Posted by ブクログ
2012年07月28日
―自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。
人が全く絶望していない状態を叙述したキルケゴールさんの定式である。
キルケゴールさんはほとんど全ての人間は絶望していると言う。絶望していない人はほとんど存在しない。存在して...続きを読むいるとしたら上記の定式に当てはまっているというわけである。
この本では絶望の様々な形態が抽象的かつ具体的に細かく描写されている。それぞれの絶望が目に浮かぶ。
何も考えることなく日々の辛い日常に埋没している人、単に享楽に浸り込んでいる人、世の中を恨み引きこもっている人、自分は成功者と人々にもっともらしい説教(最近はネットの発展でFacebookやTwitterで持論を展開していることも含まれるかな?)をしている人、企業家、政治家、仕事に疲れたサラリーマン、夫に愛想を尽かした妻、そしてなんとこの私自身もこの本のなかに見事に描写されている。
キルケゴールさんはこの本を教化のための著作といい、教化とはもちろん表面上はキリスト教を信仰しなさいという意味なんだけど、そして、この本の結論としては、これまた表面上は絶対に何等の絶望も存しない状態になるためには信仰するしかない…というものではあるのだけれど、わたしには実のところキリスト様は関係ないのじゃないかと思う。
脳が脳を見ることができないように、世界を見る自分という存在がその見る対称たる世界に含まれているという矛盾から生まれる叙述の不可能性ゆえに、脳の中でのグルグル回しの無限性ゆえに、不可能を可能にする、無限を体現する神を仮定せざるを得なかっただけなんじゃないかと…
しかし、もう、ヒッグス粒子も見つかり、相対性理論は普通に携帯電話に用いられ、宇宙は膨張し、空間は時間から生まれることも記述される今となってはキリスト様を持ち出すまでもなく、とどまることのないとは言え、種々の事情によって個人的に限定された己の可能性を掴みとり、その可能性を具体的に現実化していく努力をすればいいのじゃないかと…
「あなたはあなたでしかないでしょ。この世にはあなたはあなたただ一人。あなたしかいないでしょ?そんなあなたには可能性があるでしょう?どんな人にも可能性はあるのよ。だって、すべては変わっていくんですもの。あなただって変われるの。今のまんまでいいわけ?そうじゃないんでしょう?だったらできることをやったらいいじゃん。できないことでもやってるうちにできるようになるかもしれないでしょ。いや、できるようになるものなのよ。やり方が間違ってなければね。それがあなたの可能性なんじゃない?頭ばっかで考えてたら、現実から浮き上がって彷徨っちゃうよ。地に足つけて。あなたを生きられるのはあなただけなの。だから、気を取り直して。できることをコツコツと。あなたには変われる可能性があるの。それも自らの望みで。人間ってそういうものなのよ。人間ってそうやってそみんな世界を変えてきてるの。だからね、もう一度言うけど、できることをコツコツとね。」
というようなことを言いたかったのじゃないかと思われた。
キルケゴールさんの
―自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力のなかに自覚的に自己自身を基礎づける。
とは、
―できることをコツコツと…
と同じ意味だと、わたしは解釈した。
その結果、わたしは「あぁ~やっぱり、これでいいのかな…」と自分勝手な解釈だとは思いながらも安心するのでした。そのように安心できるのも、キルケゴールさんがものすごい迫力で面倒くささを厭わずに時代を超えて人類の心の奥に通底するなにものかを伝えようとしてくれたからなんだと…
爪の垢でも煎じて飲みたい気分であります。とは言え、まぁ~できることをコツコツと…ですね。
Mahalo