色川武大のレビュー一覧
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小説を読んでいて「これ、俺のことじゃないか?」と思えることってあると思う。
ちょっとおかしな人だったら「断りもなく俺のことを書きやがって」と著者にクレームを入れる、なんてこともあるだろう(実際にあった訳だし)。
僕はそこまで頭がおかしく……って書くとまずければ……純情無垢じゃないから、そんなことはしないけれど、読んでいる間「これ、この狂人、俺にそっくりだよな」とずっと思っていた。
生き方が似ている、というか、他人への接し方、外の世界への接し方、社会との折り合いのつけ方、要するに己自身への接し方、それらがまるで自分を客観的に見ているように描かれている。
そりゃそうだよ、こんな生き方してたら精神が疲れちゃうよ。
実際、僕自身が今、職を探してあえいでいるのは、数年前に精神を壊して、仕事が続けられなくなったから。
この本の主人公みたいに幻影を見ることはなかったけど、幻聴はあった。
入院するまで重くはなかったけど、そこで人生、かなり狂わされた。
そんなこんなの自分の影が本の主人公に重なりあって、読んでいる間、ずっとずっと得体の知れないプレッシャーがのしかかっていたように思う。
そして、とてつもなく「生々しい」。
圭子さんだって、これじゃ浮かばれないだろう。
ずっとずっと彼を助けられなかった、彼を裏切った、そういった自責の念に苛まれながら生き続けなきゃいけないんだから。
彼女の心中を察すると、そりゃ切ないし悲しいし、何とも言えない。
彼女だって精神が異常なんだから……。
つらいよね……つらい。
それでも圭子さんは許されたんだから、母親よりも良かったのかも知れない。
そういえば、同じく色川武大の「怪しい来客簿」に書かれていた印象的なフレーズを思い出した。
『私たちはお互いに、助け合うことはできない。許しあうことができるだけだ。そこで生きている以上、お互いにどれほど寛大になってもなりすぎることはないのである』
まさにそれを地でいったのが主人公なのだろう。
最後の最後に主人公が発する言葉。
「俺もつれてってくれ。おとなしくしてるから」
これこそが、この主人公が、心の底から素直に発することが出来た、生まれて初めての、そして最後の言葉だったのではないだろうか。
最後の最後に、やっと自分に正直に発することが出来たのではないだろうか。
そう考えると、余計にむなしい。
本当に本当に、つらい……つらい……たまらなく、つらい。
この本に巡り合ったことに感謝している。
ただし、後悔することになる可能性も含まれているだろうな、とあくまでも自分自身を客観的に顧みて、嘘偽りなくそう感じている。 -
Posted by ブクログ
私小説になるのだろう。
色川武大とその弟、母親、父親、その他親族との関わり合いや愛憎入り乱れた葛藤を描いている。
著者自身、ノーガードで自身のダメな部分や醜い部分を、あますところなく書いている。
自嘲気味、という訳ではなく、割とドライに、それでもあまり俯瞰しすぎずに、程よい距離感を保って書いている。
まさに色川武大その人そのものを読んでいる感覚に陥る。
読んでいる間はずっと、作者と共に喜び、悲しみ、途方に暮れ、自己を嫌悪する。
それにしても、なんて文章を書く人なのだろう。
決して独特な言い回しでも、強い個性がある訳でもないのに、一行一行が、単語の一つ一つがこれほどまでに心地よく流れ込んでくる作家も稀だ。
万人向けの作品ではないだろうし、もしかしたら排他的な印象を持つ人もいるかも知れない(思うに私小説って排他的な分野のように思える)。
その分、好きな人にとっては、つまり色川武大という作家に思い切り肩入れ出来る人にとっては、たまらない魅力を持った作品だと思う(決してエンターテインメント的な魅力とはいえないが)。
色川武大の人を見る目、人との付き合い方、人付き合いに対する彼なりの哲学、優しさとだらしなさ、自己に対する嫌悪と憐憫、それらすべてがとても愛おしく感じられる。
僕にとって本書はそんな作品だった。 -
Posted by ブクログ
2016.9.10 「小さな部屋」を読む。
「熱中することの不気味さと美しさ」
〜あらすじ〜
鉄格子のついた部屋に越してきた主人公、東郷文七郎。折り目正しい青年であった彼が、その部屋に夜毎訪れる猫と生活を共にし始めることをきっかけに少しずつ人生の歯車を狂わせてゆく。
参加者の読後の感想で主だったものは「気持ちわるい!」という声。猫や鼠、昆虫などで溢れかえる部屋を描写したその生々しさが際立った印象だったようだ。
「部屋」に取り憑かれたように性格を変貌させてゆく主人公の姿を時系列で追うにつれ、果たして憑かれる前後ではどちらが彼の本性であったのか、を議題に会は盛り上がりをみせた。
この変貌は誰にでも起こりうることであったのか、はたまた主人公と部屋との奇跡的な遭遇なくしては発生しない物語だったのか。
会社という現実に不和を感じ、人間の抱える複雑さから自身を脱臼させて逃げ込んだ「部屋」。それはシェルターであったのか、檻であったのか。
そんな議論が進むうちに、本作のテーマは立派に現代社会にも深く通じていることを参加者全員で確認することができた。
読後に決して晴れ晴れとした気分になるわけではないが、それでも生命力を強く感じさせる展開と、ラストシーンの文章の美しさは圧巻である。
参加者の一言
「(大事に)固定してあると信じてるものほど、実は変化していってるんだよね」 -
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とても優しい小説だと思った。自分への優しさ、他人へのやさしさ。というより優しくありたいという気持ち。決して甘やかすのではない。この主人公は自分を甘やかそうと思っていないし、甘やかされて喜ぶタイプでもない。ただ現実があって自分がいるだけだが、それを真剣に見つめるということはすなわち対象へのこの上ない配慮であり、つまり優しさなのではないだろうか。
なによりも文章が優しい。主人公や主人公を取り巻く世界を見つめる作者の目が優しく、そして悲しい。ゴーゴリや魯迅の「狂人日記」との違いはこの点だろう。彼らは狂気をアイロニックに扱っているところがあるが、色川の作品にはひとりの男の必死な人生があるだけである。
悪夢というほかない幻覚に絶えず苦しめられながら、主人公はいったいなにを保とうとしていたのか。 -
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伊集院静 氏の「いねむり先生」を読んで、この本を知った。
淡々と書かれた文章が印象的だった。
『無』の中に、日々の出来事だけが彩られて書かれてある様に感じた。その他の事は病気の事も幻覚も全て『無』の中で起きている様に感じられ、読んでいて著者と同じかどうかは分からないが『孤独感』を感じた。
いねむり先生の中で、先生に発作が起きた時「今度は自分が先生を救う番だ」という事で確か先生を抱きしめるかなにかする場面があったと思うが、そして最後に同じ患者で結婚した圭子も別れると言いながらも面倒は見ると言っている。
孤独感の恐怖...弟の幼い時の事ばかりが目に浮かぶ事...等々
赤裸々な告白....
音の無いシーーーーーーンとした世界を淡々と読み進んだ と言う印象
哀しいとかそう言う事ではなくて....なんと言うか そう言う事を知ったと言うか....
読んで良かったそして他の著書も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
色川氏の家族を綴った私小説。
弟との関係を描いた「連笑」、
幻視との奇妙な付き合いが恐ろしい「ぼくの猿 ぼくの猫」、
老耄の父親に振り回される家族を描いた「百」それに続く「永日」。
自分の家族と照らし合わせて読まずにはいられなかった。
どんなに逃げて離れたくても、ついてくる家族という因縁。
子供のころに抱いた劣等。
それでもなお、死なないでほしいという執着。
この世に生を受けた以上、逃れることのできない宿命が家族なのだと思い知らされた。
色川氏の底が知れない優しさに包まれて、絶望の色が薄まるようだ。
この作品に出会えて本当によかったと思う。 -
Posted by ブクログ
「日本晴れみたいな日もあるし、雨の日もある。嵐の日もある。だけれども結局は、空があって、地上があって、我々が感じる大気というものは或る調和を保っているだろう。天候の変化はひとつひとつのプロセスではあるけれども、全体をいびつにさせるような力ではないんだね。」
「ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくいという部分を守り育てていく。わざわざ作る必要はないかもしれないが、たいがいは自分にそういうところはあるからね。
普通は、欠点はなるべく押し殺そうとするんだな。
そうじゃなくて、欠点も、生かしていくんだ。」
父の勧めで読んだ。
ものごとの考え方について考えられる作品。
上記の部分が特によかった。
読めば読むほど味が出る感じで、するめいかっぽい読み心地と思った。 -
Posted by ブクログ
作品紹介・あらすじ
“昭和最後の無頼派”といわれた色川武大が人生のさまざまな局面で得た人生訓の数々を縦横無尽に綴った最後のエッセイ集。
川上宗薫や深沢七郎、フランシス・ベーコンから井上陽水までもが採り上げられ、ほかに、戦争が残した痛ましい傷痕からあぶり出された人生観や犯罪者に同化する複雑怪奇な心情などが精緻に綴られる。
既成の文学通念に縛られることのなかった著者ならではの直感や洞察、そして卓抜した表現で読む者を色川ワールドに引き込む珠玉の47編!
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久しぶりに読む色川武大。
「作品紹介・あらすじ」にあるように、まさに「昭和」といった印象。令和7年の現在からすると、受け入れ難い一冊だろうと思う。コンプライアンスだ、コスパだ、タイパだ、多様性だ、といった今の状況では槍玉にあげられそうな内容。でもそんな内容が僕にはとても響いてきた。僕も同じ昭和生まれだし。
とはいっても、僕と著者では30歳以上離れており、僕の両親よりも年上になる。だからこそ「とても響いてきた」中にも「あれあれ、これはどうなのだろう」と感じざるを得ない瞬間も正直いってあった。でもそんな瞬間もなんとなく「でもまあ、そうなのだろうな」と許せてしまうのも、きっと著者の人間性なのかもしれない。
読んでいて感じたのは、僭越ながらあの第二次世界大戦が色川武大に与えた影響は計り知れなかったのだろうな、ということ。戦争そのものもそうだけれど、それ以上に「戦後」が著者に与えた影響が大きかったように思えた。著者がちょうど16歳の時に終戦を迎え、闇屋やかつぎ屋、博徒など著者の「アウトロー的生活」はここから始まり、それらの体験やそこで養った人との付き合い、人生哲学などが後の作品に色濃く反映されているようにも思えた。僭越な言い方になってしまったけれど、そう感じざるを得なかった。
以前、色川武大作品を何冊か読んだ時と、今回こうして本書を読んだ時とでは、面白さの感じ方に少し違いがあったように思う。多分10年以上前のことなので(つまり10年以上ぶりに著者の作品を読んだことになる)それからかなり歳を積み上げてきたし、僕を取り巻く状況も変わってきているので、それはきっと当たり前のことなのだろうと思う。ただ以前から全く変わらなかった思い、これまた僭越ながらの思いというのは、一度でもいいから色川武大という人と話をしてみたかった、できればお酒を酌み交わしながら、という変わらぬ思いだった。