしい。
面会できなかったというのは残念だったが、今後刑務所での読書会がもっと広がり、そこで会えればいいな、と少し希望を抱いている。
前作、『読書会という幸福』は読んだことがなく、後からこの本がその本の後日譚ということを知った。
なんとなく気になって読んでいたのだが、
『・・・・・・「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったからだと言ってもよいかもしれない」という言葉に私は、その場にたたずみ声が出ませんでした。』
という一文で一気に引き込まれた。
また、私も向井さんと同様に、刑務所についてほとんど無知であった。
・暖房がなく冬は霜焼けができるほど寒い
・「懲罰房」でただひたすら座らせる罰がある
・選挙権がない
などなど。
スケジュールも細かく決められているが、時計も持てない。
なんだか人権ってなんだっけ、と考えさせられることだった。
この本の中で、京アニの放火犯が助けられたことに言及する場面がある。
大矢さんの手紙では、
『・・・・・・その揮発性をどこまで理解していたのだろうか。ガソリン=燃えるではなく、その揮発性を。・・・・・・まさかあんなに大きな火災になるとは思っていなかったのではないだろうか。』
とあり、その視点は全くなかった自分を恥じた。
また向井さんの手紙では、
『・・・・・・そして重傷を負った容疑者が、医師や看護師に対して、こんなにも手厚く治療してもらったこと、リハビリや食事も提供してもらっていることに感謝の気持ちを示した、というのです。・・・・・・彼は助けられて良かったのだ、とこのとき強く思いました。』
とあり、なんだか複雑な気持ちになってしまった。
自分も助かってよかったとは思う。なぜなら助からなかったら動機もわからなかったからだ。
でも、被害者や遺族の気持ちを思うと本当にやりきれないのだ。
たびたび大矢さんや向井さんの家庭環境の悪さが書かれることがある。
特に大矢さんの家庭環境は想像を絶するほどだ。
お父さんが猟銃を向けてきたり、包丁で切りつけてきたり・・・・・・。
そんな家族でも愛情を諦めきれていない面がたまに見え、悲しいし辛くなる。
京アニの犯人も家庭環境が悪いことがほのめかされていた。
一般論になってしまうが、やっぱり家庭環境は今後の予後に大きく影響するのだろう。
MIU404の第2話に、会社の専務を殺害し逃亡を図る犯人の話がある。
そこでも犯人の家庭環境の悪さ、会社でのパワハラなどの背景を知って犯人に同情的になった自分がいた。
MIU404の書かれ方にもあるが、なんなら被害者のほうが悪い印象さえあった。
その印象は少し危険だと感じる。
被害者が悪いような切り取られ方をすることは現実でもある。性加害はとくにそうだ。
被害者加害者両方の背景を知ったうえで、それとは切り離して裁く必要があるのだろう。
一方で、大矢さんは取り調べでそういった背景はほとんど聞かれなかったと書いていた。
ただ、加害者にいくら同情的になったところで犯罪は犯罪だ、と考える自分もいる。
正直、私はまだ被害者よりではある。
ただ、加害者の背景も知らないままより、知ったほうがちゃんと相手も人間なのだ、ということが分かる気がする。
大矢さんからの手紙ではなんども「ここで更生をすることの難しさ」が書かれているが、更生ができずに出所してほしくないし、だからこそ更生に力を入れて欲しいと思った。
ただ、そこに税金を使うことへの難しさや反発も感じてしまう。
話は変わるが、この本でうれしいのはたくさんの本が紹介されていることである。
最後のページに紹介した本や向井さんから大矢さんに送った本のブックリストがあり、読者も一部の本はふたりの読書会に参加できるようになっているのだ。
私もふたりの感想を読んで気になった本がいくつかあり、少しずつ読んでみようと思った。
約3年間手紙のやり取りをしているとのことだが、この本ではその一部の1年分の手紙のやり取りがまとめられている。
続きもぜひ刊行していただき、ふたりの読書会に参加させていただきたいと思った。 -
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ネタバレ【女性哲学者20名の経験と功績】
考えてみると有名な哲学者のほとんどが男性だ、というところから、編集者の2人の女性が、重要な思想的功績を残す20人の女性哲学者を紹介。それぞれ、また20名の女性筆者によって書かれている。翻訳者も女性。
・・・
遡ること紀元前、プラトンの時代から、今日にも生きる現代の哲学者まで、ほぼほぼ欧米人(他は、中国、カシミール(?)ナイジェリア、レバノン系アメリカ人)、なのだけれど、いろんな時代と場所を少し旅した気分になった。ランダムに出てきたように感じるアジア系哲学者については、私もまったく知らないのだけれど、アジア人としては、このアジアバージョンができたら面白いなーと思った。
とにかく各人物について、その思想や鉱石だけではなくどのように生きた人たちであったのか、という体験的な紹介がなされていたので、とても読みやすかった。
原作などを通して、特に興味を持った方々の理解をさらに深めたいな、と思ったりした。
女性の哲学者だと、やはり男女間の不平等、フェミニズム、の議論に代表される人が多いかと思うけれど、対等に、人間として女性が議論できる日は来るのかな。
女性の従属的立場については、今も現実問題として日々感じる。永遠に付きまとうものなのかもしれない。
それでも、もっと声を大きくすることはできるのではと少し希望を持つ。 -
Posted by ブクログ
本書のレビューを書く前に、とても情けない身の上話をさせていただく。
私は2年前に社内読書会を立ち上げて、月に3回のペースでスケジュールを組んでいるが、参加者が集まらない。そしてメンバーが定着しない。ドタキャンする人もいる。いつも最低4人集めるようにしているが、予定通り開催できるのは2回に1回程度。いろいろな人に声をかけて、宣伝メールも送るのだが、無視されることも多い。自分よりずっと下の後輩社員にすら、無視される。職場の中で、わざと私に聞こえるように「読書会?そんなもの出て意味あるの?飲みに行かない?」「読書会って、意識高い系を狙ったねずみ講なんでしょ?」と大声で話す輩もいる。
もともと神経は図太いタイプなのだが、さすがにこのような日常が続くと、なんだか気が落ち込んでくるものである。そんな自分を何とか奮い立たせるために手に取った一冊。筆者は35年も続いている読書会に、29年間通われたそうだ。そしてご自身も司書として働きながら、若者たちの読書会を主宰されている。それだけ長ければメンバーの入れ替わりも激しいだろうと思いきや、固定メンバーが多いらしい。
てっきり読書会の運営ノウハウや新規メンバーの増やし方が書かれているのかと思ったが、普段参加されている読書会でのやり取りや、筆者ご自身の「人生の振り返り」を綴った内容であった。ただし、ページをめくるにつれて、静かに、そして丁寧に、年月をかけて積み重ねてきた筆者の人間的な魅力が、じわじわと伝わってきた。「本について語り合うことは、人生について語り合うこと」という筆者の決め台詞に、私は一気に引き込まれてしまった。個人的には、何十年も続けている茶道に続いて綴った『日々是好日』を読んだ時のような感覚である。
「去る者追わず」「誰彼むやみに誘わず」「大事な想いを人に話したいが、分かりあえる少人数だけでいい」という、筆者の読書会に対する距離感は一見中途半端に見えるが、程よく心地よいものでもある。筆者にとって読書会とは、大事な箱入り娘のような存在なのだろうか。
「急用ができた」「仕事が忙しくて読む暇がない」「1人で読むほうがいい」などなど、読書会に参加しない(本を読まない)言い訳は、いくらでも作ることができる。その小さな積み重ねによって、読書会から足が遠ざかる。そんな振る舞いが、不思議と他のメンバーにも伝播するので、会員が1人1人と減っていく。会費は無料だが、事前に時間をかけて本を読んでこないといけない読書会より、お金をかけてでも、同世代の若者と飲み会やデートに行く方が魅力的なのかも知れない。そんな風に感じるお年頃であってもしょうがないのだ。そして、一生読書会に来ないかもしれないし、数年経ってある時、ふと戻ってくることもありうる。
名著を読んで、自らの言葉で感想を述べるだけなのに、新たな発見と感動がある。そして家族のように人生かけて付き合う仲間がいて、本当にうらやましい。30年も継続するわけである。
それに比べて、毎回参加者の人数を見てクヨクヨしている自分なんて、吹けば飛ぶような、チョロい人間である。周りがどんな噂をしようと、奇異の目で私を見る奴がいるだろうと関係ない。これまで1回でも参加してくれた社員に感謝しつつ、私は読書会の看板を掲げ続けていく。
若手社員たちが、読書会に興味を持ってもらえず、リピート参加してもらえなくとも、長い人生のどこかで、ふと「読書会やっていたな。まだやっているのかな。」と思い出す瞬間があると信じて、細く長く、灯を消さずにいるつもりだ。読書会を辞めたくなったときには、この本を再読すれば良い。
そして私が老後になって、読書会を継続しようと躍起になっていた記憶を、酒の肴にできるくらいには、日々粘り強く開催していこう。