澤康臣のレビュー一覧
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ネタバレスマホアプリを通して、当たり前のようにタダで情報を得ているけれども、メディアが情報を得るのには、人件費などのコストがかかっていると再認識させられた。つまり、私たちは対価を払わずに情報を得ているということ。
この状態が続くと、情報の質が低下し、国民が様々な社会問題を正しい情報で考えられなくなると危機感を覚えた。
また、日本国民は、国内の政治情勢などに無関心すぎるとも思った。本の中で、市民は政策のお客ではなく参加者であると書いてあり、共感した。いうなれば、今の日本国民は文句ばかり言うお客。もっと、自分たちの国をよくするにはどうしたらよいかを考えるべきだし、それを考える為に、精度の高い情報に対価を払 -
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ジャーナリズムの国際的な動きを具体的な事例から紹介して、そのあとに日本はどうか、ということについて書いていて、流れとしても読みやすかったし内容もおもしろかった。
ジャーナリズムについてジャン―なリストの視点で取材する、しかも日本人の視点から、国際的な視野で書いである本なので、とても興味深かった。
「パナマ文書」がニュースになって特に調査報道の価値が世界に認められたと思うけれど、じゃあ日本社会ではどうなんだろう、って考えたときに、ニュースの消費者として、もっと時間をかけて追及するジャーナリズムに価値を置き、支持を示さないといけないと思った。
また、前に日本の判例を調べていたけれど思うように情 -
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自分のためのメモになります。
政府も警察も国境を超えない、でも犯罪組織に境界線はない、だから我々記者は国境を越えて力を合わせる、そうすることにしたんだ・・。華々しいことより、地道なことが書いてあった。地味な調査取材は時間もお金もかかり、記者がお荷物扱いされることもある・・フランスの大新聞は企業の資本が入ってしまったこと、いまやNPOがメディアを運営すること、寄付金で調査取材をするメディア、ベトナムの学生の調査取材が毎年、新聞に掲載され、1面を飾ることもあること、インタビューを成功させるためには記者が「人間らしく正直に」なぜ話してほしいかを伝えること。悲しみの中にある遺族であっても厳しい状態に -
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久しぶりにジャーナリズムの本を読んだが、真摯な態度で貫かれている良書だった。新聞の購読者が減ることにより記者の数も減らされていたり、読者の側も目に付きやすい情報に向いてしまうと社会への理解や関心がどんどん低くなることが心配だ。
日本では、日本ファクトチェックセンターやファクトチェック・イニシアティブがファクトチェック活動している。
真実の情報よりデマの方が6倍速く拡散する。後から誤情報を修正しても、それを強く信じるグループにはあまり効果がないという調査結果もある。誤情報を効果的に修正するには、ファクトチェック側の発信源が高く信頼できること、新たな枠組みで考えられる材料を提供すること、相手の -
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ネタバレ事実は把握していない、は、事実はない、とは言っていない。
市民は、行政や政治のお客様ではない。運営側である。これが民主主義。
「太陽光は裁量の消毒薬」=公開して暗闇にしないことが、解決に不可欠。
「取材源の秘密は職業の秘密に当たる」=証言を拒否できる。
新聞は裏付けを取って書いている。噂話では書かない。
三菱電機のサイバー被害では、社内にも知らされなかった。
東京医大、三菱電機、富山市議会、秋田の地上イージス、など。報道がなければ、知らされなかったことばかり。市民は運営側だからこそ、知る必要がある。
スクープは2種類、先んじて報道するものと、公表されないことを報道するもの。
先んじて報道す -
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澤康臣(1966年~)氏は、東大文学部卒、共同通信社の社会部、外信部、ニューヨーク支局、特別報道室等の勤務を経て、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。共同通信社勤務時には、「パナマ文書」の調査・報道の担当、「国連記者会」(ニューヨーク)理事、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所客員研究員等も務めた。
本書は、この20年間のデジタル技術の飛躍的進歩とインターネット情報の指数関数的拡大を背景に、ニュースや報道(所謂「ジャーナリズム」)とその他の情報の区別が曖昧になる中、著者が30年間記者として働いた経験を踏まえて、ジャーナリズムの意味について綴ったものである。
ジャーナリズムとは如 -
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企業や政治家が絡む事件の報道は、大手メディアは時として追及が甘くなるケースがあります。そこには監督官庁への忖度であったり、広告主への配慮であったり様々な”しがらみ”が存在します。そのような制限とは無関係に報道できるのがフリーのジャーナリストですが、一方で組織力、取材資金などの制限を受けざるを得ません。国際犯罪では最早一人のジャーナリストで事件の全体像をつかむのは不可能になってきており、そこで脚光を浴びるのが本書で紹介されているフリーのジャーナリストによる国際協力組織です。
本書1章では、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)がパナマに数多く存在するタックスヘイブンを利用した著名人、政治家の -
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デジタル技術の進歩を背景としたグローバリズムの進展は、ジャーナリズムの世界も劇的に変えようとしています。
それを如実に示したのが、記憶に新しいパナマ文書のスクープでした。
本書の第1章でも取り上げていますが、その舞台裏は実にスリリングで、この種の本としては珍しく興奮して読み耽りました。
きっかけは、南ドイツ新聞の記者の元に届いた1通のメールでした。
「こんにちは。私はジョン・ドウ(匿名太郎)。データに興味はあるか?」
同紙は、2・6テラバイト、実に1150万通にも上るパナマ文書を入手することになります。
しかし、パナマ文書には各国の有力者や関係者、さらには犯罪者が密かに設立した匿名法人が記され -
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タイトルから、ニュースを受ける側がファクトチェックをして、事実かどうか確認すべきだという視点に立った本なのだろうと思っていた。
だが、実際読んでみると、共同通信の記者だった著者がジャーナリストの立場から報道とはかくあるべきだと語る骨太の内容だった。
報道の役割は事実を市民に知らせること、市民が社会の「運営側」として考え行動する上で大切な事実を公表すること。
SNSに比べ、報道メディアは情報の受け手である市民にとって大切かどうかを最重要と見る。正確さが命であり、複数の目でチェックするため、SNSのように機敏にはいかない。
SNSは「あなた好み」のコンテンツを多く表示する。
東京医大の女性差別入試 -
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「ニュースにお金を払う」、考えさせられる。
というのも最近新聞を取る人が減ってて、政府や権力者に黙っていると評価されても仕方がない日本のマスメディアが思い浮ぶ。取材にはどうしても費用が必要でこの費用はケチれるものじゃないから、(単純すぎるかもだけど)お金が減ると取材の質の低下を連想してしまいうんだなあ。(いまもそうかもだけど)偏ったり閉鎖的なニュースばかりTVや新聞がはこびれば、それが日本人の知性の低下につながる訳で、なんとかしなきゃいけない側面な気がする。
健全な民主主義の運営とニュースの関係性、考えると痛いほどその意味がわかるなあ。
後はニュース内容の真偽や偏見があるかとかの見極めや