■被災者同士のタブー。家族を亡くした遺族から話を切り出されれば自分たちも話すがそうでない人に対しては話さない。家族を亡くした遺族も亡くならなかった人も一線をお互いに設けている。
■「記録筆記法」は被災者自らが大災害で経験した事象についていつ誰がどこで何をどのようにしたのかを書き綴っていくというシンプ
...続きを読むルなもの。
■災害や戦争など生き残った人々が強迫自責を追うとされる「サバイバーズ・ギルト」に囚われている被災者遺族は「そのとき何かができたはずである」「亡くなった人に申し訳ない」という罪悪感を心の中に強く刻みつけている。
■痛みは取り除くよりも,温存すること
■ポーリン・ボスは「曖昧な喪失」(行方不明)を「明確な喪失」と区別し,その状態が最終的か一時的かが不明であるため,残された人々は困惑し問題解決に向かうことができないとしている。
■「曖昧な喪失」が多くの人々に長期にわたって深刻なストレスフルな状態を引き起こす一方で,経験的知見を加えながら失われていないものを明らかにすることを通じて,経験者がその人生を前進させている。
■国の中央防災会議「東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会」において,二つの基準をつくる
・L1:数十年から百数十年に一度の頻度で訪れる規模の津波の高さ
・L2:数百年から1000年に一度の割合で訪れる当該地域で最大規模の津波の高さ
■国や自治体は津波被害を完全に封じることは不可能だとしてL2対策に舵を切っている
■防災は行政の役割という考え方が当たり前になっているがこれはとても危険。自分の命を守ることに対する主体性が失われ,災害過保護状態が顕著で,その結果として人為的に作り上げた安全は,物理的,確率的な安全性を高めたが,人間や社会の脆弱性をかえって高めることになっている(片田敏孝)。
■宮城県気仙沼地域が市を挙げて巨大な防潮堤に反対している理由を探ってみると必ずしも費用対効果論では収まり切らない「文化的価値」が歴史的にみて比重が高く防潮堤をつくらない方向に向かわせていることが分かる。
■「沖出し」は,水深50メートルの沖合に行くことができれば津波の被害受けないとされる。
■「津波」という言葉自体,三陸沿岸で使われるようになったのも明治29年の大津波のときからで,それ以前は「ヨダ」という言葉を用いており,海霊を表す「ヨナ」に近いものとして単なる海のことではなく,そこには意志を感じるものが含まれている。
■D・P・アルドリッチは,中央集権的な復興政策の計画の大半がうまくいかない背景には,地域が持つソーシャル・キャピタルの機能を軽視している点を挙げ,公的及び民間部門の意思決定者は災害前後の各段階においてソーシャル・キャピタルを高めるような政策を構築・適用していく必要性を説く。
■避難生活を強いられ,初めての都市の暮らし,そこには匿名性でありながら,誰かに常に見られている「まなざしの地獄」がある。