【感想・ネタバレ】死にいたる病のレビュー

あらすじ

絶望とは、人間の精神のみが罹る「死にいたる病」である。キリスト教会の欺瞞を批判しつつ、無限なる神との関係における有限なる自己(単独者)をめぐって、絶望と罪との諸形態を徹底的に分析し、考え抜く――精神の教化と覚醒のために。自己疎外に陥った現代人の魂の、その核心への肉薄が、今なお鮮烈に読む者を捕えて離さない実存主義哲学の古典。20世紀の思想に広範な影響を与えたキルケゴール晩年の思索を、デンマーク語原点から訳出し、詳細を極める訳注と解説を付す。

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Posted by ブクログ

死にいたる病
(和書)2011年07月06日 21:43
1996 筑摩書房 セーレン キルケゴール, Soren Kierkegaard, 桝田 啓三郎


キルケゴール「死にいたる病」を読むのは2回目なのです。1回目は何処が凄いのかピンとこなかった。でも今回読んでみて吃驚するぐらいすばらしい作品だと思いました。

1回目を読んだ時の自分と2回目を読んだ時の自分が全く違う人間に変わってしまったような、新鮮な衝撃を受けました。

読書って1回読んだだけでは読み切れないって強く思いました。前回は必読書だから力が入りすぎたのかもしれない。

カントの啓蒙とキルケゴールの教化が繋がっていてヘーゲルに対している。最初にそこを読んで度肝を抜かれました。

お勧めです。是非お読み下さいませ。


3回目 読みました。

とても凄い作品です。必読書150で柄谷さんの評が載っている。木村敏が統合失調症の世界観を見事に描いていると書いてあり、漸くその意味が解った。カントの言う学問=秩序だった全体の内でみるということが、単独な人間は概念以下にあるということにおいて思弁に抑圧され、それを倫理としてしか見いだせないという次元において見事に学問として捉えられている。凄まじい作品です。何回も再読すべき名著だということを漸く知りました。

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2020年09月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

古典を読み切った以上の感情がない
何が言いたいのか分からなかった
キリスト教徒の向き合い方なのか

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2021年02月06日

Posted by ブクログ

牧師たるものは、もちろん信仰者でなくてはなるまい。
では、信仰者とは!信仰者とは、もちろん、恋する者である。
・・・・・・『死に至る病』190頁

彼、キルケゴールの指す「死に至る病」とは、絶望のことである。
この書では、様々な絶望の形を弁証法的に解説しているのだが、普段、私たちが使う「絶望」とは違う意味を持つらしい。
彼の絶望とは、人間の自己が神を離れ、神を失っている状態のこと。
そして、人は皆、絶望しているということが語れる。
自分で絶望していないと思う者も、絶望に気づいていないに過ぎない。
真に絶望していない者は、極めて稀な存在なのだ。

第二編では、罪についてが語られるわけだが、ここでは特にキリスト教界への批判の色が濃くなる。彼はキリスト者だ。牧師を志すほど熱心なキリストへの信仰心を持つからこそ、当時のキリスト教界の欺瞞的な態度に大きな憤りを感じていたのだ。

解説では、本書が如何に難産であったかを、キルケゴールのノートから、多くの引用を用いて解説されている。

彼が絶望を語るに至った理由、
それは、彼自身が絶望していたからではないだろうか。
絶望を知る者でなければ、このように絶望を語ることなどできなかったはずだ。

信仰者を恋する者に例える箇所がある。
恋する者が、恋する相手ことを賛美することは容易いだろう。
だが、恋するということの正当性を語ることはできるわけがない。
いやむしろ、そんな行為は馬鹿げているとすら感じる。
何故なら、現に恋をしているのだから。ただ恋をしているのだから。
信仰心の乏しい私にとって、この例えは非常にわかりやすく、興味深いものだ。
信仰する者に、なぜ信仰するのか、その信仰が正しいかどうかを尋ねたところで無駄なのかもしれない。

では、どうすれば、彼らを理解できるのだろうか?

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2010年12月22日

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