色川武大のレビュー一覧
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ネタバレ人に関する興味を根底に、すべての人がうまく共存ができるようにしていくためには、つまり劣等生も優等生も含めて「どう生きるか」ということを実体験から描いている。
キーワードとしては、フォームを持ち、つねに勝ちすぎず、負けすぎず、これを貿易という形で続ける。連勝も連敗も通常ではないし、また勝ち方も器量的な勝ち方か、負け方も怪我をしすぎないものか。
また、新しい場所での溶け込み方も指摘がある。まずは、白紙状態でいき、うまく弱点を笑いに使う。そうすることで場に馴染む。
ある程度のレベルにいくと、能力に差はないので、いかに先を制するか、相手にミスをさせるか、の世界に突入するので、運の使いどころなどを意識する必要がある。実力とはあくまでも負けないためにある。
随所で述べているが、人生はマラソンであり、常の勝ち負けではどのポイントの勝ち負けなのか分からない。そういったところからも自分を客観的に認識する、ということも必要。
自分も含めて人に興味がないとなかなかむずかしいが、これは案外に思考の切り替えであり、現状に良い具合に満足すること。そうすると、冷静になれるのではないか。
筆者の戦争体験がはさまってのことであるため、むずかしいかもしれないが、代替品としてはそのようなところだろう。
度量や迫力をきっと感じるであろう、ということが文章伝いに伝わってくる。 -
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麻雀小説で有名な阿佐田哲也。
彼の色川武夫名義でのエッセイと言うか、もっと重い「言葉」。
「もう俺先が短いんだよ」
「くだらん男なんだよ」
と言いながら、「人に何か教えようとしようとは思ってはなく」「おれ自身の事を話すだけ」というスタンスで世の‘劣等生達’に‘生き抜く技術’を語ってくれる。
お人柄が出てそうな飾り気ない口調と、自分の‘つかんだもの’しか話してないように思える誠実さに心打たれる。
『雀聖』と呼ばれるくらいの稀代の雀士の豪快なイメージとは違って、子供の頃は引っ込み思案で友達との遊びにも入れず、ちょっと離れた場所でじっと見つめていたのだそうだ。
何をしていたのかというと‘観察’して‘感情移入’していた。
じっと‘観察’していると友達の‘個性’が分かってきてだんだん好きになってくる。それは周りの大人達に対しても同様で
ゴミ屋さん、電車の運転手さんも好きになっていく。
イメージとは違うと思ったが、もしかしたらそれが色川さんの人生の基盤なのかもと思った。
‘観察’と‘対象者に対する好意’。
「相手を立ち直れないほどに負かしちゃいかん。」
「上手に勝て、上手に負けろ」
「長所と短所は布の表生地と裏生地のようなもの」
「生きる『権利』なんてないんだよ。自分は周りになんとか
許してもらって生きている」
「生きていくのに不便な『欠点』をひとつだけ、一生大事に育てていく。あとの欠点は直そうと努力する。」
「持ってる運の『バランスシート』を考えながら生きていく」
帯で糸井重里さんも書いているが、「親でも、先生でもない人からしてもらえる話」なのである。今となっては遠い戦中、戦後を生き抜いてきた‘劣等生’。
個人的には「人生負けたときは潔く負けたと認めよう」が心に残った。
「どんな場合でも、こうすれば楽勝できる、そういう無責任な嘘は、俺は絶対につかない」 -
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著者の人間的魅力がにじみ出てくる作品。
作品、といっても、若い人……特に劣等生……に対して、いかに人生を生きていくか、を自らの体験を踏まえて説いている。
著者の体験だから、博打は出てくるし、己のだらしなさもおおっぴらにされている。
そして思った以上に精神論にはならず、むしろ理論的というか、見方によっては計算高い処世術と受け取られる箇所もちらほら。
また「こう思う」ではなく「~なんだよ」とはっきりと言い切っていることも多く、その点で反感を覚える人もいるかも知れない。
僕は全く反感を覚えなかったし、逆に「そうそう、そうなんですよね、色川さん」と思わず相槌を打ちたくなるような事柄ばかりだった。
著者の人間的魅力だけでなく、劣等生である僕自身も随分と歳をとり、著者の年齢に近づいてきたからかも知れない。
一度でいいから話をしてみたかった、出来れば一緒にお酒を飲みかわしたかった、と本気で思える人です。 -
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支離滅裂な譫妄は狂人が常人を装って叙述しているようでそのしっかりした文章は彼が常人であることをはっきり意識させる。退院まではそう思っていた。しかし『狂人日記』の真価は圭子と同棲を始めた以降から発揮される。自身の狂気が自分の意識外で起こる恐怖と、親密なる者を喪失もしくは緊密に成れぬ恐怖が巧みに描写されている。時々真理めいたことを独白しながら、常人が欠陥者であることを体感せぬまま実感させられる件は哀しみと孤独を伴い読んでいてなかなかきつい。
本作品は心疾抱えた者が書いた自伝や私小説かと思っていたが、解説で色川氏は『麻雀放浪記』の作者だと知る。「狂人」を推察しながら本書を仕上げるは作者の力量に恐れ入る。 -
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読み終わるのが惜しいのに、あっという間に読み終えてしまいました。
精神科にかかったことのある私には共感するところも多く、すっぽりと作品に浸かってしまいました。
私はいま色川武大さんにハマっています。すごく読みやすくて、ずんずんと読めてしまいます。面白いのかというと、よく分かりません。作家本人の非凡な人生と神経病による幻視幻覚がベースになっているので類を見ない作品なことは確かですが、果たしてそれが面白いと呼んで良いものか。
『明日泣く』『百』『狂人日記』と読んで、今の時点で感じたことは、色川武大さんは現代の作家さんだなぁということ。昭和四年生まれだから戦争を経験しているにも関わらず、そこはするっと後ろへ流して、でも旧い匂いは残っていて、その匙加減が私は好きです。
そして小説を書くのが本当に巧いと思います。作家の個性を主張しない文章の巧さがあります。言葉がキザじゃないのです。小賢しくないというか、まっすぐな文章というか、正直な文章というか、そういう感じがします。そんなところは大好きな北村太郎さんに通ずるところがあります。
それから、言葉が生きているとでも言うのでしょうか、ほぼ心象描写だけなのにそこに景色が見え、生々しい現実世界が広がります。
主人公が語っていくという形はどことなく太宰治っぽい感じがあります。 -
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色川武大の小説に欠かせないエピソードが方々にちりばめられた短編集。まだ小粒で、しっかりとは掴みきれてない感じ、ちょっと控えめに差し出されて「これはどうでしょう?」という感じもある。
部屋に入ってくる生きものに愛着をおぼえ同居する「小さな部屋」、父が家に防空壕を掘った「穴」、クラスの机のうえで自分の両手を力士に見立てて勝負をさせる「ひとり博打」、放浪時代を描いた「泥」、夢幻的世界の「鳥」、精神病となり止まぬ幻聴の「蛙」……等々。
僕はやはり、なにものかになろうと思えどなれず、じくじくとその時を待つように機会を先延ばしにして、そうしていくうちに日常が破裂、今まで先延ばしにしたツケを払わされるっていう、この屈託が描かれている「穴」が好きだ。色川の描く父親の防空壕話はどれもツボだ。穴フェチだ。
「ひとり博打」で描かれるひとり相撲、ひとり野球といったひとり遊びの数々は、いつもいつも圧倒される。本当でもウソでも小説であるかぎりどっちでも構わないはずだが、僕はきっと「本当」として読んでいて……そして僕は喉元から込みあげてくるような「意味がわからない」という言葉に直面する。
「甘い記憶」は、なんだろう。これもよくわからない。わかるようで、やっぱりわからない。めずらしく甘い話のようだけれど、ううーん、やっぱり残酷な話なのか。 -
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「屈託」は色川武大が作中よく用いる言葉だし、彼の文学をよく表していると思う。
「屈託」意味―
1 ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかないこと。くよくよすること。
2 疲れて飽きること。また、することもなく、退屈すること。
例えば色川は頭のかたちが悪くて、子供のころでんぐり返しをこばんだというエピソードが出てくる。
これも屈託、だけど他人には何のことやらわからない。
だけでなく、自分自身だって何にこだわっているのかそれはわからないが、どうしてもこだわっているってなことがあると思う。
こだわりと退屈という意味が同居しているのが、この言葉のおもしろいところだと思う。
こだわりって実は退屈なことだ。家のなかにひたすら穴を掘ったところで、それでどうなるってもんじゃない。自分でも分かってる。でもそうせざるをえない。その予定調和が退屈だ。
人のこだわりなど、他人からすればなおさら退屈なことにちがいない。「何をこだわっているんだ、こいつは」それは他人にはわかりっこないから、こだわりで来られると意思の疎通なんてできっこない。 -
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―私は弟を貴重なものに思いだした。
軍人だった厳しい父親と影の薄い母親。
薄暗い家に弟が生まれ、少し大きくなると、
どこにでも付いてくるようになった。
充足というものの欠如。
父親の影響だけではないだろう、生まれながらに持ってきた屈託。
弟は著者のそういう部分を見てきた。
どうにもならない部分に対して、ふっと笑い合い言葉を交わす。
兄弟ってこういうものなのか。
そういう相手がいるということに、破天荒な生き方の著者に対して、全く関係のない自分の胸が、ほうっと温まる。
弟の結婚式で、もの思う著者の言葉が突き刺さる。
「おい、お前、こんな程度の晴れがましさを本気で受け入れちゃ駄目だそ。
烈しい喜びを得るつもりで生まれてきたことに変わりはないんだぞ。
式次第で生きるなよ。コースは一応もうできたんだから、あとはどうやってはみだしていくかだ。
とにかく、淋しく生きるなよ・・」 -
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家族にまつわる私小説集。
『連笑』
――殴れば泣いてしまう、そのくせどこまでも後をついてくる――弟と、私。
『ぼくの猿、ぼくの猫』
軍隊でも、社会でも、家庭でも、終始ちぐはぐな父親。
「ぼく」は、毎晩、猿や猫の幻をみる。
のちにわかる、ナルコレプシー(睡眠障害)の症状が如実にあらわているお話。
『百』
「哀れなもンだなァ――孫に何かをやるのに、百まで生きなけりゃならん」
父親が老いていく。
すぐ死ぬだろうと思っていた父親は死ぬことなく、ひたすらに老いていく。
『永日』
父親が40のころの初子だった「私」にとって、父親と死は深く結びついていた。
この人は、私が成長するどこかで死んでしまうだろう、死とぶつかって、どうやって得心するのだろうかという興味をずうっと持っていた。
ほかのどの面でも父を凌駕していないのに、体力だけが勝ってしまう。
全部で負けなければ。
私のような男は、そうでなければ人を愛せない、許せない。
誰しもが経験のある絶対的な「家族」の存在、存在感。
『連笑』では弟に焦点をあてていたが、それ以降の作品はすべて父親に重きをおいている。
父親の絶対感と、死んでしまうと達観してそっぽを向いて全部を母親と弟に託していたのだが、いざ迫りくる父の死に絶望している「私」。
家族だからこそ許される「勝手さ」と、それぞれの「主張」が、なんともリアルで、ぞっとした。 -
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離婚をすることになったにもかかわらず、結婚していたころとあまり変わりばえのしない、おたがいにもたれあうような生活をつづける男女をえがいた連作短編集です。
ライターの羽鳥誠一は、彼のもとに出入りしていた女性のひとりであるすみ子から「お妾にしてくんない」ともちかけられ、ともに暮らしはじめます。視力が悪いためもあっておよそ生活能力が高いとはいえないすみ子と、先行きが見通せない職業のためにその日暮らしの意識が抜けない羽鳥は、たがいに不満をいだきながら結婚生活を送りますが、ついに羽鳥は「別れようじゃないか」ということばをもちだし、すみ子もその提案におうじます。
羽鳥は、あたらしくマンションに暮らしはじめたすみ子の生活費を払うために、これまで以上に多くの仕事を引き受け、身のまわりに気をくばる時間はありません。一方すみ子も、自立した生きかたをいろいろと思いえがくものの実現はむずかしく、けっきょく両者は離れることができません。やがてベティという女性が羽鳥の秘書となりますが、そのことがすみ子の心の平安をうしなわせ、羽鳥は彼女に応対せざるをえません。
誠一の視点から物語が進行するせいもあって、すみ子の幼さが強調されている描写がやや気になるものの、おたがいに依存しあってあまり立派とはいえない生きかたをつづけていく人間のすがたを、どことなくユーモアを感じさせるかたちに表現した作品といえるように思います。
巻末の短編「少女たち」は、出版社を辞めて独立することになった男が、やはり前の職場でいっしょに働いていた佐久間瑞子をはじめ若い女性たちを次々に雇うことになり、「遊園地のオーナー」のような気持ちで自由にふるまう彼女たちの生態を目の当たりにするという物語です。