原田伊織のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読み疲れた...
中高生の日本史の教科書が、割と史実と異なるいい加減な内容が散見されることは今更言うまでもない。
歯に絹着せぬ物言いが、なんとも痛烈な内容だ。
遡ること、関ヶ原の戦いから大東亜戦争まで、時系列で史実が示されるので、非常に捉えやすい。
が、本書冒頭で著者自身が述べられているが、極端な左右の方々から脅迫状が届いたというのも無理のない内容でした。
わかりやすいが、こきおろし方がエグい。
歴史に、もしや、たらればは通用しないが、もし江戸幕府が、慶喜が想定したような英国型公議政体を創り上げ、小栗上野介が実施しようとした郡県制を採り、優秀な官僚群がそれぞれの分を果たしていけば、日本はスイスや北欧諸国に類似した独自の自立した立憲君主国家になっていたのだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレまず、内容の濃さに圧倒されます。
賛否両論はありますが、この内容が事実だとすれば、明治維新はテロリストたちによるクーデターという姿になります。
さらに、彼らが主張した尊王攘夷の尊王とは、天皇という名前を利用するだけの単なる玉(手段)であり、攘夷とは、武器商人と裏でつながる見せかけのスローガンだったことになります。
となれば、学校教科書は書き直さなければいけませんし、100円紙幣になった板垣退助や500円紙幣となった岩倉具視たちの再評価も必要です。
では、具体的な本書の主張をみておきましょう。(一部意訳あり)
明治維新が創り出したものは、「国民」ではなく「皇民」である。(P131)
西郷隆盛は、死の証人グラバーと手を組み密貿易によって武器を長州に提供した人物であり、赤報隊というテロ組織を使い捨てた人物である。(P139)
幕末の動乱は、どこまでも政権争奪戦であって、「大義」などという普遍性があるかのような言葉を持ち出して語る対象ではない。(P211)
三井は、新政権に癒着することによって財を成し、その他の大商人と共に「財閥」にまで肥大化し、新政権と足並みをそろえて最終的には日本を破滅へと追いやる大戦争へと導いた存在の一つである。(P212)
薩摩人のリーダーの特色は、「テゲ」と呼ばれる細かなことは部下に任せ結果だけ責任を持つ大将こそが望まれる。(P218)
勤皇を名乗り、攘夷を喚いて、その「勤皇」の名において殺戮を繰り返し、対外協調路線をとった幕府の足を引っ張り続けた長州激徒は、「玉(天皇)を転がす」といった表現を平気で使っていた。(P274)
明治維新の核となる出来事が、大政奉還と王政復古の大号令であるとされているが、少なくとも後者は偽勅による幕府転覆という策謀であり、多数派によって阻止されたという点だけはきちんと修正されるべきだろう。(P315)
明治維新の端緒は、赤報隊によるテロという暴力による脅威であり、それはクーデターと言うべきものである。(P325)
既に徳川幕府が消滅しているにもかかわらず、私怨を晴らすため大義名分のない戦を仕掛け、会津城下において残虐非道な行為を行った薩摩(伊地知)、長州(山縣有朋)、土佐(板垣退助)の戦争犯罪人としての始末はまだ済んでいない。(372)
幼い天子を意のままに操り、奥羽の地を財源とした自分へのご褒美の分捕り合戦を繰り広げた近代日本創始の偉人たち、三条実美33歳、岩倉具視44歳、西郷隆盛42歳、大久保利通39歳、木戸孝允36歳、山縣有朋31歳、井上馨34歳、伊藤博文28歳という若さゆえの政治的乱行として軽くやり過ごしていいのか。(P381)
この他にも、薩摩おごじょのエピソード(P144)や日米地位協定の実態(P474)なども読ませます。
本書で提示された著者の見解に対して、両陣営からのさらなる議論が深まることに期待したいと思います。 -
Posted by ブクログ
新聞広告等で最近やたらと目にするので気にはなってたんですが
単行本で買うほどのものでも無かろうと思ってたところ
文庫で”完全増補版”が出ていたので購入。
政権の宣伝している「維新百五十年記念」には胡散臭さも感じますが、
この書の「明治維新断罪」にも頷けないところが多いです。
もちろん多様な見方があって面白い。
本書にも少し触れてあるように末期幕府もかなり優秀で頑張っていた事、
長州側もかなりヒドかった事等はもう少し認識されて良い事だと思います。
その意味でもキチンとした冷静な専門家の研究・反論を待ちたい(著者も言ってる)
読み物としてはこの作家のシリーズ、文庫本辺りでならもう少し追っかけてみたいと思っています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレう~ん。。。。
恥ずかしながら日本史には全く疎い身であっても
幕末薩長の非道ぶりについては、会津関連の読み物をいくつか読んできてある程度の理解はあった。
筆者の言う「維新志士=成功したテロリスト」論も、なるほど確かに納得もいく。
薩長が中心となって為された御一新であるためその後の歴史教育は必然的に“官軍教育”でしかない・・・という筆者の主張も、なるほどなと思う部分は多々あった。
しかし!
しかし、いかんせん、論調が激しすぎやしまいか?
薩長土肥を悉くテロリストだの逆賊だの、維新志士と呼ばれてきた者たちをならず者だの出自は身分の卑しい者だの・・・。
主張の大筋(方向性)が共感に値するだけに、その極端な表現手法が残念だ。こういう書かれ方をしたら、著者曰くの官軍教育を受けてきた者には、反感が先に立ち 冷静に筆者の主張を深く考えようとしない者の方がお多いだろう。
反感を買わない論調で、「こういう歴史の捉え方もあるのだと知っておいてよ」的な表現がなされていたら、より多くの賛同も得られるだろうと思った。
★3つ、7ポイント半。
2017.08.31.新。 -
Posted by ブクログ
著者の原田伊織氏は、京都に生まれ、大阪外大を卒業し、広告代理店勤務、編集ライター等を経て、2005年に私小説『夏が逝く瞬間』で作家デビューした。本書は、2012年に発刊、2015年の改訂増補版がベストセラーとなり、2017年に文庫化されたもの。本作品発表後、幕末維新をテーマにした多数の本を執筆している。
本作品は、著者によれば、「私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」である・・・本書は、「長州・薩摩の書いた歴史」のポイントには触れるものの、それを改めて克明になぞろうとするものではない。読者諸兄は、学校教育やその後に接した著作物などを通してそれは十分ご存知であるとの前提に立ち、それが御一新の史実とどういう、或いはどれほどのギャップをもっているかを整理しようと試みるものである。即ち、大仰にいえば世にいう明治維新を一度「総括」しようという試みである」
E.H.カーは歴史学の古典『歴史とは何か』の中で「歴史とは現在と過去との対話である」と述べているが、歴史とは、“史実(真実・事実)”を、その歴史を書いた時点において、書いた人間・集団にとって有用と考えられる視点から“解釈”した(因果関係を見出した)ものである。従って、幕末維新の歴史が、その後権力を握った長州・薩摩(・土佐・肥後)に都合よく書かれたとする、著者の主張に相応の納得性はあり、私も、石光真人の『ある明治人の記録』や大河ドラマ「八重の桜」などの様々な記録・作品に触れて、明治維新の表面的な記述に偏りがあると感じているのは事実である。
本書で取り上げられた個々の事柄の史実がどうであったかについて、現在の我々は残念ながら明確な判断材料を持ちえないが、多くのケースは一つの史実をどのように“解釈”するかに差異があり、結果として、その史実の(更には、多数の史実を包括した“明治維新”)の捉え方が肯定的であったり、否定的であったりするのではあるまいか。
過去を多角的に捉え、自らの歴史観(日本近代史観)を作り上げる上で、有用な一冊と言えるのではないだろうか。
(2017年7月了)