セーレン・キルケゴールのレビュー一覧

  • 死に至る病

    Posted by ブクログ

    はっきり言ってものすごく難解。
    これ研究してる人は骨が折れるだろうな・・・。
    新約聖書の”ラザロの死”について冒頭で触れ、人間の3種類の絶望とその変容、神の前における在り方を説く。
    どことなく心理学っぽい側面もあったり。

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    2012年06月08日
  • 死に至る病

    Posted by ブクログ

    10年ぶりの再読。
    冒頭わけわかんないけど、気にせず読み進めるとほんとおもしろい。
    死に至る病=絶望(=罪)に対して、人が取りうるのは延々と続く撤退戦。この不可避的な撤退戦それ自体が絶望でもあり、この先に信仰が存在する。
    続編的な「キリスト教の修練」では、「死に至る病」をさらに推し進めて、キリスト者としての苛烈なまでの信仰を説いていてこれも刺激的。

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    2012年04月06日
  • 死にいたる病

    Posted by ブクログ

    牧師たるものは、もちろん信仰者でなくてはなるまい。
    では、信仰者とは!信仰者とは、もちろん、恋する者である。
    ・・・・・・『死に至る病』190頁

    彼、キルケゴールの指す「死に至る病」とは、絶望のことである。
    この書では、様々な絶望の形を弁証法的に解説しているのだが、普段、私たちが使う「絶望」とは違う意味を持つらしい。
    彼の絶望とは、人間の自己が神を離れ、神を失っている状態のこと。
    そして、人は皆、絶望しているということが語れる。
    自分で絶望していないと思う者も、絶望に気づいていないに過ぎない。
    真に絶望していない者は、極めて稀な存在なのだ。

    第二編では、罪についてが語られるわけだが、ここでは特にキリスト教界への批判の色が濃くなる。彼はキリスト者だ。牧師を志すほど熱心なキリストへの信仰心を持つからこそ、当時のキリスト教界の欺瞞的な態度に大きな憤りを感じていたのだ。

    解説では、本書が如何に難産であったかを、キルケゴールのノートから、多くの引用を用いて解説されている。

    彼が絶望を語るに至った理由、
    それは、彼自身が絶望していたからではないだろうか。
    絶望を知る者でなければ、このように絶望を語ることなどできなかったはずだ。

    信仰者を恋する者に例える箇所がある。
    恋する者が、恋する相手ことを賛美することは容易いだろう。
    だが、恋するということの正当性を語ることはできるわけがない。
    いやむしろ、そんな行為は馬鹿げているとすら感じる。
    何故なら、現に恋をしているのだから。ただ恋をしているのだから。
    信仰心の乏しい私にとって、この例えは非常にわかりやすく、興味深いものだ。
    信仰する者に、なぜ信仰するのか、その信仰が正しいかどうかを尋ねたところで無駄なのかもしれない。

    では、どうすれば、彼らを理解できるのだろうか?

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    2010年12月22日