『銀平飯科帳』の将軍徳川家斉は下賤な食材とされる町人の料理も美味しいものを好んで食べる。値段と味は比例しないを実践している。家斉は政治に取り組まず、贅沢三昧で幕府財政を破綻させたイメージがある。町人の料理を楽しむならば幕府財政にもプラスになる。
家斉は町人と気安く話すような人物だろうか。化政文化は
...続きを読む風刺が流行した。風刺が流行するということは批判に寛容ということになる。家斉にも相対的に寛容な気質があったのだろう。家斉は一橋家の出身である。一橋慶喜は新門辰五郎のような町人と交流していた。慶喜は水戸徳川家からの養子であるが、町人とも交流することは一橋家の家風になるだろうか。