神野直彦のレビュー一覧
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日本社会事業大学現学長である著者がバブル崩壊前後の日本経済施策をバッサリと切り捨てる。20年近く前の論旨が今の状況にも当て嵌まってしまっていることを実感せずにはいられない。
「財政民主主義といわれるように、財政は民主主義にもとづいて運営されなければならない。「主」とは支配する者を意味する。民主主義とは民つまり統治される者が、主つまり支配する者になることを意味する。」
「知識社会における生産性の向上には、二つの要素が重要になることがわかる。ひとつは、個人的な知的能力である。もうひとつは、知識を自由に与えあう人間のきずなである。前者の個人的能力と、後者の人間のきずなをあわせて「知識資本」と呼ぶと、知識社会では知識資本の蓄積が生産を決定することになる。」
「自由時間とは本来、人間が人間としての幸福を味わう時間である。人間とふれあい、愛しあい、学びあい、ともに遊ぶ、それによって人間の文化的豊かさを体験しつつ、人間としての力を発揮して人間の文化を創造する時間である。」 -
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ネタバレ財政学が専門の教授の本ということで、財政学色の強い本だった。
財政学についての、教養はもちろん、基礎的な知識や概念を押さえることもでき、さらに財政学の重要性をわかった上で、日本において、どのように地域再生をすべきかを学ぶことができた。
財政力とは、財政需要と課税力で決まること、地方自治体は、出入りが自由なために、所得再分配を実施するのは、出入りが不自由な国家(中央政府)となること、などが財政学の基本的な知識として役に立った。
とりわけ、「公共財を民営化すれば、市場で供給することになる。つまり、そのサービスは購買力に応じて分配されることになってしまう。したがって、民営化するか否かは、それが欲望かニーズかが決定の基準となる。」(158頁より抜粋)
これは、公共団体がいかに市民に寄り添うべきかを明確に示しているとともに、公共財、民営化が如何なるものかを表すまとまった明快な文章だと思う。
地域の自然(環境)と文化の再生を軸にした、ボトムアップ型の地域社会再生の成功例として、フランスのストラスブールや、スペインのビルバオ、スウェーデン、高知市、札幌市、掛川市(静岡県)、湯布院町(大分県)などを取り上げており、その有用性と可能性を知った。上の成功例の都市に、ぜひこの本の内容を踏まえて、足を運びたいと思う。特に、ストラスブールの最新鋭の路面電車(LRT)は目を引くもので、軌道は芝生と共にいきている。ストラスブールでは、鉄道でさえ、緑と寄り添っているのだ。
また、筆者は、地域再生は地方自治体が財政の自己決定権を持つ重要性を説いており、集権的分散システムから分権的分散システムに改めるべきだとも主張している。わかりやすい表現だ。
地域で生活を完結できないから、地域は廃退していくとも書いていたが、本当にその通りだ。
ヨーロッパの元工業都市における、地域再生の過程は、日本でも応用ができる現実的かつ健全なものであった。
そして、ヨーロッパの地域再生、もっと言うなら、本書において、はずせないキーワードには、「サステイナブル・シティ」というものがあった。ヨーロッパでは、持続可能な地域社会は、市場メカニズムに依存しない、(自己決定権を持った)市民の共同経済によって創ろうとしているのだ。そこでは、「補完性の原理」も徹底されている。それは、「個人ができないことは家族が、家族ができないことは市町村が、市町村ができないことは県が、県ができないことは国が、国ができないことはEU(欧州連合)が」(本書107頁より抜粋)というものである。
つまり、「公的部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする」(本書107頁より抜粋)のだ。実際に、ヨーロッパで地域再生が成功している地域の自治体は、財政の自己決定権を持つ。住民に一番近い団体が、ニーズに答えてくれるため、住民の福祉水準も高い。
色々、書いたが、細かい理屈よりも、ヨーロッパの都市に習って、地域の環境に配慮をし、もっと地域の文化や、自然といった、地域のアイデンティティー(自己同一性)を振興して行かなければ、愛する地元は死んでしまうということをよく考えてみないといけないと思う。
地域再生に関心がある人には、ぜひ読んで頂きたい。 -
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『地方財務』の特集で、地方自治体の財政担当者の多くがお勧めの本に挙げていたが、本書を読んだきっかけである。確かに、ジュニア新書ではあるが、中身はかなり濃密だった。公共支出の基準としての「ニーズ」と「ウォンツ」という概念など参考になった。
しかし、財政における借金についての考え方には賛同できなかった。国債を持っているのは金持ちであり、逆進性のある消費税増税で借金を返すのは逆再分配になると主張しているが、国債の多くはゆうちょ銀行などの金融機関が持っている。財政破綻が起これば、そういう金融機関に貯金や預金をしている一般国民にも多大な悪影響を及ぼすことについてはどう考えているのだろうか。また、公共サービスは維持しつつ、租税構造を公平にし金持ちから税金を取ることで借金増に対応するとしているが、所得捕捉の仕組みの構築ができないこと、高所得者への増税にも量的な限界があることなどを考えると、やはり、広く薄く集める消費税の増税しか財政健全化の道はないように思われる。 -
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1990年代以降、企業の工場は人件費が低いアジアへと拠点を移動しました。
それに伴い、日本自体は工業が衰退、商店街も空洞化になったことから、財政危機、破綻という地域社会において、深刻な問題となっています。
そういった背景から本書は地域社会を再生するための策を記されています。
地域再生のための2つのシナリオになると著者は説いています。1つは市場主義に基づく米国型のシナリオ。もう1つは財政によって、人間の生活する「場」としての再生を目指す欧州型のシナリオで、自然環境の再生が優先される。
日本は欧州の地域社会再生に学び、人間の生活の「場」として機能させることを重視すべきだと著者は説いてます。地方分権を進め、地方自治体が財政的自己決定権を強めることなど、そのために必要な環境作りが必須ということです。
ただ、本書は10年前の本であり、やや今の背景とは異なると思います。
「人が歩きたくなる」という街づくりという意味では、どのような社会を形成していけばよいのでしょうか?
僕自身は、地方分権を進めるのは必要であると感じてます。より、地域自身の強さというものを日本にアピールというよりも、世界にアピールする、そういった舞台が必要です。政府もそれに対して、権限を与え、支援できるような「場」を提供すべきであると考えてます。
地域には、とても重要な資産がたくさんあります。人、文化、歴史、そういったものがあるからこそ、世界へ発信する。
そういった道筋こそ、今後の成長の鍵であると僕は感じています。 -
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ネタバレ地方再生に対してヨーロッパの社会経済的手法を参考に述べられている。
これからのインフラは教育・福祉・医療が中心になっていくがそれを地方財源での公共サービスにしていく必要がある。また、高度情報化により人の移動が必要なくなるため継続的な人間関係が描かれるためコミュニティ機能はますます重要になってくるとのこと。
コミュニティは確かに大事だが、情報化社会により継続的な人間関係を描くという仮定はどうだろうか。一度に多数の、世界中の人にアクセスできるような仕組みができた今、継続的でクローズドな人間関係が希薄になっていく可能性は高い。
税制度に対するアレルギーを再認識できたので、地方財源に対する理解を深めたいところ。 -
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そもそも、経済と財政がごっちゃになっているような状態から読み始めた。「税金を安くすれば」「税金を高くすれば」それだけで捉えていた財政のことを考えなおした。単純に「スウェーデンを見習え」では、変われない。マニフェストでとりあげられて、政治の争点になるのに、実は租税制度と社会保障負担の関係なんてちゃんとわかっていないのだ。
スウェーデンは国民の生活を政府が保障しているし、国民がお互いに助け合う仕組み。イギリスはお互いの助け合いはあまりしないけど、最低限の生活は再分配で保障する仕組み。保障の代わりに、貧しい人にも高い消費課税が課されているヨーロッパに比べて、アメリカはお互いに助け合うのではなく、自分の責任で生きていく仕組みだから、貧しい人の税負担は軽く、豊かな人が所得税などで多くを負担している。
翻って日本は?貧しい人を支える社会保障が充実していないのに、貧しい人々に負担がかかる消費税を上げるの?
スウェーデンの中学校の教科書にあるという財政の選択が興味深かった。ニーズは財政、ウォンツは市場。では、プールはニーズですか、ウォンツですか?それとも、グレーゾーンですか?
難しいなんて言わずに、それぞれが考えて、意見を出していかなくてはいけない問題。 -
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小泉政権時代のきわめて強権的な構造改革が行われていた時期に、その改革に異を唱え、衰退していくばかりの日本が進むべき方向を示した本。
著者によれば、サッチャリズムに始まる新自由主義は、19世紀に起こった構造改革の根底に流れていた自由主義思想とは、似て非なるものであったという。
古典派経済学に基づく自由主義思想は、それまでの中央集権・私的国家からの脱却であり、言うなれば国家の民主化を進め、市場を開放することにその本質があった。ところが新自由主義思想は、第2次大戦後、そろって福祉国家を目指した大国が経済的に行き詰ったところで打ち出した、市場の創成を目的とした思想であった。結果、所得の低い者ほど租税負担率が高くなる構造を生み、人頭税を導入したところでサッチャーは指導者の立場を追われる。こうした不幸な過ちを、米国、日本は先例に忠実に再現しようとしているのである。
著者の主張に目を向けると、人間を「経済人」としてとらえる古典派経済学、旧来の「遠い政府」による所得再分配を行うケインズ的福祉国家を見直すべきであるとする。人間は「知恵のある人」であり、人間的な生活のために経済活動を行うべきであって、所得の再配分は自治体の責任において行う(なお足りない分については中央政府がその責を負う)という社会の構造を目指すべきとしている。
モデルとしてスウェーデンでの教育制度、福祉制度等に触れられており、かの国の社会を、国民の知識の向上を国を挙げて行う社会という意味で「知識社会」と名付け、これこそ目指すべき社会であると説く。
ただし、国土面積こそ広くはあるが人口も経済規模もまったくことなり、また国の成り立ちや意識(特に国防に対する)が大きくことなっている日本において、類似の改革ができるかと考えるとやはり疑問符が付く。とにかく現在の日本は、地方が疲弊している。福祉を「参加型」のものにすると言って地方自治体の責任の下で大規模な福祉政策を進めることはかなり難しくなってしまったのが現実だろう。市場原理の闇は根が深く、すでに日本経済の深部まで侵されてしまった。私自身、地方の出身だが、地元に帰るたびにさびしくなる街並みには毎度驚きと悲しみを覚える。しかし、その地域に住む人は、すでに新しい経済構造に順応しているのだ。この現実はどう打開できるのであろうか。老人や障害を持つ人は郊外の大型ショッピングモールに一人で買い物に行くことが困難なのである。
どうしても大学者の崇高な理論を語られている感がぬぐえないまま、読み終わってしまった。本書の締めくくりは非常に甘美な結論となっているのだが、途中の説明も概念的な部分が多く、門外漢である私にはやや難しく感じられたことが、さらに著者との距離を感じることにつながったようにも思える。 -
Posted by ブクログ
日本の歴史を省みない政策により日本の危うさが語られている。
印象が強かったのは対照的に取り上げられた知識社会を実現するスウェーデンについて。
例えばカルマー工場は流れ作業ではなくチームで一つのものを作り上げる。これにより「何を」作っているのかを意識でき担うことができる。これは本著の中で語られたマズローの欲求の目的を持つことをうまく充足させた考え方であるといえる。
また、学習サークルも魅力的だ。参加者の意思によって幅広い学習プログラムを受けることができる。参加は有料だが5人以上など一定の条件をクリアすれば補助金も受けられる。
日本に対して厳しい目を向けていると思いきや結びには励ましの言葉を綴っている。確かに悲観的な見方ばかりでは社会の成長は滞おる。しかし2002年にかかれたこの本の日本への指摘は現在でも当てはまりむしろ悪化の一途を辿っている気がしてならない。不安を覚えつつも自分たちが何ができるかについて考えさせられた。