色川武大のレビュー一覧
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麻雀小説で有名な阿佐田哲也。
彼の色川武夫名義でのエッセイと言うか、もっと重い「言葉」。
「もう俺先が短いんだよ」
「くだらん男なんだよ」
と言いながら、「人に何か教えようとしようとは思ってはなく」「おれ自身の事を話すだけ」というスタンスで世の‘劣等生達’に‘生き抜く技術’を語ってくれる。
お人柄が出てそうな飾り気ない口調と、自分の‘つかんだもの’しか話してないように思える誠実さに心打たれる。
『雀聖』と呼ばれるくらいの稀代の雀士の豪快なイメージとは違って、子供の頃は引っ込み思案で友達との遊びにも入れず、ちょっと離れた場所でじっと見つめていたのだそうだ。
何をしていたのかというと‘観察’して -
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著者の人間的魅力がにじみ出てくる作品。
作品、といっても、若い人……特に劣等生……に対して、いかに人生を生きていくか、を自らの体験を踏まえて説いている。
著者の体験だから、博打は出てくるし、己のだらしなさもおおっぴらにされている。
そして思った以上に精神論にはならず、むしろ理論的というか、見方によっては計算高い処世術と受け取られる箇所もちらほら。
また「こう思う」ではなく「~なんだよ」とはっきりと言い切っていることも多く、その点で反感を覚える人もいるかも知れない。
僕は全く反感を覚えなかったし、逆に「そうそう、そうなんですよね、色川さん」と思わず相槌を打ちたくなるような事 -
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支離滅裂な譫妄は狂人が常人を装って叙述しているようでそのしっかりした文章は彼が常人であることをはっきり意識させる。退院まではそう思っていた。しかし『狂人日記』の真価は圭子と同棲を始めた以降から発揮される。自身の狂気が自分の意識外で起こる恐怖と、親密なる者を喪失もしくは緊密に成れぬ恐怖が巧みに描写されている。時々真理めいたことを独白しながら、常人が欠陥者であることを体感せぬまま実感させられる件は哀しみと孤独を伴い読んでいてなかなかきつい。
本作品は心疾抱えた者が書いた自伝や私小説かと思っていたが、解説で色川氏は『麻雀放浪記』の作者だと知る。「狂人」を推察しながら本書を仕上げるは作者の力量に恐れ -
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読み終わるのが惜しいのに、あっという間に読み終えてしまいました。
精神科にかかったことのある私には共感するところも多く、すっぽりと作品に浸かってしまいました。
私はいま色川武大さんにハマっています。すごく読みやすくて、ずんずんと読めてしまいます。面白いのかというと、よく分かりません。作家本人の非凡な人生と神経病による幻視幻覚がベースになっているので類を見ない作品なことは確かですが、果たしてそれが面白いと呼んで良いものか。
『明日泣く』『百』『狂人日記』と読んで、今の時点で感じたことは、色川武大さんは現代の作家さんだなぁということ。昭和四年生まれだから戦争を経験しているにも関わらず、そこはす -
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色川武大の小説に欠かせないエピソードが方々にちりばめられた短編集。まだ小粒で、しっかりとは掴みきれてない感じ、ちょっと控えめに差し出されて「これはどうでしょう?」という感じもある。
部屋に入ってくる生きものに愛着をおぼえ同居する「小さな部屋」、父が家に防空壕を掘った「穴」、クラスの机のうえで自分の両手を力士に見立てて勝負をさせる「ひとり博打」、放浪時代を描いた「泥」、夢幻的世界の「鳥」、精神病となり止まぬ幻聴の「蛙」……等々。
僕はやはり、なにものかになろうと思えどなれず、じくじくとその時を待つように機会を先延ばしにして、そうしていくうちに日常が破裂、今まで先延ばしにしたツケを払わされるっ -
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「屈託」は色川武大が作中よく用いる言葉だし、彼の文学をよく表していると思う。
「屈託」意味―
1 ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかないこと。くよくよすること。
2 疲れて飽きること。また、することもなく、退屈すること。
例えば色川は頭のかたちが悪くて、子供のころでんぐり返しをこばんだというエピソードが出てくる。
これも屈託、だけど他人には何のことやらわからない。
だけでなく、自分自身だって何にこだわっているのかそれはわからないが、どうしてもこだわっているってなことがあると思う。
こだわりと退屈という意味が同居しているのが、この言葉のおもしろいところだと思う。
こだわり -
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―私は弟を貴重なものに思いだした。
軍人だった厳しい父親と影の薄い母親。
薄暗い家に弟が生まれ、少し大きくなると、
どこにでも付いてくるようになった。
充足というものの欠如。
父親の影響だけではないだろう、生まれながらに持ってきた屈託。
弟は著者のそういう部分を見てきた。
どうにもならない部分に対して、ふっと笑い合い言葉を交わす。
兄弟ってこういうものなのか。
そういう相手がいるということに、破天荒な生き方の著者に対して、全く関係のない自分の胸が、ほうっと温まる。
弟の結婚式で、もの思う著者の言葉が突き刺さる。
「おい、お前、こんな程度の晴れがましさを本気で受け入れちゃ駄目だそ。
烈し -
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家族にまつわる私小説集。
『連笑』
――殴れば泣いてしまう、そのくせどこまでも後をついてくる――弟と、私。
『ぼくの猿、ぼくの猫』
軍隊でも、社会でも、家庭でも、終始ちぐはぐな父親。
「ぼく」は、毎晩、猿や猫の幻をみる。
のちにわかる、ナルコレプシー(睡眠障害)の症状が如実にあらわているお話。
『百』
「哀れなもンだなァ――孫に何かをやるのに、百まで生きなけりゃならん」
父親が老いていく。
すぐ死ぬだろうと思っていた父親は死ぬことなく、ひたすらに老いていく。
『永日』
父親が40のころの初子だった「私」にとって、父親と死は深く結びついていた。
この人は、私が成長するどこかで死んでしまう -
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離婚をすることになったにもかかわらず、結婚していたころとあまり変わりばえのしない、おたがいにもたれあうような生活をつづける男女をえがいた連作短編集です。
ライターの羽鳥誠一は、彼のもとに出入りしていた女性のひとりであるすみ子から「お妾にしてくんない」ともちかけられ、ともに暮らしはじめます。視力が悪いためもあっておよそ生活能力が高いとはいえないすみ子と、先行きが見通せない職業のためにその日暮らしの意識が抜けない羽鳥は、たがいに不満をいだきながら結婚生活を送りますが、ついに羽鳥は「別れようじゃないか」ということばをもちだし、すみ子もその提案におうじます。
羽鳥は、あたらしくマンションに暮らしは