西田幾多郎のレビュー一覧
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結果はなるべくしてなる。
そうかーそうだよな。ある程度特定の状況が重なるとその結果を予想することができる。
それを避けるには準備が必要などなど難しいことはないがあんまり楽しいってわけでもない内容でした。
それと、でも精神の話は良かった。自然とひとつになって客観的な思考で器を大きくしたら幸せになれるよねとあってそんなことをある物理学者も言ってたなと思い自分もそういう考えを持った人になりたいと思いました。
自然に淘汰されるとまでは行かないですが川の流れに身をまかせ本質を見極めあるがままを受け容れるのは良いですね。
他に何というか、何もそんな面倒な言葉(純粋経験とか)使わなくてもいいのではないか -
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ネタバレ難しい。
とにかく難しいです。
前半の内容が特に理解不能で、純粋経験なるものを解説していますが一知半解…。主観と客観の超越とか言われても今一つピンときません(笑)
本書後半からがタイトル通り『善の研究』について述べています。こちらの方が分かりやすい。ただ、これといった知識を得られないまま読み終えてしまい(これは僕の理解力不足にある)、また歳を重ねてから読むといいのかなと感じました。
上記引用を見れば分かる通り、本質の本質を掘り下げようとする姿勢には感服です。『なぜ地球が自転しているのか』『なぜ私が私であるのか』『なぜ殺人を犯してはならないのか』『インセストタブーの普遍性』…例えを挙げれ -
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わが国最初の独創的な哲学書である西田幾多郎の『善の研究』のテクストに、西田研究者の小坂国継氏による注釈を付したもの。テクストは一段落ずつ切られて注釈が挟まれ、各章の終わりには小坂氏の「解説」が置かれている。
小坂氏はほかにもいくつか西田の論文のコメンタリーの仕事を手がけているが、本書の注釈もそれらに劣らず、手堅くポイントが押さえられている。西田哲学に関する研究書には、解釈者独自の理解が前面に出されたものが少なくない中で、本書の解説は西田自身に語らせるようなものになっている。
また、『善の研究』では、当時流行していた哲学者の思想が参照されて議論が進められることも多く、今日の読者がその内容を理 -
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「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の四篇からなる。60年も前に出版されたもので、発想に新しさを求めるのは難しいが、『「いき」の構造 (岩波文庫)/九鬼 周造』に似て、その思索と思想に詠嘆に値する見事な一冊。
本書は著者が三十歳代の十年間を過ごした高等学校の講義のための草案で、二篇と三篇に他を加えた構成になっているらしい。正直なところ読みにくくて、多分海外の哲学書に慣れたからだろうと思ったが、読み終えてから眺めてみると、かなり重要な箇所に重点が置かれていて、教育に向きだと思った。
本書を読んで、もしかしたら自分が苦手だと思っている中島義道の本も、相性の問題ではなくて慣れの問題ではないかと思え -
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日本で数少ない「哲学者」の名前に値すると評価される著者の代表作。
元々は学校の講義内容であり、決して予備知識は多量に必要ではないはずなのだが、完全に形而上概念を元にしていることもあり、比較的難解な部類に入る。
人が「これはこうだ」と知覚する以前の「純粋経験」を、万物の本質だと捉え、主客の区別すらない状態であると定義し(禅の概念に近いかもしれない)、それに基づいて知識や宗教のあり方について――そうした純粋経験そのままにある状態を善であると看做し、その為の手段として――考察した。
この概念は後年、著者自身に乗り越えられる概念であり、この著作も最早現代的意義は持たないかもしれないが、
日本の哲学史と -
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言っていることがとても難しいので、一語一語の意味をじっくりと考えながら、外国語を読むような感覚で読み進んだ。
同著は、岩波文庫からも出版されているけれど、岩波版が原文のみを収録しているのに対して、こちらには注釈がついている。用語の解説については、単にそのまま他の言葉で言い換えているだけのようなことが多くて、あまり参考にならなかったのだけれど、各章の終わりにある、その章のまとめには、要点が簡潔に書き加えられていて、原文だけを読むよりはわかりやすかった。
この本は、「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の全四編から成っていて、主題は、第三編の「善」にある。一番読みやすいのも、この第三編であるので、こ -
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「価値判断」というのは、時代背景やおかれた環境によって変化する。昔は「良い」と思われていたことが今の時代では通用しない、とか。あの国では「良い」と判断されることが、他の国ではダメだとか。「善悪の判断」についてもそうだ。それは「価値観」ほど個人的なものではないが、決して絶対的・普遍的なものではない。では、唯一絶対普遍的な「善」は存在しないのか。自分の行動の拠り所とすべき、絶対的な「善」は存在しないのか。
その探求に果敢に取り組んだのが、日本で始めて哲学体系を構築したといわれる西田幾多郎教授である。ただし超難解なので、内容を十分に消化するのは、初読では不可能に近い。