下村湖人のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
孔子と弟子とのやり取りを描いた「論語」を、生涯を通して論語を研究した著者が、ストーリー仕立てで再構成したもの。
人物の心理描写がとても生き生きと生々しく描かれていて、すんなりと読むことができた。
本当に紀元前5世紀の書なのか?と思えるほど、人間の抱く悩みは古今東西ここまで共通するのかと思わされる。
あらゆるタイプの人物が弟子として描かれていて、一人は共感できる弟子がいるのではないでしょうか?
こんなことやってしまうな、思ってしまうな、とつい弟子に感情移入してしまい、緊張感を持って孔子の発言に聞き入ってしまう。
個人的に刺さったのは、「自らを限る者」の章。弟子の冉求(ぜんきゅう)は、孔子の教えにのめり込めず、素質や才能がないから向いてないと弱気になっていた。それを孔子に打ち明けたところ、『大して努力もしない内から、自分を見限ろうとするのは、自分への甘さであり言い訳でしかない。探究心が燃えてない証拠だ』と一蹴される。
単なるhow-toではなく、生き方の端緒を学べる。
学生から企業人まで、あらゆる世代に薦めたいし、常に傍らに置いて何度も読み返したい一冊。 -
Posted by ブクログ
読んだのは会社のトップが読みやすく、面白いと社内報で言ってたからだ。近々会う機会もあったし、会ったときに話のネタ程度にはなるかなと考えていたからだ。 (こういう、早速買って読みました!というフィードバックは、紹介した人にとってはけっこううれしいんだよね、と心の底で打算的に考えながら)論語はいずれ読んでみたいと思っており、物語形式で書いてあるならわかりやすいであろうし、いずれ論語を手に取る日が来るかもしれない、ということを考えると、とっつきやすい本ならば良いか、という印象をもち、購入した。
著者の下村湖人という人は、論語を読むことによって生きた人で、この本は昭和10年代と大変古い時代に書かれている本だ。他には『次郎物語』(映画、TVドラマ化もされた)が有名。論語を読みやすくするために論語に書かれている内容に孔子やその門人たちを出演させ、物語風に仕上げている。孔子とその門人の心を描く、というよりも、著者とその周りの人達の心の動きを描いているように感じた。だから我々にもわかりやすくなっているのだろう。
孔子の門人の中には、私のような現代の一般人のような考え方をする人も多くいる。例えば、孔子の評判にあやかって、門下生というキャリアを積むことによって、どこかの国の役人に登用してもらえるかもしれない、キャリアアップだと考えて孔子の門を叩く者も多くいる。もちろん、心から孔子を師と仰ぎ、孔子の言うとおり、学に励むものもいるが少数派だ。孔子は、こういう状況を嘆く。自らが成長すれば向こうから勝手にオファーが来るのだから、勉強し、成長だけを考えるべきだというのだ。
『孔子組』と言えば、ほぼすべての人は基本的に俗世間から離れ、本質を真摯に学んでいるのかと私は思っていた。実はそうではない。むしろ現代人と同じく、私利私欲にまみれて生きていた。組織にはヤル気のある人:普通の人:ヤル気のない人が2:6:2の割合で存在するということをよく言われるが、この時代にもそれが当てはまるのではないかと感じた。孔子が生きていた時代に比べて確かに科学技術などは発達したのかもしれないが、人間の心は大して変わっていないのだなというのを知るには良い本だと思う。
私は、門人と同じく打算的に考えてこの本を購入したのだが、孔子が現代に生きていれば、大いに嘆かれる存在なのだろう。 -
Posted by ブクログ
論語は、きっちり読んではないが、そこそこ知ってるつもりだったし、世の中には論語の解説書やビジネスに生かす論語の本なんかもたくさんある。
下村湖人は生涯かけて論語を読み解き、教育者として、作家としてその思想を追い続けたという。
論語のあちこちの場面を繋ぎ合わせて物語に仕立ててあり、短いので読みやすい。
心にのこるエピソードもあった。
道を求めるのは処世術ではない。「道は道なるがゆえに楽しみ、礼は礼なるがゆえに好む」のだ。切磋琢磨は苦労だけを言っているのではない。切磋琢磨することそのものを楽しむ心も含まれているのだ、と。
「君子は憂えず、懼れず」というのは、簡単なことではない。「自ら省みて疚しくない人にだけできる」ことである。「人の思惑が気にかかるのは、まだどこか心に暗いところがあるから」。
しかし、これを読んで思うのは、孔子の言う「道」や「礼」や「仁」というものはかなり高いもので、到底「ビジネスに生かす」というレベルではないということ。処世術じゃないのである。
孔子はあちこちの国の主君から政治の指南役として召し抱えられたこともあったが、思うようにはならなかったらしい。当然である。政治家が今と根本から違っていたとは到底思えず、自国(ひどい時は個人)が有利になるよう戦略を練っていたわけで、それは孔子の言う「君子」とは全く違う。孔子を近くに置いたら、めんどくさい忠告ばかりされると考えただろう。まあ、孔子の評判が高いのでステータスにはなるが。
彼の一番の功績はやはり、弟子に慕われたことに尽きるのでは。キリストしかり。親鸞しかり。
あとは「女子と小人は養い難し」というのは気にいらない。優しくすればつけあがり、遠ざけると怨むって、男もそうじゃない?自分にも妻子がいたくせに。
出てくるのはほとんど男。男たちが道とは、君子とはと考えたり議論したりしてられたのは、家事育児をしてくれた女がいたからじゃないの?
まあ、アダム・スミスを持ち出すまでもないし、二千年前のことですからね。こんなもんだろとは思う。
いいことも書いてあるから読んで損はしないが、私は中島敦の「弟子」の方が文学作品としては圧倒的に良いと思う。子路の孔子への切ないほどの愛が感じられて、太宰治の「駆け込み訴え」と同じくらい好き。(『論語物語』は1938年に発表され、中島敦の「弟子」は1943年。)