板橋拓己のレビュー一覧
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アデナウアー
現代ドイツを創った政治家
著:板橋 拓己
中公新書 2266
四か国によって分断占領された、ドイツ第三帝国は、まさに冷戦の出発点となった
戦後のドイツの方向性を決めたのは、アデナウアーであり、西側とともに生き抜くことを選択する
日本でいう吉田茂が、西ドイツのアデナウアーである
亡くなったときに、国葬となったことでも、戦後のドイツをささえたことでも、二人は似ていると思いました
また、西ドイツは、戦後の奇蹟の経済復興、西側への軍事、および、経済圏への参画など、驚くほど、日本と似通っています。
アデナウアーはその道筋を作り、戦後の復興にドイツを導いた首相だったのです
気になったのは、以下です。
コンラート・ヘルマン・ヨーゼフ・アデナウアー(1876.01.05~1967.04.19)
ドイツ帝国のケルン市に生まれた
ケルンのカトリックは、他のドイツ地域のカトリックと比べると保守色が弱く、リベラルで社会改良志向が強かった
1919年06月 第1次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約が結ばれた
フランスはアルザス・ロレーヌ地域を奪還するととも、ケルン市を含む、ラインラント分離構想を画策した
このとき、ケルン市長となっていた、アデナウアーは、苦心惨憺の上、ラインラントをドイツに押しとどめる
ことに成功した
1920年代 アデナウアーは、ケルン市の近代化を推し進めていく
ただ、そのやり方が強引であること、近代化のために多額の投資をしたことで反感をかった
アデアウアーの手法
①懸案事項について、徹底的に調べ上げ、議論に備えること
②相手に最後まで話をさせること
政治で成功する秘訣は、「最後まで座って居られること」というのが彼の持論であった
1933年~1945年 ナチスとの闘い
アデナウアは、ナチスと全面的に衝突する
ケルン市長の定職
住居を差し押さえられ、俸給停止、銀行口座も封鎖される
仮収容所に押し込められた彼は、全体主義下で「人間的な感情を完全に失った」人間を、あらためて実感する
アデナウアーはこの苦難の時期を何とか息抜き、自宅で終戦を迎えることができた
1945年アデナウアは、アメリカによって、ケルン市長へ復職するも、イギリスのために、罷免されてしまう
失望したアデナウアの心は、ケルンから離れ、中央政界へと向けられていく、本書は、そのことがドイツにとって幸運であったとのべている
物質主義と権力崇拝の蔓延が行きつく果てとして、ナチズムとスターリニズムを同一の範疇に位置付けている
アデナウアーは、個人主義、人格主義を掲げている西側諸国との連携を選択することとなる
1947年 モスクワ外相会議、ロンドン外相会議の決裂にて、ドイツの東西分断が確定的となる
この時以来、西側諸国は、ドイツ中央政府の樹立を諦め、米英仏占領地区の西側ドイツだけで国家を創設する
方向となった
1948年 ボンに、11の州議会から、65名の代表を集めて、憲法制定会議が開かれる
その議長となったのが、アデナウアーであった
1949年 ドイツ基本法として、議会評議会によって採択され、5月に布告された
基本法の根幹理念は、自由民主主義、連邦制、社会国家の3点である
08.14 第1回連邦議会選挙が行われ、09.07 暫定首都となった、ボンで連邦議会、連邦参議院が招集され
アデナウアー初代首相に推薦され、09.15 に首相になる
1949年~1962年 アデナウア連立政権
ザールランド問題
ドイツ再軍備
スターリン・ノート
東ドイツの民衆蜂起と、ソ連軍の武力鎮圧
NATO加盟
ジュネーブ首脳会談
ソ連から9600名の戦時捕虜の帰還交渉
ハルシュタイン・ドクトリン 東ドイツの孤立化
ルクセンブルク補償協定 イスラエル・ユダヤとの和解
イスラエルは、西ドイツとの和解によって、中東紛争を生き残ることができた
戦後、奇蹟の復興
1961年ベルリンの壁
1967年 アデナウアー死去、国葬
目次
はじめに
序章 ドイツとアデナウアー―「西欧化」の推進者
第1章 「破局の時代」のなかで―第二帝政からナチ体制まで
第2章 占領と分断―第二次世界大戦後の四年間
第3章 アデナウアー外交の展開―「西側結合」の模索
第4章 「宰相民主主義」の時代―一九四九~六三年
終章 アデナウアー政治の遺産
あとがき
参考文献
アデナウアー略年譜
ISBN:9784121022660
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:256ページ
定価:820円(本体)
2014年05月25日発行 -
Posted by ブクログ
アデナウアーについて名前しか知らない程度で本書を手に取りました。購入のきっかけは第二次世界大戦後のドイツの政治経済を勉強したかったこと。そのためには、まさにこの時期に西ドイツを率いたアデナウアーの本が一番いいのではないかと思い購入しましたが、期待は裏切りませんでした。
全般的に初心者にも読みやすく、アデナウアーの話だけでなく、敗戦後のドイツそのものの激動について興味深く読みました。
しかし本書を読む限りにおいてはアデナウアーという人はかなり独善的に感じました。ドイツに自由民主主義を定着させるという目標のために、議会民主主義は全然顧みなかったという、ある意味矛盾を抱えていて、しかし言い換えれば原理主義者ではなく、あくまで現実を見ながら妥協や取引を通じて自分の考える方向性を実現する、ということで政治家としては極めて有能だったのだろうなという印象は受けました。1つ不思議だったのは、ヒトラーという独裁者を経験したにもかかわらず、ドイツ人はアデナウアーという別の意味で独裁的な人物をトップに選んだこと。ただし本書にも書かれているようにドイツ人は経済復興に最大の関心を持ち政治はお任せ、という状況だったのもあるでしょうし、何より復興にはある程度強権的なリーダーがいなければ立ち行かない、ということで、まさに戦後のドイツ復興になくてはならない人物だったという印象を持ちました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私の中では「西ドイツの戦後の首相の1人」であるという認識しかなかった。
詳細は読むことをおすすめするが、彼の徹底した「反ソ主義」「間接民主主義」は眼を見張るものがある。「本当に」「何一つ」ソ連の言うことを信用しないのだ(若干民族主義の嫌いもある気はするが)。
ドイツの「臣民」の感覚を利用し、彼は西ドイツに民主政を根付かせることに成功した。
彼のドイツ再統一論は、逆説的ではあるが「東ドイツの存在を認めない」ことにある。彼の中には、ドイツ帝国の後継者たる西ドイツが「メーメル川までのドイツ」を回復することにが脳内にあったのだろう。しかし東ドイツが編入され、東ドイツを編入した西ドイツは、ポーランド政府とゲルリッツ条約(オーデルナイセ線)を追認する条約を結んだ。
彼は徹底した力の政治で西ドイツの「西欧化・西側へのドイツ」をつくり上げることに成功したし、その意味で私は戦後日本の復興と対比させながら読んだ。彼はヒトラー政権での戦争責任を政府としては認めたが、国民に対しては認めなかった。
「何事もタブーにしないこと」が重要なのであろうと思われた。 -
Posted by ブクログ
民主主義は、一次大戦とロシア革命を機に新しい思想と実験が始まり、ファシズムと二次大戦を経て、ソ連型社会主義と西欧型社会民主主義、それにキリスト教民主主義が三つ巴となって展開していく様を丁寧に記している。完全には理解できなかったが、勉強になった。
「決定権力を、資格ある専門家にではなく、無資格の労働者に与えても意味がない」p35
「自由民主主義の安定を脅かす最大の脅威: リスク、不確実性、無知の3つの悪(ケインズ)」p37
「戦争が国民をより均質化し、国民内部の階級差を減少させた」p43
「社会主義は、その指導者がいかに人道的で善意に満ちていても、必然的に、計画を担う中央の権威を樹立することになる」p48
「全体主義にならぬ社会主義はありえない」p49
「社会主義と全体主義は絡み合って分離できません。どちらも目的は国家崇拝なのです」p50
「(対ナチスの戦争)個人の権利を堅固な岩の上に樹立するための戦争であり、人格の高い水準を打ち立て、蘇らせるための戦争(チャーチル)」p55
「(スカルノ)自由と解放は世界で特に恵まれた国民だけのものだろうか。インドネシア人は、オランダ人がインドネシアを支配することが正しいのに、ドイツ人がオランダを支配することがなぜ不正なのか、決して理解できないだろう。どちらの場合も支配する権利は純粋な強制力に依拠しているのであって、人民の承認に則っているのではない」p56
「(チェコ共産党 デニェック・ムリナーシ)我々には政治的経験が欠けていた。我々の唯一の経験は戦争とナチのチェコスロバキア占領であり、その時期の半分は、我々はまだ子どもだった。その一つの帰結は、一方を敵に、その相方を他方に置く、世界を白か黒かに分ける見方だった」p60
「(ハンガリー動乱)労働者と学生のデモは暴力的鎮圧以外の方法では統制不可能に思われた」p67
「経済は手段に過ぎない。目的は魂を変えることにある(マーガレット・サッチャー)」p144
「高度資本主義が「民主主義」や「自由」と特に結合しやすい親和性があるなどと見なすのは笑止千万である。資本主義の支配下で、民主主義と自由が長期的にいかにして「可能」なのか、だ(マックス・ウェーバー)」p144
「(民主主義の危機)(サミュエル・ハンチントン)あまりに多くの人々が、あまりに多くの事柄を統治から得ようとしており、その結果、過剰なまでに統治に参加することを望み、そのことが国家運営をかつてなく困難にしている」p148
「(政府の仕事は政治家に、究極的には官僚機構に委ねるべき)システムは、システムの周りの世界をそれ自身理解可能なものとすることによって、世界の複雑さを縮減してきた。あるシステムによる別のシステムへの干渉は、どんなものであれただちに逆効果を生み出す。したがって、政府が国家行政システムの外部からの「価値」を実現できるなどと考えること自体が、一種のカテゴリーの取り違えである」p149
「(1979)「人権」が左翼と右翼を和解させる脱イデオロギー的、あるいはむしろ脱政治的な合意のシンボルとなった」p158
「全体主義とは一度に完全かつ最終的な確実性を獲得しようとする試みである。これに対して民主主義とは、制度化された不確実性なのである」p224 -
Posted by ブクログ
p.41
ケルン市長アデナウアーの手法の特徴:
第一:懸案事項について、徹底的に調べ上げ、議論に備える。つねに彼は資料をたくさん携え、時には数人の専門家を従えて会議に臨んだ。
第二:相手に最後まで話しをさせること。
相手方が意見を出し尽くすまで自分は黙っている。そして最後に、会議をまとめるかのようにして、自分の意見を押し通す。
政治で成功する秘訣:「最後まですわっていられること」
アデナウアーの、迅速な行政処理能力、タフな思考力には驚く。
p.26
毎日16~18時間黙々と働き、革命家たちと対立しないように、かつ主導権を彼らに奪われないように、次々と決断を下していった。
p.120
・[ペータースベルクでの会議の多くは夜までかかった。]時には、再び朝日を拝むこともあった。そういったとき、われわれ(占領者であるアメリカ高等弁務官府)は疲れて眠くなっているにもかかわらず、アデナウアーの頭はまだ冴えているのだ。 -
Posted by ブクログ
・戦間期(第一次世界大戦と第二次世界大戦の間)を扱っている巻。
・第一次世界大戦で戦場にならなかったアメリカが主導権握り、大量生産大量消費社会→世界恐慌
・ロシア革命指導者レーニン死後、スターリンへ。
スターリンはソ連だけでも社会主義国家を建設するという一国社会主義論↔世界革命論
・世界恐慌でアメリカはニューディール政策(公共事業、政府が価格調整、補助金)、イギリス・フランスは植民地内でやりとりする経済ブロック、ソ連は社会主義で乗り切る。
経済基盤が強いアメリカ・ソ連、豊富な植民地を持つイギリス・フランス…このような持てる国に対し、経済ブロックのメリットを受けられなかった持たざる国(日本、ドイツ、イタリア)は危険な道を歩むことになる。自国外へ進出を狙うようになる。
・右派…秩序を保つためには国家の強権的に支配、革命や共産主義を拒否、ナチ党 ファシスト党
左派…資本家を倒すための闘争で社会を変える、ロシア革命からの影響 共産党 労働党 社会党
・敵国ソ連に対抗するため、ドイツ、イタリア、日本が日独伊三国防共協定。 -
Posted by ブクログ
政治思想史を専門とするドイツ人学者による20世紀のヨーロッパ政治思想史。第一次大戦、ロシア革命当時からの主としてドイツとロシアに着目し、ヨーロッパの政治思想の変遷を明らかにしている。基礎的な知識のない私にとって理解するのが難しかった。
「20世紀は何よりも「イデオロギーの時代」と捉えられることが多い」p3
「イデオロギーは「政治的宗教」と呼んだり、チャーチルのように「神なき宗教」と呼ぶ者もいる」p4
「どのようにしてイデオロギーがこれほどまでに魅力的たりえたか、を改めて意識することが我々には必要である」p4
「19世紀末にパスポート管理を行っていたのはオスマン帝国とロシアだけである」p21
「(バジョット)われわれは民主主義に近づけば近づくほど、粗野な大衆をいつも喜ばせてきた威厳や見世物が好きになっていく」p31
「第一次大戦は大陸の4つの帝国すべて、つまりドイツ帝国、ハプスブルク帝国、ロシア帝国、オスマン帝国を一掃したのである」p32
「(ロシア皇帝について)当時ヴェーバーが主張したように、カリスマはカリスマであることを立証し続けなければならないのに、多くの君主は明らかにそれに失敗した」p34
「第一次世界大戦は、2つの政治的なイメージを遺産として残したように思われる。ひとつは、国家、労働者、資本家の妥協の政治、言い換えれば、合理的な利益の追求の政治である。もうひとつは、国民を救済することに意思を集中させる、軍事化された政治である。どちらも、19世紀の古典的自由主義の否定であり、しばしば「大衆の政治への参入」と呼ばれる挑戦に独自のやり方で対応する試みだった」p49
「ヴェーバーの正当性の三分類、伝統、カリスマ、合法性・合理性」p79
「ヴェーバーは、党の政治機構によって支えられる「指導者型民主主義」に代わるものは、党官僚と名士が舞台裏で影響力を競い合う「指導者なき民主主義」しかない、と頑なに主張した」p79
「労働者と農民、および都市と農村とを結合した壮大な親社会主義連合に加えて、文化的ヘゲモニーの完全な制覇を実現した国はただ一つ、スウェーデンである」p123
「(ルカーチ・1920年)「真の民主主義」とは「形式的な自由」ではなく「連帯の精神のもとで緊密に統合され協力している、ひとつの集合的意志をもったメンバーの活動」である」p163
「(ヒトラー)国民社会主義は、最大限の科学的知識とその精神的表現に基づいた、現実に対する立派で高度に理性的なアプローチである。国民社会主義運動はカルトの運動などではなく、むしろ、人種主義の本質そのものに対する熟考から導き出された民族至上主義で政治的な哲学なのである」p176
「(カール・シュミット)ムッソリーニのような独裁の方が自由主義的議会主義よりもはるかに信頼しうる民主主義の表現となる」p227
「(ヒトラー)わたしは独裁者ではないし、独裁者になるつもりもない。国民社会主義は、議会主義のもとで堕落してしまった民主主義の理念に真面目に取り組んでいるのであり、時代遅れとなった制度がもはや国民全体との実り豊かな関係を維持できなくなったという、まさにその理由で、われわれはそれを駆逐したのだ」p227