川奈まり子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いつだかうちのマンションのゴミ捨て場から拾ってきた本のうちのひとつ。ようやく読めました。
〜ここで半年経過〜
ちょっと待って、どんな話なんだっけな…。あれだ、元セクシー俳優の筆者が実際に行き合った、AVには関係あったりなかったりするアングラな世界観に潜む怪奇について書いた随筆的なやつだ。いかんせん拾いものだから、積んでる間中もっとがっつり怖いフィクションホラーかと思ってたがそんなことは特になかった。しかしこういうのもあまり触れたことないので面白かったよ。霊現象に遭遇したと思しき実体験やその又聞き(信じてるぜ)なので、現実の霊体験ってあったら確かにこんな感じかもな…という見聞を広げるのは興味深かったし、怖いといえば怖くもあったよ。全然霊現象なんて出会いたくなさすぎるものだよな…と襟を正すような話もあった。 -
Posted by ブクログ
タイトルに「怪談」とあるが、読んでもちっとも怖くない。この本は、八王子界隈で体験または採取された怪談の、背景などを探るルポルタージュであるから。
採録された話の「怖さ度合い」もピンキリで、中には「もっとホラーっぽい文体で書いたら、ずっと怖くなるだろうに」と思われるネタも散見される。が、作者は、あくまで第三者として客観的な文調は崩さない。が、中には、ご自身が幼少期に体験したエピソードも載っていて、図らずもそれらはちょっと怖い(^ ^;
八王子城跡、道了堂跡など、何度も登場する場所は、読後是非行ってみたいと思ってしまう(^ ^ 怪談を入り口として、観光客誘致にも一役買っているのではなかろうか(^ ^
最終章の、実際にあった殺人事件をベースにした都市伝説の「裏取り」をして、矛盾点を白日の元に晒す件は、本書の一番の見どころである。むしろこのために「ルポ」の体裁を取ったようにも(^ ^ 「怖がりたい」人より、「基礎固め」をしたい人向けの一冊か(^ ^ -
Posted by ブクログ
「四谷怪談」らしく、読んだのはお盆の頃。
面白かったんだけど、いささか、衒学的になりすぎちゃったかなぁー(^^ゞ
「四谷怪談」=怖い!なんだから、もうちょっと怖がらせてくれてもいいんじゃない?みたいなw
もちろん、この本は「四谷怪談」が成立していく過程を紹介する内容だから。
やもすれば、「四谷怪談」を"お勉強”するような内容になるのはしょうがないし。
なにより、そのことも期待して読んでいるわけで、それはそれで全然OKなんだけどさ。
でもさ。「四谷怪談」というのは怪談なわけじゃん。
怪談ということは、怖さを楽しむ「娯楽」じゃん。
「四谷怪談」に学術的意味や知的好奇心を求めて、この本を手に取った人もいるのかもしれないけど、自分はそれだけではなかったので(^^ゞ
夏といえば怪談だよね。怪談といえば「四谷怪談」だよね。「四谷怪談」といったら、無茶苦茶怖いよね的に。軽ぅ〜い気持ちで手に取ったこともあって。
『四ツ谷雑談集』、講談・落語の「四谷怪談」、『東海道四谷怪談』と繰り返される「四谷怪談」のストーリーに、「え? また読むの、これw」となってしまったのは事実だ(^^ゞ
ていうか、これじゃ、まるで、『文藝百物語』に出てくる「繰り返す四谷怪談」だよなぁーwって、読んでいて苦笑してしまったくらいだ。
とはいうものの。
『四ツ谷雑談集』→ 講談・落語の「四谷怪談」→ 『東海道四谷怪談』での「四谷怪談(というより、お岩さん)」の変遷は、すごく興味深かったのは事実だし。
『四ツ谷雑談集』では、怪談であると同時に哀しいストーリーとして描かれていたその話が、講談と落語では一転、大衆の下世話な好奇が求めるままにグロテスクに変容する様は、元ネタに尾ひれ眉唾つけまくって、"怪談好きの怪談好きによる怪談好きのための怪談に仕立て上げちゃう”、「実話怪談」と呼ばれる今の怪談そのままで(ま、今の「実話怪談」に限らず、怪談というのはいつの時代もそういうものなんだろーけどねw)。
世間というのは、結局、昔も今も変わらないんだなぁーと、ミョーにしみじみ(^^ゞ
そういえば、前に「四谷怪談」に関する本を読んだ時は、確か『四谷地誌(字は違うかもしれない)』という、怪談とは何の関係もない書物があって。
そこに貞女だか孝女の「お岩」という人が出てきて、その人が「四谷怪談」のお岩さんのモデルになった、みたいに書かれてあったような記憶があるんだけど(読んだのはかなり前なんで定かではない)。
この本では、その『四谷地誌』のことに一切触れられていないのがどういうことなんだか、その辺りがよくわからない。
でも、この本で「四谷怪談」の大元とされている『四ツ谷雑談集』の中で描かれている「お岩さん」を見る限り、たぶん、『四谷地誌』の「お岩」と同じ人物なのだろう。
ただ、同じ人物といっても、確か、『四谷地誌』の「お岩」は怪談とは関係ない人なのに対して、『四ツ谷雑談集』の中で描かれている「お岩さん」は怪談の登場人物という大きな違いがある(注:『四谷地誌』のことはかなり前に読んだ本の記憶なので定かではない)。
ただ、『四谷地誌』の「お岩」にしても、『四ツ谷雑談集』の中で描かれている「お岩さん」にしても、その人を良い人ーー『四谷地誌』では貞女だか孝女。『四ツ谷雑談集』では結果的に怪談の主人公になってしまったものの、生前は不幸にめげずに毅然と生きた女性ーーとして書かれているわけで。
そういう人のエピソードを、どうして、講談・落語の「四谷怪談」以降は、大衆の好むドロドロの人間関係に基づくグロテスクな話に変えてしまったのか、その辺がイマイチ理解できない。
だって、たとえば今、美談か何かで話題を集めた人、仮に女性がいたとして、その人に関わるエピソードをエンタメ界がわざわざ怪談にする?
しないよね。
もちろん、今と江戸時代ではそういうことの仁義に多少の違いがあったのは確かだろう。
でも、『四谷地誌』の「お岩」は貞女だか孝女として、世間の尊敬を集めていたのだ。
世間のウケがなにより大事なエンタメ業界が、その世間の尊敬を地に落として世間から批判を浴びるようなマネは、江戸時代だってしないように思うのだ。
(もっとも、時代を経ることで評価が変わるということはあるのだろうけど)
もっとも。
怪談とは関係ない『四谷地誌』の「お岩」さんが、“なんらかの理由”で『四ツ谷雑談集』の中で怪談の主人公である「お岩さん」になったことで、ネタを探している講談・落語がそれを大衆の嗜好に寄り添ったエンタメ怪談に仕立て上げちゃった……、ということなら、それは今の「実話怪談」と呼ばれる、怪談好きの嗜好に寄り添って作られるエンタメ怪談と同じなので、まー、それと同じことか、と理解出来なくはない。
それこそ、今の「実話怪談」だって、かつての連続幼女殺害事件の被害者のことを(家族の気持ちを一切考えないで)平気でネタにしている連中がいるわけだ。
そのことを踏まえれば、確かにそれはあり得るだろう。
ただ、だとしたら、怪談とは関係ない『四谷地誌』の「お岩」さんが、なぜ、『四ツ谷雑談集』の中では「お岩さん」という怪談の主人公になってしまったのか?という疑問が出てくる。
実は、この本には、その疑問に対する回答のようなもの、というか、この本を読んでいて、「もしかして、そういうこと?」と思ったことが書かれている。
それが、「第4章:伝承と信仰に息づくお岩さま」の中の、「2.於岩稲荷田宮神社に伝わるお岩さまーー鴛鴦夫婦説」にあることで、そこにはこう書かれている。
“お岩さまと婿養子の田宮伊右衛門は人も羨む鴛鴦夫婦だったが、禄高30俵の家計は苦しく、お岩さまは屋敷神を信仰しつつ奉公に出て蓄えを増やした。おかげで田宮家は再興した。これが評判になり、近隣の人々が幸運にあやかろうと、田宮家の屋敷神を信仰するようになった(ーー於岩稲荷田宮神社が謳う同社の起源)”
上記は、「於岩稲荷田宮神社」が参拝客に向けて謳っていることだから、“人も羨む鴛鴦夫婦”に見られるように殊更きれいな話にしている面は多分にあるのだろう。
ただ、この本では、岡本綺堂が言っていたことも紹介されていて。
それによると、“お岩稲荷の縁起は徹頭徹尾めでたいことであるにも拘らす、講釈師や狂言作家が敷衍して勝手な怪談を作り出し、世間が又雷同したのである”となっている。
つまり、おそらくは、勤勉な「お岩」さんによって再興した田宮家の屋敷神が、近辺の人たちに「お岩稲荷」としてお参りされるようになった、ということが“事実”なんだと思うのだ。
ただ、好事魔多しなのは江戸時代も同じだったんだろう。
ここからは自分の想像だけど、つまり、勤勉な「お岩」さんによって田宮家が再興したことで、その幸運を妬んだ人たちがいた。
妬んだその人たちが、再興した田宮家、あるいは「お岩」さんの陰口を言い合うようになった。
その陰口だけを聞いた講釈師や狂言作家が、「そんな悪いヤツなら怪談の主人公にしちまえば、みんなにウケるだろう」と勝手に怪談に仕立てたら、本当にウケちゃった。
……という経緯であれば、今でも、人気があったタレントに対する世間の手の平返しみたいなことは普通にあるわけで、なんとなく納得出来る。
つまり、今で言う「有名(人)税」みたいなもので。
「お岩」さんが世間に知られているからこそ、講釈師や狂言作家は怪談のネタや登場人物にした。
そして、「お岩」さんが世間に知られていたからこそ、世間は怪談の主人公になったことに拍手喝采した。
そういうことなのだろう。
自分は怪談が大好きなバカなので(爆)
猫も杓子も言いたがる、「一番怖いのは生きている人間」などという陳腐な慣用句は、口が裂けても言いたくないのだけれど(^^ゞ
でも、これに関しては、まさにそういうことなんだろうなぁーという気がしてしまう。
この本には、読者サービス(?w)として、著者が集めた四谷怪談にまつわる「実話怪談」がいくつか載っている。
著者はそれを「実話怪談」としているものの、それらは程良い感じの怖さで。そこはかとなーく漂ってくる、その怖さがすごくいい。
なんで、それを「実話怪談」という安直なカテゴリーにしたんだろう?と個人的には不思議に思ってしまうくらいだ。
というのは、上記にも散々イヤミったらしく書いたけど、自分は「実話怪談」と呼ばれる今の怪談が好きではない。
それは、「実話怪談」と呼ばれる怪談が、あまりにもつまらないからだ(^^ゞ
なんでつまらないかと言うと、大抵の「実話怪談」は、怪談が好きな人が、元ネタを、怪談が好きな人が好むように尾ひれ眉唾つけて“作った”、怪談が好きな人のための怪談、つまり「駄法螺」だからだ。←あくまで個人的な見解ですw
ただ、怪談というのは、そもそも、そういうものであるのも確かだ。
(だから、いつの時代でも、怪談を「馬鹿馬鹿しいもの」と思う人が多いのだろう)
にも関わらず、今の「実話怪談」が嫌いなのは、90年代のホラーブーム、怪談ブームを経たことで、実話に基づく怪談が、ウケるための怪談、つまり、いわゆる「実話怪談」という、たんなる“作り話”に成り下がってしまったからだ。←あくまで個人的な見解ですw
つまり、自分が今の「実話怪談」と呼ばれるものが嫌いなのは、それがウケるための作り話だからということだけではなくて。その、“ウケるための要素”が嫌いだからだと思う。
知らなかったのだけれど、実は、この本の著者も、その「実話怪談」作家らしいのだがw
でも、この本を読んで、ちょっと好感を持った。
というのは、著者が「第2章:講談・落語『四谷怪談』のお岩さま」の中で紹介している、現代の講談師、6代目一龍斎貞水と一龍斎貞寿の言葉だ。
6代目一龍斎貞水が言ったのは、“怪談は難しい。人間のデッサンをきちんと取れないと出来ない”。
それは、一龍斎貞寿が6代目貞水に聞かされたことらしいのだが、その一龍斎貞寿は著者にこう言っている。
“私は、お岩さまを単なる化け物にしたくなかったんです。お岩さまという女性の立場に立ってみたら、夫に尽くしていたのに浮気され夜鷹長屋に売り飛ばされ、化けて出て、周りの人をバンバン殺しまくって……、それでお終いって、納得行かないですよね?”
幽霊(今風に「霊」でもいいが)が、どういう存在なのかはわからない。
生きている人のように自我や意志を持つ「魂」なのかもしれないし、たんなる、死んだ人の「意志」なのかもしれない。
ていうか、生きている人が頭の中で勝手に感じる、データみたいなものなのかもしれない。
もちろん、たんなるデマカセにすぎないのかもしれない。
それはわからない。
わからないけれど、亡くなった人の姿でソレを見る以上、人はソレに対して、ソレが“生きていた人”であった時と同じように礼儀を持って接するのが普通の人の態度であるはずだ。
もちろん、ソレに生きている人と同じような感情があるかはわからない。
さらに言えば、ソレがかつて生きていた人の姿をしているということは、多くの場合、ソレの家族や親戚は、生きている人として存在しているはずだ。
当然、その人たちには感情がある。
ということは、その人たちに対して、人としての礼儀を持って接しなければならないのは誰でもわかる理屈だし。
家族たちも、ソレに対しても礼儀を持って接することを求めるはずだ。
さらに言えば、今、ソレに家族や親戚がいなかったとしても、ソレがかつては同じように生きていた人だったということは、生きている人がソレに対して共感や親しみ、あるいは信仰している人たちだっている。
ということは、今もソレに対して共感や親しみ、あるいは信仰している人たちの気持ちに敬意を払わなきゃならないはずだ。
面倒くさいことを書いているようだけど、単純に言えば人と人の仁義は守らなきゃってことだ。
一龍斎貞寿が著者に、“私は、お岩さまを単なる化け物にしたくなかった”と言ったのは、「お岩さん」に共感や親しみを感じたからこそなんだろうし。
また、6代目一龍斎貞水が貞寿に、“怪談は難しい。人間のデッサンをきちんと取れないと出来ない”と言ったのは、たぶん、幽霊が人として生きていた時の思いや心を理解しないと、怪談は怖くない。だから、“怪談は難しい”ということなんだと思うのだ。
「四谷怪談」が怖いのは、作られた怪談のキャラである「お岩さん」の姿が恐ろしいからなのは間違いない。
でも、「四谷怪談」のあの問答無用の怖さというのは、なにより、あんな恐ろしい姿形で祟らざるを得ないお岩さんの哀しさが、誰にもダイレクトに伝わってくるところにあるんだと思う。
つまり、その姿で現れる気持ちが理解出来る、そこにこそ「四谷怪談」の怖さがあって。
だからこそ、著者も書いているように、今もなお、お岩さんは「四谷怪談」に触れた人に不可思議な出来事を起こしている。
だから、「四谷怪談」は怖い。
自分は、そういうことのように思えるのだ。
でも、人の心なんて、なかなかわかるものではないし。
(怪談というたんなる娯楽を求めている人に)人の心をわかってもらうのは、さらに難しい。
だから、“怪談は難しい”のだろう。 -
Posted by ブクログ
共演した女性の多くが、亡くなったり、失踪しているのではないかと気がついた。突拍子も無い考えだが、そうとしか思えない数々の事象に背筋が寒くなる。無自覚のうちに死を振り撒いているのだとしたら、果たして私はどうするべきなのだ。
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名前は存じているが、単著は初読み。(そんなんばっかりだな)自分が共演した人物の多くが数年中に死亡したり蒸発したりするという不穏な語り出しから始まったこちらの怪談集。元AV女優という事で、体験談の多くはAV女優時代に体験した話達。
静かな語りで語られる怪談話はどれも濃厚で重たい印象。まとわりつく恐怖は、まるでどろりとした淀のよう。一話一話が濃密なため読み進めるのに苦労したが、中々に不穏で常軌を逸した話が多かったように思う。個人的にはお気に入りの一冊であった。
「青山霊園で祟られた少女」
乗せたはずの女性が忽然と消え失せることで有名なタクシーの怪談。その消えた女性が目指していたとされる青山霊園を舞台とした恐怖体験。
当時AV女優として仕事をしていた著者は、美羽ちゃんという18歳の少女と何度か共演することがあった。彼女は明るくハキハキした性格で同業の女優達から、いたく可愛がられている存在だった。明るく健康美にあふれる彼女であったが、ある夏の日普段の彼女からは考えられないほど暗く沈んでいた。尋常じゃない様子に理由を尋ねてみると「自分は死人に祟られてしまった」という衝撃の告白をしたのである。
この美羽という少女の体験談はかなり悲劇性を帯びているが、割と自業自得感がある。墓所で肝試しをするだけでも結構罰当たりだが、そこで大騒ぎして最後のとどめにそんなことすればそりゃ祟られるだろう。普段静かに暮らしてる幽霊だって怒るに決まっている。普通に犯罪行為だし……。
でも、その肝試しをした友人がその日や翌日に行方不明になってしまったり、事故に巻き込まれたりしたのを知った彼女の心情を考えるとその部分だけはちょっと同情。凄まじい恐怖と絶望にさいなまれていることだろう。(だからといって彼女たちが行った行為は簡単に許されないし、多分された側は許さない)
酒の力がああり、その場のノリもあったのだろうが、その一瞬を楽しむために追った代償はあまりにも大きすぎた。
「開かずの邸」
怪談の題材としてよく取り上げられる、開かずの間。そこには何かよくない物がいて、それを封じ込めるために扉を開けることが禁忌とされているという事が多い。その手の話に出てくる開かずの間は、大体一部屋だけをさすが、その開かずの間が次第に増えていくという奇妙な家が某所に存在していた。
AVの撮影で使っていたその家は、一見するとやや古いが裕福な家族が暮らしていただろうと推察される家であった。そこは撮影スタジオとして使われていたが、関係者の間では幽霊がでるともっぱらの噂の建物だった。曰く首吊り死体の幽霊を見た、曰く双子の幽霊を見たなど様々な噂があるその邸には、密閉空間ともいうべき地下室がある。そこは、外から鍵をかけることができ、なぜかシャワールームがあり、窓一つないさながら地下牢のような場所だった。
事の発端は、そのシャワールームが理由なく閉鎖されたところから始まり、そこからまるで侵食するように範囲が広まっていった……。
これはなんだかよくわからないが気味の悪い話である。幽霊がたびたび目撃されるのも不気味であるが、その家にある地下室がなんとも嫌悪感を覚える。
地下なのにシャワールームがあり、外カギで、窓がない。まるで誰かを閉じ込めるために作られたようなその場所。ここがすべての怪異の始まりであるといわんばかりで嫌悪感が募る。著者たちが利用したことで何かが刺激されたのか、時間の経過とともに地下室にあるシャワールーム、地下室そのもの、地下室に続く階段まで。じわじわと侵食するように、あるいは侵出するように次第に開かずの間が広がっていく。この話の中でこの家で何があったのかが明るみにならず、不明なのがまた怖い。
果たして何かを閉じ込めるように作られた地下室には何かいたのか?いたとしたら果たして何が?この家にいた家族たちはその地下にいたかもしれない物と一緒に暮らしていたのか?などなど色々な考えが巡るが、結論は出ない。その謎の部分がまたこの怪談を面白くしていた。
「空き家じゃなかった」
著者が20代の頃住んでいた近所で家が一軒丸々燃やしつくし、近くのアパートにも延焼するという火災があった。火元となった家は空き家と思われていたが、焼け落ちた跡から一体の遺体が見つかった。誰とも判別がつかぬほど焼け焦げたその遺体は、この火元の家の主人である人ではないかという話であった。まさか人が住んでいたとは思わなかった近所の住民たちであったが、そう思うのは仕方がないほど、この老人は隠れるように住んでいたのであった。
やがて、家事のあった土地は更地になり、数か月して再び家が建てられた。今度の家主は、なんと焼死した老人の息子であるという。
新築であるその家には前の老人が住んでいたころの面影など感じさせない明るい雰囲気に満ち満ちていたが
やがて、その明るさに陰りが見え始めたのであった。
こちらも家に関わる怪談話。空き家だと思っていた家から焼死体が発見されたことに端を発している。
火事自体も凄惨だが、あくまでも事故。誰にでも起こる可能性のある不幸な出来事だ。
しかし、本当に恐ろしかったのは老人の息子家族がくだんの家が建っていた土地に新築を立て越してきたところからだ。
締め切られた家の中で何かが起こっていたことはなんとなく推察できるが、多くを語れるものがおらず真相は闇の中。
老人の件はおそらく、すべてが終わった後の話。この土地にかかわったものの末路、つまり顛末部分だろう。多くの住人はここの部分だけを長年見ていたので何も不思議に思わなかった。
だが、新しい家が建ち、そこに新しい住人が越してきて、初めて気が付く違和感。息子家族も明らかに老人と同じ道を辿っていて鳥肌が立つ。
この土地で昔何があったのか、本当にわからないのだが、分からないからこそ恐ろしい。
この家に住んでいる息子夫婦に話が聞ければ一番なのだが、徹底的に他の住民との交流を断っているのでそれも難しそうだ。
閉鎖的な家で何が起こっているのか。家に何かがいるのか……。様々な恐ろしい想像が働いてしまう話だった。
このほかにも「リフォームの跡」、「タクシーの夜」、「分身」という話も怖かった。
特に「タクシーの夜」、「分身」は形容しがたい気持ちの悪さが付きまとう話だった。全くかかわりのない第三者ですら読んでいて、尻の座りが悪く、気持ちがむずむずとした。
また、この二作は、一番最初に著者がこの怪談本を刊行するに至った理由である最初の「怖い私」にも関連があるような気がしてならない。
この二作で起った出来事が、「怖い私」にかかっているとしたら、あの時著者の耳元で囁いた、女の声は一体誰なのだ。 -
Posted by ブクログ
期待したような迷家の話ではなかった。
さらにルポ系作品とは知らず手に取り、読み進めてから面食らった。
が、在野研究者と見紛う緻密な文献実地調査やインタビュー、実体験を交えた民俗・伝説・事件・オカルトエピソードの一つ一つを、豊富な語彙と高い文章力で取り纏めていて非常に読みごたえがあった。
見返しにあるように「〈時間〉〈場所〉〈ひと〉を重ね合わせ」ているのかどうかはピンと来なかったが、真偽の定かでないまま囁かれるネットミームのような現代の怪談も、何十何百年と経つ中で遠野物語のように幻想的な怪異譚に姿を変えていくように感じられた。
それにしても性と死は親和性が高い。
両方とも剥き出しの生命を感じるからだろうか。 -
Posted by ブクログ
7人の作家によるホラーアンソロジー第二弾。
編者の三津田信三が、それぞれのテーマで「自分が最も怖いと思う怪談を書いて下さい」とお願いして出来上がった一冊。
澤村伊智「メタ系怪談」
川奈まり子「実話系怪談」
芦花公園「子供の怪談」
菊池秀行「不条理怪談」
立原透耶「中華系怪談」
白井智之「鬼畜系怪談」
三津田信三「民俗学怪談」
高波被害を受けた地域にあった母校の小学校から同窓会のお知らせが届く、芦花公園「またみんなで集まろうねという話」が不気味で好みでした。立原透耶「中華系怪談」は中国や台湾の人から聞いた実話系怪談でテーマかぶっててちょっと残念。白井智之「ロダエネケワルA」は怪談ではないけど、作者らしい胸糞強烈さで異彩を放ってました。
「自分が最も怖いと思う怪談を書いて下さい」っていうテーマのハードルが高すぎるけど、編者リクエストテーマの書き下ろしアンソロは豪華で面白いので第三夜も期待してます。
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