小野善康のレビュー一覧
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哲学者の萱野稔人氏が金融緩和策に批判的な三人の専門家(藻谷浩介氏、河野龍太郎氏、小野善康氏)と対話形式でのインタビュー内容を文字に起こしたものである。
3人の中でも小野氏の内容が興味深かった。
小野氏の論理展開の大前提は、「お金が究極の欲望の対象になる」ということ。成熟社会では、モノがあふれていて、モノへの欲求がお金への欲求より低くなってしまったとする。
「成熟社会になってもまだまだ人びとにはほしいモノがある」との反論に対しては、
「もっているお金をつぎ込んで、ほしいモノを次々に買うのかと聞いてみると、大概の場合、返ってくる答えはこうです。『いや、お金がもったいないから買わない』
この言葉こそが、お金への欲求がモノへの欲求を上回ってしまったことをあらわしています。お金がもったいない、お金を保有していたい。こうしたお金の保有願望こそ、成熟社会での経済を分析するときにひじょうに重要な要素なのです。」
「さらに問題なのは、お金を保有したいと思っている人たちにとっては、物価下落、デフレは歓迎すべきことだということ」
「民間企業で雇われなかった…失業者に対して、政府が雇用を提供する。失業者が減れば、当然、賃金が下がらなくなってきます。賃金が下がらなくなれば、モノの価格の値下げができなくなる。そうすればデフレは止まってくるんです。」
日本には特にあてはまる事象であるように感じた。
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2013年刊行の少し古い本。三人の著名エコノミストがアベノミクスの掲げる金融緩和を真っ向から否定し、その危険性を解く。
自分の理解できる範囲で、何で金融緩和が意味がないかという理由は2点)。
1.日本は人口オーナス期(現役世代が減少して高齢化社会)に入っていて、人口が減っていくところに需要は生じないというもの。需要のないところにお金をジャブジャブ注ぎ込んでもその効果は?
2.人は豊かになっていくとモノではなくお金の所有願望が強くなっていくというもの。ものが溢れている日本にお金をジャブジャブ注ぎ込んでも実際にお金がモノに変わるのか?
2番目については思いあたる節もあり目から鱗。ミニマミスト思考とか無駄を省こうとか、モノが減っていく方向への世の中の流れを感じる今日この頃。その中に企業が投資をしてモノを作っても消費されず過剰在庫に苦しむだけだろう。 -
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■生産年齢人口の総人口に占める割合のピークは、日本は1990年頃、アメリカ、アイルランド、スペインは2005年頃、中国は2015年頃。
■中央銀行ファイナンスによる追加財政、すなわちマネタイゼーション戦略は、当初は高めの実質成長率、低いインフレ率、やや高めの名目成長率、低い長期金利、リスク資産価格の上昇が観測され、バブル的な様相が強まる。しかし、その後は、低い実質成長率、高いインフレ率、高めの名目成長率、リスク資産価格の下落が訪れる。
■人は、お金そのものが欲しい。純粋に、今お金があるからあれもこれもと実感できて嬉しい。
■完全失業者は300万人前後。彼らを100万人雇うためには消費税を数パーセント上げるくらいで十分。1パーセントの増税でだいたい60万人から70万人を雇うことができる。
■生産性が上がって輸出が増えたら経常収支が改善して円高になるが、同時に、国内の需要不足で輸入が減っても経常収支は改善するので円高になる。 -
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現代日本のような成熟社会では、人々は既に欲しい物をほとんど手に入れているので、お金をばら撒いても銀行の金庫に積み上がるだけ、との説明はシンプルでわかりやすい。我が身を振り返ってみても、確かにどうしても欲しいものなんてほとんど無い(その割にはお金がウチの金庫にだけ積み上がらないのは何故なんだぜ?)。
経済学を学んだことがないので、著者の言うことを完全には理解できないが、所々に出てくる「お金は増えも減りもしない」という原則が、熱力学の第一法則や質量保存の法則と同じで妙に納得できた。
しかしながら、その処方箋については「そんなにうまく行くかな?」と言うのが正直な感想である。現物支給=期限付きのバウチャーは良いアイデアに思えるし、いくつかの提言は国全体としては効果があるのかもしれない。ただ著者が言うほど産業間の労働移動=「玉突きのようなこと」は起こりそうも無いから、結局はある特定の層に所得が集中してお金が金庫に積み上がるだけではなかろうか?
やっぱり良く分からない。 -
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「成熟社会」ということが、言われている。著者は1980年代から90年代を境に発展途上社会から成熟社会に「大きな変貌」(はじめに i)を遂げたとし、成熟社会を「いますぐ欲しいような物はほとんどすべてそろっています」と整理し、「(需要不足が原因)不況を長期的な現象として捉える必要がある」する。
各章で「発展途上社会から成熟社会」、「財政破綻の常識を覆す」、「金融政策の意義と限界」、「成熟社会の危機にどう対応するか」、「国際化する経済」の順で、解決を生産の効率・安価・輸出増ではなく、需要を変えることに求めている。
国際競争力を高め、国外市場を確保し、外国資産(外貨)を保有する努力は円高を結果し、自分で自分の首を絞めるとも述べる。
環境とエネルギー分野で新規の投資と雇用の確保が可能で(195p)、国民は金を貯めるまえに「国内の消費者に夢や楽しみを与え快適な生活をもたらす商品やサービスを開発して、内需を刺激するしかありません」(193p)とする。
若者の就職困難、中年の離職を「自己責任」とするのではないとする点は理解する。
日本人の貯蓄志向をかえ、内需拡大をすすめているが、高齢者の老後生活不安は小さくない、はず。
「現役時代に働いて退職したすべての人に、一定水準の老後生活を保障すること」は、重要な指摘。
しかし、そこに至る図式と展望を、もう少し踏み込んでほしい。
確かに≪高齢者のこれから≫は新規雇用可能な領域ではあるが、高齢者に対するサービスも、従事するサービス提供者への処遇も、いささか≪低レベルではないか≫と、思う点が多いからである。 -
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ネタバレ高度成長期の日本は、消費者の欲しいものが沢山あり、何でも飛ぶように売れた。一生懸命働けばどんどん豊かになっていく経済のメカニズムがあった。今、日本は成熟社会となり、潜在的供給量は、資本の蓄積や技術の進歩で拡大し、需要を超えてしまった状態となっている。物やサービスが充実し、お金を放棄してでも購入しようというものがない。増産しても売れ残り、効率化を進めても労働力が余り失業が増えるばかりで経済拡大につながっていない。過去の成功体験による発展途上社会を前提にした政策は、結果として、バブル崩壊による不況を20年も継続させている。
成熟社会で必要な戦略は社会的に役立つ分野に政府が支援し雇用を作ること。生産の拡大ではなく需要の創出である。需要がないのに企業にがんばれといってもどだい無理な話。最終需要が変わらない中で職業訓練で労働効率が二倍になっても職を失う人が二人になるだけ。正規と非正規の格差を縮小しても就業者と失業者の格差を広げるだけ。需要不足が解決されない限り、いくら個別の対策を行っても解決にならずモグラ叩きと同じなのである。
いくら中央銀行が貨幣量を増やしても、今の日本のように失業が残ったまま不況が長期に続く場合、理論的にもデータ上でも効果はない。長期不況はお金への執着を増幅させ、お金が増えても貯蓄に回るだけで消費に回らないのである。加えて資金量を増やし続ければ円の信用も損なう。国債発行は増税という政治的には難しいことを先延ばしするだけで、既国債を信用不安に陥れる危険性のある政策。そうであれば、信用維持に軸足を置き、寧ろ増税により雇用を増やしてデフレと雇用不安を取り除くことの方が消費を刺激することになる。成熟社会の日本が取るべきは、財政の倹約ではなく、国民生活に貢献する事業を考えることなのである。とりわけ、人口の25%に過ぎない高齢者が全資産の約50%、金融資産のほぼ60%を持ち、高齢者の多くは現役時代に老後資金を貯め込みさらに消費税で集めた人口構成比以上の社会保険料を受け取ろうとしている。使いきれないお金の確保ばかりを考えている。老後生活を楽しく安心して暮らせるような提案が必要なのである。ちなみに高齢者を支え切れないから子供を増やすという政策は、必ずその子供たちも高齢者になることを考えれば、いつか必ず破綻する愚策である。
円高にしても過度な経常黒字がある限り継続する。円高の苦しみから逃れるためには、内需を増やして対外資産を減らすしかない。円高であれば外国製品を購入し、海外旅行を楽しめばよいのに自分では使わず、ODAで渡すのもいやがり、お金を握りしめ円高と失業を生んでいる。内需を増やさず生産力だけを高めても失業が拡大するだけであり、外需頼みでは円高を呼んで国際競争力が落ち不況を悪化させることとなる。
現下の日本の政策の誤りを明瞭に示している。発想の転換が求められている。 -
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現代日本の経済状況の原因を「生産力過多」と「内需不足」として、税、国債、金融緩和、貿易など、あらゆる方向から検証した本。
国内では、税金だろうが国債だろうがお金は巡るだけで増えも減りもしない。
お金を多く刷ってもお金を使わなければ消費は減らず、景気は良くならない。
輸出をして外需を取り込んでも、その結果として円高になるので限界がある。
一方で、国内で消費活動をすれば、それは売上となり、給与となり、また消費の源泉になる。そうすれば、余った生産力=労働力は活用され、雇用も回復するという。
「生産性の向上」をひたすら追求すべき時代は終わり、「いかに良く消費するか」を目指す時代かもしれない。 -
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ケインズ経済学と新古典派とを比較しながら、ケインズが主張したかった(十分に主張できなかった)経済理論を『不況動学』という視点で展開する。新古典派の主張は、供給サイドが決定されればそれに応じて需要が決まるというものである。すなわち、基本的に非自発的失業のない状態(完全雇用)が実現できている新古典派では、需要不足や需要不足による不況は否定される。しかし、著者は需要不足こそが日本の不況の根本原因だと主張する。
需要不足は、①消費の時間選好と②流動性の罠(貨幣保有願望)に起因する。特に、貨幣保有願望は、貨幣が非常に特殊な財ゆえに起きる貨幣そのものに対する需要であり、「将来に不安を持てば益々貨幣保有欲求が高まる(=消費が増えない)」という点には実感としても納得がいく。
不況を脱するためには、十分な雇用を創出する規模の公共投資が有効であり、まずは働きたい人に働ける場を提供することが重要である。すなわち、少々効率が悪くても、余った雇用を吸収することが先決であるということである。一方、インフレターゲットは、人々に正しいインフレ期待をどのように持たせるかという点が不明確であリ、その点で効果が乏しいと指摘する。また、本格的な景気回復には、(過去の経験を持たない)世代交代が不可欠であると主張する。
需要不足が何故生じるのかという点を、消費と投資の面から考察した本書の主張は興味深く、不況のメカニズムに関する著者の主張は納得性が高い。しかし、具体的な景気回復策という段になると、やや説得力は落ちる。特に、著者の主張する『良い』公共投資をどのように判断するのか、「良いか悪いか」の効果測定、優先順位づけを事前にどのように行うべきなのかがよく分からない。
もっとも、デフレや不況から簡単に立ち直る特効薬のような「経済政策」など存在しないわけだから、著者がそれを十分に説明しきれていないことは批判には当たらないだろう。むしろ、「通貨を大量発行すればデフレは解消して景気が回復する」といった類の考えがいかに無責任極まるトンデモ理論であるか、本書を読むことで再認識できると思う。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
長期にわたった景気の低迷に対して、小泉内閣が行った「構造改革」は有効な措置といえるのか。
経済学者間の意見は対立し続け、経済学への信頼までも揺らいでいる。
ケインズは一九三〇年代の世界不況を目の当たりにして主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』を執筆した。
本書はその欠陥も明らかにしつつ、ケインズが論証することに失敗した「不況のメカニズム」を提示し、現代の経済政策のあり方を問うものである。
[ 目次 ]
第1章 ケインズ経済学の基本構造(二つの不況観;需要不足のメカニズム ほか)
第2章 失業と需要不足(新古典派経済学の特徴;貯蓄と投資の不一致 ほか)
第3章 利子と貨幣(投資の決定要因;何が利子を決めるのか ほか)
第4章 景気循環と経済政策のあり方(賃金の変動と景気循環;不況下の経済政策)
第5章 不況理論の再構築(何がわかり、何が残されたか;新しい不況理論 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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少し疑問点。著者は「構造改革派が言うように、投入額より小さい価値しかうまないからやるだけ損、ということにはならない。出来たものの価値は加わるから、少しでも役に立つ物やサービスならやった方がよい。」(P73)としているが、減税の乗数効果との比較をしないといけないのではないだろうか?でも減税の方が乗数効果低いのかな?あとそして赤字国債での公共投資は効果が半減するし(マンデルフレミング理論)、そのあたりについての言及も欲しかった。
著者はP148で夕張市を擁護しているが、個人的にそういう側面もあると確かに思った。
ただ、遊園地やらなんやら流石に行き過ぎじゃないかとも思うけれども。(主観ですが)
私感ですが、著者は政府にはある程度の判断能力が備わっているという前提で政府は補助はもちろんのこと、時には主導もしつつ市場の力をうまく引き出すべきだという主張のようですが、自分は競争にさらされず、報酬も罰則も限定的な政府という組織は無能(個々の方々は無能と言っているわけではないので悪しからず)と化すので、出来る限り市場の力を活用しつつ、政府は補助に徹するべきだと考えているので、政府の役割をどこまでの範囲にするのかという度合いは異なってはくるのですが、これに関しては個々の主義主張の範囲内であると思います。
P155では「個人や企業は経済全体のことなど考えず、自分自身か自分と利害を共有する集団のだけことを考えるからである」としていますが、なかなか耳の痛い話です。個人的には「ことだけ」を考えているわけではないのですが…(誰しもがそう考えていないことも願っていますが)個人的には価値を0から生み出して成功するような人(いわゆる起業家)に関しては、成功しても4割所得税をとられてしまうのなら、誰も挑戦をしないでしょうし、途中でそこそこ成功すればいいやとなりかねないとは感じています。それに関してもおまえがそうだからだろ、と反論されればまあそうかもしれないとしか言えないのですが…。
P166「こうして手っ取り早く人々の人気を得ることが出来る純粋なバラマキ政策、すなわち減税や補助金、果ては地域振興券(1998年)なるものまで実行された」
とおっしゃっていますから、減税の乗数効果は公共事業より大幅に劣るとの認識なのでしょう。ただ、低所得者は消費性向が高いのだから、低所得者向けの減税に関してはある程度の乗数効果が認められるのではないかと言う個人的な仮説はあります。
それに公共事業が常に清廉潔白な人格者が主導出来ればよいのですが、そうはいかないのが現実のようですし、政府支出によって本来は淘汰されるべきゾンビ企業が生き延び、市場の働きを歪めるという問題もあるのですから、それらの問題が発生しにくい減税というのは、公共事業とどちらが有効か長期的・短期的な視点の両方から比較されて良いように思います。
P182では「この改革が日産だけにとどまるなら(中略)日産1社の業績が改善するだけに終わる、しかし日本中の企業がこれを見習えば、(中略)失業が増えてデフレ圧力が高まり、日本全体の消費意欲が減退して物が売れなくなるから、各企業の業績もかえって悪化してしまう。」確かに著者の仰るとおりだと思いますが、この件に関して日産はどうすればよかったのでしょう?賃金が限界生産性を上回っている人員は解雇してはいけないと言うのでしょうかね?解雇出来ないのであれば、コストにおいて国際競争では不利になります。それこそ本末転倒になりかねないかと。
--気になった言葉--
需要刺激策を支持する根拠として、ケインズ自身は社会正義から見た再分配という側面を強調してはいない(P27)
労働者は実質賃金ではなく貨幣賃金の動きに注意を払うからであり、その理由は他の労働者のと相対的賃金水準を期にするからである(P40)
貨幣の持つこれら三つの特殊性、すなわち、簡単に増やすことができず、代用が難しく、たとえその量が増えても人々がその保有に感じる価値が簡単には下がらない、という特徴はすべて、勝ち標準となる資産が持つべき望ましい特徴であると考えられている。皮肉なことに、まさにこれらの特徴こそが、貨幣を他のどれよりも魅力的なものにして、流動性プレミアムを高止まりさせ、購買力を底なしに吸い込んで他の財や実物資本への需要を抑え、不況を生み出してしまうのである。(P118)
ケインズ的需要創出政策も新古典派的市場主義も、その目的は効率化であり、それが本当に効率化をもたらすか否かは、総需要が不足しているかどうかに依存する。(P199) -
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20240621-0707 資本主義の変遷を解明する新しい経済学。本書では、従来の経済学ではうまく説明できない長期停滞や格差拡大という状況について、人々の「資産選考(貨幣選考)」に注目し、経済が豊かになるにつれて人々の興味(欲しいもの)が消費から蓄財(資本形成)に向かい、経済構造が大きく変貌した経緯を説明している。
一国の経済状況を発展段階にある(需要超過の)成長経済と成熟段階にある(消費需要が少なく、資産選好が強い)成熟経済の場合とに分けて考察。成長経済では教育や社会通念としての「節約と勤勉」「画一的な教育」は有効であったが、成熟経済ではそれら、特に前者は景気低迷からの脱出にはマイナスの効果が生じる、と著者は説く。「節約と勤勉」は日本人には美徳として現在でも好意的な印象は強いと思う。この価値観を転換すべきという主張はなかなか刺激的。一家計が節約に努めるのは、その家系の防衛手段としては好ましくても全世帯が同様の行動をとったら景気はますます悪化するのだろう。合成の誤謬だ。
とはいえ我々が節約に励むのは、低所得者層だけでなく富裕層であっても将来不安があるからだと思う。特に年金への信頼度は低い。先行きへの安心感がなければ、なかなか安心して現役世代が消費を活発にすることは難しいのではないか(これは本書の守備範囲外かもしれないけれど)。 -
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管政権の経済政策ブレーンをつとめ、「増税で景気回復!」みたいな主張が切り出して取り上げられて話題になっていたが、もう少し奥があるようなのでとりあえず読んでみる。
流動性選好っぽいのや財政支出重視でケインズ派なのかな?と思ったが、そういう訳でもないらしい。ケインズ派の想定する不況は「短期」の現象だが、こちらは「長期」の不況を想定しているという。さらに乗数効果への批判のところで分かったが、財政支出も増減税もぜーんぶクラウディングアウトしてしまいますよ、という所は新古典派的。けっきょく財政によって創り出される、所得移転以外の効用そのものが問題であり、そこから経済成長・雇用確保ができると。発想の根っこは新古典派に近いと思うが、供給力は足りているとの認識で需要サイドを問題にしているところ、貨幣への偏愛を問題にしているところが違う、かな?
お金を保有したくなってしまう欲求にはキリがないというのがとにかく大事なポイントだ。この場合の「お金」は通常の意味での貨幣に限らない。本書ではあまりそこは直接に解説されていないが、ところどころの記述から推測するに、株だって土地だって価値を表象していて取引がされるのであれば「お金」的要素があると考えてよいみたいだ。そうなると、お金への欲望が土地や株に向かえばバブルが起こり、お金そのものに向かえばデフレと不況が起こる。両者はコインの裏表でしかなく、背後にあるのはモノ・サービスに対する供給力過剰と需要欠如だ。これは肌感覚的に説得力があるな。
かと言って、、、じゃあ需要不足を解消するために、政府が高齢者へ現物支給するだとか、環境だ新エネだとか言われると、「ホントにそこまでのことなのか?」と思ってしまう。いや、議論の方向性は分かる。社会保障にしろ復興にしろ環境にしろ、ある程度やった方が良さそうで、政府がやることでよさそうで、今現在十分にできていないことはたくさんある。バカバカしい公務員人件費削減の自虐プレイなんかしていないで、多少は増税しようが何しようがそういうことにしっかり資源を投入することは必要だろう。でも、この本の議論はあんまりに極端で引いてしまうところもある。そこまでしなくとも需要を見出すことはできるのでは?具体的にどうしろとは言えませんが。。。高齢化しても供給力過剰は続くとの見方だが、そこは危ういのではないか。リタイア年齢を延ばす余地がどれほどあるか、いわゆるロスジェネで未熟練な労働者(あるいは失業者)が増えているであろうことなど考えるとどうだろう。
金融緩和の効果に対しては否定的だが、ここは分量も少ないし、議論もなんだかフワッとして説得力がない。しかし、こここそ、貨幣愛が株・土地に向かってしまう可能性を持ち出すと面白いのでは。
しかし経済学ではいろんな論争があるが、意外と最大公約数がありそうと言うか、政策の実施にあたってはその論争にケリをつけなくたってできることは多い気がする。小野理論は理屈は違ってもけっきょく処方箋はケインズ理論と似ているし、輸出で稼ぐことばかり考えていないで稼いだ国富で消費しろと言うと、野口悠紀雄とまで似たことを言っていることになる。