重田園江のレビュー一覧
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ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズの思想を読み解きながら、社会契約論の思想とその意義について考察をおこなっています。
ホッブズに関しては、自然状態から社会契約に至るプロセスにまつわる「ホッブズ問題」が取り上げられ、続くヒュームの章では、「コンヴェンション」によって社会契約論を批判したヒュームの思想のうちに、原理と史実との間を往復することで、秩序の危うさを顕わにする「ホッブズ問題」を消し去っていたことが確かめられます。
また、ルソーの章では、彼の「一般意志」を理解することの難しさが語られ、続くロールズの賞で「無知のヴェール」に関する議論を参照しながら、そこにルソーの「一般意志」の思想が引き -
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なのだ調で書かれているけど、女性らしい靭やかでユーモアのある文体になっていて、硬い内容もわりと読みやすく感じる。
ルソーが知りたくて読んでみたけど、ルソーの部分は少ないし難しかった。漠然と論説を追うことはできても意図まではなかなか。けど、有名な割には他の思想家に比べて無鉄砲で粗野な印象。やっぱりたまたま時代にマッチしたのかな。
一方でホッブズの物体論はちょっと面白い。自然科学の論法をいち早く政治の世界に持ち込んだってことらしいけど。個人を捉える際、精神は物体と同じように個別の反作用の積み重ねによるもので、個々の反応は恐怖などの根源的な感情に基づく反射と、経験・記憶との比較による判断とに分け -
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「社会契約」というヨーロッパ社会の基礎となった(今もなお、なっている)概念をホッブズ、ルソー、ヒュームなどを通して考察する。著者が問題にするのはこの概念が含む本質的な矛盾で、「何も失わずに新しく何かを得る」という特質である。この特質を著者は「わからない」と言い切る。しかし論理思考ではわからないということで、そこに含意されている宗教性みたいなものをまったく無視しているのが気になった。特にルソーにおいては福音書の影響というのがまぎれもなくあって、ルソーをプロテスタントの代表としてみる見方は当時からオーソドックであったはず。「宗教」を「自己啓発系マジシャン」と同定してためらわない著者の態度を潔いとと
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ネタバレダミアンの残酷な処刑風景 p冒頭
【記号としての刑罰】p97
『言葉と物』第3章「表象すること」第4節「二重化された表象」
刑罰は犯罪の記号、あるいは記号の中のシニフィアンと呼ばれる能記。刑罰を見れば人の頭の中で犯罪が思い浮かぶということは、犯罪とは刑罰という記号において意味されるもの、すなわちシニフェ(所記)である。
[古典主義時代末期、近代の入り口にあたる18世紀後半に存在した刑罰の3つの体系]p99
①時代遅れになりつつあった身体刑の体系。
②刑罰と犯罪を記号として結びつける啓蒙主義の体系。
③監獄。
【「統治性」の研究】p146
近代国家―ポリス―規律権力
【ディスクール】p1 -
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社会で正常者と異常者を区別し規律を守る為の道具として、監獄は非常に有用だというお話し。特に反体制的な思想と暴力とが共鳴しないよう、ブルジョアが監獄を生み出したと。ニーチェ以来の系譜学とか考古学とかそっちの方面から見るとそういう意見もあるのだろう。
ただもっと素直に見ればいいのにと思う。確かに啓蒙主義的な観点から身体刑から自由刑に変化したというのは胡散臭そう。そんなことより納得しやすいのは、政治の民主化が進み体制の変更が選挙で行われ、そもそも体制保持のための見せしめの身体刑が不要となったこと。実際に、体制を死守しようとする旧社会主義国では大量に粛清が行われ、死刑としての身体刑はあったわけだし。ま -
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著者はフーコーに惚れている。あとがきにて、「大好きな人の大好きな本についてなぜ好きかを書いて出版できるということは、それ自体とても幸運なことだ」(p.268)、と書いてしまうほどだ。フーコーという巨人の肩に乗って遠くを見通したいという願望があるのだと思う。
フーコーの数多い著作の中で、著者は『監獄の誕生』を特別視している。この本も最初は『監獄の誕生』についての本を書こうという目論見であったのが、そこに収まりきらなかったため結局『ミシェル・フーコー』というタイトルにしたとあるが、この本はやはり『監獄の誕生』に関する本として読んだ方がいい。『言葉と物』なんて『監獄の誕生』可愛さ(?)に巻末の参 -
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ネタバレフランス現代思想家の入門書の中でも類書が最も多いのはミシェル・フーコーだろう。このことはそれだけフーコーの思想が注目されていると同時に、単純化や歪曲されて受容されていることの証左かも知れない。もちろん優れた先行研究があることを全否定するつもりは毛頭ない。
本書が注目するのは、中盤の労作『監獄の誕生』だ。これをフーコーのひとつの到達点と見なし、議論を配置する。初期の『言葉と物』が認識構造を問うものだとすれば、周到な「まなざし」を丁寧に分析したのが『監獄の誕生』であり、それは後期の『性の歴史』へ展開・応用を予告する周到な準備でもある。通常『言葉と物』ないしは『性の歴史』が重宝されるという受容状 -
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とあるところで紹介されていたので、読んでみました。
「ホモ・エコノミクス」とは、「経済的合理性を第一として行動する人間像」と考えればよいと思います。
本書は、その「ホモ・エコノミクス」という考え方(経済学を組み立てる上での人間像)がどのように出来上がっていったか、を説明するとともに、「ホモ・エコノミクス」が、経済学以外に、どのような場面で使われるようになっていったか(そして使われることの問題点は何か)、を説明したものです。
全部で300ページほどあるのですが、180ページぐらいまでは、いろんな要素がごちゃごちゃに並んでいて、話があっちにいったりこっちにいったりして、著者の立場の一貫性も怪し -
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つまらないわけではないし、ためにならないわけでもないが、説明がやや詳細すぎて、主題がボケてしまった感がある。
「経済学」を科学の領域に高めようとして物理・数学を導入した。その結果、現実離れしたホモ・エコノミクス(合理的な経済人)概念が所与の前提として独り歩きして、これが政治学にも取り込まれて、現代社会に様々な悪影響を与えている。というのがおそらく本書の趣旨であって、それには異論はないが、各学説の紹介が丁寧すぎて、著者の言いたいことが伝わる前に読むのをやめてしまう人もいるかもしれない。著者自身「だいぶうんざりしてきたかもしれない」と自認しているが、内容は悪くないだけに、わかっているならもう少 -
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高校2年現代文教材に「私はどこへ行く」という哲学系教材がある。
内容は、
今まで、デカルトの心身二元論によって意識する私が主導権を握っていたが、デジタルテクノロジーの発達によって身体的な私が主導権を持つようになった。これによって、今までの権力者と非権力者という構図が成り立たなくなる。
21世紀はデジタルテクノロジーによるパノプティコンの時代である。
…というお話。
一体、パノプティコンってなんだ!?と思って本書を手にとった。
本書は一般的な入門書とは異なり著者の熱意が伝わる読みやすい本。
是非、読んでみてほしい。
サイコパスというアニメにもパノプティコンは登場しますね。
知っていると楽し