ウィトゲンシュタインのレビュー一覧
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これまで読んだ中で最も美しい哲学書。カントは時間や空間をア・プリオリであるとしたが、著者は記述ので形式を与えるものとして捉えようとした。要素命題のすべての可能性が真になる真理条件をトートロジー、すべての可能性が偽になるものを矛盾と呼ぶ。真理操作とは要素命題から真理関数を作る方法である。命題の本質を提示することは、あらゆる記述の本質を提示することであり、世界の本質を提示することである。しかし要素命題は名の合成であり、ア・プリオリに挙げることは出来ない。論理によって決定される問いは論理のみにより決定される。論理を理解するために私達が必要とする「経験」は「何かがある」というものである。私達の日常言語
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ピエール・アド「ウィトゲンシュタインと言語の限界」後に再読。学生時代に1度、社会人のまだ若い頃に1度読んでいるが、今回改めて自分の読みの浅薄さを思い知らされた。丁寧に読むとかなりの時間を要する著作なのに、あまり読むのに苦労した記憶がないのだ。野谷茂樹氏の訳者あとがきに「『論考』という著作は妖しい光を放っている。読む者を射抜き、立ち止まらせ、うっとりさせる力を擁している。それはおそらくすばらしいことなのではあるが、危険でもある。うっとりしながら哲学することはできない。」とあるが、若い頃の僕はまさに『論考』の詩的かつキャッチーなセンテンスにうっとりし、それだけで何事か重要なものを把握したような錯
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私なりにこの本のキーワードは「限界」にあると思う。語りうることと語りえないことの限界、世界の限界、そして私の限界としての独我論。序文にも、「本書は思考において限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対して限界を引く」(p9)とある。
本書のミソはこの「限界」が、まさにこの本の述べるところの「語りえないもの」、ということにあるのではないかと思う。だからこそ、「おそらく本書は、ここに表わされている思想は——ないしそれに類似した思想——をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう」(p9)と言われ、そして同じことだと思うが「六・五四 私を理解する人は、私の命 -
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ネタバレパラッと開いてみたらぶったまげた本。
「二・0一二四」という数字が各行(各論か?)の頭に振ってあり、その下に「全ての対象が与えられるとき、同時にすべての可能な事態も与えられる」とかいう文句がある。
この短くも長くもない明晰であり、しかし強く惹かれる怪しい魅力を放っている文章になんだか溜息がもれてしまう。
とにかく、タイトルと目次と段落と行の塊のような物語小説やビジネス書を読んでいると、この記述に面を食らってしまうこと間違いなしだ。
でも「ケッ!なんだこれっ」みたいな、つばつけてポイするような本でもなく、とにかく魅力を持っている。怪しくて魅力的なのだ。
本棚に入っていると気になってしょうがな -
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ネタバレウィトゲンシュタインの「危険」な思考は、なんて魅力的なのだろう。
たしかにそうだ、語ることがその人の思考を作る。
当然それが限界となる。
しかも思考は言語でおめかしして、その真意を明らかにはしない。
他の問題が解決できても、生の問題は残る。
それを解消するまで考えねばならないのか。
神秘主義に、言葉遊びのような要素に、数式も現れる。
そして最後には梯子を外して、ウィトゲンシュタインを超えてゆけというのだから。
では限界を作る言葉を持って、いかにウィトゲンシュタインの世界を壊し新しい世界を構築すればいいのか。
何度読んでも刺激的だ。
ちなみに、円城塔の『次の著者に続く』にはウィ -
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誰でも一度は、しみじみと何かを考えることはあるだろうし、それの多くをこれから見出すことができると思える。
人と話をしていても、また何かで悩んでいる時、わりと「何かの定義」で割れていることもある。知らないことについては、何も言わない方がいいのではないか、と思うことも多い。
哲学は学説ではなく、行動である。哲学とは、「何かをしみじみと考えること。」に他ならない。
ヴィトゲンシュタイン自体は、この本を書いたあと哲学界から一度身を引く。何もかもやり尽くしたと思ったのだろう。彼は当たり前のことをだらだらと小難しく書き連ねているが、この本が評価されるくらい、哲学界は混迷に満ちていたのだろうか。 -
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大学の試験からの逃避として読んでました。この本は「世界は成立していることがらの総体である」と始まり「語りえぬものについては沈黙せねばならない」という結論に至る。言いたい事はハイデガーが「存在と時間:第1章 存在の問いの必然性、構造および優位:第2節 存在への問いの形式的構造」で「問われているもの(存在)が、ある存在者の存在様態たる問いそのものへ、再帰的にあるいは先行的に、連関している」って言った事と似ているのかなぁと思った。問われる存在は、問う存在へ逆説的に問いの構造を作っているって言う事、そして僕らが普段「喋る」「話す」「書く」と第三者に問いているのは存在了解の上なのかなと考えさせられた。
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論理哲学論考
著:ウィトゲンシュタイン
訳:野矢 茂樹
岩波文庫 青689-1
難書 雰囲気しかわかりませんでした、第一、数学に出てくる用語でも、意味がよくわからない
論理式の展開についてゆけないです
■論理哲学論考(本文)
第一感、岩波文庫にしては、行間がゆったりしていて見やすいというものでしたが
次に、第二感、なんじゃこれは、番号と文章がひたすら、巻末までにならんでいる
つまり、「論理哲学論考」はネスト構造(入れ子)になっている、一連の命題と思われる
1世界は成立していることがらの総体である
1.1世界は事実の総体であり、ものの総体ではない
1.11世界は諸事実によって、そ