小鷹信光のレビュー一覧
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プロローグ
工藤俊作!
昭和生まれの読書なら誰もが知るであろう私立探偵である
古くは明智小五郎や金田一耕助らが有名だが、現代だと毛利小五郎!?やコナン君、金田一少年といったところか…
だがしかし、工藤俊作が親しまれる所以としては少し!?女に弱い所!
これが、弱点でもあり魅力的なところでもあるのだ
『探偵物語』の続編である本作もそうした魅力的!?な部分を存分に描いた作品である
本章
『赤き馬の使者 探偵物語2』★Super5
前作に続き素晴らし出来である
前作は、“探偵物語”らしい都会が舞台となっていたが、今回はなんと北海道が舞台となっている
北海道で簡単な仕事を依頼され、依頼者に報告を済ませ、遊んで帰るはずだった
飲み屋からホテルに戻ると暴漢に襲われあらぬ陰謀に巻き込まれていく
気が付くと自身の生い立ちにまつわる真相が沸き起こり、次第に過去と事件が繋がっていくのだが、そこには壮絶な真実が眠っており……
というような、内容なのたが今回の工藤俊作は、テレビドラマに登場する彼と少し異なっていることに気付く
女に弱い部分は、一緒なのだがそこには底知れぬ強さがあるのだ
それは、肉体的にというよりも精神的な部分でテレビの工藤とは異なるのである
そして、予期せぬラストも素晴らしかった
それは読んでからのお楽しみということで…
いゃ〰、探偵物語ってやっぱいいね
改めてそう思った!!!
エピローグ
解説によると、作者の小鷹氏はラストのシナリオを40通り考えたようだ
ハッキリ言ってあの工藤俊作の決断には、正直ビックリした次第である
ホント、テレビ版工藤俊作とは異なるラストの決断には、ハードボイルドの真髄を見たような気がしたのだ
何かドライなアメリカンのような香りと不意に訪れた結末との狭間の中でゆっくりと本を閉じた!
完 -
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ネタバレ2026年の17冊目は、小鷹信光の「探偵物語」です。1979年から80年にかけて放送された、松田優作主演によるテレビドラマの原案となります。作者の小鷹信光さんは、ダシール・ハメット他、ハードボイルドの名翻訳家として知られていますが、作家としても一流である事をこの本で証明しています。
50年近く前の本に関わらず、文章に全く古さを感じません。それだけとっても凄い事です。携帯電話が無かったりと、現在では当たり前のものが存在していない世界に対して、古さではなく、逆に、懐かしさやノスタルジーを感じさせてくれます。
ドロドロした複雑な人間関係と愛憎劇、登場人物それぞれが考える正義を行使しようとする姿等、非常に読み応えが有ります。淹れたコーヒーが、いつもより苦いというシーンで終わるラストもいかにもという感じで秀逸です。
日本ハードボイルド史に残る傑作だと思います。
☆4.9 -
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プロローグ
昭和ソコソコの生まれであれば、誰もが知っている、ドラマ『探偵物語』とその主人公、工藤俊作
言わずとしれた名探偵ならぬ迷探偵である
ドラマオープニングのSHOGUN“Bad City”と
とくにエンディングの同じくSHOGUNの“Lonely Man”は、今なお心に深く刻まれている名曲だ
小学生の頃、下校しTVをつけ、この再放送をかぶりつくように観ていたあの頃に思いを馳せつつ、頁を捲った!
本章
『探偵物語』懐かしの古典的ミステリーに★5
この度の誠に喜ばしい再刊行を機に再読
※因みに、映画版『探偵物語』は、赤川次郎原作の全くの別物である
原作の小鷹氏は、ダシール・ハメットやリチャード・スターク等のミステリー翻訳も数多く手掛け、その素養が本作にも大いに活かされている、一級品のミステリー小説だ
ある時、工藤俊作の下に誘拐された娘を探してほしいとの依頼が舞い込む
胡散臭さを感じつつも、高額報酬に目が眩み依頼を受けてしまう工藤ちゃん
そこからが、昭和のミステリーよろしく、ハードボイルドあり、アヴァンチュールあり、裏切り、ミステリーが巧みに絡み合い物語が進行していく
物語の根底にあるのは、愛、嫉妬、復讐だ
テーマは、至って単純明快だが、、、
すんばらしい、誠にすんばらしい
船戸与一に大藪春彦、そして小鷹信光
昭和を代表するハードボイルド作家にため息が止まらない
満足も満足、大満足の本作であった!!!
来月には、最高傑作と云われている続編が再刊行されるのでそれは、それは、楽しみでならない
エピローグ
本書を読んで、懐かしさが込み上げた
工藤俊作の事務所ビルに同居している、モデルと女優の卵のナンシーとかほりの登場である
小学生の頃、理由もわからぬエロティシズムを無性に感じたものである
勿論、工藤ちゃんと呼ぶ服部刑事も登場してくる
いゃ〰、あの頃の初な童心に恥じらいを感じつつ
ほくそ笑む己がいた!!!
完
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Posted by ブクログ
1950年代、雑誌『マンハント』や『ヒッチコックマガジン』で活躍したジャック・リッチーの短篇を、60年、70年、80年代と年代別に四部に分けて収録した短篇集。全二十五篇が本邦初訳というのだが、えっ、これが今まで訳されてなかったの、といいたいほどの完璧な出来映え。無駄のない叙述、キレのいい会話、あっと驚くオチ、とその完成度の高さはまさに短篇の鑑。犯罪を扱ったものに佳篇が多いので一応ミステリというジャンルになるのだろうが、謎解きにはあまり興味がないようだ。
視点を犯罪者の側に置いて、犯罪を犯す動機や、そのプロセス、そして意外な結末、という事件の推移を余計な感情を交えず、クールに描いている点はハードボイルド・タッチといっていい。ではあるのだが、それだけではない。掲載する雑誌によって作風を変化させていたのだろう。仄かなユーモアを感じさせる作品も少なくない。そして、それがただのほのぼのとしたユーモアだけではなくて、少しシニカルだったり、苦味を含んでいたり、と微妙な味わいが癖になる類いのものなのだ。
大都会を舞台にしたものより、アメリカの片田舎、謂う所のスモール・タウンを舞台にしたものが圧倒的に多く、独特の味わいはその設定が功を奏しているといえるだろう。凝ったトリックや、不自然な殺人方法などは全くといっていいほど登場しない。よく出てくるのが、轢き逃げや鈍器による撲殺。死体の隠し場所もよくて谷間に埋める程度。銃で撃ってそのまま放置というのが結構多い。つまり、そんなものに興味も関心もないのだ。
じゃあ、何に興味があるのか。人間である。シリアル・キラーやサイコパスではない。それこそ、アメリカのスモールタウンのどこにでもいそうな、読者の隣に住んでいても不思議ではない、ごくごく普通の一般的な市民が、ふとしたはずみで犯罪に手を染める。苦境に陥ったり、欲に駆られたり、棚ぼた式に幸運が舞い込んできたりして、人は殺人を犯す。たいしたきっかけは要らない。犯罪の痕跡を隠すのにも何の苦労がいるものか。そのために、わんさと犯罪小説が書かれている。そのなかのどれか、いちばん簡単な方法をとればいい。シンプルが一番なのだ。
火掻き棒で殴られたり、ショットガンで撃たれたり、と短篇集だけに被害者の数は厖大だが、後味がさほど悪くないのは、恨み辛みがもとになったネガティヴな犯罪が少ないことがある。ポジティヴな動機というのも変だが、なんだか犯人がそれほど憎めないのだ。そんな動機あるある、というとなんだかこちらまで犯罪予備軍みたいになるが、仕返しであったり、やむをえない事情があったり、犯人にもいろいろと都合があるのだ、これが。
犯罪者の視点から描いたものを主に紹介してきたが、もちろん、犯罪を追う側の視点で書かれたものもある。なかでも、ヘンリー・ターンバックル巡査部長と相棒のラルフが探偵役を務める三作が面白い。父親に本ばかり読んでおらずに少しは人のためになることでもしなさい、と言われ警察に勤めることになったヘンリーは、捜査で訪れた関係者の部屋に置かれた本が気になる、という文系探偵。その相棒のラルフも少々変わっていて、このちぐはぐなコンビのとぼけた感じが楽しい。
その一つ「容疑者が多すぎる」に登場する学生時代「ミス・読書家」に選ばれたこともあるドーラとの丁々発止の掛け合いが読ませる。マクジョージと呼ばれ、振り向いたところを撃たれた被害者はマクジョージではなかった、というのが謎という一篇だが、ドーラは、誰かがドアを開けて「何か叫べば、普通、振り向くわ。たとえ自分の名前がスミスとかブルービアードだとしても」と説く。この「ブルービアード」だが、日本でいえば山田(太郎)級にありふれた名前の(ジョン)・スミスに対し、珍奇な名前としてミス・読書家ドーラが例に挙げる名前なのだから、「青髭」(シャルル・ペロー作)にルビを振る程度の工夫が欲しいところだ、と思う。
ミステリ一辺倒でもない。一風変わったゴースト・ストーリー(「帰ってきたブリジット」)もあれば、テレポーテーションを扱ったSF([正当防衛])もある。冒頭に置かれた極々短い一篇は「恋の季節」のタイトル通り、微笑ましい恋愛小説である。その次に置かれた「パパにまかせろ」は、よくできる息子に追い越され気味の父親が姦計を用いて威厳を取り戻そうとがんばる、いうならば家庭小説。そのどれもこれもが、ほんの少しであるが、ミステリ風味のスパイスが効かしてあって、しかも極上のオチが用意されている。
殺人を描いている場合でもユーモアをまぶさずにいられない作家にも、時にはその持ち味を封印し、ハード・ボイルドに徹した作品を書きたい衝動が起きるらしい。「編訳者あとがき」で小鷹信光氏が「原稿二千枚を百分の一に圧縮したような作品ですが、山間の寒村を舞台に起こる五つの殺人が、冷え冷えとした描写を通じて描かれた恐ろしい物語」と評するような一篇も中には含まれる。あえて、作品名は伏せておられるので、ここでもそれに倣っておく。確かに、凄味のある一篇で、他の作品群とは一線を画している。こういうタッチでも書けるのだ。
小鷹氏曰く「とても芸域の幅の広い、練達の短編小説家」ジャック・リッチーには、2013年に同じポケミスから『ジャック・リッチーのあの手この手』が刊行されている。この短編集が気に入った読者なら見逃す手はない。 -
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ハードボイルドの翻訳で有名な小鷹信光が編集した、全編本邦初訳の短編集。「謀」「迷」「驚」「戯」「怪」という切り口から、さまざまな味わいの良作をセレクトしている点も面白い。
短編の名手リッチーが、文字通りあの手この手を駆使して繰り出してくる球は、鮮やかなどんでん返しが小気味よい「消える魔球」系から、じわりと温かい気持ちになれる人情譚、この作者には珍しいSFホラーめいた怪作まで、実にバラエティ豊か。
「謀」に三篇収録の名探偵・ターンバックル物は、とぼけた味わいとミステリーの常道を茶化すような描写、予想を裏切る展開が楽しくてしょうがない。
「怪」の巻に収録の「猿男」は、人生いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもないと思わせてくれる名短編。希望の持てるラストが胸を打つ。
「三つ目の願いごと」も「リヒテンシュタインの盗塁王」もいいなあ。
全編が「買い」、大満足。 -
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私立探偵工藤俊作のもとに電話がかかってきた。失踪した17才の少女を探してほしいという依頼だが、電話の相手は妙に威圧的だった。調査を始めると、少女を誘拐したという脅迫電話がかかってきて状況は一変する。
ハードボイルド小説としてはかなり面白い。そこはさすが小鷹信光だ。次々と複雑な人間関係が明らかになり、各人の思惑が見えてくる。覆い被さるように事件は起こり、偶然も重なりながら進む。工藤俊作も人間臭さが随所に現れ、人を殺めることもする。ハードボイルドの世界に溺れてスタイルのみ追う探偵像ではなく人間の弱さも描いている。その一方で暴力や殺人、拳銃が飛び交いながらも警察には深く追われない非現実感は否めない。さらに男女の関係にやたらセックスを入れ込むとストーリーは浅くなりがちだ。
小説の工藤俊作はドラマの工藤俊作とは全然違う。酒、煙草、暴力、サングラス、セックス、夜、皮肉なセリフ、金で買えない男、女性にモテる、都会的、乾いた空気感、多くを語らない。コミカルなところはひとつもない。この頃の日本のハードボイルドの典型的な人物像。原寮の探偵沢崎や矢作俊彦にも共通する悪く言えばステレオタイプな探偵。
もっと言えば日本ではフィリップマーロウとマイクハマーの2人のハードボイルド探偵の影響が大きかった。この工藤俊作はフィリップマーロウというよりマイクハマーを彷彿とさせる。
松田優作のドラマのことは考えずに、つまり工藤俊作にあまり執着せずに、ハードボイルド小説として楽しめる本です。
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Posted by ブクログ
ネタバレうーん前作より面白いかというと、カーチェイスがあったりファムファタールがでてきたりとあって派手にはなってるけど、そこまで卓越してはないかな。
赤のスカイラインを乗り回す工藤は田舎町の異物として扱われるけど、スカイラインを失って瀕死の傷を田舎のご夫妻に治療してもらって以降は、町の人々から受け入れられているように見える。異物感の象徴であるスカイラインを失って、身体も傷ついて不完全な状態にならないと、町に溶け込めなかったのだろう。
フェミニズム的な観点からは、ファムファタールみの強い忍さんは、ボーイズクラブに立ち向かう強い女として描かれているように思う。ただし、体を開くことで世間を渡るという弱さを露呈した瞬間に、チープな存在に堕し、通報されてしまう。あのチープさがなければ、強い女のままいられれば、違った結末があったように思う。
あと町長は結局悪いやつってことでいいの?そこんとこはっきりしてくれや。
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Posted by ブクログ
言わずと知れた「工藤ちゃん」が主人公の長編小説。本書の成り立ちは小山正による解説「小説版『探偵物語』はいかに生まれたか?」(pp338-350)に詳しく書かれている。今でいうメディアミックスの一環として一九七九年トクマ・ノベルズの一冊として刊行されたのだけれど、だいぶテレビドラマや映画のイメージと違う。そもそも本書で主人公をちゃん付けで呼ぶ人物は誰も出てこない。暴力描写がやたらめったら多い。正直これにはうんざりさせられた。ヒロイン? も、当時のテレビドラマや映画の女優たちのイメージとはかなり異なり、環境の影響があるとはいえ十代にして腐りきっており可憐さは一切感じない。カーチェイスが多いのだけが共通項かな。とはいえ、松田優作ら当時のキャストを全て頭のなかから追い払って、全くの別物として読めばそれなりに楽しめた。
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ネタバレレイモンド・チャンドラーの超名作『長いお別れ』の公認続編ということで読んでみました。
著者はベンジャミン・ブラック。
地球の回転がとまったと思われるような暑い夏だった。フィリップ・マーロウの事務所に依頼人として美女が訪ねてくる。クレア・キャヴェンディッシュと名乗る。行方不明である愛人であるニコ・ピーターソンを探して欲しいという。クレアは資産家であるラングリッシュ家の娘であった。金持ちの美貌の娘が、なぜ自分の事務所を?という疑問を抱きつつも、マーロウは仕事に取り掛かる。
クレアより教わったニコの自宅を訪れるも当然不在。近くに住む怪しい老人より、いつも違う女性を連れていたこと、またメキシコ人の二人連れもニコを探していたことを知る。
市警本部殺人課のグリーンに電話して、ニコについて聞いてみると、翌朝折り返しの電話があり、彼の所在がわかる。ニコは轢き逃げに遭い、既に死んでいると言うのだ…。
何が本当なのか。クレアはどこまで知っているのというのか。真相を探るマーロウは深い闇に包まれていく。
話はとても面白いです。分厚い文庫本ですか、やはりこれも一気に読み終えました。チャンドラーの模倣本としては悪くない出来、悪くない文体です。
ですが、やはり何か違う。チャンドラーとは違う。マーロウの性格が微妙に違う。マーロウはこんな愚痴っぼくないし、納得しないし、もっともっともっと意地っ張りで優しいです。
そして、『長いお別れ』に出てくるテリー・レノックスの性格もまるで違う。どれほど堕ちても彼はこんなふうに卑しくなることはないだろうと思います。きっとテリーなら、あの作品で今生の別れを行ったテリーならこんなふうにマーロウを利用することはなかっただろうと。
ミステリやハードボイルドとしての面白さは担保されているのですが、『長いお別れ』の続編としては私は受け入れられませんでした。
全くの別作品として読むのならアリ、だと思います。
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Posted by ブクログ
20代の中盤から後半に掛けて、海外探偵小説をむさぼり読んだ時期があった。
所謂、ロッキングチェア・ディクティブとかアームチェア・ディクティブではなく、ハードボイルド物の探偵だ。
ダシール・ハメット、ロス・マクドナルド、ミッキー・スピレーン、サラ・パラレツキー、ビル・プロンジーニ、L・A・モース、ローレンス・ブロック、スーグラフトン、そしてチャンドラー。
他にも、海外小説の探偵物を読んだ読んだ。そして、その中でも特別だったのがレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズだ、色々な人が言うのがチャンドラーは決してただのハードボイルド小説作家では無い、いや彼の小説はハードボイルド小説では無いと
僕もそう思う。暴力とSEXだけじゃないのがチャンドラーなのだ。
この小説の作者も「チャンドラーの筆致は、気取っていて、エレガントで、ウィットに富んでいます。スタイリッシュでもあります。しかもダンディーです。」とまさにその通り、チャンドラーの書くマーロウの物語は僕にとっても特別なのだ。
そんな、チャンドイラーの衣鉢を継ぐのがこの作品なのだ。チャンドラー好きの諸兄には色々とご意見、ご批判も有るとは思うが僕にとっては十分に及第点を上げたい作品だった。
20代の頃と同様に男と言う生き物の哀れさや孤独をかみしめながら読み終えた。
「タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」
マーロウのようになりたいと真剣に思った20代の頃を思い出す。
結局、酒だけは強くなったが、あとは・・・