屋代通子のレビュー一覧
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世界と音の関係を、音と世界と人間の関係を鮮やかな言葉で紐解く。風や波、地面の響きしかなかった世界に原初の生き物が音を出しはじめる。やがてそれは語りかける言葉として何かを伝える道具になって地球を駆け巡る。捕食者を恐れながらもコオロギの奏でる音やカエルの鳴き声に込められた求婚のアピール。深海の鯨の声は海水のチャネルを通って何千キロも先の仲間たちに届く。
第3部までの動物たちの音についての文章は珠玉。第4部以降の人間が関わる音の世界に関する文章(人間が豊かな音の世界をズタズタにしている)は著者の熱い気持ちは理解するしその通りだろうけど前半の詩的な美しさには当然のことながら欠ける。 -
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ピダハンは直接体験と観察しか信じない。
ピダハン語には心配するという語彙がない。知らないことは心配しない。
ピダハンは自分たちの環境に順応しきった人々である。
ピダハンは慌てない。有用な実用性に踏みとどまる。
ピダハンにとって真実とは、魚を獲ること、カヌーをこぐこと、子どもと笑い合うこと、兄弟を愛すること、マラリアで死ぬこと。
ピダハンとは一度に一日ずつ生きること大切さを独自に発見している人々。
ピダハンは自分の後始末は自分でつける。人の手など借りずとも、自分のことは自分で守れるし守りたいと思う。
ピダハンは物事をあるがままに受け入れ、死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。
2025 -
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名著「ピダハン」の著者の子息が書いた本ということで手に取った.
普段我々は数の概念をなんなく使いこなしており,この能力は人間のような知的に高度な進化を遂げた生物には生来備わっているものではないかと思っていたが,実はそれは違うということ.
つまり,数とは車輪や白熱電球のように人間によって発明された数を表す言葉や記号という文化的産物があるからこそ使いこなせたんだと主張する.
ただし,人間が生物的に全く数量識別能力がない訳ではない,現代を生きる人間は当然ながら,数を持たない文化の政治や生まれて間もない赤ちゃん,人間ではない動物には生まれもったといっても良いざっくりとした数量識別の能力がある.この -
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人類がどのようにして数という概念を生み出し、使いこなすようなったのかを、言語人類学、考古学、大脳生理学といった幅広い観点からの分析により解き明かした一冊。
著者は、人間が生来、概ね1〜3程度の少ない数を正確に認識する「きっちり感覚」と、”17個の木の実は8個よりも多く見える”といった量の規模感を把握する「ざっくり感覚」を備えていたことを、数字を持たない民族や乳幼児による実験を通じて明らかにするとともに、1〜3よりも大きな数の概念の世界が、数字の発明によって切り開かれた背景には、農業革命との相乗効果があり、数字とは即ち、人類が共同社会を維持・発展させるために育み受け継いできた文化的ツールである -
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私たちの生活において、「数」は非常に重要だ。
今日は何日? あなたはいくつ? この品物はいくら? これは何グラム?
多くのものが「数」によって描写され、規定される。数がない暮らしはちょっと想像しにくいほどだ。
だが、世界には、実際に「数」を理解しない文化がある。身長はどのくらい? お給料はいくら? そんな質問がまったく意味をなさない人々がいるのである。
本書の著者は人類学・言語学を専門とする研究者。彼は、「数」は自明のものではなく、一種の発明品であると主張する。本書で繰り広げられる、数を巡る旅は、世界の諸言語の研究から始まり、認知心理学、考古学、大脳生理学、動物行動学にまでわたる。目くるめく「 -
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文化と言語によって自分(人間)の思考回路が作られているというのは感じていても、この本の中で何度も自分の言語に関する常識をひっくり返された。
「直接体験の原理」。ピダハンが未開の地の原住民族ではあっても、彼らを魅力的にするのは全てこの原理なんだって最後にストンと来るのはとても面白い。
言語学としても面白いし、前半のピダハンの文化も面白い。ずっと著者の話に爆笑させられながら読める。
まだ自分の言葉に落とし込めるほどこの本を理解しきれてないのだと思うけれど、信仰や文化などと言語の関係性など、自分の思考原理となる大部分を理解するヒントがこの本にあるって思ってるし何回も読みたい。 -
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ピダハンという少数民族のみが用いる言語の研究者の話.ピダハン語には直接体験の原理が有り,ピダハンが実際に見たものしか言語化することはなく,夢や精霊についてもその例外ではなく,彼らの世界は文字通りに見た世界でできている.このような言語に触れることによって著者は自らの信仰の欠点に気づいて,進行を捨てることに鳴る.また,言語学における一大理論であるチョムスキー理論ではこの言語を説明することができていない.科学ではしばしば理論から外れる例外的な存在をそもそも存在しないものとみなしてしまうという事があると感じた.全体的には難しい言語学の比率は少なく,ピダハンの部落に滞在したときの冒険譚や,ノンフィクショ
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キリスト教であった著者が、ピダハンという民族に布教しに彼らの世界へ足を踏み入れた。彼らと共に生活していく中で、何にも縛られず、自然と共に共存する今を楽しむ生き方に惚れ込み、今まで生きかたの座標を与えてくれていた宗教を捨て、彼らと共に生きることを決断した。
私達が過ごしている文明社会は、元々人類が当たり前にしてきたもの、自然との共存であったり、
人間本来の力である自然治癒力などをわすれるように仕向けてしまう。元々ある自然ではなく
人間が作った決まりや抽象的なもの、会社や法律、お金などに価値がおかれ束縛されて生きている。それは集団生活を円滑に進める上でなくてはならないものであるが、人間を傲慢に -
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普段はあまりにも当たり前の存在すぎて、その概念に名前がついていることの意味まで考えないで生きている。
そんな自己認識の発掘をしてくれる1冊がコチラ、ケイレブ・エベレット著の「数の発明」だ。
自己認識の発掘は、単純に数という見えない、触れられない概念に文字が当てられて、そのおかげでここまで文明が発達した…という再認識に留まらず、スタンダードになっている5や10で区切る文化、なぜ10進法の数学がこの世界で広く伝播したのか、などについて、カラダのある部位がキーとなっているのではないかという仮説をもとに提示される本書を読んでいるうちに知らず知らず深く進んでいく。
人類学、言語学、心理学の実証データ -
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前半は作者のエッセイのような冒険記。後半は言語についてだった。
言語学者なのもすごいけど宣教師もすごいな…。作者の熱意とタフさにずっと感心していた。
面白い。ドキュメンタリーの方も見てみたいな。長期的な視野はなく今この瞬間を大事にしていて無理に人を助けない。死ぬべき人は死ぬべきという受け入れ方は世界的には珍しい。作者が異なる文化や価値観を下に見たりうけつけないからと拒否するような姿勢がなくてよかった。
ゆる言語ラジオから気になって読んでみたけど前から有名な本らしく最近の本でもないのに平積みされていたりメルカリでも価格が落ちていなかった。
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