佐藤卓己のレビュー一覧
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この本を読んでいる間に参議院の選挙がありました。選挙期間中、そして選挙結果に覚える心のざわめきと本書の描く昭和になる前後から日中戦争、太平洋戦争に突入までの社会の空気がなにかシンクロしているようで非常に強い読書体験になりました。トマ・ピケティ「21世紀の資本」を読んだ時、戦争が社会格差を解消するイベントである、という指摘に動揺したを覚えています。本書を読んで戦争だけでなく軍隊も階層格差を平準化を可能にする装置として存在していたのだと感じました。第一章の始めに記載された松本清張「紙の塵ー回想的自叙伝」の「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」とい
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久しぶりにメディア史関連の本を読んだ気がするが、随所で目からうろこが落ちる思いをし、非常に面白かった。「流言」という素材は、社会史やメディア史ではちょいちょい扱われているものであるが、そうした流言研究史をきちんと批判的に摂取し、新たな分析を加えている。
構成は全9章プラス「はじめに」と「おわりにかえて」。1章から9章までそれぞれ具体的な「流言」が扱われている。簡単に紹介しておくと、第1章が有名な火星人襲来の話。第2章は、関東大震災時の流言。第3章が「キャッスル事件」、第4章が二・二六事件、第5章が「造言飛語」、第6章が従軍慰安婦問題などから「歴史のメディア化」が論じられ、第7章は(反体制では -
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「現代メディア史」あたりから続けて「『キング』の時代」「天下無敵のメディア人間」と著者の本を楽しんできました。この新書は佐藤卓己がいかにしてメディア史研究の第一人者になったか?というそのパーソナルヒストリーでもあります。大澤真幸の「社会学史」の序文に「社会学の歴史はそれ自体が社会学になる。そこに社会学という学問の特徴があるわけです。」という記述がありますが、メディア論も同じようにメディア論の歴史がメディア論を形成していると思いました。なので佐藤卓己の個人の読書の歴史であると同時にメディアという概念がどんな本を書かせてきたか、というジャンルのヒストリーでもあります。ここに挙げられている本を全部読
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どれも読んでみたいと思わせる構成と文章である。
既読はマクルーハンのみと言うお恥ずかしい状況だ。
・文化産業以上の『意識産業』
・偉大な内省的宗教はいずれもテクストをもっている。
・ホガート:労働者階級の実感的識別力
・『子どもはもういない』
・清水は流言蜚語を国家と国民の感情的結合、つまりナショナリズムの試金石とみていた。
・火星人襲来パニックは盛りすぎた逸話
・安定な社会は、メディアに映る暴力を安定化の資源として必要としている。
・その形式が語る内容を制約する
・帝国主義は支配という目的を持っていたが、グローバリズムは無目的
・平和な日常生活の中でニュースを期待する読者の欲望こそ倒錯的
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[ 内容 ]
情報化、グローバル化が加速するメディア社会。
公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。
しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。
公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。
[ 目次 ]
1 歴史学ゼミナールの誕生―歴史学はどのように生れたのか(教訓的歴史から歴史研究へ;大学の歴史学 ほか)
2 接眼レンズを替えて見る―歴史学を学ぶ意味とは何か(社会史が輝いていた頃;世界システムとメディア史 ほか)
3 歴史学の公共性―歴史学は社会の役 -
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ネタバレ2025.07.23-2025.10.04
この本を読み切るのにかなり苦労した。というのも、「ネガティブ・ケイパビリティ」を連想するタイトルに惹かれ心理学的な内容かと思い購入したところ、しっかりとデモクラシーやメディア論から取り上げて考える内容となっており、理解が追いつかない部分が多かったのである。これは私の基礎的な知識が十分ではなかったためで、メディア論や政治学などの知識があればすんなり読めると思われる。
そんな難しい本ではあったが、この夏東京国立近代美術館で見た『コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ』において、この本の内容を読んでいたからこそ、展示品の背景に躓くこと -
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ネタバレデモクラシーの訳として以前は様々なものがあり、尾崎行雄は輿論主義、という言葉を使った。
輿論と世論は違うもの。今はセロンと書いて、ヨロンと読む。
世論はファスト政治、メディアるげん、デモ、情動社会に結びつきやすい。
輿論は公議輿論というように公的意見、世論はポピュリズム。
ネガティブリテラシーとは、不用意に反応しない(書き込まない)忍耐力。曖昧な情報を安易な結論に結びつけず、そのまま留め置いて不確実性に耐える力。ネガティブケーパビリティ。
メディアの予測は、予言の自己成就を狙ったものが多い。
ニュースに何を求めるか。快楽原理による即時報酬と現実原理による遅延報酬。スポーツ、芸能、スキャンダル -
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ネタバレメディアはどうあるべきか、「何をどのように伝えたのか」から考える。
フェイクニュースは、SNSが発展したから生まれたのではない。SNSがすべての悪の権化ではない。とかく新しいもの=悪者にしたがる自分を反省した。史料の引用も多く、簡単には読み進められなかったが、筆者の言わんとするところは明確に説明されている。
新聞やラジオ・TVなどのマス・メディアが「正しい」と思うから、事実でないことが報道されているのに神経をとがらせてしまう。知識があれば、誤った情報に飛び付かない、それは間違いだ。皆が望むものを報道してしまうマス・メディアの一面という視点は、今まで自分の中になかったので、特に新聞に関して、 -
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学者、ってカンジ。たまに哲学入ってる。私にはレベル高すぎだが、ところどころ心に響いた。最後、ヒトラー神話はメディア流言(この言葉は正しくないと著者は言ってる)とは外れてないか?と思いつつ読んでいたら、突然、キレイに締めくくられた。我が闘争を禁書にしようとしたこともあるドイツ、現在では全文がウェブ上でも読める。「表現の自由」は市民的公共性の理想型に依拠している。ナチズムに関しては「許すことができない」「自由を守り抜かねばならない」といったディシプリンの話法が多用されるが、もともとこれはファシストの語り口ではなかったか。必要なのはファシストの話法によらないファシズムの語りであり、ファシストの裏返し
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今のメディアは過去のメディアに準拠しつつ前に進む、という話を聞いたことがあります。例えば、ページじゃないのにホームページ、フォンを忘れてもスマホ(スマートフォン)、そして強引にテレビであろうとしているAbemaTV、等々。通信と放送が融合し、コンテンツとデータが結合し、AIが生活のすべてをメディア化している「今」だからこそ、著者がまえがきで述べている「バックミラーを覗きながら前進する」ことが、結果的に未来を見ていることになるのかもしれません。本書の初版は20年前の刊行、その時点にバックミラーに映っていた世界に、新たに20年分の進んだ分を付け加えての新版です。すべての歴史が近代までは体系づけて語