魚川祐司のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
資本主義経済とあまりにも相容れないような気がする。
他者が不必要?自己がいかに無為であるかを追求すること?
仏教の大原則は輪廻転生の前提。縁起からおこる全ては無常であり、それは不満足である。
我儘は、自分のコントロールのできない、外からやってきた無我であり、結局は隷属である。
宗教に効能効果はない。瞑想してもなんの得にもならない。コスパもない。
仏教における倫理規範のの二重構造
仏教における最上の価値は涅槃、それを目指すことが善
一方で涅槃の境地は善悪をともに捨て去った先にある。
そのため、世間の中の日常的振る舞いには、素朴な功利主義と、無生産者なれども尊敬に値する"律"が -
Posted by ブクログ
真宗系の本ばかり読んでいるが、いったい上座部仏教ではどのように仏教を解釈しているのかを客観的に知りたくて読んだ。著者が宣言している通り、信仰者ではなく、仏教哲学に基づく悟りの実践者としての立場から、典拠を明示してブッダが求めた悟りについて簡潔に分かりやすく記述されている。
テーラワーダはこういう風に考えているんだという事が理解できた。
自分自身は、まったくこの分野に詳しくないので、これが正しいかどうかに関しては判断しかねるところがあるが、日本の大乗仏教と今いる上座部仏教との大まかな違いが分かったのは収穫である。
なお、テーラワーダのパーリ語経典に関しては、ブッダの言葉を翻訳している点と、一部存 -
Posted by ブクログ
ヨガやスピリチュアル界隈でも同様に散見される「あるある」について、よく分析されており、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したり、マインドフルネス・ブームを傍から眺めつつ抱いていた、なんとも表しがたい違和感の正体を掴むヒントが詰まっていた。プラユキ先生のチャート表は非常に良く出来ている。
瞑想の世界にも「瞑想難民」なんてことが言われているらしい。唯一無二の正しさを求めてようとしてしまう→言わば外的な何かに期待してしまう、もしくは逆に疑いから始まって拒絶で終わってしまうからなのかも。ある教え・やり方を信じ、それに従う、ということを「自己の責任において」決めるということが発端にない、という人は割と多いよ -
Posted by ブクログ
仏教の目的は解脱する(悟りを開く)ことです。
それを忘れた宗派は「名ばかり仏教」であると私は思ってます。本書はそんな思いを少し肯定してくれる部分もあり、それを「大乗」の奇妙さとして書かれています。これだけ初期仏教から乖離した日本仏教が、なぜ仏教を名乗っているのか?それに対する著者の考えにも納得です。そして初期仏教から変容し続けたからこそ、日本まで伝わったと言う説明はとても腑に落ちました。
本書の内容はかなり専門的で、周囲よりもちょっと仏教を知っているくらいでは、読むのが大変です。実際かなりの時間がかかり、しかも理解できてない部分も多かったです。しかも著者は自分は仏教徒ではなく、探究を楽しん -
Posted by ブクログ
ブッダのいうところの悟り、解脱、涅槃とはなんなのか?
そして、ブッダは解脱したあとで、どうして、そのまま死なずに、人に教えを伝えたのか?
という問題に明快な答えを出しています。
(2番目の問題は、この本を読んでみないと、どうしてそれが問題なのか分からないのだけど)
仏教、とくに原始仏教に興味があって、ときどき思い出しては、読んでいる。大乗仏教の教典に比べるとシンプルで分かり易いのだけど、分かり易いがゆえに、すっきりとしないところがあった。
それは多分、
・どうしてすべては「苦」なの?(人生、楽しいこともあるじゃん)
・輪廻転生って、本当にあるの?(あるいとしても、無我ということと矛盾しな -
Posted by ブクログ
私自身仏教徒ではないが、仏教の思想というものには元々興味があって、教義とは別に仏教を解説してくれるような本書は非常に興味深い。
著者も仏教徒ではないが大学やミャンマーで仏教を学んでいる。ミャンマーの瞑想センターで瞑想している西洋人に「あなたは仏教徒ですか?」と訊ねると「そんなことはどうでもいい(I don't care)」と返ってくる。己の生き方についての指針自体はすでにある程度持っていて、その実践のために仏教的手法を採り入れてみよう、という感覚であるし、我が意を得たりという発見でもあった。
これは絵を描くにあたり、油絵で描いてみたり、水墨画で描いてみたり、写実主義によってみた -
Posted by ブクログ
プラユキ・ナラテボー師は良いね。魚川祐司だけだと、なんだか、慈悲がないカンジがするんだけど、そこにナラテボー師がいると、やさしさがあって、ホッとする。
p43
現在アメリカを中心に流行っているマインドフルネスの源流を作った草分け的な存在の1人がジャック・コーンフィールド。
彼はマサチューセッツでInsight Meditation Societyという瞑想センターの共同創設者。
彼は、まずタイで、アーチャン・チャーのもとで修行する。チャー師は、ダンマの教師としては偉大だったが、瞑想上の経験には興味が無かった。
そこで、コーンフィールドは、ミャンマーのマハーシ瞑想センターに行く。
ここで出会 -
Posted by ブクログ
気鋭の仏教関係者二氏による対談集。
瞑想をメインに書かれているので、日常的に瞑想されている方には新たな発見があるかもしれない。特に「瞑想中はいいんだけど、終わってからとか、仕事中にほとんど活かせていない」といった習熟者には向いていると思う。また瞑想したことのない方にとっては、最新のアプローチで書かれているため、最初の導線としてはベストに近いと思う。
また「日本人にあまり根付いていない輪廻転生の問題をどう考えるか」「高僧の師同士であっても見解が異なることがある」「仏教要素をのぞいたマインドフルネスの実態」など、かなりきわどい対談が繰り広げられており、読む者を飽きさせない、そして考えさせられる -
Posted by ブクログ
副題の通り、仏教徒になるつもりはないけれど、仏教や瞑想によって開かれる境地に興味があるという人を対象にした仏教および瞑想の入門書である。
「悟り」というのは唯一のものではない
各々の瞑想法には目的の違いがある
瞑想をすれば人格が良くなるとは限らない
自由というのは思いのままに振舞うことではない
悟ったからといって辛さがなくなるのではない
瞑想することによって失われる感覚もある
「信仰」によって合理的思考力は毀損されない
俗世に積極的に働きかけることも仏教の大切な側面である
…などなど、興味深く刺激的な内容が並んでいた。自分の中に漠然と存在していた仏教に対する偏見が次々と解消され、新たな知見 -
Posted by ブクログ
タイトルに「入門」とあるが、結構難しい本だった。特に魚川氏の発言は、長いうえに用語も要旨も分かりにくいため、さらっと読むのではなく、しっかり立ち止まって咀嚼する必要があった。
対談本ではあるが、魚川氏がリードする立場だったためか、氏の長々とした話を受けて、プラユキ師が自身の見解を端的に述べるということが多かった印象。プラユキ師の瞑想に対する考え方などをもっと知りたかった自分としては、そこが期待はずれだった。
要は瞑想には様々な種類と目的地があって、それらを理解したうえで自分に合う方法を実践して智慧と慈悲に至り、自他の抜苦与楽を実現していこう、ということだと思う。