あなたは、両親が自分のことをこんな風に言っているのを耳にしたらどう思うでしょうか?
『○○なんか、つくらなきゃよかった…』
子どもにとって両親は絶対的な存在です。身近にいる唯一の大人とも言える存在が自分のことをどんな風に考えているのか、これは切実な問題です。一方で両親の側は特に家の中では油断しがちです。目の前に子どもの姿がなければ、ついつい余計なひと言を口にしてしまう…そんなこともあるように思います。
とは言え、上記したような『つくらなきゃよかった』というひと言は問題発言ですし、そもそも表現として生々しすぎるように感じます。こんな会話を子どもが耳にしたらと考えると恐ろしくもなります。
さてここに、両親の会話を耳にした14歳の少女が主人公となる物語があります。『なんで私の世界だけ、こんなに…悲しいのだろう』と思う主人公の叫びを聞くこの作品。そんな世界に『藍色』が希望をもたらすこの作品。そしてそれは、「ぜんぶ、藍色だった」という書名の絶妙さに頷く結末を見る物語です。
『君と私は、似ているね』と、『金魚は私の、唯一の友達』と思い『薬指で、水槽越しに金魚をなでる』のは主人公の蒼井透花(あおい とうか)。『下の部屋から、家族が楽しそうに話しているの』を聞く中に『その笑い声の中に私はもう、混ざることができない』という『透花の心が透明になったのは、十歳の誕生日』のことでした。『両親がプレゼントしてくれた淡い水色のワンピースに着がえ』『ふたりの寝室へ向かった』透花。『うまくありがとうと言えなかった』のと、『「似合ってるね。可愛いね」って、言ってもらいたかった』という透花でしたが、『ドアをノックしかけたとき、お父さんの、「やっぱり、彩花とは違うな…」というため息まじりの声と、「…透花なんか、つくらなきゃよかった」』と『うっとうしそうにつぶやいたお母さんの声が、ドア越しにはっきりと聞こえて』きます。『お母さんはね、透花の笑顔が大好きなの』、『そう言って、やさしく頭をなでてくれるあたたかい手』を思い出す透花は、『妹が成長するにつれ、自分が「いらない子」になっている』と感じています。『彩花は生まれながらにして、とても可愛くて、天真爛漫で、誰からも愛されるようなタイプで ー 若いころモデルのお仕事をしていたお母さんにも、よく似ている』と妹のことを思う透花は、『私の世界には、悲しいことしか起こらない』と思います。
場面は変わり、『蒼井さんって、何考えてるんだろうね』、『全然しゃべらないし、ちょっと、不気味だよね』と陰口を耳にした透花は、学校で『放課後の美術室だけが、私の居場所だ』と感じています。『所属しているのは、幽霊部員の一年生カップルと、受験勉強があるからほとんどでてこない三年生がひとり』という美術部において、美術室は『ほとんどのとき、私だけの空間』でした。『絵を描いている時間がいちばん好き』という透花は、『近ごろは、あおい絵を描いてい』ます。『水彩画を描くようになって、「あお」にはいろんな種類があることを知った』透花は、『今日は、手に入れたばかりの「藍」という色で、空なのか、海なのか、夜なのか、そのすべてが混じったような、絵を描いてみ』ます。そんな時、『きれいな、絵だね』と『背後から、男の子の声がし』ます。『えっと…ありがとう…』と『返事をしてから、こわごわと後ろをふりむ』く透花ですが、『気のせいだったのか、そこには誰もい』ませんでした。
再度場面は変わり、『ねえ、今日転校生が来るんだって』、『男子』、『そう。さっき、すれ違ったんだけど、めっちゃかっこよかった』とさわがしい教室の中に、『みなさん、おはようございます。さっそくですが、今日は転校生を紹介します』と『担任の先生が入って』きました。『そして、転校生が現れた瞬間』、『違う世界へワープしたみたいに、教室の空気がいっぺんに変わ』ります。『はじめまして。不二木藍(ふじき あい)です』と挨拶する転校生の後ろで先生が黒板に名前を書きます。『藍 ー』、『それは昨日、はじめてつかった絵の具と同じ名前』だと思う透花。『え、イケメンすぎない…?』、『映画から抜け出してきたみたい』と『前の席の女子たちのひそひそ声に、心の中でうなず』く透花。『両親の都合で、東京に引っ越してきました。よろしくお願いします』と話す転校生に『どくんと、生き物みたいに心臓が跳ね』ます。『だって目があった気がした』という透花は『気のせいじゃなかった。転校生は、その少しだけ青みがかったように見える瞳で、私を見てい』ることに気づきます。
三度場面は変わり、『放課後、乾いた絵を修正』する透花は『藍』という彼の『名前ばかりが思い浮か』びます。そんな時、『見学、してもいい?』、『部員って、今日は蒼井さん、だけ?』と、藍くんが入り口に立っています。『あ、うん』と『顔がこわばって、小さな声しかでなかった』透花は『いま ー 蒼井さん、って言った』と気がつきます。『あの…どうして、私の名前』と訊く透花に『先生から貰った名簿見て、だいたい覚えたんだ』と返す藍。『そう、なんだ。すごいね』と言う透花に『この絵…抽象画だよね』と、『藍くんは』透花の『絵を見つめて言』います。『あの、昨日…、声かけてくれたのって、もしかして…不二木くん…なの?』と思い切って訊く透花に『ああ…うん。すごくきれいな藍色だったから』と返す藍は、『藍色ってすぐわかるなんて、色に詳しいんだね』と訊く透花に『同じ名前だから、知ってたのかも』とも返します。『じゃあ、つぎの部活見学、あるから』と背を向ける藍に、『…あの』、『またっ…話したい』と『勇気をふりしぼる』透花。『俺も』と答える藍は『じゃあ、また明日ね』と言うと美術室を後にしました。転校生の藍の登場によって、人生が再び輝き始めた主人公の透花。そんな透花と藍のそれからが描かれていきます。
“蒼井透花、14歳。美術部員。地味めな女子中学生。家庭でも学校でも居場所がなく、透明な毎日をすごしていた。けれど、ちょっと天然で不思議なイケメン男子、不二木藍が転校してきてから、透明だった透花の心はだんだんと彩られていく…藍と毎日話すうち、透花はだんだんと藍のことが好きになっていくが、ある日、事件が起こり”と内容紹介にうたわれるこの作品。和遥キナさんの描く主人公・透花のどこか陰を感じる瞳と、”君が私のことを忘れても、…君ことをずっと好きでいたい”という内容紹介に記された言葉がとても気になります。
そんなこの作品の巻末には、作者の木爾チレンさんによるこんな”メッセージ”が記されています。
“初恋は、この世界でいちばん美しい感情だと思います。大人になっても、この小説が君の本棚にありますように”。
“大人になっても”という表現からおわかりいただけるかと思いますが、この作品、「ぜんぶ、藍色だった」は、小学館ジュニア文庫から刊行された、小学生の後半から中学生を主な対象者とした作品です。総ルビの体裁によるこの作品は、対象年齢からもとにかく読みやすいです。一時間かからずに読み終えてしまった私ですが、一方で大人が楽しめないというわけでもないと感じました。そこに記されていく登場人物たちのピュアなまでの心の動きにどれだけ入り込めるかがポイントだと思いますが、大人が読んでも十分美しいと感じる表現も多々記されています。少し見てみましょう。
『山の向こうに夕日が落ちていき、グラデーションがかかっていくように、町が夜に呑みみ込まれていく。暗い色に呑み込まれた区域から、つぎつぎと光が浮かび上がり、全体が輝きはじめる。
ー 宝石箱みたい』。
素直に美しい表現だと思います。ジュニア文庫らしく、この作品には和遥キナさんによるイラストが多々差し込まれていますが、この文章が記された箇所にもイメージにぴったりのイラストが挿入されていて、想像をさらに膨らませてもくれます。美しい表現は対象年齢関係なく素晴らしいものだと思います。そして、次は詩的な表現が一転する場面です。
『クジラのように大きな雲が、ゆっくりと空を泳いでいる。眠っているあいだも地球は回っていて、時間がすぎていくたびに、私たちは気がつかないうちに、大人になっていく。そして、生まれてきたものは、いつか死んでしまう』。
雲をクジラに見立てるはじまりが穏やかな印象を与える文章ですが、『いつか死んでしまう』という悲壮感漂う一文でまとめられています。対象年齢となる子どもたちはこの表現をどのように感じるのでしょうか?いずれにしてもジュニア文庫と言っても大人が読んでも十分楽しめるものだと改めて思いました。
この作品は、表紙に描かれた透花と転校生として彼女の前に現れた藍の二人に視点を切り替えながら展開していきます。改めてそんな二人をご紹介しておきましょう。
・蒼井透花: 『14歳。美術部員。顔も性格も地味で、家や学校に居場所がないと感じている。金魚を飼っている』。
→ 『私はすらりと背は高いほうだけど、これといった特徴のない平凡な顔で、性格も暗』い
・不二木藍: 『14歳。両親の都合で、外国から透花のいる学校に転校してきた。イケメンだが少し天然』。
→ 『髪は色素が薄く、グレーがかった色をしている。長めの前髪から覗く涼しげな目元は、きれいな夜を映している』 by 透花
どことなく二人のイメージが湧いてきます。とは言え、表紙や挿絵に描かれた透花は間違いなくアイドル顔であり、『特徴のない平凡な顔』ではないような…気はします(笑)。
物語の冒頭では、妹と彩花と比較して自分に自信をなくしていく透花の姿が描かれています。
透花 → 彩花: 『彩花は生まれながらにして、とても可愛くて、天真爛漫で、誰からも愛されるようなタイプで ー 若いころモデルのお仕事をしていたお母さんにも、よく似ている』 by 透花
特に子どもの頃は仲が良くても一番身近で常に比較する存在として兄弟姉妹のことを意識してしまいます。それが同性であれば尚更のことだと思います。どこか妹の彩花に引け目を感じていく透花。しかし、それは仕方ないない部分もあります。それこそが十歳の誕生日に透花が耳にした両親の会話です。
『お父さんの、「やっぱり、彩花とは違うな…」というため息まじりの声と、「…透花なんか、つくらなきゃよかった」』と『うっとうしそうにつぶやいたお母さん』
会話の全容を聞いたわけではないとは言え、これはショックを受けない方がおかしいというレベルの会話です。作品としては、この会話もある意味で伏線となっていくのですが、『だってもう、私の世界には、悲しいことしか起こらない』という思いに透花が囚われてしまう気持ちは痛いほどにわかります。そんな中、透花の前に現れたのが転校生の不二木藍です。上記した通り、『イケメンだが少し天然』というどこか憎めない雰囲気感を持つ藍に惹かれていく透花。
『藍くんと出会ってから、まるでさびついていた歯車がまわりはじめたみたいだ。
そんな風に、透花の時間が再び動き始めます。
『藍色って、四十八色もあるんだって』
『絵を描いている時間がいちばん好き』という透花は、『手に入れたばかりの「藍」という色』に魅せられる中に、同じ『藍』という名を持つ藍に惹かれてもいきます。
『きっとはじめて会った日から。 私は…藍くんが、好き。誰かを好きだと思うだけで、心はかがやきだす。だからもう、私の世界はいま、悲しいだけじゃなかった』。
この辺りの展開、表現は、ジュニアの時代に読みたかった!という思いを掻き立ててくれます。逆に言えば、対象年齢にあたる方には是非読んでいただきたい、この透花の思いを感じてもらいたい、そんな風にも感じます。
しかし、一見前向きに穏やかに展開していた物語は後半に向かって大きく動き始めます。藍に隠されたまさかの秘密と、それを受けての展開によって二転三転していく物語は、今の時代ならではのものとも言えます。そして、最後の二行があっと読者を驚かせる中に幕を閉じるこの作品。表紙に描かれた透花の姿が一瞬にして別物に変わるその結末にはサクッと楽しめるジュニア文庫の面白さを存分に感じさせてくれる物語が描かれていました。
『私の世界ね、ずっと、透明だったんだ』
『だけど…君と出会って…透明じゃなくなった』
そんな透花のピュアな心持ちが全編から溢れるこの作品。そこにはジュニア文庫ならではの読みやすさと透明感のある物語が描かれていました。青春っていいな…と遠い目になるこの作品。ちょっと書きすぎな内容紹介にイラッとするこの作品。
この作品世界の先に、傑作「二人一組になってください」が生まれたんだ…と感慨深い思いにも囚われる、そんな作品でした。