大学生のとき、駅前のスパゲティ屋の常連を気取っていた。
学生のたまり場で、サークルの先輩たちも足繁く通っていたから、そこに行けば誰かしら知った顔があった。
学食よりもちょっと上等で、洒落たメニューがあり、いつもジャズが流れていた。春にはいちごのケーキが黒板のメニューに追加されるけれどいつもあるとは限らず、行ったときに「ありますよ!」と言われれば「ラッキー!」と必ずオーダーした。
深夜から朝方にかけて開いている「深夜食堂」。
頼めば大概のものは、つくってもらえるようで。
大食漢の女子やら、人生経験豊富なゲイバーのママ、仕事を終えた人たちがちょっぴり心に屈折を抱えてやってくる。
客はカウンターに座って、マスターに注文する。空腹を満たすために食べる。けれど、それだけじゃない。
食べて、しゃべって、マスターやカウンターの客たちに相槌をうたれ、背負っていたものを少しだけ降ろして、少し元気になる。
常連さんはもちろん、初めての客にも居心地はいいようで。
みんな来た時よりも元気になって、いい顔をして帰っていく。中には、深刻な問題に苦しんだり、失恋したり哀しみを抱える人たちもいるけれど、それでも、食べてお腹がふくれれば、明日に向かう意欲も湧いてくるというもの。
くだんのスパゲティ屋のケーキ、春になっていちごを見かけるようになると思い出す。今どきのケーキのように洒落て洗練されたものではなかった。いかにもお母さんが子供に焼いてくれような素人っぽいもので奥さんの手作り。ふわふわだけどどっしりと重たく大きくて、子どもの時に誰かの誕生日会でだされたもののような懐かしさと素朴なおいしさがあり、人気だった。
「食べる」という行為は空腹を満たしたいという欲求に、味覚と感情、思い出、一緒にテーブルを囲む人との会話、場所や雰囲気、いろいろなことが合わさって精神的に満たされるということを同時に望んでいるものなんだと改めて思う。