渡邊大門のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
戦国武将というと、命知らずの豪傑で、「男」ではなく「漢」と書いて。
“戦の国”なんて殺伐とした感じよりは、むしろ、欲望の赴くまま、溌溂と自分の国を広げていく、「戦国ろまぁ~ん」みたいなイメージがあるw
そんな戦国武将だが、やっぱり生身の人間で。家は絶対大事、自分の立身出世も大事、とはいえ命は惜しい。
ていうか、日々、上司(天下人?)や同僚(戦国武将?)との付き合いからくるストレスを抱えていて、妬んで意地悪したりもする。
そういう人たちだったんだなーと、なんだかホッとしたw
毛利輝元なんて、同僚(?)の徳川家康がやけに威張ってることに、常々ムカついていて。
やっぱりムカついていたヤツが他にいたもんだから、そいつらと組んで、足を引っ張ったり、追い落とそうといろいろ画策したんだけど。
でも、寸前になって、やっぱり家康が怖くなって。「ごめ~ん。もうしない。許して」と謝っていたなんてw
なんだか、すごく親近感が湧いて。毛利輝元が好きになった。
もっとも、その時、毛利輝元は地元では周りに攻め入ってたりしたのだから。
それをみれば、自分の領地を増やすという欲のつっぱりこそがメンタリティーで。中央政権での発言力なんて食えないものは、いざとなれば手離すことに躊躇はないということなのだろう。
そもそも、織田政権が一代で終わり、豊臣政権も相当ガタが来ていたその当時、次の天下人が徳川家康になったとしても、それがずっと続くなんて誰も思っていないだろうしね。
次が内府殿なら、その次は俺かも?、というのは毛利輝元に限らず、誰しも持っていた思いなんだろうな。
ていうか、戦国武将という人たちは、合戦というのは命のやり取りだということを、何より知っている人たちだったというのも大きいのだろう。
戦争をすれば、誰かは必ず死ぬ。それは、もしかしたら自分かもしれないし、有能な家臣かもしれない。
死なないまでも、負けて領国を奪われて、妻子や一族、家臣一同路頭に迷うことだってある。
なら、(負けが確実なら)さっさと謝っちゃった方が利口。生きてりゃまた花も咲くよ、みたいな考え方が戦国時代ではむしろ当たり前で。
義だの忠だの、カッコイイこと言って、“映え”ているのは平和な時代の人間の憧れ(講談や歴史小説・ドラマ)にすぎないということなんだろうなw
(そう考えると、秀頼や淀君は豊かさを享受しちゃっただけに、現代人に近くて。だからこそ意地で死に赴くことに、“映え”を見出していたのかもしれないなぁー)
ただ、それだけに石田三成の財産も命も投げうっての家康への反発ぶりというのは、一体何が石田三成をそこまでさせたんだろう?と思ってしまう。
自分をここまで引き上げてくれた太閤殿下への、ただただ忠義(礼)なのか?
というよりは、やっぱり自分の才を認めてくれた豊臣政権(秀吉)に対する、一種の感動からなのか?
(ま、才を認めてくれて厚遇してくれた太閤殿下への感謝の気持ちが、秀吉の子である秀頼への情へと変わっていったってことなのかな?)
それとも、もしかして、淀君が色仕掛けで抱き込んでいたのか?w
(実は三成と淀君はエッチしたことがあって。淀君が秀頼はあの時の子供なんだと三成に信じ込ませていたとか?爆)
自分は石田三成という人をあまり好きではないのだが、でも、そうは言っても、その才覚ととことんやり抜く能力には凄味を感じる。
とはいえ、(この本を読む限り)三成の反家康的な行動や態度が家康には脅威に映って。結果的に家康の気持ちを豊臣家の滅亡へと追い込んでしまったように思えるかなぁ~。
つまりは三成って、今でいう“意識高い系”の人で。
そういう人が同僚(大坂城内)にいて、家康の言動一つ一つに対して、「内府殿は秀頼公をないがしろにしている云々」ぱぁぱぁやかましくってw
とはいえ、大阪城内では秀頼への忠義は絶対正義だから。みんな、心の中では「そうは言ってもさー」と思っていても言い出しにくくて。
みんながみんな三成に反論しないもんだから、どんどん同調圧力が高まっていって。
気がついたら、みんなして関ケ原に追い込まれちゃったみたいな感じなんじゃないのかなぁ~。
そういえば、ウィキペディアの本多正信のところを見ると、正信は家康に「三成が大名を糾合して関ヶ原という無用の戦を起こしたからこそ、大名たちは徳川家に服すことになった」と答えたとあるが(一時文献レベルのことかは知らないw)、当時ですら、傍から見るとそう見えたってことなんだろう。
そういう意味では石田三成という人は才があって、誠もある。でも、その才ゆえに他人の意見が聞けない。
だから視野がどんどん狭くなっていって。文官であるはずなのに、戦に突っ走ってっちゃった。
そんな感じなのかなぁ~。
しかし、この三成といい、淀君といい。
もし、豊臣政権に「一番じゃなきゃ駄目なんですか。二番じゃなぜ駄目なんですか」なんてツッコんでくれる人がにいたらw、秀頼も淀君も、三成をはじめとする豊臣家の家臣たちも、田舎大名とその家臣として安穏に暮らせてたろうになぁー。
三成なんかはその才覚を生かし、藩を豊かにして。
上杉鷹山とともにケネディ大統領から賞賛されてた…、なんてことだってあったかしれない!?w
ていうか、石田三成に限らず、西軍についた人たちというのは、なんで西軍についたのだろう?と思う。
たんなる意地というのはわかる。
あと、「太閤殿下の恩顧」というのも、まあわかる。
わかるけど、でも、秀吉という人はとんでもない暴君だったと思うのだ。
西軍についた人たちというのは、それを間近で見ていた人が多いわけだし。また、太閤殿下から直接的にストレスを受けたことだってあると思うのだ。
(上杉景勝なんて、秀吉から昔からの越後から会津に国替えを命じられた恨みとかはなかったんだろうか?)
家康方とされる三成襲撃事件の七将なんか見てると、三成への反感はさりながら、(そこに秀頼がどう関わるかはともかく)家康による武士社会という、新しい体制に魅力を感じていたような気がするのだ。
そして、その新しい体制への魅力というものの裏には、暴君だった太閤殿下への反発というのがあったように思えてならないだけどなぁ~。
とはいえ、太閤殿下がパワハラ暴君だっただけに。
秀吉が最晩年になっての「秀頼をよろしくね。お前だけが頼りなんだから」という、ちょっとウルウルしちゃうギャップに、つい情をほだされてしまったというのはあるのかなぁ~。
もしくは、西軍についた人たちというのは、戦にしろ、政治(行政)にしろプロだっただけに、間近で見ていた秀吉の手腕にプロとしての尊敬があって。
秀吉(とその後継)こそ絶対みたいなのがあったのか?
というか、単純に現に今ある豊臣政権は絶対なもので、これからもずっと続くものと信じていたということなのかなぁ~。
まー、太閤殿下が死んじゃったら、内府殿の台頭はまのがれないんだろうけど、でも、そうは言っても、毎日毎日豊臣政権での仕事で忙しい。
これからのことを考えたら、内府殿への挨拶もしなきゃなんないんだけど、とりあえず今日は残業で疲れたし。それは来週になったらやればいいか?と、ついつい先延ばしにしていて。
気がついた時には、西軍の一員として家康に対峙しなきゃならなくなっていた…、というのもあったのかもしれないなぁ~w
そんな風に考えると、自分あたりが豊臣政権で働いていたら、秀吉が生きていた頃は「あのクソバカ太閤殿下め!」と、日々ストレスをためて生活して。
秀吉が死んだら、「あ~、せいせいした(爆)」と思ったのもつかの間、慶長の役の後始末あたりの仕事に毎日追われて。
「秀頼公は将来性なさそうだし。内府殿のところに就職口ないかなぁ~」なんて思っていた矢先、関ケ原で嫌々戦わされて死んじゃった…、なんて人生だったのかな?なんて思った(爆)
なんて、著者に怒られそうなくらい、資料どころか、全て想像で書いた感想で申し訳ないのだが(^^ゞ
ていうかさー。
著者も、著者なりの「関ケ原の合戦」の様子をちゃんと描いてもよかったんじゃないのかなぁ~(前に読んだ『戦国誕生』はあんなに面白かったんだから)。
正直言って、一つの出来事に対して、通説と資料に基づく説を紹介していくというこの本の書き方(「小山評定」なら「小山評定」の通説と資料による反論や異論を紹介する)だと、で、それは結局どうだったの?みたいな感じになっちゃって。
読み終わってみれば、肝心の関ケ原の合戦自体はどうだったの?みたいな(爆)
ま、「関ケ原の合戦」だけに、通説レベルではわかっているからついていけたけど。
でも、もし「関ケ原の合戦」の概略を知らない人が読んだら(そんな人はいない?w)、全然わけがわからないだろうし(だって、全編にわたって通説の否定と肯定だw)。
何より、読んでいて面白くないんじゃないのかなぁ~と思う。
今さら、戦国ロマンな関ケ原の合戦を読んでも、バカバカしいだけなのは確かだ。
でも、だからって、ここまで文献、文献で書かれてもなぁ~と思ってしまうのも確かだと思う。
だって、文献と言ったところで、所詮は第三者の伝聞の書置きでしかないわけだ。第三者が書いたものがどんなにいい加減かっていうのは、それこそ今のネット社会を見れば…、ねぇw
それこそ、極端な話、明日、どこか旧家の屋根裏から出てきた文献の内容で、全てが変わってしまうということだってないとは言えないわけだ。
そんなこと言っていると、「なら戦国ロマンな通説を楽しめばいいじゃん」と著者に怒られてしまいそうなんだけどさーw
とはいえ、各自が埋もれた文献を発掘して「真実はこうだ!」と張り合っている学者の世界って、なんだか太閤殿下亡き後の武将たちみたい!?と思ってしまったのも事実かな?(^^ゞ -
Posted by ブクログ
ネタバレ時代の節目が楽しい
アフター本能寺
アフター秀吉死去
今まで決めつけていたゴールは、別の物語ではスタートになるんだな
さて、本書の毛利輝元が1598年五大老になったとき、石田三成達四奉行と勢力を作ったにしても、一番巨大だった家康にはかなわない、また前田利家・宇喜多秀家・浅野長政グループも勢力があったらしい。
家康がマウントを取るキッカケは家康暗殺計画
前田グループ脱落
家康は勢力強化を目指し、上杉上洛催促からの成り行きで討伐を仕掛ける
その動きを迂闊と見たのか、次は自分たちの番だと見たのか、輝元(主役は石田)は、討伐に出かけた家康討伐の軍を起こしたのが、関ヶ原の戦いにつながる
今の政治と同じ、同調したり対立したり、相手の失策につっけ込んだりすることで、豊臣政権内でのポジションUP目的のイザコザである(戦国時代の後だから戦争含む)
なのに
どうした輝元
お前が集めたのに、土壇場で家康と(コッソリ)和睦なんて、応仁の乱よりも訳が分からない! -
Posted by ブクログ
ネタバレ#流罪の日本史 #北海道も流罪の土地
蠣崎波郷「酋夷列像」が光格天皇の天覧を果たすために必要な、朝廷への人脈はこの事件から築かれた・・・
本書P214にある猪熊事件。慶長14年(1609)天下無双の美男子左近衛少将猪熊教利ら青年公家達が、後陽成天皇の寵姫達との密通騒ぎを起こす=「公家衆乱行随一」
天皇は激怒し全員極刑を幕府に命じました。
この事件をきっかけに「公家衆法度5ヶ条」が定められ、2年後の禁中並公家諸法度に至る。
(鎌倉~室町時代の決まり事を明文化しただけで、朝廷をしばりつける統制が目的とも言えず、乱れた風紀をただし、天皇の権威が凋落するのを防ぐ目的)
※個人的の意見(笑)
猪熊事件に連座して蝦夷に配流された従四位上左近衛少将花山院忠長(=廃嫡)が、松前藩と京都を結びます。
配流されたとはいえ貴種である忠長を藩主の慶廣は賓客として迎えた。この好意に京都公家との婚姻という形で応えたのが忠長で、。その後、松前藩歴代藩主に6人もの輿入れがされている。大名が朝廷と接近するのを嫌う幕府にとっても異例の出来事です。
十三世道廣の室敬姫入輿の際は、右大臣という格式の高い花山院家であるため、京都から五十人もの腰元を従え、江戸を経て行列を組んでの入輿であった。
これらの女中のなかには松前家々臣に嫁入し、京都の風俗、習慣、生活を松前地方に定着させる役割を果 した。 -
Posted by ブクログ
今、麒麟がくるで明智光秀が描かれている。
ラストまで観ないと分からないが、冒頭を見ている限りは、ただ主人に弓を引いた家来という描かれ方はしなさそうである。
この本の主人公である黒田官兵衛も、優れた軍師として戦国時代を華々しく活躍したとのレッテルがある。
しかしながら、そのレッテルから見えてくる黒田官兵衛はあくまでも一つの姿であり、全貌とは大きく異なる。
そんな視点を多くの一次資料から解き明かしてくれた渡邊さんの解説は、21世紀を生きる我々に非常に示唆的であった。
特に、最後にある黒田家に対する官兵衛のメッセージには、現代の組織維持に通じるものがあり必読と言える。 -
Posted by ブクログ
「ボール一つにキリキリ舞いさ」という有名な歌詞があるが、中世の皇室も三種の神器にキリキリ舞いだったのである。
源平の戦いにおいて、壇ノ浦で安徳天皇が三種の神器とともに入水したのは比較的有名な話で、鏡と勾玉は運よく回収することができたが、宝剣は海底へと沈んでしまい、現在に至るまで見つかっていない。その後伊勢神宮から謙譲された別の剣に魂を移すことで新たに神器へと加えられる。
残った鏡もたびたび火災に見舞われ、鏡が納められたとされる容器の中には灰しか残っていないという説もあるが、天皇即位の際にも実物を見ることはなく、真偽は不明である。シュレディンガーの鏡である。
玉だけは現在も当初のものが残っているとされるが、これもやはり実物を見ることは天皇でさえも許されず、検証は不可能である。
実際の所、「三種の神器とされるものがこの世に存在し、天皇の即位に不可欠なものである」という不可思議な状況がそこにある。
先日読んだ同著者の本で、中世皇室、公家の窮乏ぶりと、その中でも極力伝統を守ろうとする前例主義を読んだが、三種の神器はその象徴とも言える。何しろ神代から伝わる宝物であり儀式なのだ。天皇を天皇たらしめる、ひいては日本国を日本国たらしめる三種の神器なのである。
三種の神器さえあれば天皇になれるというわけでもなく、天皇の血を引いているから天皇になれるというものでもなく、二つが揃って初めて天皇として即位できるという決まりなのだが、そういった複雑で面倒な仕組みもまた天皇の権威の維持向上に一役買ったという部分はあるのかもしれない。
庶民の暮らしとは遠くかけ離れた世界であるが、これもまた日本の歴史であり、鎌倉時代、室町時代といった武士の世にあっても天皇が(形式上であれ)頂点にあり続けた要因のような気もする。 -
Posted by ブクログ
「三種の神器」というものは、天皇すら見たことがなく、皇位継承には絶対に欠かせないもの。
もし御所が火事になって、天皇自身か「神器」かどちらか一方しか助けられないとしたら、「神器」を優先する。それくらいに大事なものということをどこかで聞いたことがあった。
でも、過去に無くなってたことがあったのね。
安徳天皇は入水したからどうなっているのかな、とは思っていたけど。
しかし、無ければないで色々理論武装をして何とかしていくものなのだなぁ。
そりゃそうだよね。「絶対」なんてものは存在しないし。
その時代時代での「神器」のボジションや存在意義がわかりやすく書いてあって、なんとなくもやっとしていた部分に光を当ててくれた作品。