石川啄木のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ちくま日本文学全集030
石川啄木は1886年(明治19年)に生まれ、1912年(明治45年)に病死。
わずか26歳の命である。
19歳で結婚。
20歳で長女誕生。
養うべき父母と妻子を抱え、文学で身を立てようと志しながら、貧窮のうちに結核で死亡。
というと、なにやら苦しい作品を思い浮かべるかも知れませんが、彼の作品には、そんな陰惨な暗さはありません。
そして、とても現代的に感じられます。
今から100年以上も前の作品だというのに、この現代的な感覚は、驚くべきことだと思います。
「一握の砂」は、有名な
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
という歌から始まります。 -
Posted by ブクログ
【本の内容】
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。
貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。
[ 目次 ]
[ POP ]
「真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり」。
死にし子を歌う一連の絶唱は、『一握の砂』の末尾に付加されたものだ。
啄木を教科書でしか知らない人は、ぜひ全体を味わってほし -
Posted by ブクログ
今から128年前、金田一京助は1882年5月5日に岩手県盛岡市で生まれて、39年前の1971年11月14日に79歳で亡くなった言語学者・民俗学者。
その子息の金田一春彦(2004年に91歳で没)とともに、言語学者として多くの編纂に携わった国語辞典を、私たちも重宝して使わせてもらい(そう思って使っていたのですが、実は京助センセの場合は、実際には一冊も関わっていなくて、全部ただ人がいいために名前を貸していただけだと後年に知って憤慨したものです)、今はテレビで孫の金田一秀穂に国語の蘊蓄を聞くといった具合に、三代にわたる日本語に取り憑かれた一族だというのは少し強引な括り方かしら。
それにしても、い -
Posted by ブクログ
生活に関しては、女にも金にもだらしなく、借金まみれの可憐な駄目人間。
文学に関しては、苦界にあってますます鋭く尖る自負心をもつ気位の高い激情家。
蟹と戯れたり、母を背負って泣いたり、停車場で同郷人の声に耳を澄ませたり、
センチメンタルな石川啄木のイメージが吹ッ飛ばされた。
教科書に掲載されている紅顔の美少年のような本人の写真と相俟って、
石川啄木は感傷と叙情の歌人と決め込んでいたけれども
実は感傷など差し挟む余地もないほどの貧乏に生涯を追いまくられた人だったという。
生活苦によってへし折られようとする自負心を支えるために
周囲に向ける攻撃性は凄みがあり、痛ましさと同時に畏敬も感じる。
この -
Posted by ブクログ
歌集を読んでこんなに楽しいと思える日がくるとは。
日記のように綴られている歌たち、沁みるなぁと思うものも多かった。
改行をしたり、晩年の歌には「。」や「!」が出てきたりと、自由なところがまた面白い。
石川啄木については無知だったけれど、あとがきと解説がかなり量があったので先に読んでから歌集を味わうことができた。
啄木が対談で語った「一生に二度は返ってこない一秒が愛しく、逃がしたくない。それを表すには、形が小さくて手間暇のかからない歌が便利だ。歌という詩形を持っているということは、我々日本人の少ししか持たない幸福の一つだ。俺は俺自身が何よりも可愛いから歌を作る」といった内容が自分に響いた。い