くぼたのぞみのレビュー一覧
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マイケルは即身仏か
宗教は、このようにして生まれるのかもしれない、と思いながら読んだ。
Kは即身仏になりかけた。小説の舞台である南アフリカに「仏」という概念がないのなら、神に近づいたと言っていいような宗教性を帯びた生き方をする。俗世を離れ、自然に還ることをひたすら望み、食べずに骨と皮ばかりになり、死の間際まで生きた。
Kが火葬される母を想像する場面はこう描かれている。「まず髪が光輪を描く炎に包まれ、しばらくすると全身に炎が回って最後のひとかけらに至るまで燃え尽きて崩れ落ちる」。光輪は「神」を思わせる。母は言っては悪いが俗物だが、マリアと重なる。
第2章では、医師がKを崇拝するようになる。Kはただ生き、医師はそこに神を見て生き様を翻訳した。Kは教祖で、医師は弟子だ。Kはそんな弟子のことを思うこともなく、その後ただの人間に戻った。
宗教の始まりは、おそらくこんなものかもしれない。 -
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ネタバレクッツェーは読みやすいのに深くて、文章を書くのがものすごく上手いなといつも思います。
同じ都市にいきながら、若くして未来を奪われる黒人の若者たちと、病気に蝕まれているとはいえ長い生涯を終えようしている主人公の2つの世界が一つに交差し、自分の国の現実は知っていたものの、身近なところでショッキングな形で傷つけられる黒人少年を目の当たりにして衝撃を受けた女性が、手紙という形で自らの体験とその無力さを言葉にして残すというのが、小説全体を手紙形式にしていることも含めてすごく緻密に作られているなと思いました。
この作品、後の時代から振り返って書かれたものではなくて、アパルトヘイト後期の時期に書かれたということが結構衝撃で、「鉄の時代」というタイトルをつけてリアルタイムな自国の現実を描く骨太さにしびれました。 -
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ネタバレはじめて読んだ クッツェーの文章は、
解説にくぼたのぞみさんが、「アリュージョン(暗示)とことばの連載」と書いているように とてつもなく知的で美しく、詩的にも感じられるところもあり、読むのはすてきなことでした。
南アフリカ、ケープタウンに住む白人の元大学教授の女性(ミセス・カレン)が アメリカに住む一人娘に宛てて書く手紙、書簡体で描かれています。
手紙は、家の通路で浮浪者が眠っているのを見つけてしまったことから始まる。その日は医師から末期の癌であることを知らされた日だった。
この浮浪者の男ファーカイルと彼の犬は ミセス・カレンと深く関わってゆくことになる。
カレンの家には黒人の家政婦フローレンスがいる。休暇から帰ってきた彼女は小さな娘ふたりだけでなく、黒人居住区の治安が悪くなっていると、15歳になる息子ベキ を連れてきた。
これこそがまさにアパルトヘイト、黒人たち自身による解放運動と警察からの暴力、そして悲しい現実(私はこの事を全くわかっていなかった。アパルトヘイトの複雑さを)白人に金で黒人を売るような組織『自警団』により、黒人同士が分断していた。
ベキは友人ジョンと共にこの運動の犠牲になってしまう…
フローレンスのためにベキを助ける手助けをするカレン。彼女の古いイギリス製の車で。
ミセス・カレンはラテン語教授というインテリジェンスだけども、南アフリカの元教師として、家政婦のフローレンスと彼女の子どもたちを助ける義務というか、アパルトヘイトを引き起こした白人としての責任を担おうとしたのか、残りの人生を彼女なりに捧げ この手紙にありありと遺した。
心も身体もすり減らす彼女を癒すのが、ファーカイルの存在
_その肩からはらりと上着が落ちて、大きな翼が生え出すときはいつやってくるのだろう_
そしてこの手紙を自分が死んだら娘に届けと欲しいとファーカイルに託す。
きっとどこにも届かない手紙を。
_戦争は年長者が若者を犠牲にするものだということは、れっきとした、事実として残る。_ -
Posted by ブクログ
それぞれの短編の読後は、スッキリしない。でも、実際、スッキリ物事が完結することなんてないなと気付く。
主人公である女性たちの、繊細な心の動き・機微がジワジワと侵食するように、スッと染み入るように入ってくる。
様々な人間関係、人が入り組む社会、身の回りの近い社会を、価値観の違い、アフリカに対するステレオタイプ、白人、男性、長男、男性、学歴、宗教、部族、教育。
対立させるわけではないけれど、女性の立場、母の立場、妻の立場が弱い。
ナイジェリアの文化、アメリカとナイジェリアを行き来する女性たちの心情を思う。
今のナイジェリアをもっと知ってみたい。
アディーチェの本をもっと読んでみたい。
すごく面白かった。 -
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J.M.クッツェーの翻訳者として知られるくぼたのぞみと、韓国文学の翻訳者であり紹介者でもある斎藤真理子が一年に渡り、幼少期の記憶から翻訳者という仕事、それぞれの訳業や社会情勢に至るまでさまざまに意見を交わした往復書簡。
1950年生まれのくぼたさんと1960年生まれの斎藤さん、ちょうど10歳違いの二人は、元々藤本和子の本を復刊させたいという熱意を持つ女性翻訳者と編集者たちの集まり、〈塩を食う女の会〉での飲み友だちだという。
そんなわけで、本書は翻訳者としてのスタートから藤本さんに師事していたくぼたさんと、ブローティガンの訳書より先に『塩を食う女たち』に出会っていたリアルタイム読者の斎藤さんによる藤本和子著作の解説書のような一面も持っている。まさに復刊に合わせて今藤本和子を読んでいる私にはうってつけの一冊だった。フェミニズム、母と子、翻訳と文脈、差別問題など、ほとんどのトピックが藤本さんを起点にして派生していく。
二人の翻訳談義はとても刺激的で面白い。ゼロからさまざまな仕事を引き受ける編集よりも、原文という道を散歩するような翻訳のほうが自分に向いていたという斎藤さん。「すでに完成された文章を、あたかも自分が書いたかのように日本語にしていく。これほど完璧な『形而上学的逃避行』はありません」と返すくぼたさん。二人とも詩を書く人であり、徐々にくだけていく文章のなかにも読む快楽がある。
どれも有意義で楽しいが、特に〈訳者あとがき問題〉に関するやりとりはとてもよかった。歴史的・社会的背景の説明をしなくてもよいと考えられるのは、やはり翻訳界の特権階級(英米文学)であるということ。翻訳を読むということは、その作品を受容した社会と向き合うことでもあるということ。
二人の話題は多岐に渡り、全部に触れることはできないけれど、たけくらべが「究極の『反・赤毛のアン』」と表現されたり、斎藤さんが超ド級の記録魔だったり、ブローティガンの朝鮮人差別発言をパク・ミンギュに話したらそれが短篇小説になっちゃったり、あるいはアイヌや琉球や東アジアに対する侵略者であるという意識の話など、どれも興味深かった。二人の問題意識は多和田葉子『言葉と歩く日記』にも近い気がする。
一番じわじわと効いてきたのは、二人とも子を育てた親であるが、母親目線で子どもを語るのは難しいというお話。母であることを肯定するフェミニズム論がまだ十分でない、という指摘もハッとさせられた。そんななかでも、藤本さんの黒人女性への聞き書き本にはインタビュイーにシングルマザーが多くいて、今なお先駆的な仕事なのだということも。私は最近人に「子を作らない人生を肯定してほしい」と勝手な期待を抱いていたことを自覚したばかりなのだが、斎藤さんが子育てに忌避感を持つ若い世代にシンパシーを寄せているのを読んで少し救われる気持ちがした。 -
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チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ。
アフリカからアメリカに渡って、自己のアイデンティティを見つめる移民文学。アフリカの苦しみを伝えるストーリー。
僕自身が、そんなステレオタイプで彼女の作品を捉えようとしていないかと、自問する。
この短編集は、そんな簡単に括ることはできない。
これまで無知であったナイジェリアに関する出来事を知るきっかけになったが、それ以上に何よりも物語の力に持って行かれた。苦悩を抱えて生きる人の心の震えを描く繊細さと、ナイジェリアの同世代と世界の両方に意識の変容を迫る揺るぎない力強さが、十二の短編に満ちている。
心が苦しくなる幕切れも多いが、一冊読み終わった後にはポジティブな気持ちになってくる。頑固なまでに私らしくあること。彼女のメッセージに背中を押される。
次は長編小説を追いかけたい。 -
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ネタバレ彼女のTED Talksが好きで、〈The danger of a single story. 〉と〈We all should be feminists.〉を過去に何度も聴いていたのだけど、最近、友人がおすすめしていたこの本の筆者が彼女だと知って手に取った。
私もシングルストーリーしか知らずにアフリカを思い描いていたことを思い知らされる。
ナイジェリアの人の名前は「ン」から始まるものが多いのかな。そもそも日本語で「ン」から始まる単語はないし、その音を正しく捉えてはいないんだろうな。一体どんな響きなんだろう。
色んな短編があったけど、言葉にならない違和感の奥で、本当の私が死んでいくような感覚を覚えた。そこから個人個人がどう折り合いをつけていくか。
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個人的な話、
デンマークに留学しているとき、「世界一幸福な国の幸福」について散歩しながらペアで話し合う授業があったのだけど、その時に、南アフリカ出身の友人が私に言った言葉を思い出した。
「ここは世界一幸福な国かもしれないけど、私にとっての一番の幸福はこの国では無い。と思ったかな。」「他の国の文化や価値観も知らない現地の人が、色んな国から来たわたし達に、デンマークの幸せを考えさせてるのって、なんだか馬鹿らしくない?笑」「あ。これ秘密ね(笑)」
ナイジェリアの物語を読んでいるのに、南アフリカ出身の子を思い出すのも、これまたアフリカのシングルストーリーかもしれないけど。
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ナイジェリア出身のグローバルレベルの超エリート著者が書いた短編小説集。たくさんの「違い」や「断絶」が多層的に展開される。それぞれの主人公は、染まる方が、もしくは染まっているふりをする方が社会的に有利で楽だろうと思われる価値観に馴染むことのできないがんこさを持っている。もしくはその価値観が自分たちのものと、どれだけどのように違うかを感じる繊細さを持っている。そこに共感するし、魅力を感じる。二項対立とかじゃなくて多様性(ダイバーシティ)の世界の文学。今はみな多様性の中に生きてるので、誰でも何かに引っかかりそう。ナイジェリアとアメリカ、男女とかだけじゃなく、「違い」は多層的。ナイジェリア国内の貧富、教育格差、民族、イボ語と英語、宗教。ナイジェリアと先進国の経済格差、米国と英国、男の子と女の子、世代間格差、本家と分家、帝国主義と植民地、アフリカの中での国と男女、、、etc.
時に居心地の悪さや、どうにもならないあきらめや乾いたせつなさを感じたり、時には快哉を叫んだりや滑稽さを感じることもある。
みんな良い作品で好きだけど、特に、ジャンピング・モンキー・ヒル、何かが首のまわりに、がんこな歴史家 が好きかなぁ。