前田英樹のレビュー一覧
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遺言で「私は公衆に読んでもらいたい著作はすべて刊行した。そこでそれ以外の講義録や講演録、手紙の類の出版は禁じる。もしこの禁止を(自分の死後)破った者がいた場合妻と娘に裁判に訴え出て貰い、出版されたものの廃棄を要求する」なんて言った哲学者がかつていただろうか。びっくりした。
普通哲学者の全集が出る場合講義録や講演録や手紙の類も含まれるし、ハイデガーのように生前から自分で出版するよう働きかける哲学者もいるのに。
これはもう「持続において思考する」ベルクソンだからこその配慮であり、その人物の著作物なら何でも読みたいと思うのは人間のさがだとも思うので、その他の研究者にはできないものだった。ベルクソンは -
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前田英樹の著作からは、いつも深々とした読後の余韻と、大切なものに触れさせてもらったという実感をもらうことができる。
やや図式的にまとめてしまえば、人間の知性は物質の解明には役立つが、生命、精神の解明には役に立たない、そのためには直観が必要ということを、最も明晰に語ってくれたのがベルクソンであるということを、味わい深く解説してくれている。
一部引用する。
数学が作り出した微分の観念は、純粋な持続への全体的な直観から生まれている。が、この直観は科学になることによって、元の直観が捉えていた運動、持続を犠牲にした。
哲学とは、このような犠牲への抵抗でなくて何だろう。物質の、身体の、「人間的なもの -
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とてつもない読書体験だった。
一冊の本読み終えて、これほど深い感銘を受けたことがこれまであったろうか、とわが読書人生を振り返させられた。
ここに描き出された保田與重郎という人物のなんと魅力的なことだろう。
文学の歴史を語っても、美術の歴史を語っても、凡庸な学者が教科書的に知識を羅列すると全く対照的に、物事の本質と核心に真っ直ぐに向かい、それを剔出してきて、端的に示す。
そのようにして示されたわが国が守るべきものは、「日本」ではなく「くにがら」である。
そのくにがらとは、天照大御神がその孫に授けた「稲穂の神勅」に始まる。この「事(言)依さし」によって、神と人が共に働く。米作りをする。その勤労の -
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ずっと積読だった本を、日本人の原点について考えていてあらためて手に取り、読んで深く心を揺さぶられ、かつ、驚嘆した。
日本人には宗教あるいは信仰心と呼べるものが希薄、というイメージが浸透しているが、著者はそうではないと言う。
日本人にも信仰はある、などという軽々しいことを主張しているのではない。
日本人の宗教には経典という形でまとめられた教義がないために宗教の存在が疑問視されるが、ことは逆さまである。日本人の信仰はその立ち居振る舞い、行動、とりわけ祭りという営みの中に端的に表現されているのだという。
そして祭りの根源は、年祈祭であり、新嘗祭であり、とどのつまりは稲作民が神に祈り感謝し、神とともに -
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二宮尊徳のことから始まって目から鱗の連続だった。自らの無知を恥じ入るばかりだ。目次から内容が予想できなかったここ最近初めての本である。最後は具体性をもって、幸福と平和の本質に迫っていた。
・畏怖や讃仰のないところに、教育は成り立ちようがない。
・人生のなかでほんとうに考え、学んだことは、みな口には出し難いものだ。
・国際人である必要など少しもない。
・進歩の思想ほど退屈なものはない。
・何から何まで人任せで、あれが旨いだのまずいだのと言っている。このことが、精神の独立性に影響を与えないはずはない。
・戦争の残酷さ、怖さを伝えるのは逆効果だろう。
・努力して生きることへの根本からの自信のなさが -
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文通を通して意見交換した「剣の思想」とは
打って変わってこの本は遠慮のない文体なので
読みやすいし気兼ねなく反論を覚えたり共感したりできる
読み出しの「まえがき」からして愉しく読み出せた
人間は産まれると同時に辺りを探り相手と出合うことの
独学によって自分の存在を確認してきた
それが歴史のある縄張りほど責任転嫁と依存に逃げ込むための
官僚制度に頼ることになる
それは結局騙された形での
暴力支配による恩恵に浴することを願っているのだ
学問が外目線で始まると単なる物知りの知識になる
学問を冒険にできれば出合いを切磋琢磨にして発見をつなげて
人生と宇宙を舞台に遊ぶことができる
この点で前田さ -
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[ 内容 ]
漢字が読めない、歴史を知らない、計算ができない…大学生の「基礎学力」のなさが言われて久しい。
だが、「教育」に過剰なこの国の若者が「学力」を欠いているとは驚くべきことではないか。
なぜ私たちはかくも「無教養」になったのか。
本書は、現代の日本人が見失った「独学の精神」をめぐる思索である。
「ほんとうに大事なことは何ひとつ教えることなどできない」「学ぶことは身ひとつで生きる自分が学ぶというあり方でしかなされえない」―こうした単純で大切な事実について、その当たり前の事実が行き着く先について、根っこから考え抜く。
[ 目次 ]
第1章 身ひとつで学ぶ(金次郎の独立心;学校嫌いこそ正し