あらすじ
デジタル情報の総量はこの20年で1万6000倍になったが、権力者に都合の悪い事実は隠され、SNS上にはデマや誤情報が氾濫する。私たちが民主主義の「お客様」でなく「運営者」として、社会問題を議論し、解決するのに必要な情報を得るのは、難しくなる一方だ。記者はどうやって権力の不正に迫るのか。SNSと報道メディアは何が違うのか。事件・事故報道に、実名は必要なのか。ジャーナリズムのあり方を、現場の声を踏まえてリアルに解説。ニュースの見方が深まり、重要な情報を見極められるようになる一冊。
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Posted by ブクログ
スマホアプリを通して、当たり前のようにタダで情報を得ているけれども、メディアが情報を得るのには、人件費などのコストがかかっていると再認識させられた。つまり、私たちは対価を払わずに情報を得ているということ。
この状態が続くと、情報の質が低下し、国民が様々な社会問題を正しい情報で考えられなくなると危機感を覚えた。
また、日本国民は、国内の政治情勢などに無関心すぎるとも思った。本の中で、市民は政策のお客ではなく参加者であると書いてあり、共感した。いうなれば、今の日本国民は文句ばかり言うお客。もっと、自分たちの国をよくするにはどうしたらよいかを考えるべきだし、それを考える為に、精度の高い情報に対価を払うべきだと感じた。
この本を読んで、楽天証券を通して読めるテレコン21を読もうと思ったし、change.orgなどで、署名活動に参加しようと思った。
Posted by ブクログ
■名前と顔のある生身の人が記事に出てくるからこそ
人々にコロナの危険性と、これは自分事だという危機案を伝えたのは志村けんの死だった。
東京女子大教授・橋元良明らのグループによる調査では「新型コロナウイルス感染症に対し、身の危険を強く現実的なものとして認識した出来事」として志村けん死去をあげた人が6割を超えた。「政府による緊急事態宣言」「東京都の一日の感染者100人超え」が2位3位に来るがいずれも4割程度で、志村の死は突出している。
統計や数字ではなく実在の人、実名がある人のことが人の心に突き刺さり、揺り動かす。深く考え、行動する。
Posted by ブクログ
久しぶりにジャーナリズムの本を読んだが、真摯な態度で貫かれている良書だった。新聞の購読者が減ることにより記者の数も減らされていたり、読者の側も目に付きやすい情報に向いてしまうと社会への理解や関心がどんどん低くなることが心配だ。
日本では、日本ファクトチェックセンターやファクトチェック・イニシアティブがファクトチェック活動している。
真実の情報よりデマの方が6倍速く拡散する。後から誤情報を修正しても、それを強く信じるグループにはあまり効果がないという調査結果もある。誤情報を効果的に修正するには、ファクトチェック側の発信源が高く信頼できること、新たな枠組みで考えられる材料を提供すること、相手の世界観や信念を否定しないこと、できるだけ早く修正することが有効。
他人が発信した誤情報を訂正する際は、正しい情報だけを伝える方が良い。「(誤情報)は事実ではない」という言い方をすると、誤情報を繰り返すことにより、かえって印象を強める効果がある。
被害者が自分の経験を社会に公表し、不正を正し世の中を良くするために訴えることに対して、それをバッシングをする人は、個人的なメリットがなければ、こんな行動するはずがないという見方があるため、売名や政治的意図などについての憶測が出てくるものと思われる。
2001年に日本新聞協会と日本民間放送連盟は、多数の記者による乱暴な取材を防ぐための対応策を決定した。それ以降、メディアスクラム防止はメディア界の共通認識となった。
新聞社の総売り上げは、2005年の2兆4000億円から2020年の1兆4800億円に4割近く減少した。発行部数は、2005年の5250万部から2020年の3500万部へと2/3に縮小した。従業員数は、2005年から2020年までに25%減少したが、記者の数は13%の減少に抑えている。
TBSテレビのサンデーモーニングは、番組が打ち切られず、生き延びられる程度の視聴率が維持できれば、番組の質重視で考える生存視聴率という考え方で、1987年から放送を続けている。
Posted by ブクログ
事実は把握していない、は、事実はない、とは言っていない。
市民は、行政や政治のお客様ではない。運営側である。これが民主主義。
「太陽光は裁量の消毒薬」=公開して暗闇にしないことが、解決に不可欠。
「取材源の秘密は職業の秘密に当たる」=証言を拒否できる。
新聞は裏付けを取って書いている。噂話では書かない。
三菱電機のサイバー被害では、社内にも知らされなかった。
東京医大、三菱電機、富山市議会、秋田の地上イージス、など。報道がなければ、知らされなかったことばかり。市民は運営側だからこそ、知る必要がある。
スクープは2種類、先んじて報道するものと、公表されないことを報道するもの。
先んじて報道することも、発表がなければ報道されないと思わせないためにも価値がある。政府の都合のいいタイミングで発表される恐れがある。独裁者の死など。お客さんではなく運営側だから。
大本営発表を安易に信じない。
ニュースは定食で見る=すべてのニュースを見る。新聞には定食機能がある。運営側である市民の基礎情報。
定食を提供するには、定点観測しておくしかない。
アメリカには全国紙という概念は乏しい。ローカル死が6700紙ある。
日本は自分の意見がなくてもうまくいく。むしろ意見をいうとたたかれる。アメリカでは、逆。運営側の意識がある。
デマの拡散速度は真実よりも速い。
SNSは定食ではなく、あなた好みの情報だけ。
スマホアプリはスロットマシン。
日本はツイッターの匿名性が好まれている。フェイスブックの実名公開に抵抗感がある。高校で実名を明かさないように指導している。
国家公務員に秘密を洩らさせることは違法だが、報道のためであれば正当な業務行為。=西山事件。
ミランダルール=手錠をかける際に、権利を告げるルール。
西山事件、朝日訴訟、レベタ訴訟、永山事件、など。裁判に市民の名前を付けるのはレアケース。
中立の立場とは難しい運用。運営側としての判断ができない。中立よりも独立がキーワード。
記者が、事件を前にして報道に専念していいか。助けるほうが先か。
高校生新聞で、自校の応援となることを避けているか、が問われる=独立性が失われる。
公共放送は、民による民のための放送局。政府からも独立しているもの。BBC、NHKの受信料制度は政府やスポンサーへの遠慮、視聴率を優先をしないため。
取材相手には原稿を見せない=報道内容への介入を防ぐ。
ネット広告は、新聞雑誌の広告のようには稼げない。
デジタル市場競争会議の報告では、ネット広告はブラックボックス化している。
デジタルだとメディアは儲からない。広告費がプラットフォームに搾取されている。
デジタル有料化の動き。ネット上のニュースはただ、ではなくなりつつある。
TBSのサンデーモーニングは定食的な長寿番組。
全体をSCANできることが、紙の新聞の長所。
Posted by ブクログ
澤康臣(1966年~)氏は、東大文学部卒、共同通信社の社会部、外信部、ニューヨーク支局、特別報道室等の勤務を経て、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。共同通信社勤務時には、「パナマ文書」の調査・報道の担当、「国連記者会」(ニューヨーク)理事、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所客員研究員等も務めた。
本書は、この20年間のデジタル技術の飛躍的進歩とインターネット情報の指数関数的拡大を背景に、ニュースや報道(所謂「ジャーナリズム」)とその他の情報の区別が曖昧になる中、著者が30年間記者として働いた経験を踏まえて、ジャーナリズムの意味について綴ったものである。
ジャーナリズムとは如何にあるべきかについては、米国の本『The Elements of Journalism(ジャーナリズムの原則)』から、報道のおきて10ヵ条として以下が引用されている。
①ジャーナリズムの第一の責務は真実である。②第一の忠誠は市民たちに対するものである。③その真髄は事実認識の厳格さにある。④その仕事をする者は報道対象から独立を保たねばならない。➄独立した権力の監視役を努めなければならない。⑥皆が批判と歩み寄りの議論をする場を提供しなければならない。⑦重大なことを面白く、自分事に感じられるよう努めなければならない。⑧ニュースがものごとの全体像をバランス良く示すように保たねばならない。➈その仕事をする者は個人としての良心に従うことが許されなければならない。➉市民もまたニュースに関して権利と責任がある。
本書の内容は、過去の報道の事例等を引いて、この10ヵ条の重要性を説明している部分が大きいが、更に、SNS全盛の時勢を踏まえて、SNSとジャーナリズムの違いやSNSの問題点(偽情報・誤情報を含む玉石混交であること、自分好みの情報が集まるシステム的な問題、匿名性の問題等)、また、ニュースにお金を払うことの意味等についても、詳しく述べられている。
私は以前からジャーナリズムに関心を持ち、本書に出て来るノンフィクション作品の多くも読んでおり、著者の主張の大半はこれまで感じてきたことなのだが、一点新たに考えさせられたのは、「実名報道」の意味である。日本ではしばしば、被害者や被災者(場合によっては、加害者も)を、本人や家族に配慮して、匿名で報道することがあるが、著者は、基本的には実名で報道するべきというのだ(欧米では実名報道が原則である)。それは、「本人や家族が公表を望むかどうか」と「社会やその歴史にとって重要な情報かどうか」は全くの別問題であり、社会をより良くしていくために必要なことだという。そして、実名報道によって、取材や報道で嫌な思いをしたり、SNSで誹謗中傷を受けたりする現実も理解しつつ、それでも、「平穏や秩序のため情報を統制する社会」よりも「市民が情報を生かし、差別や偏見をしない社会」という理想を追求するべきと強調する。
そして、上記を含めて、ジャーナリズムの最も中心的な役割とは、「市民が民主主義の『運営側』として、必要な情報を得る」ようにすること、という著者の軸には全く振れはない。
ハウツー的な内容を期待すると少々肩透かしを食うが、ジャーナリズムに関心のある向きには興味深い一冊だろう。
(2023年6月了)
Posted by ブクログ
タイトルから、ニュースを受ける側がファクトチェックをして、事実かどうか確認すべきだという視点に立った本なのだろうと思っていた。
だが、実際読んでみると、共同通信の記者だった著者がジャーナリストの立場から報道とはかくあるべきだと語る骨太の内容だった。
報道の役割は事実を市民に知らせること、市民が社会の「運営側」として考え行動する上で大切な事実を公表すること。
SNSに比べ、報道メディアは情報の受け手である市民にとって大切かどうかを最重要と見る。正確さが命であり、複数の目でチェックするため、SNSのように機敏にはいかない。
SNSは「あなた好み」のコンテンツを多く表示する。
東京医大の女性差別入試、三菱電機のサイバー攻撃被害、富山市議会の政務活動費着服、秋田市の地上イージス艦配備に関するデータなど、記者が真実を調べなければ、市民が事実を知らずに暮らしていた可能性が高い。
市民にとって大切な真実を伝える報道の力をあらためて認識した。
Posted by ブクログ
マスコミというのは、本来民主主義を成り立たせる上で無くてはならないものだった。「マスゴミ」と揶揄したくなるのはわからないではないが、マスコミ側も市民側は、もっとメディアというものについて、その役割と重要性を考えていかねばならないのだと思う。
Posted by ブクログ
「ニュースにお金を払う」、考えさせられる。
というのも最近新聞を取る人が減ってて、政府や権力者に黙っていると評価されても仕方がない日本のマスメディアが思い浮ぶ。取材にはどうしても費用が必要でこの費用はケチれるものじゃないから、(単純すぎるかもだけど)お金が減ると取材の質の低下を連想してしまいうんだなあ。(いまもそうかもだけど)偏ったり閉鎖的なニュースばかりTVや新聞がはこびれば、それが日本人の知性の低下につながる訳で、なんとかしなきゃいけない側面な気がする。
健全な民主主義の運営とニュースの関係性、考えると痛いほどその意味がわかるなあ。
後はニュース内容の真偽や偏見があるかとかの見極めや考察等、知る側としてニュースを目にしたらまずは「ちょっと自分でよく考える」ってアクションが凄く大事だなあと改めて実感しました。
Posted by ブクログ
日本の常識は世界のそれとは違う。そうかそもそも視野を広げることすら考えていなかった
確かに、匿名の関係者によるコメントとされる物はたくさんあるが見聞きするこちら側の信用度は正直低い