マックス・ウェーバーのレビュー一覧

  • 職業としての学問

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    職業倫理本の体をした自己啓発本な気がした笑

    「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、熱なしになしうるすべては、無価値だからである。」

    「作業と情熱とが――そしてとくにこの両者が合体することによってーー思いつきをさそいだすのである。だが、思いつきはいわばその欲するときにあらわれる。それはわれわれの意のままにはならない。」

    「 とにかくそれは、人が机に向かって穿鑿や探究に余念ないようなときにではなく、むしろ人がそれを期待していないようなときに、突如としてあらわれるのである。とはいえ、こうした穿鑿や探究を怠っているときや、なにか熱中する問題をもっていないようなときにも、思いつきは出てこ

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    2022年03月24日
  • 職業としての学問

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    もっと早くに読めばよかった。それに尽きます。大学に入る前に読めばよかった。

    ただ大学でそこそこ勉強に励んで卒業し、社会人なるものも経験した今読むと、「あの先生もこんな思いで教壇に立たれていたのかな」とか「人生のどこかでアカデミアにはもう一度戻りたいけれども、その時にこんな覚悟を改めて持っておきたいな」などなど思うこと多々で、これも感慨深かったです。

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    2021年12月13日
  • 新装版[現代訳] 職業としての学問―格差が身近になった現代に「働く意味」をいかに見出すのか

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    ウェーバーが1917年に行った講義を現代のビジネスパーソン向けにアレンジされたのが本著。かなり意訳のようで、原本とは内容が多少異なるらしい。

    100年経っても、人間が悩むこと、悩むが故に起こす行動や依存してしまうものも同じである事に驚いたと共に笑ってしまった。

    自分の人生に責任を持つことを恐れて、学生(若者)は教育者に未来の進路の先導者であることを期待し続けているように感じる。

    ただ若者が求める「やりがい」や「自分らしさ」を見つけることに近道などなく、当たり前のことだが日々の雑務、時務を真面目にコツコツと果たしていくでしか、見つけ出せないのであろう。

    自らの悩みも若者特有のありきたりな

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    2021年11月09日
  • 仕事としての学問 仕事としての政治

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    二つの講演1917年「職業としての学問」
    1919年「職業として政治」を邦題変更新訳版。
    支配三類は合法的支配、伝統型支配、カリスマ的支配。
    10年後再び会おうと締めくくりも1920年没
    ドイツは第一次世界大戦敗北で多額の賠償金で苦しみ1929年10月世界大恐慌後扇動的演説と暴力装置を用いた
    カリスマ型極右ナチス党総裁ヒトラーを1933年首相誕生させることを選んでしまう。どの時代もリーダー選びは難しい





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    2021年03月19日
  • 職業としての学問

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    ネタバレ

    ようやく読めた。一読のみでは内容を十分に理解しているとは到底言えないが、以下、現時点で読み取れたことを記載しておく。
    旧訳の序(p.85~)によると、本書におけるウェーバーの主張は主に3点である。1点目は生計の資を得る道としての学問の現状、2点目は職業としての学問にたいして人々(特に教師および研究者)がとるべき心構え、3点目は学問の職分そのものについてである。1点目について印象的であったのは、学問を職業にすることには「偶然」が大きく作用するという主張である。つまり、実力いかんよりも、学問を職業とするためには、運の側面も重要であるということである。これは現代にも通用する。2点目については、やはり

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    2020年07月11日
  • プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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    プロテスタンティズムねは禁欲的な倫理が、資本主義におよぼした影響を考察したすごい本。
    宗教と経済の関係性を考えさせられた。
    このプロセスがあるから外国は大学等に寄付というのが、多いのだろうか。
    よくわかんない所も多かったけど、面白かった。

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    2019年11月23日
  • 職業としての学問

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    マックス・ウェーバー(1864~1920年)は、ドイツの政治・社会・経済学者。社会学の第二世代を代表する学者で、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)は、社会学の名著として有名である。
    本書は、著者が死去する前年の1919年1月にミュンヘンで大学生向けに行われた講演(更にパンフレットとして出版され、死去後『科学論論集』に収められた)の邦訳である。(姉妹編の『職業としての政治』もほぼ同じ時期のものである)
    本書を読むにあたっては、本公演が、キリスト教の支配する世界、かつ、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月)終戦直後の敗戦国ドイツ・ミュンヘンにおいて、人々の心が

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    2020年11月23日
  • 職業としての学問

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    マックスウェーバーの講演。トレルチがキリスト教絶対主義の蓋を外し、宗教の多元性を明らかにすることによってひらけてきた新しい価値観。その影響を大いに感じさせる理性と実存を峻別させるような一冊。教師と指導者は別であると。信仰や実存的生は学問の延長にあるものではないときっぱり言い切るところは気持ちいい。

    17.12.22

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    2017年12月22日
  • 新装版[現代訳] 職業としての学問―格差が身近になった現代に「働く意味」をいかに見出すのか

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    職業としての学問、をとても分かりやすく読むことができた。その後、気になった箇所を岩波文庫版で読み直すことで理解が深まる。

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    2017年04月07日
  • 職業としての学問

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    以前読んだものが意訳(現代意訳?)が激しいものだったので、機会もありこっちの方を。
    旧訳序文でも述べられているように、言ってることは情勢・学問への姿勢・教えることへの姿勢に分けられる。
    個人的には、終盤に何かもうひとつ主張しているような気がするけどその辺は何を言っているのか(具体例を述べてただけなのか)また読み込む必要がありそう。
    情勢や学問への姿勢はまぁそれでよいとして、教えることへの姿勢に関してはちょい思うところあり。
    そもそもここでは教える側の絶対性のような何かが前提になっている気がする(そしてそれは確かに多くの場合において正しいとは思う)けど、教わる側は教師に対して批判的であることが可

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    2016年10月03日
  • 職業としての学問

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    現代風に言えば職業指南書であり、人気シリーズ『職業としての~』といったところか。

    マックス・ウェーバーの学生向けの講演が基となっており、活字メディアが主だった当時、本講演は職業選択をするうえで非常に有益であったと推察できる。氏は、学問を生業、仕事、志の側面で語っており、米国事情との独対比、顧客視点=学生視点での教育者の在り方論は相当新鮮であったであろう。むしろ100年近く経た今読んであまり違和感を感じないのは、驚くべき先見の明といえるかもしれない。

    奇しくも本書が発刊された1919年にドイツ労働者党が発足しヒトラーが入党し、残念ながら国家を戦争へと傾けていく。ドイツにはウェーバー氏のような

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    2016年08月29日
  • 職業としての学問

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    想像以上に面白い本。古くて 例示がわかりにくく、展開が変わりやすい

    最後の「知性の犠牲」については 理解度が低いので、再読時に 確認する。「学問の意味、役割は何か」が テーマ

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    2016年06月11日
  • 職業としての学問

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    学問についての情熱的講義録邦訳。第一次世界大戦後にドイツで行われた講義だそうだが、ここで指摘される問題点はこんにちの日本に至ってもまるで改善されていない。一般に「世間に甚大な影響を与えた書物」を名著と呼ぶそうだが、それではこの本は名著とは呼べないのだろうか。そんな暗澹たる気持ちにすらなる。しかし私も、教師というより指導者を求めて大学の講堂に入り込んでいたきらいがあるので、あまり大きなことは言えない……。
    大学生になったら、いな大学を志したらとっとと読むといいと思う。時折感情的で、概ね装飾された回りくどい物言いなので、言ってる内容は単純なのになかなかわかりにくいけれど。面白い人だなヴェーバー。

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    2016年04月21日
  • 職業としての学問

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    入門書を読んでぜひ原書を読みたいと思った本。やはりびびっと来た。ウェーバーさんとハーバマスさんは社会の視点として個人側に対比させて読んでいきたい。

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    2015年08月01日
  • プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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    すべてのキリスト者にたいして、できる限り多くの利益を獲得するとともに、できる限り節約するよう戒めなければならない。しかしその結果はどうなるかというと、富が蓄積されるということなのだ。

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    2013年09月08日
  • プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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    「ところで労働はそれ以上のものである。何よりも、神が人間の生活の自己目的として定められたものなのだ。」

    カトリックやピューリタン、そしてプロテスタント等様々なキリスト教派の観点から「労働」を考察した本。
    なぜ、という原因の部分から深い洞察が見受けられる。

    日経BPの本は翻訳が程良く読みやすいが、それでもやはり内容を理解するのは骨が折れる。

    禁欲に生きようと自律してきた当時の人々とは違い、現代では禁欲的に生きなければならない。それが分業による専門性の追求であり、そのためには何かを捨てて生きなければならない。そうすることで、富は増大し、それを他者へ使うことで、神の偉大さをより多くの人に伝える

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    2013年06月10日
  • 職業としての政治 職業としての学問

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    プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神が面白かったので読んでみました。

    マックス・ウェーバーの2つの講演を基にした「政治」と「学問」に関する論考。

    「職業としての政治」より、「国家」とは正当な物理的な「暴力」の行使を独占することを要求し、それに成功している唯一の共同体と定義。いきなりインパクトがある。

    支配と政治家の類型が歴史的に語られ、心情倫理と責任倫理という概念の対比に行き着く。100年近く前の講演であるが普遍性がある。読み継がれる理由が分かる気がする。

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    2013年02月03日
  • プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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    ネタバレ

    近代資本主義の成立を人々の内面から推し進めていった資本主義の精神と禁欲的にピュウリタニズムとの関係を社会学的に追求したもの。
    以前に岩波文庫版も読みましたが日経BP版のほうが読みやすいです。ただ岩波文庫版は解説が充実しており、その解説と今回の日経BP版の本文を併せて読むのがよいかと。

    主な内容は、、、
    近代資本主義は商業に対する倫理的規制がない(営利を追求できる)地域・場所では実は生まれておらず、むしろ営利を敵視するピュウリタンの経済倫理(世俗的禁欲、労働を天職として励むという心情)こそが資本主義の精神として、近代資本主義の成立・成長に大きな貢献をした。

    このピュウリタンの経済倫理は長期間

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    2012年10月08日
  • 職業としての政治 職業としての学問

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    学生の頃無理矢理読まされた時には、何の感興もなかったが、歳を経て読むと、気付かされる事が多い。
    勿体無かったと思うが、そんなもの。
    中山訳の読みやすさも手伝って一気に読める。

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    2012年06月12日
  • プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

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    以前岩波文庫の難解な翻訳で挫折したため、日経BP版で再読。

    冒頭第一節には、
    「カトリックの支配というのは極めて穏やかで形式的な支配であったのだが、プロテスタンティズムの支配は家庭内の私的な支配から、職業的な公的な生のすべての領域にいたるまで、考えられるかぎりで最も広い範囲にわたってしんとの生活のすべてを規制するものであり、限りなく厄介で真剣な規律を伴うものだった」
    とある。

    宗教改革に対しては、カトリックの専制的な支配からの脱却といった間違ったイメージをもっていたため、この一文については衝撃を受けた。
    宗教改革者は、カトリックの市民に対する支配が不十分であるとし、後のピューリタン的圧制に

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    2012年05月22日