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日本の近代文学史を彩るキラ星たち。そんな作家の代表作を短篇中心にコンパクトな一冊に収める文学全集。各巻に詳細な年譜を附す。本巻では、早くより詩才を発揮し、三行書きの表記法や、困窮した状態の中での生活詩人として、近代短歌に新領域を開きながらも、惜しくも夭折した若き文学者の表現、思想を堪能することができる。
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Posted by ブクログ
ちくま日本文学全集030 石川啄木は1886年(明治19年)に生まれ、1912年(明治45年)に病死。 わずか26歳の命である。 19歳で結婚。 20歳で長女誕生。 養うべき父母と妻子を抱え、文学で身を立てようと志しながら、貧窮のうちに結核で死亡。 というと、なにやら苦しい作品を思い浮かべる...続きを読むかも知れませんが、彼の作品には、そんな陰惨な暗さはありません。 そして、とても現代的に感じられます。 今から100年以上も前の作品だというのに、この現代的な感覚は、驚くべきことだと思います。 「一握の砂」は、有名な 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる という歌から始まります。 そしてまもなく たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず という有名な歌。 ただ、そういうのより、 こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ 何となく汽車に乗りたく思いひしのみ 汽車を下りしに ゆくところなし 空き家に入り 煙草のみたることありき あはれただ一人居たきばかりに なんかはどうでしょうか。 僕の今作る歌は極めて存在の理由の少いものである、僕はその事をよく知っている、言わば作っても作らなくても同じ事なのだ…僕の今の歌はほとんど全く日記を書く心持ちで作るのだ…「僕はこう感じた(あるいはこう考えた)」これ僕の今の歌の全体である、その外に意味がない…したがって作っても作らなくても同じものである…ただ僕には、平生意に満たない生活をしているだけに、自己の存在の確認という事を刹那刹那に現れた「自己」を意識することに求めなければならないような場合がある、その時に歌を作る、刹那刹那の自己を文字にして、それを読んでみてわずかに慰められる、したがって僕にとっては、歌を作る日は不幸な日だ、刹那刹那の偽らざる自己を見つけて満足する外に満足のない、全く有耶無耶に暮らした日だ、君、僕は現在歌を作っているが、正直に言えば、歌なんか作らなくてもよいような人になりたい。 (p383-384 明治四十四年の手紙(抄)) この人の作品は、20代前半に書かれたものであるにもかかわらず、うわついたところがなく、現実的な切実さと不思議な落ち着きを感じさせます。 それは彼の天才だったからということよりも、彼のこういう自覚がもたらしたものではないかと思います。 とはいえ「林中書」が20歳のときの作品だとは驚異的です。 小説「我等の一団と彼」も結構おもしろい。 「時代閉塞の現状」は隔靴掻痒の感。 やはり彼がきわだっているのは、詩です。詩が良く分からない私でもそう思いました。 19歳で結婚。 26歳で死。 経済的基盤もなにもなしに早く結婚しすぎたのが、彼の困難のすべての原因だと私は思うんですが、この意見は散文的すぎるのかな。 長生きすればいいってものでもないでしょうが、もう少し彼が生きて、詩人としてより小説家として彼が目指した作品がどのようなものになったか見たいような気もします。 ただ、道半ばで倒れたという感じがあまりしないのは、彼の詩があまりに素晴らしすぎたせいかもしれません。
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