丸山眞男のレビュー一覧
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丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー ま 18-1)
(和書)2012年09月27日 12:28
丸山 眞男 平凡社 2010年4月10日
数ヶ月前に、柄谷行人さんの講演を聴きに行った。その時、丸山真男さんの話題が出た。デモについてでしたがなかなか面白い話だった。そして最近、片山杜秀さんの本を読んでいて又、丸山真男さんの話題が出た。柄谷行人や浅田彰以上の影響力を持った知識人だという話でした。
そうか今まで一冊しか読んでいない。佐藤優さんのお勧めで読んだ一冊きりだ。そしてあまり意味が分からなかったときた。それで入門編を兼ねてこの本を手に取った。そしたらなかなか面白いではないか!苅部正 -
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「超国家主義の論理と心理」をはじめとした彼の代表的な文章をうまくまとめてあります。丸山眞男を持ち歩くのにとても良い本。
安保闘争を知っている世代はまさに体験として彼を知っているのだろうが、私は彼を原体験として知っているわけではなく、大学の授業で習ってはじめて知った。
しかし、昨今の日本の政治家の発言を聞いていると、氏が示した戦前の日本戦争に突入していった特殊性が根本では解消できていないことに気づく。
例えば、国家、国体を区別できない政治家。また、国家を「形式的秩序」としてとらえられない政治家。だからこそ「教育勅語はいいところもあった」などというのだろう。そういった、一級品の戦前の日本の課題の分 -
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丸山真男の著作(講演も含む)集。
政治的な「思惟方法」について、その在るべき姿が模索される。
日本の伝統的な思惟方法の問題点として、際限のない「無責任」(これは、日本において、中核・機軸となる思想が欠落していること、自由な主体的意識が生まれていないことに一因を帰する)や、「現状追認」(「現実」という言葉が「既成事実」と同義に用いられ、現状の盲目的受容がなされてきた日本の政治にありがちな風景)といった点が、様々な著作において、微妙に形を変えながら指摘される。
講演録である『政治的判断』では
・政治的な責任というものは徹頭徹尾結果責任である
・政治から逃避する人間が多いほど、専制政治を容易にす -
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「日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。」(丸山[1946=2010:80])
丸山眞男は戦後すぐに記した『超国家主義の論理と心理』の末尾を以下の一文で締めくくる。その3年後に記された『軍国支配者の精神形態』の末尾はこうだ。
「これは昔々ある国に起こったお伽噺ではない。」(丸山[1949=2010:184])
以後この調子が続く。ここに丸山の失望を読むことは簡単だ。が、もし失望してしまったのであれば、トゥホルスキーのように口をつぐみ、唖者とし -
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丸山眞男は世間では「左翼知識人」という位置づけなのだろうか?しかし彼はマルクス主義では全然ない。ただ、兵士として原爆投下の日に広島にいたらしく、平和主義を主張していることは確かだ。
周到で学問的な冷静さにあふれた丸山眞男の鋭い分析を、せめて昨今の頭の悪い右翼連中に論駁してもらいたいものだ。
「政治的判断」の中では、「(戦後の)現状はケシカランから(戦前に近い形に戻そうと)改める」というのが現在の保守政党で、「何々を守ろう」と言っているのが革新政党である。という、パラドキシカルな状況を指摘している(377ページ)。
なるほど、日本で言われる「保守性」とは、現在ではなく過去の方向を向いているのに間 -
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p.132(軍国支配者の精神形態)
東京裁判で巨細に照し出された、太平洋戦争勃発に至る政治的動向は、開戦の決断がいかに合理的な理解を超えた状況に於て下されたかということをまざまざと示している。むしろ逆にミュンヘン協定のことも強制収容所のことも知らないという驚くべく国際知識に変えた権力者らによって「人間たまには清水の舞台から眼をつぶって飛び下りる事も必要だ」という東条の言葉に端的に現われているようなデスペレートな心境の下に決行されたものであった。
p.154(同上)
千差万別の自己弁解をえり分けていくとそこに二つの大きな論理的鉱脈に行きつくのである。それは何かといえば、一つは、既成事実への屈服 -
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丸山真男の代表的な論考14遍である。
超国家主義の論理と心理
軍国支配者の精神形態
福沢諭吉の哲学
戦争責任論の盲点
日本の思想 等々
かつて文庫本や新書等で何度かトライしたが、その都度よくわからずそのままになっていたものが多い。その他初めての論文も含めて通読するなかで、丸山真男に対して今回はかなり理解が進み納得感があった。
先の大戦・15年戦争の総括を真剣かつ誠実に行なった政治学者という印象を新たにした。戦争責任の問題や軍部の無責任体制の解明など、日本の海外思潮受容の歴史特性まで遡って統治体制を政治思想や組織構造面から分析する思考の深さと明解さは秀逸なものを感じる。天皇の戦争責任の指摘 -
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断っておきたいが、本書を全面的にレビューはしない。例えば「超国家主義の論理と心理」を取り上げてしまったら、それこそ五千字以上の論文にならないといけないと個人的には思うからである。
先日5月3日の3年ぶりのリアル憲法集会に於いて本書の『「現実」主義の陥穽』(1952「世界」5月号)を話題にしていた。久しぶりに再読したくなった。今年はサンフランシスコ体制(安保体制)70年。正に70年前、丸山眞男は(軍隊の復活に反対している丸山に対して)「現実的でない」という言葉をよく使われたらしい。
現在日本の閣僚のほとんどが参加している日本会議が、「ウクライナは現実を突きつけた」と言っているらしい。
丸山眞 -
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日本の極端国家主義の特徴は、精神的な権威と政治的な権威が分かれていないこと。この極端国家主義が、国民を永きにわたって苦しめ、戦争に駆り立てたのだ。教育勅語で国家が倫理を押し付けるなんてけしからん。国家は宗教や信仰、思想に中立であるべきだ。▼慎ましやかでないし、むき出しの権力でもない。偉そうなのに小物。それが日本的な政治。東条英機などがその例だ。
※過度な一般化。歴史上の短期間の現象や特定の政治家の特徴を強調しすぎており、複雑な全体を一面的に切り取っている。
※日本特殊論。ここが変だよ日本人。日本人はこれこれの特徴をもつと指摘するのは喝采され、外国人がこれこれの特徴をもつと指摘すると「差別」「偏