『独学の精神』というから、福澤諭吉の独立自尊のような内容を思い描いていましたが、内容は全くの逆。「学問とは何か」を、巷の学者がいうようなことと真逆のことを述べている、というより、本来の学問の『本質』を痛烈なまでに切り込んだ本だと感じました。
そして、これまで僕が読んできた書物の中で、「肌身離さず持ち、擦り切れるまで何度も読み返す」くらいに信じられる書物は無いということに、痛感したのです。
明治以降の学問は、いわば『勝つため』の教育。科学的に発展した欧米列強諸国に負けじと、日本も対等になるための知識と教養を植えつけ「させる」ための制度。
しかし、ここでいう学問本来の『本質』は、身一つで如何に生きるか、誰か、何かを虐げたり優位に立つことではなく、共に生きるためにはどうしたらいいか、ということを教えていくためのもの。あるいは、手取り足取り記号化された内容を単に伝達することではなく、今あるもの、今ある技量で、自分は何が出来るか、絶えず変化する過酷な環境の中で、教えてくれる人がいない中で、『自分』という身を立てていくにはどうすればいいか。それこそが学問の『本質』であろう、ということを述べています。
今までの通ってきた道、読んできた書物を、ある意味真っ向から否定することにビックリした傍らで、「ああ、なるほどな」と思ったことも事実。様々なニーズで溢れ、それに対するビジネスが数多くあるも、あまりにも複雑化しすぎて負いきれなくなっている。それを補うために道具が発展し、またコンピュータが計算するようになったが、その分人間本来の『部分』が欠落してしまっている。
しかし、人間であるが以上、何かが充足するとあれもこれもといのは、古来から続く避けられない欲望です。これを避けて人間の本質を磨くのは、かなり至難の業のようにも思えます…
いずれにしても、学問の『本質』は何かを考えさせてくれる一冊です。