西田幾多郎のレビュー一覧

  • 善の研究

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    状態の良い古本で探しているうちに後回しになってきた岩波文庫-青の一冊。
    いやこれはもっと早く読むべきだった!新品で買ってもよかったくらい。
    読みやすい、おもしろい。読んでいて頭と心が喜んでいるのがわかる。
    一つひとつの章が長くないので休憩時間にキリ良く読み切れる。
    難解なのではないかと敬遠している方、まったく恐れる必要はありませぬ。


    ┈┈第二編「実在」 第一章「考究の出立点」より┈┈
    深く考える人、真摯なる人は必ず知識と情意との一致を求むる様になる。我々は何を為すべきか、何処に安心すべきかの問題を論ずる前に、先ず天地人生の真相は如何なる者であるか、真の実在とは如何なる者なるかを明らかにせね

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    2024年02月14日
  • 善の研究

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    約2ヶ月掛けて本編を読み終えた。
    途中で挫折しかけつつも、読むとハッとしたり力が湧いてきたりと、なんだか旅をしているような読書だなと思いながら来た。体験の連続のようだった。

    "純粋経験"の第1編は、難解ではあったけど予習の甲斐もあってスラスラっと。
    (講談社現代新書100や100分de名著テキスト等)
    第2編の"実在"で大いに躓き、混乱。
    第3編の"善"で、ここまでの理解が繋がっていった。
    第4編の"宗教"では何度もハッとさせて貰った。

    読書に限らず、経験は不可逆的な変化をもたらすと誰かが言っていた気がするけど

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    2024年01月03日
  • 善の研究

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    何度も読みたい本。
    意志も感覚も同じ純粋経験の枠組みの中に位置しており、全てはその程度の問題という考え方。

    そしてその根本には個人それぞれが持つ性分があり、善とはその能力を最大化することであると。

    そこを見つめ続けることが人生を生きるということなんだと思う。難しいが。いつか心からこのことがわかる時が来ることを願う。

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    2022年04月11日
  • 善の研究

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    難しい。読破したとは思えない。
    それでも、自分の世界観をガラリと変えた一冊。

    特に、「善」「悪」をという言葉を捉え直す彼の考え方は、今の思考に大変マッチしました。

    善を人間の本来の性質と定義するところから、悪とはなにかを改めて知ることができます。

    ルールを破ること、誰かに不正を働くことではなく、そういった段階からさらにもう一歩深めた価値観が生まれました。
    そもそも、善という言葉には本来道徳的な意味合いはなくて、『ためになる』というシンプルな意味合いだったそうですね(ギリシャ哲学だったでしょうか)私たちが持ってしまいがちな観念を1から丁寧に説明してくれます。

    「人格的要求」という言葉も好

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    2021年08月14日
  • 善の研究

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    我々は何を為すべきか、いずこに安心すべきかの問題を論ずる前に、まず天地人生の真相はいかなるものであるか、真の実在とはいかなるものであるかを明らかにせねばならぬ。

    今もし真の実在を理解し、天地人生の真面目を知ろうと思うたならば、疑いうるだけ疑って、全ての人工的仮定を去り、疑うにももはや疑いようのない、直接の知識を本として出立せねばならぬ。

    科学というものは何か仮定的知識の上に築き上げられたもので、実在の最深なる説明を目的としたものではない。

    物の形状、大小、位置、運動という如きことすら、我々が直覚する所のものはすべて物そのものの客観的状態ではない。我らの意識を離れて物そのものを直覚すること

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    2019年11月21日
  • 善の研究

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    "いわゆる心というのは単に内なるものではなく、いわば内の内なるものであり、同様に物というのは単に外なるものではなく、いわば内の外なるものである。すなわち、物は心の外に超越したものではなく、心の内に超越したものである。"
    内の内なるもの、内の外なるもの(内に超越したもの)とある。
    心で普通に捉えるものは、これまでの経験で蓄えられたものであると思う。経験(無意識的な経験も含め)を超えたものの直覚はないとすると、よくよく考えるということか?
    しかし、考えること(反省すること)とは違うと。ものになりきるのだと。決して経験したことのないようにものを直覚するべく、無心で感じるということ

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    2019年10月24日
  • 善の研究

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    この人の本は大学にいるうちに読んでおきたかった。キーワードは「主客合一」。この観点から、認識論、実在論、倫理(善とは何か)、そして神について語っていく。もっとも、あまり初心者向けではない。 内容の解説は他の人にお任せするとして、個人的に気に入ったのは、論理の流れが非常に把握しやすいところ。各章がA→A1→A2→B→B1……という風に順序立てて構成されており、話がすっと頭に入ってくる。もっとも、それを理解できるか否かはまた別の問題ではあるのだが……

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    2018年07月29日
  • 善の研究

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    難しい本という先入観があったが、読んでみると「純粋経験」の概念と既存の認識論・道徳論・宗教論を丁寧につきあわせながら説明がなされており、けっこうわかりやすい。西洋・東洋の思想史のおおまかな流れをつかんでいれば、おもしろく読めると思う。基本はヘーゲルの思想に近い気がするが、ヘーゲルが主体としての「絶対精神」をおいたところに、西田は主客を超えた場としての「純粋経験」をおいた、という理解でいいのだろうか。

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    2015年03月10日
  • 善の研究

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    知識・研究として読むのではなく、自分のなかの善とは何かということを、己に照らし合わせながら読むと楽しい。

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    2013年05月16日
  • 善の研究

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    さすがの密度。読み慣れないので骨が折れるが、一章一章で他の本なら一冊分くらいの内容がある。日本最初の哲学書が分別の還元なのも面白い。

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    2011年04月19日
  • 善の研究

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    初読のときはまったくわかんなかった。思うところがあって、また引っ張り出してきて、後半部のみを再読したんだけど、すっごくクリアに頭に入ってきた。目的をもった読書だったからかな?それともちょっと賢くなったからかな?カッコワライ!

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    2009年12月08日
  • 善の研究

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    哲学における根本問題を純粋経験によって解決しようという、西洋思想に囚われぬ初にして至高の日本哲学書「善の研究」を、注釈とわかりやすい解説を添えてわかりやすく噛み砕いた一冊。原著を買って、章の一つの節を読むのに数時間唸りながら読んでいた最中に発売されて…もう少し待てばよかった。。。注釈は言わずもがな、見慣れた書体とルビがあるというだけで、かなり読みやすくなるのだから不思議。日本哲学を語る上で、避けては通れない一冊。まずはこの本で予習をして、次こそは原著だけで読み込んでみよう。シーザーを理解するのに、シーザーである必要はないワケで、このような難解な本に対してこそ、理解社会学として意味と説明を構造化

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    2009年10月04日
  • 善の研究

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    あるがままの真理や純粋経験に目覚めるのに「知のフィルター」は邪魔になりますね。

    禅の影響を受けた哲学者の本はおもしろい。真理は教外別伝、不立文字とは言われますが、哲学的思考による予備知識は役に立つと思われます。

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    2025年11月21日
  • 善の研究

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    主観と客観は同じであるという主客合一の考え方、なかなか難解である
    ただ、個人性の実現、個と全体がつながる利他や社会性の倫理観や二元論を嫌う考え方は、この対立が増す現代にこそ学ぶべき示唆があるように思えた

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    2023年09月10日
  • 善の研究

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    本著は西田幾多郎によって著された哲学書である。そして日本人によって著された最初の独創的な哲学体系だとされる。

    その思想は純粋経験の立場をとり、これによって知識、道徳、宗教といった一切を基礎付けようと試みる。つまりあらゆる思想を排除した単なる経験の状態のみでこれらを徹底的に説明しようとする。
    さらにそこから人間にとって「善」とは何か、「神」とは何かを導出していく。

    哲学なので、本質的に抽象的であるため理解が難しいところはある。ただ古典の中ではかなり読みやすい部類かと思う。
    やや冗長ではあるものの、難解なレトリックやメタファーなどは少なく、丁寧に読んでいけば理解できるようになっている。また主張

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    2022年09月12日
  • 善の研究

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    人が対象を「~である」と認識したとき、それはもう純粋な経験とはいえない。純粋な経験とは「~である」という判断以前の意識状態をいう。色を見たり、音を聞いたりするとき、その色や音が何であるか判断する前の意識。▼主体と客体は分かれていない。音楽を聴いているとき、自分と音楽が一つに溶け合っているような感覚。音楽に没頭しているときに主客の区別はない。「素晴らしい音楽だった」と思う段階は、すでに判断がなされているので、純粋の経験ではない。▼ 物を知るにはこれを愛さねばならず、物を愛するにはこれを知らなければならない。知識の真理は実践の真理であり、実践の真理は知識の真理でなければならない。▼主客が分かれてお

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    2025年05月03日
  • 善の研究

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    読んでるうちに、この書のタイトルが善の研究であることに僕も疑問が湧いた。純粋経験や統一作用という言葉の比重が明らかに大きく、感覚的にはそこを根拠にした実在論の展開をしている様に思えてならなかったからである。西田幾多郎は生きている存在としての人間に焦点を当てたかったのだろうか。ただ、第3編の善についてもやはり倫理というよりは実在論に寄っているとは思う。

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    2021年02月09日
  • 善の研究

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    明治44年に出版された本。日本人に哲学はできないと言われていた時代に著された本格的で体系的な哲学書。理解が容易な訳ではないが、実在、倫理、意志などを一つ一つ解きほぐす論理展開が明快で読みやすい。『善の研究』よりも相応しいタイトルはあったのではとも思うのだけど、このタイトルだったからこそ広く、長く読まれる本になったのだとも感じる。歴史的にも意義深い一冊。西田哲学自体はもっと後年の内容も知りたい。

    それにしても大学時代から読もうと思って機会を逃し続けた本をやっと読めて気持ちが良い。

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    2021年01月29日
  • 善の研究

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    真の実在を把握するには疑いうるものを全て疑う必要がある。デカルトの方法的懐疑。

    しかし帰結は我思うゆえに我ありでなく

    意識は必ず誰かの意識でなければならぬというのは単に意識には必ず統一がなければならぬの意にすぎない。もしこれ以上に所有者がなければならぬとの考えならばそは明らかに独断。

    意識に先立って意識の所有者の存在を前提しているのは独断。私さえも不確かであるのでただ直接的な経験の事実。疑う私も疑われる対象も直接的な経験そのもの

    主もなく客もない知識とその対象とが全く合一している

    西田哲学は西洋哲学と東洋哲学の合流点。

    いかに生きるかという実在の問題、

    世界はこういうものであると

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    2015年08月14日
  • 善の研究

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    西洋人の形成力は、理論一つにしても、まるでそれぞれのものに実体があるかのような精巧さがある一方、多面性に欠ける。一面的な効用を主張するあまり、本質の性質に欠落が生じる。やがて見落としてきたものたちが問題となって噴出する。

    我々は意思に従うよりも原理・法則に則る方がより大きな自由を得られる。

    この世にはある一つの統一意志が働いており、万物はその意志の発現による産物である。そして、事象の発現に伴い、必ず二つのものが生まれる。例えば無から有が発現する場合、何もなかったはずのところに有の発現と同時に無という概念も発現する。これはすなわち、有と無は独立した別の働きがあるのではなく、有を生むという統一

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    2015年07月22日