金菱清のレビュー一覧

  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから

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    遺族にとって「夢で会う」ということは、唯一生の世界と死の世界を繋いでくれる手段
    急に大切な人を奪われた遺族はそこでしか会えない
    その事実が余計に胸をえぐられる
    史実としての3.11は見たり聞いたりするけど、これほど遺族の方の内面を目の当たりにすることってなかなかない

    金菱さんが裏方に周り、大学生にこれをやり遂げさせたところに感心する

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    2024年10月10日
  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから

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    胸が締め付けられる。辛い経験を学生に話すということは、若い学生さんだろうけど、それだけきちんと相手に向き合ったということだろうと思った。夢でも会えると悲しくて辛くて嬉しい。そうやって少しづつ生きていくのだろうな

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    2024年02月03日
  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから

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    あれから10年経つ今でも、まだまだ、日常を取り戻せないでいる人たちがいることを心に留めておかなければと思った。

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    2021年03月09日
  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから

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    夢のインタビュー集

    ゼミ生が被災者の方々にインタビューし、夢を聞いて行く流れだが、震災について、大切な人を亡くすことについて、後悔や無念、日々の生活のこと、夢について聞くことで様々な角度から浮き彫りにしていて、やるせない気持ちと同時に、夢で亡くなった人と繋がる、時間を共有することについて考えさせられた。


    今まで読んできた本でなかった形式で、生死について考えることが多い本だった。

    絆も考えるきっかけになる。

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    2021年02月27日
  • 私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから

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    金菱清『私の夢まで、会いに来てくれた 3.11 亡き人とのそれから』朝日文庫。

    東北学院大学の金菱清教授とゼミ生たちが1年間に亘り、東日本大震災の被災地を巡り、震災体験による『夢』の証言を集めたノンフィクション。

    あの未曾有の東日本大震災の大津波で自分が生き残ったことへの贖罪の意識、親族や友人を助けられなかったことの悔しさ、悲しみ、後悔。様々な思いが証言の中から窺える。亡くなった人から夢の中で励まされたり、怒られたり、読んでいく内にあの日のことが思い出され、胸が締め付けられた。

    自分自身、良く知る陸前高田市や気仙沼市、階上、本吉、南三陸の津波被害の状況を目にした時、毎晩のように夢の中でう

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    2021年02月05日
  • 震災学入門 ――死生観からの社会構想

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    ■被災者同士のタブー。家族を亡くした遺族から話を切り出されれば自分たちも話すがそうでない人に対しては話さない。家族を亡くした遺族も亡くならなかった人も一線をお互いに設けている。
    ■「記録筆記法」は被災者自らが大災害で経験した事象についていつ誰がどこで何をどのようにしたのかを書き綴っていくというシンプルなもの。
    ■災害や戦争など生き残った人々が強迫自責を追うとされる「サバイバーズ・ギルト」に囚われている被災者遺族は「そのとき何かができたはずである」「亡くなった人に申し訳ない」という罪悪感を心の中に強く刻みつけている。
    ■痛みは取り除くよりも,温存すること
    ■ポーリン・ボスは「曖昧な喪失」(行方不

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    2016年06月11日
  • 震災学入門 ――死生観からの社会構想

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    政府が対応し、マスメディアが伝える。その当たり前になった震災の「イメージ」ががらがらと崩れ、今まで気付かなかった、そこに生きる人々の息遣いが感じられた。

    ・日本は世界で希に見る四つのプレートの境界に隣接し、世界の九割以上の地震が頻発する地帯にあり、さらに台風をはじめ急峻な山々に囲まれた土砂災害や洪水に見舞われる災害列島である。
    ・記録という行為で、心の痛みを取り除くのではなく、痛みを温存する。この「痛み保存」法は、その痛みは当人にとって愛する家族との大切な思い出として、むしろ保持される。それが亡くなった家族との関係性を修復することにつながっていくのである。
    ・彼女ら彼らが慟哭の記録に対して肯

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    2016年06月06日
  • 反福祉論 ――新時代のセーフティーネットを求めて

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    何かをしなければ「死」という状況では、制度が役に立たないこともある。本書はそこを突破するにあたって、思想的、実践的に極めて興味深い指摘に満ちている。事例(ケース)がとって付けたものではなく、論の血肉になっている。不条理を嘆いているだけでは、明日はこない。たくましさ、生き延びるための優しさが大事なんだな。今の自分に必要な視点であった。

    ・ヨハネ:裁き、イエス:赦し
    ・裏を返せば、福祉という制度から投げ出された人びとの工夫である「生きられた法」は、裏の福祉のあり方そのもの。
    ・「生きられた法」は、法律としてのルールではなく、世界の使い方の実践である。これは法構築理論の「抵抗」のあり方とは一線を画

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    2014年09月16日
  • フィールドワークってなんだろう

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     大人になっていくにつれ、我々の生きる世界は狭くなっていく。自身の普段過ごす社会から意識的に抜け出し、別の世界に入り込みじっくり付き合っていくと、今まで常識だと思っていたことやものの捉え方を問い直す・問い直されることになる。いま、臨床研究で悩んでいる最中なので、「現場(フィールド)と理論(研究)の往復運動が欠かせない」(p51)という記述に励まされました。

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    2025年08月10日
  • 反福祉論 ――新時代のセーフティーネットを求めて

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    福祉や保険制度があって、それにあわせて人を救おうとしても、それはごく限られた対応でしかない。
    制度的救済は、生活の一部にのみ関わるもので、適応範囲をいくら広げ、細かくしていっても、全面的な解決はありえない。

    そうした当たり前のことを、制度外で生きる人々の暮らしや、イエスの生きた姿から問い直そうとする本書の試みは、福祉制度を設ければ万事片がつくかのように考えがちなわれわれにとって、とても新鮮に映る。

    国の予算の半分を借金でまかなっているわが国の財政がいつまでもたちゆく筈がなく、こうした根本からの問いかけが求められているのは間違いない。

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    2020年05月13日
  • 震災学入門 ――死生観からの社会構想

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    例えば、あの日から自分は何を学んだのだろうと考える。
    大地震、震度1にも気づく感覚、津波の恐ろしさ、原子力発電、瓦礫と被災物etc...
    あるいは死生観というものも変わっただろうか。災害列島で生きていく覚悟。

    すべてがあとがきの一文に集約されているのではないだろうか。

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    2016年05月23日
  • 震災学入門 ――死生観からの社会構想

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    津波に襲われるのは起こりうることで、許容するのではなく、しかしそういうものだと受け容れる。これは歴史である。人は死ぬものだ。だが、街は死なないようにもできる。それが歴史だろう。

    国が生きるか、街が生きるかどちらの歴史が優先されうるのか。当事者主権というのは国を成り立たせている原理でもあるのだから、基本的には筆者の訴えるように下からの歴史と意識を尊重するべきである。

    ただし、歴史はいつでもフィクションに裏返る。そういった但し書も必要だろう。

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    2016年03月07日
  • 反福祉論 ――新時代のセーフティーネットを求めて

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    既存の福祉の制度からこぼれてしまった時にどうすればいいか、という話だから、別に「反」福祉論ではないかなぁと思った。事例は参考になるが、これをどう活かしていくかと考えたときに、なぜそのようなことが実現したのかという要因の分析などが甘い気がするし、解釈に疑問が残るところはある。5章のイエスに関するくだりは正直なくていいと思った。
    現状の制度でどうにもならないのであれば、生きていくために自分たちでどうにかしていかなかければならないのはその通りであるが、その時に、根本問題から目をそらさないようにしたいと思った。

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    2014年11月05日