ウィトゲンシュタインのレビュー一覧

  • 論理哲学論考

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    これまで読んだ中で最も美しい哲学書。カントは時間や空間をア・プリオリであるとしたが、著者は記述ので形式を与えるものとして捉えようとした。要素命題のすべての可能性が真になる真理条件をトートロジー、すべての可能性が偽になるものを矛盾と呼ぶ。真理操作とは要素命題から真理関数を作る方法である。命題の本質を提示することは、あらゆる記述の本質を提示することであり、世界の本質を提示することである。しかし要素命題は名の合成であり、ア・プリオリに挙げることは出来ない。論理によって決定される問いは論理のみにより決定される。論理を理解するために私達が必要とする「経験」は「何かがある」というものである。私達の日常言語

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    2025年05月23日
  • 論理哲学論考

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    語ることができない事柄の前では、沈黙しなければいけない。

    古代の人々は神と運命を前にして歩みを止めたように。

    明日太陽が上るというのは仮説でしかない…私たちはそれを知っているわけではない。

    地頭がちがうとここまでわけがわからないのか…
    私は勝手に私が閉鎖病棟にいた時に書いてた日記を思い出しましたよ、小難しいことを考えてしまう性格なのですよ、この人も!

    自然法則を説明できるなんて勘違いしないことだ、我々が持っているのはただの仮説でしかない?という?

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    2023年07月14日
  • 論理哲学論考

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     ピエール・アド「ウィトゲンシュタインと言語の限界」後に再読。学生時代に1度、社会人のまだ若い頃に1度読んでいるが、今回改めて自分の読みの浅薄さを思い知らされた。丁寧に読むとかなりの時間を要する著作なのに、あまり読むのに苦労した記憶がないのだ。野谷茂樹氏の訳者あとがきに「『論考』という著作は妖しい光を放っている。読む者を射抜き、立ち止まらせ、うっとりさせる力を擁している。それはおそらくすばらしいことなのではあるが、危険でもある。うっとりしながら哲学することはできない。」とあるが、若い頃の僕はまさに『論考』の詩的かつキャッチーなセンテンスにうっとりし、それだけで何事か重要なものを把握したような錯

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    2023年02月23日
  • 論理哲学論考

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    人が思考し得ないものについての論考。世界を言語が写像している事実の総体と定義し,世界全体を語るには言語をその外側に置く以外には不可能であるとし、語り得ないものに対して沈黙せねばならないとした。

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    2022年01月28日
  • 論理哲学論考

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    哲学が言語に縛られているのと、哲学は言語を利用しているからとその言語について考えた書物。語り得ぬものには沈黙しなければならないはこの書の結論である。しかし、言語は意味のないものでも人々は話す。例えば、アーメンなどの祭儀の言葉など。これが哲学を終わらせたと考えていた作者が哲学探究へと移行する。

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    2022年01月22日
  • 論理哲学論考

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     私なりにこの本のキーワードは「限界」にあると思う。語りうることと語りえないことの限界、世界の限界、そして私の限界としての独我論。序文にも、「本書は思考において限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対して限界を引く」(p9)とある。
     本書のミソはこの「限界」が、まさにこの本の述べるところの「語りえないもの」、ということにあるのではないかと思う。だからこそ、「おそらく本書は、ここに表わされている思想は——ないしそれに類似した思想——をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう」(p9)と言われ、そして同じことだと思うが「六・五四 私を理解する人は、私の命

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    2019年12月12日
  • 論理哲学論考

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    やや読み飛ばしながら。概要は以前より未熟ながらある程度は知っているものを、きちんと読もうと思って手に取ってみたら案の定難しかった。20世紀西洋哲学における言語論的転回の主軸であり、相対性理論にも似た巨大なインパクトを持つ。古代ギリシアのテセウスの船など、子供が如何にも世界に対して眩暈し夜も眠れなくなるような問いに、一撃で一蹴する完結な回答を与えた。子供たちは安眠できるだろう。短い、断定的な各一行が美しく文庫本が付箋で汚くなった。大抵の問題は本書を理解すればすんなり解が得られる。ただし口数は減るだろう。

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    2018年03月07日
  • 論理哲学論考

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    「論理哲学論考をよむ」を読んだ後に思い切ってページをめくってみた。
    当時これはきっと既存の知の積み重ねだけでは理解ができなかったんだろうなと思う。
    頭を空っぽにして一度、その思考にどっぷりと浸かって初めて片鱗を感じることができそうだ。
    なんども「論考をよむ」と往復しなければとても自分には読むことができない。

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    2014年09月05日
  • 論理哲学論考

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    ネタバレ

    パラッと開いてみたらぶったまげた本。

    「二・0一二四」という数字が各行(各論か?)の頭に振ってあり、その下に「全ての対象が与えられるとき、同時にすべての可能な事態も与えられる」とかいう文句がある。
    この短くも長くもない明晰であり、しかし強く惹かれる怪しい魅力を放っている文章になんだか溜息がもれてしまう。

    とにかく、タイトルと目次と段落と行の塊のような物語小説やビジネス書を読んでいると、この記述に面を食らってしまうこと間違いなしだ。
    でも「ケッ!なんだこれっ」みたいな、つばつけてポイするような本でもなく、とにかく魅力を持っている。怪しくて魅力的なのだ。
    本棚に入っていると気になってしょうがな

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    2013年11月29日
  • 論理哲学論考

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    言語の限界を明らかにすることで思考の限界を指し示し、命題に対する操作によって語られうることは全て明晰に語られうるのだと証明した上で「語りえないことには沈黙しなければならない」と断言する、20代のウィトゲンシュタインが残した生前唯一の哲学書。大半が難解な論理による分析方法に関する考察で占められているのだが結論直前では一転、倫理や幸福、死生観について触れられている。沈黙すべきなのは決して不要だからなのではなく、本当に大切だからうかつに語るものではないと言おうとしていたのではないか―そう考えるのは飛躍だろうか。

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    2012年10月31日
  • 論理哲学論考

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    ネタバレ

    ウィトゲンシュタインの「危険」な思考は、なんて魅力的なのだろう。

    たしかにそうだ、語ることがその人の思考を作る。
    当然それが限界となる。

    しかも思考は言語でおめかしして、その真意を明らかにはしない。

    他の問題が解決できても、生の問題は残る。
    それを解消するまで考えねばならないのか。

    神秘主義に、言葉遊びのような要素に、数式も現れる。

    そして最後には梯子を外して、ウィトゲンシュタインを超えてゆけというのだから。

    では限界を作る言葉を持って、いかにウィトゲンシュタインの世界を壊し新しい世界を構築すればいいのか。

    何度読んでも刺激的だ。


    ちなみに、円城塔の『次の著者に続く』にはウィ

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    2012年05月20日
  • 論理哲学論考

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    1921年に出版された哲学書なんだけど、IT技術者が読むと、まるでプログラミングついて語られているかのように錯覚してしまう不思議な本。

    たとえば「世界が私の世界であることは、この言語(私が理解する唯一の言語)の限界が、私の世界の限界を意味することに示されている。」とか。

    論理的考察の果てにたどり着く真理が実に美しい。

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    2012年02月27日
  • 論理哲学論考

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    誰でも一度は、しみじみと何かを考えることはあるだろうし、それの多くをこれから見出すことができると思える。
    人と話をしていても、また何かで悩んでいる時、わりと「何かの定義」で割れていることもある。知らないことについては、何も言わない方がいいのではないか、と思うことも多い。
    哲学は学説ではなく、行動である。哲学とは、「何かをしみじみと考えること。」に他ならない。

    ヴィトゲンシュタイン自体は、この本を書いたあと哲学界から一度身を引く。何もかもやり尽くしたと思ったのだろう。彼は当たり前のことをだらだらと小難しく書き連ねているが、この本が評価されるくらい、哲学界は混迷に満ちていたのだろうか。

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    2012年02月08日
  • 論理哲学論考

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    大学の試験からの逃避として読んでました。この本は「世界は成立していることがらの総体である」と始まり「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という結論に至る。言いたい事はハイデガーが「存在と時間:第1章 存在の問いの必然性、構造および優位:第2節 存在への問いの形式的構造」で「問われているもの(存在)が、ある存在者の存在様態たる問いそのものへ、再帰的にあるいは先行的に、連関している」って言った事と似ているのかなぁと思った。問われる存在は、問う存在へ逆説的に問いの構造を作っているって言う事、そして僕らが普段「喋る」「話す」「書く」と第三者に問いているのは存在了解の上なのかなと考えさせられた。

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    2011年07月21日
  • 論理哲学論

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    野矢や黒田の翻訳は分かりやすく読みやすくしている意訳であるが
    この訳は厳密にしようという素晴しき意志がある。
    私はこの本に出会って哲学への道へと進んだ。

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    2009年10月04日
  • 論理哲学論考

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    正直、脳が溶けるほど難解。
    人類は言語の枠組みからは出られず、
    前提、つまり言葉が無ければ論理を立てられない
    語り得ぬものについては、沈黙せねばならない

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    2025年05月23日
  • 論理哲学論考

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    論理哲学論考
    著:ウィトゲンシュタイン
    訳:野矢 茂樹
    岩波文庫 青689-1

    難書 雰囲気しかわかりませんでした、第一、数学に出てくる用語でも、意味がよくわからない
    論理式の展開についてゆけないです

    ■論理哲学論考(本文)

    第一感、岩波文庫にしては、行間がゆったりしていて見やすいというものでしたが

    次に、第二感、なんじゃこれは、番号と文章がひたすら、巻末までにならんでいる
    つまり、「論理哲学論考」はネスト構造(入れ子)になっている、一連の命題と思われる
     
    1世界は成立していることがらの総体である
    1.1世界は事実の総体であり、ものの総体ではない
    1.11世界は諸事実によって、そ

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    2024年03月11日
  • 論理哲学論考

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    言語哲学における重要文献

    フレーゲ、ラッセルの築いた礎に立ち向かうべく著された意欲作であり、出版のために解説を担ったラッセルですら十分に理解できていなかったという点も含め「ウィトゲンシュタインの衝撃」がいかに大きかったかを感じることができる。

    哲学論究まで時間をかけて今後分析を進めていこうと思うが、事実/事態の区別、すなわち現実と可能性の峻別という視点、語り得るものと語りえないものを明確化しようとする思索は、示唆的なものが多かった。

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    2023年11月12日
  • 論理哲学論考

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     実際のところ本文はほとんど読んでいない。「高校生のための『論考』出前講義」を読めばだいたい読んだ気持になれる。(笑)
     「はじめに言葉ありき」の西洋と矛盾を含み言葉には頼らないことに真理を見言い出す東洋を比較する上で記号論の元祖とも言えるこの本の存在は実に大きいと思う。
     コンピュータのプログラミングの教育をウケているがその基本的なところはこの本の影響を色濃く受けているということが改めて分かった。

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    2019年05月03日
  • 論理哲学論考

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    命題論理構造を哲学に持ち込こまんとする試み。論理式をメモりながら読むと面白い。数学もわかる理系の哲学者におすすめ。そういった人には読んでいると快感に襲われるでしょう。
    ただ、彼の失敗もすぐに気づく。才能があるだけに惜しい。恩師がラッセルでなければよかったのだが。

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    2019年04月10日