植村邦彦のレビュー一覧
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パワーワード溢れる興奮の読書。
学者や思想家による〝奴隷“の解釈を追いながら、スタートラインから既に生産手段とされたそれを、最終的に現代の労働と重ねていく。徐々に思想にリアリティが増し本の後半で佳境に入るが、それはまるで、思想が本から飛び出て、まさに読み手が奴隷であった事実を突きつけるかのようだからだ。奴隷が自らと重なり、その脱出方法を必死で本の中に探す。
ジョンロックは自ら奴隷貿易にも出資し、間接的に奴隷を所有していた。社会契約論は、植民地支配を時代背景としている。アダムスミスは奴隷労働は白人労働よりも安上がりだと言う植民地経営の常識を覆す指摘をする。その後、ヘーゲルは主人と奴隷の弁証法 -
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ネタバレこの本の「隠された奴隷制」というタイトルは、マルクスの『資本論』の「ヨーロッパにおける賃金労働者の隠された奴隷制は、新世界での文句なしの奴隷制を踏み台として必要としたのである」という文章に由来している。「隠された奴隷制」とは、黒人奴隷の「むき出しの奴隷制」に対して賃労働で働く「自由な労働」を指している。マルクスが何故に自由人の賃金労働を「隠された奴隷制」と呼んだのか。著者は啓蒙思想からアダム・スミス、ヘーゲル、マルクスを経て、新自由主義まで、この「隠された奴隷制」という言葉の謎を解くために奴隷制の思想史を丹念に追っている。
アダム・スミスもヘーゲルも資本主義経済が発展する中で、今でいうところの -
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労働者の賃金は「彼ら自身の維持と再生産が行われる」最低限の水準に保たれているため、彼らは日々の「個人的消費」によって「生活手段をなくしてしまう」。
つまり彼は、スミスの言う意味で「財産を取得できない人」なので、生活を続けるためには自分の労働力を労働市場で販売し続けることを「強制」されている。
奴隷が受けるのが暴力的な「直接的強制」だとすれば、「自由な労働者」は雇用されて働く以外選択肢がなく、失業したら生きていけないという経済的な「間接的強制」を受けている。
マルクスの「経済学批判」の課題とは、資本主義生産様式の構造を解明するにとどまらず、資本主義的生産様式を「公正な」ものとして正当化する -
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カール・マルクス(1818-1883)による19世紀フランスの階級闘争に関する同時代批評、1852年初版。1848年の二月革命に始まる第二共和制が、如何にして1851年のルイ・ボナパルトのクーデタによる大統領独裁と第二帝政を帰結することになってしまったのか、を論じる。19世紀フランス政治史について相当程度精通していないと、マルクスの文意を正確に捉えることは難しいが、巻末の年表(「政治党派と階級的基盤」「時期区分と階級闘争の構図」)が補助として役に立つ。
刻々と変化する情勢の中で繰り広げられる各階級の政治闘争の錯綜した様態が、マルクスの一種異様な情念とともに描かれており、それがいっそう本書を読 -
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「市民社会」の意味することをその使われてきたコンテクストから、丁寧に追跡している。
筆者の主張は、終章で簡潔に語られる。
「市民社会=市民団体」(日本での捉えられ方)論が期待をかけられるには2つの社会的根拠があると指摘する。
一つは、政府は頼りにならないという国民の政治的感覚、二つ目は資本主義に対する労働階級の社会的無力さ、という。
前者の問題について、代議制の政治制度の欠陥を補完するために、民意が反映される制度的回路の実現が必要と主張する。後者の問題については、新自由主義の構造改革のもとで行き過ぎた企業の営利活動をコントロールする必要があるが、それをできるのは「市民社会」でなく国家だと断言す -
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これも政治学のゼミで読んだものです。
今まで読んだ本の中で1位か2位を争うぐらい
難しい本でした…読むのに本当に一苦労しました(・ω・;)
で、そんな難しい本なのに
この本の3~5章の内容を
まとめて発表する担当になってしまって。
もう本当に泣きそうなぐらい大変でしたが
逆に深く読むことによって内容がわかるようになり、
その後はとても楽しく読むことができました。
一番有名な文章はこちら。
「歴史は繰り返す。一度は偉大な悲劇として。
もう一度はみじめな笑劇として。」
この本はその「偉大な悲劇」である
ナポレオンの登場と、「みじめな笑劇」である
ボナパルトの登場を比較しながら
ボナパルトの行っ -
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岩波文庫で、二度読んだ。
平凡社で新刊が出たのでこちらも購入して読んだ。
ということは、都合3回読んだことになる。
ここに描かれるルイ•ボナパルトは階級闘争の中で偶々祭り上げられただけの平凡で馬鹿な男にすぎない。
マルクスの興味は、歴史上の登場人物には向かはない。
彼の関心は、民主主義を崩壊させた階級闘争過程にしかないからだ。
ルイ•ボナパルトという、下手をしたら江戸幕府を牛耳ってフランス帝国による明治維新を断行したかもしれない怪物に焦点を当てたのが、鹿島茂の怪帝ナポレオンだ。
この二著はセットにして読まなければならない。
1848年の革命から、1851年のルイ•ナポレオンによるクーデタま -
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かつての奴隷度今の労働者にどんな違いがあるのって問う本。正直身も蓋もない話。
アダムスミスのころの社会における奴隷感をはじめ奴隷の状況や奴隷について書かれた思想など広範囲にわたる側面から「奴隷とは」と論じられるのを読むと、改めて奴隷とは自由とは労働とはについて考えたくなる内容だった。
面白いのは奴隷労働が真っ盛りだった当時、”自由”な市民よりも快適な生活環境の奴隷が多くいたりした状況でも「自由」があるから市民は奴隷よりも良い環境にいるといった考えが博愛的とされる人の思想だったりすることで、価値観や物の捉え方考え方は同じ言葉であっても時代が変わると変わったりすることに注意を払わないといけない -
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新大陸における黒人奴隷によるプランテーション経営の成功が、イギリスひいては先進諸国の大規模工場での賃金労働につながった。そういう意味では賃金労働者は隠された奴隷なのだ・・・と言えなくもない。
しかし、そこから一気に新自由主義は資本家階級によ(隠された)奴隷制の強化とつなぐのはあまりにも短絡的ではないか。工業化社会以降は資本と労働はときには闘争状態、ときには協力してここまでやってきた。いたずらに「資本家VS奴隷」を強調するのはマルクス・レーニン主義あるいは全共闘的。共産主義国家の失敗や国内であれば革新政党の弱体化など要素はあまりにも多い。