西田幾多郎のレビュー一覧
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結果はなるべくしてなる。
そうかーそうだよな。ある程度特定の状況が重なるとその結果を予想することができる。
それを避けるには準備が必要などなど難しいことはないがあんまり楽しいってわけでもない内容でした。
それと、でも精神の話は良かった。自然とひとつになって客観的な思考で器を大きくしたら幸せになれるよねとあってそんなことをある物理学者も言ってたなと思い自分もそういう考えを持った人になりたいと思いました。
自然に淘汰されるとまでは行かないですが川の流れに身をまかせ本質を見極めあるがままを受け容れるのは良いですね。
他に何というか、何もそんな面倒な言葉(純粋経験とか)使わなくてもいいのではないかと(時代とか著者の趣味ですかね)、内容をより早く理解するのに手間取りました。
斜め読みが向かないので結構もしかしたら重要な箇所を読み飛ばした感じがします。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ難しい。
とにかく難しいです。
前半の内容が特に理解不能で、純粋経験なるものを解説していますが一知半解…。主観と客観の超越とか言われても今一つピンときません(笑)
本書後半からがタイトル通り『善の研究』について述べています。こちらの方が分かりやすい。ただ、これといった知識を得られないまま読み終えてしまい(これは僕の理解力不足にある)、また歳を重ねてから読むといいのかなと感じました。
上記引用を見れば分かる通り、本質の本質を掘り下げようとする姿勢には感服です。『なぜ地球が自転しているのか』『なぜ私が私であるのか』『なぜ殺人を犯してはならないのか』『インセストタブーの普遍性』…例えを挙げればきりがありません。しかしこの根本的な質に、明快で説得力のある答えは未だかつて出されたことはありません。
人格の実現が善ならば、突出した、つまり何かに秀でたものがある人が良い、と。個々人の突出したものが総体として民主主義につながっていく、あるいはそれらが互いに刺激し合って多様な社会・文化を育んでいく…。
読後感としては『すごい』の一言に尽きます。日本にはこれほどの哲学者がいるのかと、驚愕しました。
純粋経験(主客合一)の視座を築き、さらに実在論や神についての考察はまさに圧巻です。
本書の最後、
主観は自力である、客観は他力である。我々が物を知り物を愛すというのは自力をすてて他力の信心に入る謂いである。人間一生の仕事が知と愛との外にないものとすれば、我々は日々に他力信心の上に働いているのである。学問も道徳も皆仏陀の光明であり、宗教という者はこの作用の極致である。学問や道徳は個々の差別的現象の上にこの他力の光明に浴するのであるが、宗教は宇宙全体の上において絶対無限の仏陀その者に接するのである。
(―中略)
而してこの絶対無限の仏もしくは神を知るのはただこれを愛するに因りて能くするのである、これを愛するが即ちこれを知るのである。印度のヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門はこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。各自その特色はないではないがその本質においては同一である。神は分析や推論に由りて知り得べき者でない。実在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのはただ愛または信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我ただ神を愛すまたはこれを信ずるという者は、最も能く神を知りおる者である。
上記引用は秀逸。鋭い洞察力と言えます。『知を愛する』という単語(フィロソフィア=哲学)があるのを知ってか知らずか、それを神と結び付ける技、巧みな論考には驚きです。
と、素晴らしい本だと褒め称えたいのですが、恐らく本書の半分も理解していないだろう僕の頭では、『面白いけどもっとわかりやすく解説して!』と心の中で叫んでいるので(笑)評価をA―にします。 -
Posted by ブクログ
わが国最初の独創的な哲学書である西田幾多郎の『善の研究』のテクストに、西田研究者の小坂国継氏による注釈を付したもの。テクストは一段落ずつ切られて注釈が挟まれ、各章の終わりには小坂氏の「解説」が置かれている。
小坂氏はほかにもいくつか西田の論文のコメンタリーの仕事を手がけているが、本書の注釈もそれらに劣らず、手堅くポイントが押さえられている。西田哲学に関する研究書には、解釈者独自の理解が前面に出されたものが少なくない中で、本書の解説は西田自身に語らせるようなものになっている。
また、『善の研究』では、当時流行していた哲学者の思想が参照されて議論が進められることも多く、今日の読者がその内容を理解することを難しくしているが、本書の注釈はそうした書肆的情報についての解説も充実していて、読者の理解を助けてくれる。 -
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「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四篇からなる。60年も前に出版されたもので、発想に新しさを求めるのは難しいが、『「いき」の構造 (岩波文庫)/九鬼 周造』に似て、その思索と思想に詠嘆に値する見事な一冊。
本書は著者が三十歳代の十年間を過ごした高等学校の講義のための草案で、二篇と三篇に他を加えた構成になっているらしい。正直なところ読みにくくて、多分海外の哲学書に慣れたからだろうと思ったが、読み終えてから眺めてみると、かなり重要な箇所に重点が置かれていて、教育に向きだと思った。
本書を読んで、もしかしたら自分が苦手だと思っている中島義道の本も、相性の問題ではなくて慣れの問題ではないかと思えて来た。今は興味が手元にある氏の本に向いていないので、落ち着いたら開いてみようと思う。
ただし、本書は歴史的な宗教考察をするものではなくて、特に四篇に関しては著者の私的発想について述べられているものなので、そういった類いを期待することはできない。
そして頻発する偶然の話をすると、本書は半分ほど読んだところでしばらく放置してしまっていて、昨日『世界がわかる宗教社会学入門』を読み終えて、何となく本書を手に取ったのだけど、三篇と四篇はそれに直結した内容で、自身の宗教と倫理・論理に対する認識の位置を明確にするのに役立った。
最近読書に関して思うのは、西田先生の言を借りると、発展完成のうちにあるもので、偶然性と適当に諦めて進めるものだということ。そこには技術・姿勢といった問題があって、それを発展させる過程に注視せねばならないが、それを個性と呼べる程度まで昇華させてからでよいという個人的趣向がある。
最近は「〜する」とか「〜したい」と言うことに少し敏感になっていて、なるべく言わないようにと思っている。再読すると言って読んだ本なんてミルの自由論くらいしか思い当たらないし、でも読書に関してはそこで諦めたくないので違和感を封じて言ってしまっていたりする。
そしてこれも偶然なのだけれど、数ヶ月前から悩んでいた「特質と技術」の関係の問題が、最近徐々に解決していて、本書を読むことで一応の解決をみせたのでよかった。途中の期間的断絶のせいもあって理解が不十分というかほぼゼロなので、余暇を使って読み直したいと思う。
『「いき」の構造』のときには気づかなかったけど、僕はこういうウマい本が苦手で、づいづい進んでしまう割には読み終えたときの理解度(もしくは満足度)が他の本に比べて低くなってしまうらしい。今回もそうで、共有する発想が多いのもあってか、いっそう後に残る者が少なかった。 -
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日本で数少ない「哲学者」の名前に値すると評価される著者の代表作。
元々は学校の講義内容であり、決して予備知識は多量に必要ではないはずなのだが、完全に形而上概念を元にしていることもあり、比較的難解な部類に入る。
人が「これはこうだ」と知覚する以前の「純粋経験」を、万物の本質だと捉え、主客の区別すらない状態であると定義し(禅の概念に近いかもしれない)、それに基づいて知識や宗教のあり方について――そうした純粋経験そのままにある状態を善であると看做し、その為の手段として――考察した。
この概念は後年、著者自身に乗り越えられる概念であり、この著作も最早現代的意義は持たないかもしれないが、
日本の哲学史というものを通してみる時、やはり欠かすことの出来ない一冊ではある。 -
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ネタバレ「成瀬は天下を取りにいく」で成瀬が読んでいたので、読んでみることにした。
「純粋経験」や「自我の統一」といった概念が、一度読んだだけでは完全に理解することが難しく、本文だけでなく解説部分を中心に読み進めた。
その中でも印象に残ったのは、「自分」という存在が固定されたものではなく、経験や意識の流れによって成り立っているという考え方である。
普段は「自分」を一つの変わらない存在として捉えがちだけど、それが常に変化し続けるものだと考えると、自分自身の見方や他者との関係の捉え方も大きく変わるのではないかと感じた。
また、「純粋経験」という考え方からは、物事を言葉や理屈で理解するだけでなく、実際の体験そのものを大切にする視点の重要性を学んだ。これは日常生活においても、先入観にとらわれず物事を捉える姿勢につながると思う。
一度読んだだけでは十分に理解できなかったが、哲学書は繰り返し読むことで理解が深まるとネットに書いてあったので、今後改めて読み直し、自分なりの解釈を深めていきたい。そして、物事をすぐに言葉で判断するのではなく、まずは自分の経験として受け止める姿勢を意識していきたい。 -
Posted by ブクログ
「価値判断」というのは、時代背景やおかれた環境によって変化する。昔は「良い」と思われていたことが今の時代では通用しない、とか。あの国では「良い」と判断されることが、他の国ではダメだとか。「善悪の判断」についてもそうだ。それは「価値観」ほど個人的なものではないが、決して絶対的・普遍的なものではない。では、唯一絶対普遍的な「善」は存在しないのか。自分の行動の拠り所とすべき、絶対的な「善」は存在しないのか。
その探求に果敢に取り組んだのが、日本で始めて哲学体系を構築したといわれる西田幾多郎教授である。ただし超難解なので、内容を十分に消化するのは、初読では不可能に近い。