キケローのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1.この本を一言で表すと?
老いは惨めではないと言うことを主張した本。
2.よかった点を3~5つ
・老年には体力が欠けているか?いや、老年に体力は要求もされない。だからわしらの年輩は法律と制度によって、体力なしでは支えきれない義務からは免れているし、できない事はもとより、できるほどのことでも強制はされないのだ。(p38)
→必要とされる役割を意識して、その役割を果たして活躍すべきということだと思う。
・わしがこの談話全体をとおして褒めているのは、青年期の基礎の上に打ち建てられた老年だということだ。そこからまた、これは以前にも述べて大いに皆人の賛同を得たことだが、言葉で自己弁護をしなければならぬような老年は惨めだ、ということになる。白髪も皺もにわかに権威に摑みかかることはできぬ。まっとうに生きた前半生は、最期に至って権威という果実を摘むのだ。(p60)
→幸せな老後は、青年期を真面目にしっかり生きることによって成り立っていると言うことだと思う。
・農業の楽しみについての記載(p51〜)
→若い頃からのコツコツとした積み重ねが老後を豊かにしてくれると言うことだと思う。
・青年が死ぬのは盛んな炎が多量の水で沈められるようなもの、一方老人が死ぬのは燃え尽きた火が何の力も加えずともひとりでに消えていくようなもの(p66)
→的確な表現だと思う。人間誰もがいつかは死ぬと言うことだと思う。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・自分は立派な生き方をしてきたんだと言う著者の自慢のようにも聞こえる。
3.実践してみようとおもうこと
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5.全体の感想・その他
・著書は一応論理的な説明をしているが、なんとなく自己弁護しているような印象を得た。 -
Posted by ブクログ
キケロは、シーザーと同時代のローマに生きた政治家ですが、ラテン文化を代表する名文家としての誉れも高いことを知りました。
友情についての深い洞察が、親友であるスキーピオを喪ったラエリウスにより語られる、という設定になっています。
以下の言葉がとても印象に残りました。
「確かな友は、不確かな状況で確かめられる」
真の友情というのは、その人物の徳を敬愛することであり、それに接することにより自身も行いを正すことが出来る、と言います。
お互いに高め合うことができるような関係、それは国籍、年齢や性別を超えて成り立つのではないでしょうか。そう思いました。 -
Posted by ブクログ
友情の結びつきはとても緊密であり、二人の間に生まれるものであるということ、不特定多数を結びつけるものではないということ。そして何より友情は、実益を得る為の目的‐手段連関の一部分には決して貶め得ない、それ自体として価値のあるものであること。友情を功利主義に隷属させようとする即物的な(無)思想は、二千年前から批判されており、それが今なお必要な批判であるという事実に、人間の変わらぬ卑しさを思う。ところで、或る相手に友情を抱くべきか否か(友情を抱くに値する「徳」を備えているか否か)を、その人と友情関係に入る前に判断せよ、という意見には首肯しかねる。人間的な情動というものは、もっと非合理的な如何ともし難い何かであるはずだから。
"・・・、好意への返礼以上に、思いやりと奉仕の応酬以上に、喜ばしいものがあろうか。"
本筋からは外れるが、本書の最後のほうに面白い記述がある。
"何しろそいつ[狡猾で陰険な追従者]は、逆らうと見せて追従するようなことさえよくやるし、言い争うふりをしつつおだてるし、最後には、降参だと手を上げ負けを認めても、それは、こうして愚弄されている者の方が賢くてよく分っていると思わせるための手だ、という具合で、見抜くのが容易ではないからだ。こんな風に愚弄されるほど恥ずかしいことがあろうか。"
これを読むと、私には「テレビと視聴者との共犯関係」則ち「くだらないテレビと、テレビをくだらないと蔑む視聴者との間の、相互依存関係」が想起された。
「くだらないくだらない」と日々テレビ番組に呆れながら、なおテレビを見続ける者たちがいる。恐らく、テレビを観て「くだらない」と蔑みながら、さも自分が高見に立ってるように錯覚して優越感を満たしたいだけなのだろう。
然しテレビを観ている連中なんて、大概は冷笑しながら観ている。制作者も、多くの視聴者がテレビを馬鹿にしながら観ていることは知っている。制作者は、そういう連中に向けて(意識的にか無意識的にかは知らず)道化を演じて、視聴者に優越感を抱かせるような番組を作っている。テレビは、それを「くだらない」と嘲笑う連中の優越感に奉仕する為に存在する。
視聴者は、その道化を高見から嘲笑っているつもりでいながら(超越)、まさにその道化たちの思惑通りに踊らされている(内在)。
視聴者が心底「くだらない」と思っているテレビというのは、まさにそういう連中の視線によって支えられている。こうして、「くだらない番組」は再生産され続ける。