Posted by ブクログ
2021年08月13日
西武池袋線大泉学園駅では銀河鉄道999の車掌さんの等身大フィギアが乗降客を迎えてくれる。漫画家の松本零士が住んでいるからだ。駅の外には矢吹丈、メーテル、ラムちゃんなど銅像が設置されている。漫画で街興ししているようだ。
かれこれ30年くらい前までは、私もここに住んでいた。一橋大学を誘致した中央線国...続きを読む立駅を模した学園都市構想で、大泉学園と駅名を付けたはいいももの、どこの大学も来なかった。
40年くらい前の練馬区、23区で最も水洗トイレの普及率が低く、周りは畑ばかり。はっきり言おう。ただの田舎だ。都会の中の田舎が、今ではトカイナカともてはやされているみたいだが、ここはただの田舎だった。それより古い半世紀も前、しかも大泉サロンなるアパートがあった場所は、駅からは歩けば30分以上かかる田舎のなかの田舎。そこにサロンだなんて。ふっ!(鼻で笑う)
以前、竹宮惠子が5年ほど前に書いた「少年の名はジルベール」を読んだ。
そこに描かれているのは大泉サロンなる少女漫画家たちが漫画界に革命を起こそうとした城の物語。土地勘ありまくりのため、おおっ!こんなキャベツ畑の真ん中の、ゴキブリがよく這っていた○○くんちの近所で、そんな革命がおきていたとは!と驚きながら読んだ。(ただ、竹宮作品も萩尾作品も読んだことはないので、漫画の内容はよくわからなかった。あくまで土地きっかけで読んだ本)
そしてもう一方の革命の主役・萩尾望都が大泉の話を書いたとなれば、もうこれは読むしかない!とさっそく読んだ。
もう愕然。
やっぱりサロンなんてなかったのだ。
石ノ森章太郎の書いたエッセイなんか読むとトキワ荘の面々は仲が良いのに、女性版トキワ荘は感情がもつれて決裂し、解散してしまった。
この本は萩尾望都が語る決裂までの道。
萩尾望都からみた竹宮惠子像が興味深い。当時の竹宮惠子の心情を萩尾望都なりに推測している。
仮に竹宮惠子が萩尾望都の推測通りの精神状態だったとしても、竹宮さんの気持ちもわからないでもない。まだ若かったんだし、売れっ子で、忙しすぎていっぱいいっぱいになってしまったんじゃないかなぁ、と同情する。(いっぱいいっぱいになってスランプ状態になったことは竹宮さん自身が「ジルベール」のなかで語っている) そして、萩尾さんは萩尾さんで、その感情を受け止める余裕なんてなかったんだなあ、と。
誰か間に入れる人がいればこじれなかったような気もする。う~ん、なんかもったいない。
手塚治虫も石ノ森章太郎に嫉妬してたし、竹宮さんを責める気にはなれない。萩尾さんも天才肌なんだろう、普通の人なら時がたてば許せることのような気がするんだけど、ちょっと感覚が敏感すぎるのかなと思う。こちらも責める気にもならない。これはこれで青春だったんじゃないかな。
ネタバレになるから詳しい内容には触れない。