マックス・ウェーバーのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『職業としての・・・』『プロ倫』に続いて、本シリーズ三冊目のウェーバーである。『プロ倫』でプロテスタンティズムと資本主義発展のダイナミズムの関係を論じたウェーバーが、それを一般化すべく、儒教や仏教など他の世界宗教との比較において、その教義体系や担い手としての社会層の特質を浮き彫りにし、それらが世界観や生活様式の合理化にいかなる影響を及ぼしたかを考察する。「序論」と「中間考察」はその方法論と骨子を述べたもので、壮大なウェーバー宗教社会学の肝が簡潔にまとめられている。
学問的な厳密さでは旧訳に敬意を表するが、概念過多のウェーバーの複雑な文章を忠実に日本語に移せば、一行一行辿るだけで閉口してしまう -
Posted by ブクログ
ドイツの社会学の巨人、マックスヴェーバーが1917年にミュンヘンで講演した際の記録。自分が拾ったトピックとしては、導入としての「学者という職業の実際」、「学問=主知合理化の意味するところ」、「学問の限界」、「日々の要求」に大別できるだろうか。どれも興味深く、今なお通用する考え方であると感じたし、ここに「学問」というものの核が見られるからこそ、語り継がれる名講演とされているのだろう。以下備忘録。
まず導入として「教授という職業の実際」について解説される。これはもしかすると一種のユーモアなのかもしれない。後述に、民主主義を語る教授は、教壇の上では比較民主主義的なこと(事実の列挙)をすべき(政治 -
-
Posted by ブクログ
社会学の泰斗、その晩年の講演。
端的にまとめられた学問を取り巻く状況や今日的な意義、そして私たちのとるべき態度といった内容から、(本人は拒否するだろうが)学者でもあり、教師でもあり、指導者でもあったウェーバーの偉大さに感心するばかり。
世界が魔術から解放されたとき、再び神々があい争う時代に(神話は啓蒙であった、啓蒙は神話に退化する―アドルノ=ホルクハイマー)、安易な救いや啓示をもたらす救世主や預言者はいないし、それを無理やり地上に甦らせるわけにはいかないと説くウェーバー。
学問に従事する人々だけでなく、リキッドモダン(液状化した近代―ジグムント・バウマン)に生きる私たちすべてが、価値判断の -
Posted by ブクログ
職業としての学問は、
10年後、20年後、50年後には知識として古くなる。
つまり、常に進歩、前進することを前提にしていて、そうゆう宿命にある。
「われわれ学問に生きるものは、後代の人々がわれわれよりも高い段階に到達することを期待しないでは仕事をすることができない」
かつ、
価値があるということを肯定することを前提として成り立っている。
法律等もそうであり、
法律自体が必要なのか?
学問自体が必要なのか?
そういったことは、必要ということを前提としている為に、
その問いに対しては、
その基本的価値を証拠だてることはできない。
ここから読み取れることは、
物事の考えや発言には、
前提 -
-
Posted by ブクログ
文句なしの名著。
前半で、ルターがべルーフという言葉を職業として使い始めたというくだりは、一体何がいいたいのだろうと思っていた。
しかし後半に入り、そうした土台も含めてプロテスタンティズム(ここでは代表としてピューリタニズム)が現代の資本主義の精神を形成していく過程では、その鮮やかすぎる分析に敬服するばかりであった。
そして、現代(当時はまだ20世紀初頭だが)になるにつれ、その宗教性が薄れたり、富の蓄積による誘惑の増加といった矛盾が現れるにつれて顕在化してくる問題についても適確に見通している。
その忠告が帯にもある、「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無にひとしい人は、自分が人間性 -
Posted by ブクログ
古典、さらには宗教とベースとなる知識に自信がないので敬遠していましたが、大変読みやすかった。最近の下手な経済読本より分かり易いと思った。
■
技術、商業の教育を受けた人にプロテスタント的な性格の人が多いという著者の素朴な発見から本書はスタートする。
■
資本主義において生産性を向上するため古来から出来高性が導入されてきた。しかしこれは生産量の向上につながらず実際には低下した。人は従来の方法で生活を維持することを望むのである。逆に賃金を下げても、生産量の質・量とも低下する。結局、労働のモチベーションは金銭にあらず、仕事を人間の絶対的な自己目的、天職と意識することに依るのであるが、この意識付けはあ -
-
-
Posted by ブクログ
社会学を専攻されていた皆様はご存知の「プロ倫」が、日経BPで復刊!
岩○文庫版よりも確実に読みやすくなっていると思います。
「近代の資本主義の精神を構成する本質的な要素の1つ、そして単にそれだけでなく近代の文化そのものを構成する本質的な要素の一つは、『天職』という観念を土台とした合理的な生活態度であるが、この態度は『キリスト教的な禁欲』から生まれたものだ。」
と本人が要約しているように、神の恩寵を求め、神に与えられたとされる職業を「天職」とし、神に報いるために、人々は疑うこともなく、合理的に禁欲的に働き、生活する。このプロテスタンティズムが資本主義の精神を作り上げたという仮説をウェー -
Posted by ブクログ
1919年、第一次世界大戦敗北、ワイマール共和国成立など動乱の渦中にあったドイツにおいて、ウェーバーは革命の余熱が冷めない学生の要請を受け、「職業としての政治」「職業としての学問」というテーマの演説を実施しました。
本書はその演説内容が記されています。
「情熱が『仕事』に役立つものとして、仕事への責任という形で、行動の指針となるものでなければ、政治家にふさわしいものではないのです。そしてそのためには判断力が必要なのであって、これは政治家に決定的に必要な心的な特性です。この判断力とは、集中力と冷静さをもって現実をそのまま受け入れることのできる能力、事物と人間から距離を置くことのできる能力の -
-
-
Posted by ブクログ
学生だった云十年前、政治学や社会学の講義では、ウェーバーの『プロ倫』は必読文献、『支配の社会学』は大体参考文献に挙げられていた。当時『プロ倫』はなるほどと思う程度には読んだものの、『支配の社会学』は、いかにものドイツ的な固い文章が読みにくかったし、叙述されている事項について基礎知識にそもそも乏しかったため、官僚制とカリスマの箇所をつまみ食い的に読みはしたものの、途中で挫折してしまった。
今回、文庫版の新訳が出たということで、再チャレンジ。
はじめに、「支配」の定義その他の概論的事項について叙述。続いて、「官僚制」「家産制」「封建制」の議論に。
「官僚制」は現代にまで続いている仕組みで -
Posted by ブクログ
昔、岩波文庫で読もうとして、あまりに難しさ(?)にまいって、ざっと斜め読みすることになったが、資本主義ってなんだろうと改めて考えるにあたって、再チャレンジ。
中山元さんの訳文は、圧倒的に読みやすくて、なんかやっと議論についていくことができる感じがした。
一方、この本の面倒さ、読みにくさの一つは、本文以上に膨大な注釈の存在で、これを読もうとするともともとの議論の流れがわかりにくくなることから来ている。それはもともと原著がそうなっているので、仕方がないのだが、この本をしっかり理解するためには、まずは本文を通読して、次に注も読みながら、再読、再再読する必要がある気がした。
また、キリスト教に詳 -
Posted by ブクログ
「職業としての政治」は、30年以上前に読んだことがあって、強い印象をもった。
なんとなく中山元さんの訳で、初めて読む「職業としての学問」とともに、読んでみた。
「職業としての政治」については、驚いたことに、読んでいて覚えているところがほとんどなかった。わたしが覚えていたのは、政治という職業と倫理性の関係についての議論だけで、それは結論部分でようやく出てくる話し。
結論を覚えているならいいかというと、当然、そういうわけではない。
ここで、議論されているのは、政治というものもつ本質的なパワーというか暴力の問題(これがもちろん倫理の話につながるのだが)、そして歴史的、地理的な政治の形態、その