佐藤卓己のレビュー一覧
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著者はこれまで数々の著書や論考で、「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」の違いを重要な論点として論じてきた。「輿論」とは、一定の熟議を経て国民の間に形成される公的な意見(public opinion)であるのに対し、「世論」は世間の空気や感情に左右される大衆的な意見(popular sentiments)を指す。戦後、常用漢字で「輿」の使用が制限されたため、現在では両者を表記の上で区別することが難しくなっている。
今日の政治は、新聞やテレビなどが行う「世論調査」の数値に敏感に反応し、目まぐるしく変化する世論に政治が左右される「ファスト政治」の様相を呈している。本書は、こうした状況から脱するためには、世論を熟議に基づく輿論へと転換していく必要があると論じる。そのために必要なのが「あいまいさに耐える力」であり、著者が提唱する「ネガティヴ・リテラシー」である。本書の副題も「ネガティブ・リテラシーのすすめ」となっている。
情報が氾濫する現代を生きるための能力として、学校教育では「メディア・リテラシー」が重視され、情報の真偽を確かめるファクトチェックなども行われている。しかし著者は、そのような「情報を見極める能力」だけでは十分ではないと考える。むしろ、真偽をすぐには確定できない情報に対して、判断を急がず、いったん保留したり、読み流したりすることのできる「あいまいさに耐える力」が必要だというのである。SNSなどにあふれる情報にすぐ飛びつかず、その不確実性に耐えることこそ、輿論主義、ひいてはデモクラシーの土台になるという指摘である。
そして、そのための思考法として著者が取り上げるのが「耐性思考」である。これは教育心理学者・楠見孝氏のクリティカル・シンキングの考え方を踏まえ、相手の発言に耳を傾け、証拠や論理、感情を適切に捉えるとともに、自分自身の考えにも誤りや偏りがないかを振り返りながら考える姿勢である。
SNSが政治の動向にも大きな影響を与え、さらに生成AIの発達によって、真偽を容易には見分けられない画像や音声まで飛び交う時代になった。情報を「見抜く」だけでなく、「分からないものを分からないままにしておく」こともまた重要な能力なのではないか。本書は、情報にあふれ、判断を急がされがちな現在の私たちに、そんな一歩引いて考える姿勢の大切さを教えてくれる一冊である。
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• 世論(セロン)と輿論(ヨロン)という使い分けは非常に明快であり、今までなぜ知らなかったのかというくらい腑に落ちた。世論とは、移ろいゆく国民感情の総和であり、輿論は理性的な熟議により形成される公論である。ルソーの一般意志と言う概念に近いのかもしれない。本書では、以下の通り、分類されているため、付記しておく。
輿論=Public Opinion→世論=Polular Sentiments
可算的な<デジタル>多数意見定義類似的な<アナログ>全体の気分
19世紀的・ブルジョア的公共性理念型20世紀的・ファシスト的公共性
活字メディアのコミュニケーションメディア電子メディアによるコントロール
理想的道義による合意=議会主義公共性情緒的参加による共感=決断主義
真偽を巡る公的関心(公論)判断基準美醜を巡る私的心情(私情)
名望家政治の正統性価値大衆民主主義の参加感覚
タテマエの言葉内容ホンネの肉声
佐藤氏は、輿論と世論の違いを時間耐性であるとも捉える。世論は移ろいやすいが、輿論は熟議によるものであるため、耐性がある。さらに、私の個人的な解釈であるが、熟議であるために、時間的かつ空間的な思慮の射程の広さも輿論と呼べるポイントであると考える。『大衆の反逆』においてオルテガは、大衆の時間的かつ空間的な意識の希薄さを取り上げていた。現代でも、大衆的な言説はあるが、私個人としても判断のポイントは、どれだけ長い時間の公共性を踏まえて考えられているかである。そうした意味で、敬愛する中島岳志氏の死者も含めた民主主義を志向すべきであり、それが即ち立憲主義であるという主張とも近いものがあるのではないかと思う。日々、コミュニケーションの中で、人間の認知能力の限界を超えて、どれだけ長い射程で物事を考えられるか、合意形成が図れるか、と言うポイントが重要であると感じる。歴史上、それは宗教の役目であったが、近代合理主義の世の中で、今一度人々に長く、広い射程で物事を考えさせるための議論の基盤はどこにあるのか、考える材料になる。
また、世論調査の功罪についても、明解であった。小泉政権以降、世論調査が一種の政治の成果のバロメーターとみなされた。民主党政権におけるマニフェストという概念の打ち出し、そして現在まで続くバラマキ政策等、極めて政治が輿論ではなく世論を重視するようになってしまった政治風土の変節は憂慮するべき事態であろう。皆、可処分所得が減っていって辛いのはよくわかるが、人口減少社会の中で日本が誇る国民皆保険や社会保障、治安、さまざまな社会的共通資本をどのように後世の残すか、真剣に議論すべきであろう。それは、世論だけを見ていては絶対に達成し得ない。また、海外を見れば、トランプ政権は完全に政治をマーケティングに換えてしまったと感じる。これまでも、そうしたきらいはあったものの、大統領自身がタテマエを言うことを辞めてしまった節がある。もとより、大統領制を持つアメリカ政治は、世論をターゲットにすることも重要であったが、政治をマーケティング化することは、まさにトクヴィルの慧眼による警鐘であった「多数者の圧政」を助長するものになってしまう。民主主義は少数派に対する寛容や配慮を欠いた瞬間に、大衆主義に成り下がる。そうした政治態度そのものをトランプは破壊していることに自覚的なのかわからないが、一市民としては憂慮する。
• ニュースの遅延報酬と即時報酬
ウィルバー・シュラムは、人々がニュースに求める期待を「快楽原理による即時報酬」と「現実原理による遅延報酬」に分ける。スポーツや娯楽、スキャンダル等の読んで面白い記事は即時的な快楽をもたらすニュースである。一方、政治、経済、文化関連に記事は時に退屈である。しかしながら、こうした味気ないニュースこそ、人々を日常の現実に向き合わせ、やがて現実世界での成功に導く。より良き社会への発展には、この遅延報酬のニュースが必要不可欠である。遅延報酬と言う概念は、まさに教育に当てはまる。高い知性は退屈な学習訓練なくしては生まれることはない。現在は、YouTubeやSNSのビジネスモデルとしてアテンションエコノミーと呼ばれる時代となったが、まさにアテンションを稼ぐことそのものが自己目的化されたメディアにおいて、情報はすべて快楽原理によって提供されていると考える。特にSNSの時代だからこそ、この二分法は心に留めておきたい。
• あいまいさに耐えること能力
ネガティブリテラシーとは、あいまいな情報を受け取った時に、あいまいなまま留め置き、その不確実性に耐える力である。より具体的には、SNS等の情報を必要以上に読み込まず、書き込まないだけの忍耐力である。二分法の判断を得意とするのはデジタルなAIである。人間は、人間だからこそ、判断しないという宙ぶらりんな状態に耐えて、やり過ごすという知的態度を取る耐性思考を今こそ追求すべきであろう。なお、こうした言説を内田樹氏は、「知的肺活量」とも呼んでいる。わからない文章や概念を読んだとき、学んだ時に、わからないながらに判断を保留しながら、読み進める様をゴールの見えない潜水に例える。潜水するためには肺活量が必要であり、こうした曖昧さ、わからなさに耐え抜くことを一つの知性のバロメータとして捉えている。 -
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この本を読んでいる間に参議院の選挙がありました。選挙期間中、そして選挙結果に覚える心のざわめきと本書の描く昭和になる前後から日中戦争、太平洋戦争に突入までの社会の空気がなにかシンクロしているようで非常に強い読書体験になりました。トマ・ピケティ「21世紀の資本」を読んだ時、戦争が社会格差を解消するイベントである、という指摘に動揺したを覚えています。本書を読んで戦争だけでなく軍隊も階層格差を平準化を可能にする装置として存在していたのだと感じました。第一章の始めに記載された松本清張「紙の塵ー回想的自叙伝」の「ここにくれば、社会的な地位も、貧富も、年齢の差も全く帳消しである。みんなが同じレベルだ」という言葉が象徴する持たざるものの能力発揮が主人公の鈴木庫三の希望であったのだ、と思います。自身の圧倒的な勤勉さによる努力による人生デザインは陸軍内では陸大出身者「天保銭組」に対する対抗心、出版界においては既得権を持つ人々への指導として一貫しているのでした。平等に対する信念が社会主義的なものに近づいていきましたが、本人は全くそこには無自覚な純粋さ…組織の外では反発され、組織の中では浮いてしまう、そんな人物に光を当てた著者の長年の研究に尊敬を感じます。(増補版あとがきは研究活動のバックヤードとして必読です!)鈴木庫三が「国防国家」のために目指した「教育国家」が戦争の勝利を必要としなかったという結語も心に刺さります。そしてそれが現代の問題であることも。それにしてもメディアの戦争責任回避策としての歴史の改竄問題も極めて考えさせられるテーマでした。リアル、フェイクはデジタル時代に生まれたわけではないのです。
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久しぶりにメディア史関連の本を読んだ気がするが、随所で目からうろこが落ちる思いをし、非常に面白かった。「流言」という素材は、社会史やメディア史ではちょいちょい扱われているものであるが、そうした流言研究史をきちんと批判的に摂取し、新たな分析を加えている。
構成は全9章プラス「はじめに」と「おわりにかえて」。1章から9章までそれぞれ具体的な「流言」が扱われている。簡単に紹介しておくと、第1章が有名な火星人襲来の話。第2章は、関東大震災時の流言。第3章が「キャッスル事件」、第4章が二・二六事件、第5章が「造言飛語」、第6章が従軍慰安婦問題などから「歴史のメディア化」が論じられ、第7章は(反体制ではなく)半体制のメディア、第8章が原子マグロの話し、そして第9章が「ヒトラー神話」の戦後史と続く。
メディア史的思考こそ、メディア・リテラシー涵養にとって最重要という著者の主張は、これらメディア史的思考実践によって裏付けられていると言えよう。 -
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「現代メディア史」あたりから続けて「『キング』の時代」「天下無敵のメディア人間」と著者の本を楽しんできました。この新書は佐藤卓己がいかにしてメディア史研究の第一人者になったか?というそのパーソナルヒストリーでもあります。大澤真幸の「社会学史」の序文に「社会学の歴史はそれ自体が社会学になる。そこに社会学という学問の特徴があるわけです。」という記述がありますが、メディア論も同じようにメディア論の歴史がメディア論を形成していると思いました。なので佐藤卓己の個人の読書の歴史であると同時にメディアという概念がどんな本を書かせてきたか、というジャンルのヒストリーでもあります。ここに挙げられている本を全部読む能力も意欲もありませんがブックガイドとして名前だけ知っている名著の要約とその歴史的役割をなんとなく大づかみ出来ただけもうれしい感じ。著者でさえ、今回の本のために初めてマクルーハンを通読した、と告白しているのも、「メディア論」を積読している自分としては、ちょっとホッ…
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どれも読んでみたいと思わせる構成と文章である。
既読はマクルーハンのみと言うお恥ずかしい状況だ。
・文化産業以上の『意識産業』
・偉大な内省的宗教はいずれもテクストをもっている。
・ホガート:労働者階級の実感的識別力
・『子どもはもういない』
・清水は流言蜚語を国家と国民の感情的結合、つまりナショナリズムの試金石とみていた。
・火星人襲来パニックは盛りすぎた逸話
・安定な社会は、メディアに映る暴力を安定化の資源として必要としている。
・その形式が語る内容を制約する
・帝国主義は支配という目的を持っていたが、グローバリズムは無目的
・平和な日常生活の中でニュースを期待する読者の欲望こそ倒錯的
・政治家ではない一般市民が政治で実質的機能ではなく象徴的機能を重視するのは当然。メディアが政治ニュースで現実より感動を重視するのもそのためだ。 -
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新海均「カッパ・ブックスの時代」を読んだときに、講談社が戦争加担の罪をGHQに問わて存続しえなくなることを想定して、先に光文社を切り出しておいた、というような記述がありました。つまり講談社自身が戦争突入、戦時体制への責任の自覚があったんだ、とことがわかるエピソードでした。本書「キングの時代」は、講談社がどういうビジネスをすることによって国民の世論に影響を与えていったか、を詳細に解明していく論考です。キングが、「国民大衆雑誌」になっていくことは自体が、一部の知識人によるものではなく大衆が参加できる国民という公共圏を創り上げていく、という指摘が目鱗。つまり、キング以前には「一億総動員」的な国民という概念が無かった、ということです。読書を大衆化することで、大衆を国民にしていく、ことがファシスト的公共性を作り出していくプロセスの解明は、非常に刺激を受けました。その参加性・動員性のパワーの源泉が、創業者野間清治自身が持つ「立身出世主義」という、大衆のインサイトを突くものであったこと。さらには、その総合性・広範性が学問的なコンテクストベースの知識ではなく、大日本雄弁会講談社という最初の社名になるように「雄弁」とか「談」という声のコミュニケーションのオルタナティブだったこと。などなど講談社のビジネスの唯一無二性が興味深かったです。だから講談社の競合は出版というよりそのあとで日本に広まるラジオであり、受信機が一部の富裕層のものだった時代の大衆が買える「文字のラジオ」がキングであった、ということになります。ヒットラーのファシズムが演説による国民との直接コミュニーケーションであったことがを考えるとキングが日本ファシズムの一端、というかど真ん中を担っていたのかもしれません。いまやキングの名前がAKB48のキングレコードだけに残っていることも面白い符合と考えることが出来るかもせれません。自分が一番、ムムム、と思ったのは小田光雄「近代出版史探索」で指摘されていたふたつの発見ポイントとキングとの合致。円本ブームが本という商品の大ブレイクを作る、一歩手前の国民文庫刊行会の販売システムのような「全集類の読者を対象とした予約出版形式」。これって雑誌の定期購読のことにもつながるような気がします。もうひとつは啓蒙的な上部構造としての出版に対比される「娯楽、健康、療養、ガイド、宗教、占いといった民間出版物を主体」とした赤本といわれる下部構造の出版物の流れ。これも現実利益っていとでいうとキング的なことなのかな、と。読後、すぐの感想なのでもうちょっと考えたいです。すくなくても、このunder coronaの元で、公共圏とメディアの問題はマル必なテーマになるでしょう。
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[ 内容 ]
情報化、グローバル化が加速するメディア社会。
公議輿論の足場として、歴史的教養の重要性はますます高まっている。
しかし、こうした現実の課題に対して、「大きな物語」が失われたあと、これまでの歴史学は充分に応えてきただろうか。
公共性の歴史学という視点から、理性的な討議を可能にする枠組みとして二一世紀歴史学を展望する。
[ 目次 ]
1 歴史学ゼミナールの誕生―歴史学はどのように生れたのか(教訓的歴史から歴史研究へ;大学の歴史学 ほか)
2 接眼レンズを替えて見る―歴史学を学ぶ意味とは何か(社会史が輝いていた頃;世界システムとメディア史 ほか)
3 歴史学の公共性―歴史学は社会の役に立つのか(趣味の歴史と大衆の趣味;国民大衆雑誌の公共性 ほか)
4 メディア史が抱え込む未来―歴史学の未来はどうなるのか(メディア史の発展段階論;進歩史観と情報様式 ほか)
5 歴史学を学ぶために何を読むべきか(「読む歴史」のために;「書く歴史」のために)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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元来「よろん」と呼ばれる言葉には「世論」と「輿論」があった。世論とは大衆感情(popular sentiments)に迎合するポピュリズムであり、輿論とは公的意見(public opinion)つまり研究者や専門家による個人の意見に基づく見解を指すらしい。今となっては「輿論」という言葉はすっかり忘れられてしまったが、本来民主主義に必要なのは「輿論」を吟味し、時間をかけてゆっくり正しい方向に向かって行くことなのかもしれない。
著者はニュースの二つの本質「快楽原理による即時報酬」と「現実原理による遅延報酬」のうち、後者の遅延報酬の必要性を訴えている。たとえば政治や経済、文化の味気ない退屈なニュースは、読者を読み続けることで現実世界の成功に導く。また、教育は遅延報酬の最たるもので、高い知識は退屈な学習訓練なくしては形成されない。しかし、今日では「楽しく」「分かりやすい」ことの価値が強調されている。
内閣支持率も「世論」を形成する分かりやすい調査方法で、大衆に支持されている=政治的に正しい判断とは言えない。自分が選ぶ基準は「世論(せろん)」なのか「輿論(よろん)」なのかを自らに問い続ける必要性がある。
この他にも面白いトピックが並んでいて書ききれない。だが、ただひとつこの本を読んでみて言えるのは、流れてくるニュースに飛びつき余計なことを言う前にそれらのニュースや戯言を深く読み込まず、不要と判断したら聞き流す忍耐力が今後必要となっていくだろうと言うことである。 -
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ネタバレ2025.07.23-2025.10.04
この本を読み切るのにかなり苦労した。というのも、「ネガティブ・ケイパビリティ」を連想するタイトルに惹かれ心理学的な内容かと思い購入したところ、しっかりとデモクラシーやメディア論から取り上げて考える内容となっており、理解が追いつかない部分が多かったのである。これは私の基礎的な知識が十分ではなかったためで、メディア論や政治学などの知識があればすんなり読めると思われる。
そんな難しい本ではあったが、この夏東京国立近代美術館で見た『コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ』において、この本の内容を読んでいたからこそ、展示品の背景に躓くことなく、楽しむことができたと思っている。読んである本と、たまたま行った美術展がリンクする経験というのは初めてだったが、戦前戦中戦後という時間軸、前線と銃後という階級と環境、日本と世界という場所など多面的な軸での情報発信やその意図を、三章まで読んでいたことで、学術的視点と共に実物に触れ、体験することができた。
p191-l8
そもそも、サイバーシティズン(電脳市民)がどれほどクリティカルシンキング(吟味思考)をマスターしたところで、情報の真偽がそう簡単に見分けられられると考えるべきではない。私たちが何かの専門家になるということは、別の何かの専門家ではないということを意味する。あらゆる領域で情報を見分ける能力など、たとえ情報分析のプロフェッショナルであっても個人的には持ち合わせていない。
p195-l5
イエス/ノーの世論調査、すなわちON/OFF、白/黒のデジタル思考への抵抗力を高めること、あいまい情報の中で事態に耐える人間力こそが、AI時代に求められるリテラシーだからである。
多くのハッとさせられる文章があったが、中でもこの二つはとてもじっとりと張り付いた。私には心当たりがあった。
それは、コロナ禍において、外出自粛の際に外出している人への疑心暗鬼や不満(当時は怒りだと感じていたが、あれは我慢を強いられているのにずるい、という気持ちだったに違いない)を、IGの個人の鍵アカウントのストーリーで流したことである。
内容を端的に言えば、「身勝手な行動一つで、基礎疾患や既往症のある誰かの家族を薬のない病気に罹患させることになるのだから、遊ぶ、などの行動は控えるべき」ということを長文でお気持ち表明していた。当時それを見た友人たちはドン引きしたに違いない。
これはあいまいさに耐えられなかった結果である。死者や罹患者の数字だけが跳ね上がり、日常生活が制限され、緊急事態宣言という今まで体験したことのない緊張感に、私は恐怖し、耐えられず、結果私の行動によって誰かの不安を揺さぶったのだ。本当に恥ずかしい限りである。
この本を読んで、そんな自身のあいまいさに耐える人間力のなさに心が重たくなった。あの頃より、今は「耐えるを忍ぶ」力が時間経過と共についた、と思いたいが、たくさんの情報に溢れている今日で、あいまいさに耐えることはひどく苦しい。
けれど、未熟な人間なりに、速さやセンセーショナルさに飲まれず、その勢いを飲み込み、ぐっと腹に溜める力を鍛えたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレデモクラシーの訳として以前は様々なものがあり、尾崎行雄は輿論主義、という言葉を使った。
輿論と世論は違うもの。今はセロンと書いて、ヨロンと読む。
世論はファスト政治、メディアるげん、デモ、情動社会に結びつきやすい。
輿論は公議輿論というように公的意見、世論はポピュリズム。
ネガティブリテラシーとは、不用意に反応しない(書き込まない)忍耐力。曖昧な情報を安易な結論に結びつけず、そのまま留め置いて不確実性に耐える力。ネガティブケーパビリティ。
メディアの予測は、予言の自己成就を狙ったものが多い。
ニュースに何を求めるか。快楽原理による即時報酬と現実原理による遅延報酬。スポーツ、芸能、スキャンダルなどと政治・経済、文化関連の記事の違い。スポーツ新聞と日経新聞の違い。
人気タレントの立候補、給付金は前者。
小泉内閣以降、熱しやすく冷めやすい世論を反映しやすい。世論の反映によって、人々の期待感は常に引き上げられる。実際に期待通りのレベルに達することはない。そのため結果は常に裏切られる。
ローマ皇帝が支持を得たのも、道路と安全ではなく、パンとサーカスによるものだった。
失望を回避しようとすると、公約はパンとサーカスに集中しやすい。即時的快楽を優先する。マニフェスト選挙は有権者の消費者化をリードして、議会制民主主義の空洞化を招く。パンとサーカスの政治に陥りやすい。
メディアとは、もともと広告媒体の意味。
世論調査民主主義は、議会制民主主義と相容れないものではないか。世論調査は無難な世間の声に集約しやすい。それは民意といえるのか。しかも、マスコミが操作することは容易い。
ネット世論は、ネット小言、に等しい。マスメディアの世論調査に対する不信感。
輿論は公議輿論、世論は曲学阿世=世論に慮ること。
新聞のラジオ化=死刑としての世論、両画質を支配する=世論調査につながる。書籍のラジオ化=円本。
多数派の高齢者が、若者世代の意見を代弁することは、2重の意味で危険。本来のニーズからズレている可能性、若い人を思いやったという気持ちからそれに気づきにくい点。高齢者が世論の輿論化を目指しても、快楽原理に左右されている可能性がある。
クリティカルシンキンはどうか。批判的思考ではなく、批判するだけでなく時間耐性を要求する思考、という評価。多くの問題は時間によって解決される。熱しやすくさめやすい世論から距離を置いて反応に耐える態度が必要。
時間を必要とする輿論政治は大衆社会では困難になることは100年前から指摘されていた。「パブリックオピニオン」ウォールターリップマン。公共前に奉仕する知的な専門家に委ねられるべき、とした。大衆民主主義に対するペシズム、悲観論。
市民教育のレベルが上がれば公的な問題に正しく対処できる、というのは幻想。大衆という集団になると、クリティカルシンキングは批判ではなく非難になりがち。非難ではない吟味できる能力は、どのくらいの割合だろうか。
耐える力はAIが不得意とするもの。あいまいな情報に対してネガティブに反応することで、情報をやり過ごし安易な発言をしないことに結びつく。
脳はわかりたがる。読むことは考えることまで腐敗させる。(ニーチェ)。ショーペンハウアーと同じ。
リテラシーの向上に努力してきたのは情報が少なかった時代だからこそ。成熟した民主主義には、世論を輿論にまとめあげることが必要。
安倍政権がメディアに高圧的だったのも高い支持率を背景にしている。
放送禁止は放送局の自主的なもの。フロムの「自由からの逃走」の論理と同じ。メディアは戦前には陸軍から圧迫ではなく饗応されていた。権力への迎合は心地良い。
締切がある幸せ。卒業論文。締切がなければ、いつかやる、は到来しない。あとで学べばよい、というゆとりは社会階層の固定化をもたらしている。
読書術は読み飛ばし術であるように、見過ごすべきものを見極める技術が大事。締切がある人生も見過ごすものを見極める技術の応用でもある。
戦争は不安から始まる。征服欲や闘争心ではない。ウクライナ事変は満州事変と同じ。 -
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情報版は ページ数が582ページであり、増補前は437 ページであったので150ページ近く増えている
また、人名索引が追加されている。
鈴木庫三の情報官 としての活躍について書かれていて、面白い
鈴木庫三が陸軍省情報局報道班において、44歳から48歳までの4年弱であり、鈴木の人生70年全体の中では15分の1にもすぎない。
鈴木は、陸軍軍人であり、克己心、自律心に優れ、自ら常に自己研鑽を重ね、自分に厳しく、 そして、教育を受けることができなかった 一般兵士の部下大衆のことを、常に考え、戦前日本の国防国家、教育国家を構想した。
都会の出版社や大学において、特権的に自己の仕事のことだけを考えられた恵まれた和辻哲郎や出版人に対して、小作人や一兵卒としての経験を持つ、鈴木が、個人主義的、社会への貢献が不十分である、とみなしたのも十分に理由のあることである。
本書を読んで改めて思うことは何よりも、マスメディアや小説家などの自己保身、利己主義の体質である。
もはや、反論するすべを持たない人間に対する罵詈雑言を捏造するマスメディアの言論人の自己弁解、自己に都合よく事実を書き換えようとする、自分の利益を最大化しようとするマスメディアや小説家の厚顔無知さである。これは2024年の現在でも変わらない。