浩輔が龍太を「買う」ところまで、想像はついていた。
しかし物語は、浩輔と龍太、龍太の母、三人の物語になっていく。
映画化により、セクシャリティを表現することへの注目が集まる本作だが、本質はそこではないと思う。
現に、浩輔も龍太も自分のセクシャリティに強く悩むシーンは少ない。そう見せてい
...続きを読むるだけかもしれないが、「そう思う」のも違う気がする。
浩輔に関して言えば、子どもの頃に偏見を受け、生きることを手放そうとした時期がある。
そこから、彼がブランドファッションやステイタスで心身を固めるに至るまでは、社会のありかたが問われるだろう。
しかし浩輔の苦悩は、セクシャリティに限らず、他人が形成した「こうあるべき」のフレームに当てはまることができない人たち、共有のものである。
そして、この他人が作った苦悩を和らげていくのも、ちがう他人との関わりなのだ。ここに、ひとはひとりでは生きていけないという真実と、ジレンマを感じる。
いっぽうで、仮に母と二人の息子の関係が、
母と娘二人、父と娘二人だったら、今回と同じ感想を持ったかはわからない。
それは、私自身にバイアスがあるためであり、
つまりはセクシャリティや立場に「こうあるべき」の
価値観があるからなのだろうな、と思う。