吉増剛造のレビュー一覧
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吉増剛造を知らなかったことを後悔した。
こんな自伝は空前絶後だ。
言葉を求める詩人の呻くような自伝であり、
ブラジル人の夫人に出会わなければ自死していたであろう男の極限の叫びが響き渡る。
詩人というのは、魂の表現者なのだ。
心の底、海の底、夢の底まで潜り、始原としての言葉を紡ぎ出し、それを表現(読み、叫び、叩き、色彩)するのだ。
彼の、哲学者と共振する姿が凄い。
哲学書を読むことの本質を教えてくれる。
知性ではなく、心(魂)で触れること。
哲学者が望むのは、こうした魂の伝達なのかもしれない。
キュルケゴール、ニーチェ、ハイデガーそしてヘーゲルとの魂の共振を楽しむ。
吉本隆明の読み方に至って -
Posted by ブクログ
ネタバレ詩とはなににか。言語で語り得ぬものを言葉という符号によって表現しようとする試みであると理解した。語り得ぬものは何か。それは例えば舞踊や音楽や絵画で表現されるもの。これを敢えて「言葉」で表そうとして、まだ見ぬ言葉の代替的な使い方を新たに見出そうとしていく試みなのだ。その時詩人は、表現を受け取る相手を想定するのだろうか。深く潜れば潜るほど表現の発信者と受信者の境界は曖昧になる。なぜ、「言葉」だけにこのような多用的な一面があるのか。思考の最小単位たるファンダメンタルなものであるからか。いや、元々は数ある意思伝達手段の1つに過ぎない物であろう。書くことが生まれて、視覚と聴覚の2つの感覚に同時に訴えるこ
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羽生名人はとても分かりやすく対局中の思考の流れを言語化しているのに、対談相手の吉増剛造氏はそのせっかく分かりやすかった言葉を「翻訳しますね」と言いながら見当はずれな俗物的なものに置き換えていく。一冊通して感じたのは羽生さんの言葉の本質に迫る鋭さと、雑音のような吉増さんの…なんて言うんだろう。自分語り? 自分を語っているわけじゃ無いんだけど…美しいものを自分の縮尺で置き換えて納得しているんだけどその縮尺がすごくペラペラしたものに見える。詩人だというのに言葉の選択に鋭さがないし、とにかく羽生さんのセリフを読んでへぇーと思い、次の吉増さんのセリフを読んではあ?と思う、の繰り返しでした。
途中でこの人 -
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第2巻では、著者自身の理解するフッサールの発生的現象学の方法にもとづいて、われわれがこの世界のなかに「善」や「美」をはじめとするさまざまな価値を見いだすようになるプロセスを解き明かそうと試みられています。
著者は、ハイデガーやレヴィナス、フロイトやラカン、さらにカントをはじめとする西洋美学史を幅広く参照していますが、彼らの思想はいずれも、ニーチェとフッサールによって清算されたと著者が主張する「本体論」と「相対主義」のアポリアに陥ってしまっていると断じています。あいかわらず大鉈で西洋哲学史を割り切る議論というべきで、それぞれの思想をていねいに検討しているとは、とうてい思えません。
むしろ本書 -
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借りたもの。
詩人・吉増剛造氏が語る、自身の半生と、生まれた詩作が織り成す本。
大戦が始まり、敗戦と戦後復興の空気を生々しく語っている。時代の暗い雰囲気が自身の創作(変人気質の性格?生きづらさの正体?)の根幹にあることを強調する。
それを払拭するかのように?欧米の文化――聖書体験と洗礼が節目として語られ、そこから得たインスピレーションが、暗い雰囲気に紅一点のような、花を添えたのかも知れない。
ナルシズムと思える、自身の根暗な部分?を気取って語り、酒と女と声へのフェティシズムを惜しげも無く詩と言葉で語る。(アーティストとは皆そういう者なのかもしれない……)
インターネットの網・その弱い繋がりの