久保勉のレビュー一覧
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『いけない、いけない、あの人は放っておいた方がいい、それがあの人の癖なんだから。所かまわずどこかへ、人通りを避けて立ち続けることがよくあるのだ。が、いずれまもなく来るだろうと思う。だから邪魔をせずに、放っておいてくれたまえ。』(アリストデモス)
『実際人は次のようなことを熟思するべきである。明らさまに愛するのはひそかに愛するものよりも美しく、しかももっとも高貴にもっとも優秀なものを―たとい彼が他のものよりは面貌が醜いにせよ―愛するのは特に美しいといわれていることを、さらにまた、万人が恋する者に与うる異常なる―しかも何か醜悪な行いのあった者にはけっして与えられぬごとき―鼓舞を、かつ恋愛における成功は誉とせられるが、その不成功は恥辱とせられる、慣習はさらにまたその勝利者となるためならば異常事を行うあらゆる自由を愛者に与え、しかもそれに対して賞讃を受けることすら許している。』(パゥサニヤス)
「お前達の願うのは多分こんなことではないのか、でき得る限り最大限度に一体となって活き、夜も昼も互いに離れずいたいというような。それが本当にお前達の念願なら、俺は喜んでお前たちを一緒に鎔かし、一体に鍛接してやろうと思う、そうすればお前たちは二人が一人となって、生きている限りは、ただ一人の人間として生を共にし、死んだら、後世の冥府でも二人でなしに一人として生き、死においてもなお結びついていることができるだろう。さあ考えて御覧、これがお前達の希望なのか、またこうなればお前達は満足するのか、」と。(ヘファイストス)
『ソクラテス(と彼は答える)、僕は貴方に反対することができません。あなたの仰っしゃる通りでしょう。』
『いや、むしろ真理に対しては(とソクラテスはいう)、親愛なるアガトンよ、君は反対するができないのだよ。ソクラテスに反対するのは何もむずかしいことではないのだから。』
「さてもし愛が常にそういうものへ向かっているとすれば(と彼女は続けた)、これを追求するに当って愛の名に値するほどの熱心と熾烈な努力をする示す人はどういう途を進みまたどういう行動を採るのでしょうか。それはいったいどういう風な活動なんでしょう?答えられますか。」(ディオティマ)
「生がここまで到達してこそ、親愛なるソクラテスよ(とマンティネィヤの女友達はいった)、美そのものを観るに至ってこそ、人生は生甲斐があるのです、いやしくもどこかで生甲斐があるものならば。」(ディオティマ)
「そんなに自若として彼は味方と敵とに目を配っていた、それでいやしくもこの男に手を触れる者があったら、彼はきわめて手強く防戦するだろうということは、誰にでも―非常に遠方からでも―明らかに看取されるほどであった。」(アルキビヤデス) -
Posted by ブクログ
ネタバレ時代背景も何も知らないのだけれど、なんて高尚なレスバなんだ...と思った笑(初学者なんで許して欲しい)確かに誰かを納得させたい、って感じの問いかけ方ではないよね、これ。あくまで対話を望んでいる感じ。
自分は何も知らないし、知っているとも思わない。ただし唯一持ち得る人間的知恵が人より少し豊富なソクラテス。神の教えを説く人が神を信じてないわけなくない?(意訳)というシーンが印象的。その通り過ぎて。それに対して裁判官たちはどう言い返したのかも気になった。
ゼウスからの声に忠実に生きるところを見るに、信仰との関わりは哲学においてとても重要そう。となると、日本の哲学は他国とは結構異なっていたりするんだろうか。
自分が最良と信じたものは危険を冒してでも固守すべきで、固守できなかった時の恥辱と比べれば死やその他の事象は気にならない。哲学は悟りなのかな?かっこいいしそうありたいよな、と思った。
「死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ困難なのである。」 -
Posted by ブクログ
自分の正義感というか信念を曲げずに生きるというのは難しい事ですが、処刑を受け入れてまで曲げない、というのはちょっと常人には不可能に思います。
一番大切なことは単に生きるそのことではなく善く生きること。善く生きるとは美しく正しく生きるということ。
わかりますよ。わかりますけど、、、
学べた事は、なんでしょうね。まあなるべく自分に正直に生きる。って事ですかね。
あとは前半にある、分からない事はわからないと自覚する、方が知ったかぶりより大分良いという事くらいでしょうか。
いずれにせよ2500年前の人の考え方を知れる。これも読書の素晴らしさの一つですね。 -
Posted by ブクログ
不正な死刑判決なんてうっちゃって逃げようとアドバイスする友人すらも淡々と論破する真の論破王ソクラテス。
終始ソクラテスが突き抜けてサイコパス(ロジカルすぎて感情とかプライドとか置き去りまくる)だし発言の一つ一つが裁判官煽ってて(正しくても)そりゃ反感買うよなーとか、若者がソクラテステンプレ使って社会問題になるのとか現代と同じやん…とか、ここからのプラトンの『国家』か…とか、いろいろかなり楽しめる本でした。結構声出して笑った。
ソクラテスの一貫性、言行一致の態度は本当に見事。でも、普通の人はあなたほど理詰めでは生きられないことにも気づいてほしかったよ… -
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難しい…と思いながら読み終わってしまい、投稿まで時間が空いてしまった!
難しいと感じる最大の理由は、「エロス」という神が一つの人物像(人ではないけど)なのか、それとも恋や愛という概念として語られるものなのかがなかなか掴めなかったことでした
ネットに上がっている要約に助けられながら振り返ります。笑
物語はソクラテス含む6人が、ギリシア神話のエロス神を称えるという形式で進んでいく。
エロス=恋(少年愛)に関して、6人が様々な意見を戦わせる。
・古さゆえにエロス神は「善さ」の源泉であり、徳と幸福をえるために最も強い力となる
・エロスには2種類あるが、世俗的な恋ではなく、理性的な男性に対してのみ向かう恋が称賛に値する
・少年の美だけではなく、徳も同時に目指し徳を通じて善さの実現へと向かうエロスこそが称えられるべき
・完全なものへの欲望と追及が恋
・エロスは最も美しく高貴で幸福な神であり、正義の徳、慎みの徳、勇気の徳、知恵の徳を備えている
5人の意見に対してソクラテスは、
・恋とは善きものと幸福を手に入れようとめがける欲望である
・愛には段階があり、肉体の美も恋の入り口として必要
エロスは美への追及の道だという論を展開する。
…
自分の持っていないものや自分に欠けているものを相手に求める、というのは納得する。自分の知らない世界を知っている人や、自分が思い付かないような考え方をする人って素敵だなと思う。
一方で、自分と似ているところや同じ感じ方をする人に惹かれるということもあるけど、ある程度の同質性の中にあっても結局はその中の違いに惹かれているということなのかしら
そもそもこの饗宴の中では、恋と愛との区別があるのかな?世俗的な恋(男女の恋)を貶し、少年愛を貴ぶ意見もあったけど、ここではどちらも恋は恋なのでしょうか
どんなにどのような恋が善いものであるかを考えても、心はなかなかコントロールできないものだけど、恋が自身の美への追求だという着地点は面白いなと思った。
個人的には、歴史的にも現代でも「恋」はどちらかというと破滅として描かれるイメージがあるんだけど、それはわたしの中での恋っていうのは一時的な感情だからであって、ここで語られる恋とはまた違うのかなあ〜
果てしない笑
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Posted by ブクログ
愛についての本。運命の人ってフレーズは、元々2人がくっついていたけど、切り離されて、片割れを探しているって話が由来らしいよ。
純粋な愛は男性同士の愛ってのは面白いね。性的な何かも含めてなんだろうけど、それより人として好きって感覚なのかな。人まで見て好きになれるのが一番いいよね。
ソクラテスとアガトンの一説で、エロースは美を求める美しい神という主張に対して、美を求めるってことは、美を持たない。→対象に対して欲求する愛を持っているなら、それは、欲求する段階ではそれを持っていないことになる。
なぜなら、持っていないものを求めることだから。かけている物を欲求する感じ。
人間もエロースも、知恵と無知の間にあるから、知恵を求めて行かなければならない。ここら辺からイデアに話が近くなるね。真を見つけにいく感じ。愛の話かと思いきやこれは人としての生き方の話なのか? -
Posted by ブクログ
男女の恋愛ではなく、少年愛が主なテーマ。
ギリシャ時代、少年愛こそが崇高なもので、女性に興味を持ってるような男はまだまだ人間としてレベル低いやつ、というような考えだったよう。
フェミニストとしては、この時代で既に女性は男性に都合の良いように定義づけられてきたのか、、と悲しく思った。
ただ、愛というものは、最終的には1つの対象に対するものではなく、広い後世の世代に対しての教育意欲を掻き立てる=社会全体への貢献欲に繋がる、という点は、
自分自身の感覚や、アドラー心理学とも共通していて、やはり、人の欲求は最終的にそこに至るのだなと再確認できた。
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Posted by ブクログ
ネタバレエロスとは何か、
エロスを讃美するとはどういうことか、
次々にいろんな人が語る饗宴。
エロスを語るのに、
一緒に飲みながらという場面は、適切なのかもしれませんね。
愛と美に魅せられ、
酔い、
熱くなり、
ほめたたえる。
愛に溺れるのでもなく、
酒に溺れるのでもなく、
美そのものへと到る道を行くがごとく。
ソクラテスは、
自分がいかにエロスを知らなかったかを説き、
そしてさらにはエロスのなんたるかを語る。
この世界で、いま、エロスの神は賛美されているだろうか。
”なぜといって独力でもしくは他の誘導によって愛の奥義に到る正しい道とは次のようなものであるからです。それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇り行くこと、ちょうど梯子の階段を昇るようにし、一つの美しき肉体から二つのへ、二つのからあらゆる美しき肉体へ、美しき肉体から美しき職業活動へ、次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、さらにそれらの学問から出発してついにはかの美そのものの学問に外ならぬ学問に到達して、結局美の本質を認識するまでになることを意味する。(p.134)”